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2015年10月15日

加藤陽子 『満州事変から日中戦争へ  (シリーズ日本近現代史5)』 (岩波新書)

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『戦争の日本近現代史』『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は紹介済み。

以前ほどでもないが、岩波書店でこの手の近現代史の本は読みたくないなとは思っているが、これは著者名から手に取ってみようかと思う。

戦前昭和における日中紛争についての日本人の認識は、通常の戦争ではなく、「不法な」中国に対する「報償」「復仇」というものが主流だった。

その背景を考察するのが、本書の主たるテーマ。

以下、ポイントを箇条書き。

 

 

 

満州事変の四つの特質。

(1)相手国指導者不在の状況。  蒋介石は剿共戦従事、張学良も事変当時は北平に滞在中。

(2)政治関与を禁じられたはずの軍人が主導。  陸軍刑法を骨抜きにし、「事実の説明と推断」で国民を煽動。

(3)国際法抵触を自覚しつつその違反との非難を避けようとする。  張の悪政と満州人「民族自決」の強調。

(4)満蒙という地域概念の恣意的拡張。  東部内蒙古や熱河・チャハル両省も含める。

 

 

 

満蒙特殊権益を列強は承認していたのかという問題。

日本の権益についての二つの見方、「概括主義」と「列挙主義」。

概括主義=満蒙地域全てが日本の既存権益。

列挙主義=条約・協定に基く確実な個々の既得権益のみを主張すべきとする。

大正期、原敬内閣時代、外交調査会において伊東巳代治がかつて自身も支持した概括主義を批判、列強の承認を自明視するべきでなく、排他的勢力圏の構築よりも、自由競争で英仏優位の華中へ進出すべきと主張。

(ここでの伊東の態度は珍しくまともに思える。)

同盟国イギリスとの交渉でも概括的意味で満蒙が日本の勢力圏だとする承認はなされたことはなく、米国が日本の中国での特殊権益を認めた、極めて稀な外交合意である石井・ランシング協定でも、「特殊権益」解釈の限定があり、通商独占は否定されている。

原、伊東のように、満州権益の列強による承認が列挙主義によって辛うじて認められたと見なし、以後の日本は排他的勢力圏を断念して長江流域へ日米協調の下に進出を計るべきとの冷静な見方がある一方、満州権益を断固として維持・拡張しようとする意見も根強く残る。

 

 

 

事変前、突破された三つの前提。

(1)幣原外交の説得力喪失。

20年代半ば、国共合作でソ連と組んだ反帝国主義的中国が最大の既得権益保持国イギリスを圧迫、日本はそれを利用し自らの力を認めさせ漁夫の利を占める形勢。

しかし国共分離で中国内の連ソ反英派は衰退、英国の地位は回復し、米英は中国の好意獲得競争に走り、一方北伐を完遂した中国の次なる国権回復運動の標的は日本の満州権益に移る。

米英協調という幣原外交の基盤は掘り崩されていったが、この情勢をマクマリーのような冷静な外交官は批判的に見ており、長い目で見れば中国にとっても損失だったとしている。

(2)張作霖を通じた北満州権益深化という田中外交の挫折。

田中の張政権支持堅持に苛立つ関東軍の一部が張を爆殺、張学良は日本を仇敵とし、満州の情勢はかえって不安定化。

(3)総力戦体制整備の困難さの認識。

石原莞爾らは、米ソ相手の持久戦で圧倒的不利な立場の日本でも、満蒙を領有すれば自給自足体制を確立できると考えたが、その行為が中国ナショナリズムを敵に回し、日本に途方も無い重荷を背負わせるとの危惧は(当時の石原には)無かった。

恐慌時に国内の負担なしで総力戦体制が可能になるとの謳い文句は、少し前に経済的計算のみで軍縮を支持したような人々を、満州事変支持に誘い寄せた。

 

 

 

事変後、直接二国間交渉論で日中が同意しかけたが、中国側は日本国内の穏健派を過大視し、対日強硬論がその勢力を強めると考え、国際連盟に提訴し、問題を国際化したが、結果としてそれは完全な誤認と失敗だった。

日本の国民世論は事変を熱狂的に支持、無産政党は沈黙、大新聞は地方への販売拡張のため連日煽情的紙面を掲載、政府と陸軍首脳は中堅層に引きずられずるずると政策転換。

「日本の軍人はまるで義和団だ」との吉野作造の言葉や、上海事変時、日本人居留民の行動が「当時我国の信用を堕したことは一通りではない」との日本総領事の発言を読むと、情けないという気持ちを抑えることが出来ない。

1931年末、日本側が治外法権放棄、中国側は東北全域での商租権と雑居自由を日本に与え、満州は自治委員会が統治するという妥協案が提案される。

張学良は排除され、国民党も有利な点があるし、これで手を打っておけばいいじゃないですか・・・・・。

この案は立ち消えになり、32年初頭米国はスティムソン・ドクトリンを発表するが英独などは追従せず。

リットン調査団報告書では、日本人に十分な割り当てを課した外国人顧問採用と対日ボイコットの永久停止、居住・商租権の全満州への適用など日本に有利な点が多々あったにも関わらず、事変を自衛権の発動と民族自決の擁護と認めないことで日本の世論は激高。

中国国内の不安定こそが事変の原因とする日本側に、五・一五事件が起るような日本こそが不安定だと中国側が反論したとの記述を読むと、恥ずかしい。

愚かな多数者の集団ヒステリーには誰も逆らえないのが近代という時代とは言え、何とも言いようの無い気分になります。

世論煽動に使われた、中国の「不法」行為にしてもやや微妙な点がある。

「自衛」のための鉄道守備兵駐屯の法的根拠は実は曖昧さがあり、はっきりしているのは中国警察の監察権拒否だけで、日露戦争前には日本自身が対露抗議でその曖昧さを利用していたり、満鉄併行線問題でも将来の対ソ戦にとって有利と考えられる部分では中国の建設を黙認していたりしていた。

内田康哉外相は中国政府内親欧米派の圧迫のみを考慮して強硬策を追求したが、これは少し前の中国側の日本評価と同じくらいの誤算だ。

日中両国で、妥協と和解を説く穏健な人々はますます少なくなり、両国にとって破滅的な全面衝突路線が誰にも止められなくなる。

汪兆銘は、戦時にはまず中国側が一方的に甚大な被害を受ける展開になる、中国経済の中心はすでに海岸部に移っており、そこを日本軍によって破壊されれば、政府は内陸に逃れても、弱体・傀儡化し、後に来るのはソヴィエト化と国家分裂だ、と述べ、対日宥和策を主張したが、このように完全に正しい主張が全く通らなくなる(日本側においても同様)。

重光葵ら幣原外交を清算した外務省の新主流派は、中国からの欧米勢力駆逐を目標とし、日本側は支那駐屯軍撤収、租界・治外法権放棄という妥協を自ら行い、イギリスを犠牲に対中宥和を図ろうとする。

これは陸軍の一部に見られたような、一方的な攻撃的政策でないのはいいが、イギリスのリース・ロス使節の重要性を見逃したのは重大な過ちだった。

イギリスの支援を受け、孔祥熙財政部長の下で幣制改革を成功させた中国では、連外抗日派が勢力を強める。

ナショナリズムの異様な高まりの中で西安事件が発生、第二次国共合作のきっかけになるが、著者がこの西安事件前後の中国ナショナリスト青年と二・二六事件の青年将校との共通点を示唆しているのが興味深い。

以後、不幸にして日中は全面戦争の道を歩み、両国とも破滅に至ることになる。

 

 

 

 

ほとんどが外交史。

シリーズ名からするとやや違和感がある内容。

一般的通史とは違った角度からの叙述が多く、面白いことは面白い。

この巻はまあ、お勧めできます。

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