万年初心者のための世界史ブックガイド

2015年8月26日

トニー・ジャット 『失われた二〇世紀 下』 (NTT出版)

Filed under: 史論・評論 — 万年初心者 @ 07:18

上巻の続き。

この下巻は第三部ヨーロッパ史とイスラエル論、第四部アメリカ論を収める。

 

 

11章「破局―1940年フランスの敗北」。

アーネスト・メイ『奇妙な勝利 ヒトラーのフランス征服』という著作への書評。

この本は、マジノ線の陰に隠れる退嬰主義と国内の分裂、戦力不備によって半ば必然的に敗北したフランスというイメージを修正するもの。

ヒトラーの勝利は偶然と幸運に因るところが大きい。

当初ドイツ軍は第一次大戦同様ベルギー通過ルートでの攻撃を予定していたが、この地域でフランス軍には逆に積極攻勢に出るプランを擁しており、これは可能な限り国境から離れて北東に突出する作戦計画。

もしこれが実現していたら英仏蘭ベルギー軍が勝利したはず。

ところが独側の作戦計画が偶然ベルギーに漏洩したため、ドイツは作戦を変更、実際にはルクセンブルクとアルデンヌの森を突破して大攻勢を仕掛け、そこから英仏軍を海峡沿いに追い詰め、ダンケルクの撤退に至る。

フランスの諜報の弱さが致命的となった。

以上のことから、メイはフランス勝利の可能性を示唆するが、著者によれば、それは極めて実現性の少ない歴史のイフを積み重ねなければ成り立たないものであり、ヒトラー政権と軍部間のドイツの国内対立を過大視し、フランスのそれを過小評価しているとする。

フランスの国内分裂の例として、ブルムに対するピエール・ガクソットの罵倒、ヴィシー政権によるブルムへの見せしめ的裁判によりにもよって協力を申し出る共産党、カグール団(『記憶の中のファシズム』参照)の存在、ムッソリーニへの強迫的な哀願と支援要請などが挙げられている。

ガクソットはその著『フランス人の歴史』における筆致は喩えようも無く品格高いものなのだが、ややそのイメージを損なう記述であった。

結局、フランスの自信喪失と自己不信という背景は決して無視できない、マイケル・ハワードの普仏戦争への考察が1940年にも当てはまる、フランスの敗北は単に戦術的レベルでの失敗からもたらされた偶発的なものではなく、軍システムそして社会システムの欠陥に由来するという主張に著者は同意している。

 

 

12章「失われた時を求めて フランスとその過去」。

ピエール・ノラ編集『記憶の場』への書評。

この章は内容を捉えることが難しい。

最後の部分からのみ抜粋。

学校制度のカリキュラムから叙述史が消滅しつつある。

「正典」としての普遍的権威を主張する歴史が。

もちろんそれへの批判も必要不可欠だが、国民が共有できる歴史が無ければ、批判的視点があっても約に立たず、過去の大半が忘却されてしまう、国民国家の物語の恣意性を非難するだけでは済まない、というようなことを言っているのか?

ノラ編著も結局そうした国民歴史物語になっているが、それを全面否定はしないということ?

完全な誤読かもしれません・・・・・。

私の能力ではこれ以上読み取れません。

 

 

13章「庭に置かれたノーム像 トニー・ブレアとイギリスの『遺産』」。

「ニュー・レイバー」「第三の道」の美名の下に、実際はサッチャリズムを温存した英国のブレア政権(1997~2007年)への徹底批判。

貧富の格差拡大、鉄道インフラ・医療・教育の荒廃など新自由主義的「改革」がもたらした負の面を強調している。

 

 

14章「国家なき国家 なぜベルギーが重要なのか」。

北部オランダ語圏フラマンと南部フランス語圏ワロンに分裂寸前のベルギー国家についての章。

EU本部のあるヨーロッパの中枢で、首都ブリュッセルは両語地域になっている。

経済的にはかつてとは逆転して、現在は北部が豊かになっている。

フラマンはカトリック信仰から同じ言語のオランダと歴史を分かれた。

移民を含めれば、国内の分裂が究極の域に達している。

やはりそれをまとめるのは中央政府しかない、民間活動の自発性からは国家の統合は保証されない、国家が軽すぎることが問題だというのが著者の結論。

 

 

15章「ルーマニア 歴史とヨーロッパのあいだで」。

チャウシェスク政権崩壊後、特権を巧みに保持した元共産党員イリエスクと排外主義的ナショナリストが争う大統領選の描写から始まる、ルーマニアへの悲観的考察。

歴史をさかのぼり、アントネスク元帥の独裁政権が1942年時点で同盟国ドイツから「ユダヤ人を救った」ことは事実だが、独ソ戦でルーマニア軍は虐殺に手を染めている、戦後共産化した後、ゲオルギウ・デジおよびチャウシェスクの対ソ自立路線を西側諸国は歓迎し支援したが、国内体制は余りにも抑圧的だった、そして現在ではヨーロッパで最も排外的な国になってしまっていると指摘している。

 

 

16章「暗い勝利 イスラエルの六日間戦争」。

1967年第三次中東戦争時、イスラエルのキブツ(自給自足的農業共同体)に筆者はいた。

イスラエル政治は左派労働党と右派リクードの二大政党が中心。

国民はドイツ・東欧系ユダヤ人のアシュケナジとスペイン・地中海・イスラム圏出身ユダヤ人のセファラディに大別。

建国から現在にかけて、優位性が前者から後者に移るにつれて、政策は右傾化し、パレスチナ人と周辺諸国への強硬姿勢を強めている。

著者は第三次中東戦争での圧倒的勝利を過信せず、占領下のアラブ人との共存に心を悩ませた首相エシュコルを評価している。

その他の人名として、ベン・グリオン、ゴルダ・メイア、ダヤン、ベギン、ラビン、ペレス、シャロンなどをチェックして目に慣らしておくとよい。

1967年以後のイスラエルは自信過剰となり、国際世論から犠牲者ではなく抑圧者と見られるようになったと著者は批判的に記している。

 

 

17章「成長を知らない国」。

前章に続くイスラエル批判。

自国への批判者に対する反ユダヤ主義のレッテル貼りが、逆に実際上のそれを招いていると述べる。

 

 

18章「アメリカの悲劇? ウィテカー・チェンバース事件」。

ここから第四部。

アメリカでのソ連スパイ活動について。

「赤狩り」のマッカーシズム時代には多くの冤罪があったが、アルジャー・ヒスとチェンバースがスパイだったのは事実。

転向しヒス告発者となってリベラルには嫌悪されるチェンバースだが、彼はマッカーシーの見境の無いヒステリックな言動は反共主義にとって最悪の敵であると述べ、リバタニアンが聖典視するアイン・ランド『肩をすくめるアトラス』を独裁的な教条主義と批判していたなどの点を挙げ、著者はチェンバースを同情的に評している。

 

 

19章「危機 ケネディ、フルシチョフ、キューバ」。

キューバ危機での米政権内の執行委員会(エクスコム)の録音を文字起こししたものに基く考察。

キューバ危機の経緯は、キューバへの中距離弾道ミサイル搬入→海上封鎖→キューバからのミサイル撤去およびキューバへの不侵攻とトルコの米軍基地からの旧式ミサイル撤去という米ソ間の暗黙の合意。

まずフルシチョフの意図から。

キューバへのミサイル配備はベルリン問題解決の「てこ」ではない。

前年1961年ベルリンの壁が構築されて状況は一応安定化し、ベルリン問題が果たした役割は副次的。

またクレムリン内での権力闘争が原因とも言えない。

戦略的劣勢の挽回とキューバ侵攻阻止が目的。

スプートニク打ち上げ後に騒がれた「ミサイル・ギャップ」は実際には存在せず、ICBM(大陸間弾道弾)の数で当時米ソは実に17:1の圧倒的格差があった。

米側では、空軍参謀総長カーティス・ルメイが対独宥和政策の誤りを引き合いに出して軍事行動を進言(これは大統領ケネディの父が宥和派だったことの当てこすりも含まれる)。

ディーン・アチソン、財務長官ディロン、ウィリアム・フルブライトも同様(最後の名前には本当か?と目を疑った)。

一方、マクスウェル・テイラー参謀総長は反対、マクジョージ・バンディ、ロバート・マクナマラ、ディーン・ラスク、リンドン・ジョンソンらも同様で、数年後にはヴェトナム介入で大失敗を犯す面々が穏健な選択肢を支持しているのは興味深い。

それに対して大統領の実弟ロバート・ケネディに対する著者の評価は低い。

強硬派に近い発言をしており、その著『十三日間』(中公文庫)は主観的産物かとも思われる。

この本の新版での解説ではロバート・ケネディの強硬姿勢は議論が軍部のペースで進むのを避けるためにあえて取ったもので、ロバートの意図はその逆だったと書かれているようだが、この辺私には判断不能だ。

ケネディ、フルシチョフともに核戦争の壊滅的リスクは十分認識していたので、全面核戦争は危機がやや違うコースをたどったとしても恐らく避けられただろう、として両指導者を評価している。

この章で出てくる人名を、ハルバースタム『ベスト・アンド・ブライテスト』の人物評と比較してみても面白い。

 

 

20章「幻影に憑かれた男 ヘンリー・キッシンジャーとアメリカの外交政策」。

ウィリアム・バンディが書いたニクソン政権時代の外交についての本への書評。

バンディ自身がジョンソン前政権でのヴェトナム介入主導者の一人。

それに対してニクソン政権大統領特別補佐官のキッシンジャーはヴェトナム撤兵、米中接近、米ソデタントという顕著な成果を収めた。

だが著者のキッシンジャーへの批判は厳しい。

秘密主義、個人スタッフへの権力集中、通常の国務省ルート軽視による失敗を列挙している。

(キッシンジャー自身の『秘録』を見ると、国務省官僚は惰性と事なかれ主義で創造的外交を邪魔するだけの存在で、国務長官ロジャースへの蔑視も見て取れ、キッシンジャーだけが勢力均衡という揺るぎない原則で国益を見定めているという、ほぼ全ての回顧録に共通するであろう自己弁護的色彩の物語が記されている。)

頭越しの米中接近による日本の対米不信、石油危機対応の失敗、西独ブラント政権東方外交への冷淡さ、カンボジア侵攻がクメール・ルージュの過激化を促したことなど。

1971年第三次印パ戦争でのパキスタンのヤヒア・カーン政権への肩入れも。

『キッシンジャー秘録』では、インド首相インディラ・ガンディーの傲慢さと対ソ接近を描き、インドの意図は東パキスタン(現バングラデシュ)の解放ではなくパキスタン国家の完全崩壊だったと述べ、米中による仲介とパキスタン支援を正当化している。

それに対して著者は、パキスタンは軍事政権下にあるのに対し、インドは民主主義国であると強調、「地政学的戦略の機械的援用」を批判する。

1972年北爆再開後も米ソ首脳会談が流会しなかったのは前年の米中カードのせいだとキッシンジャーは自賛するが、それもソ連が東ドイツの状況を安定化させることを最重要視していたからだと著者は主張。

しかし、第四次中東戦争でイスラエル首相ゴルダ・メイアとエジプト大統領サダト間を行き来したシャトル外交で停戦を実現したこと、在任中全般的に軍部の見解に流されず独自に手綱を取ったことは評価している。

結論として、キッシンジャーのメッテルニヒ外交礼賛は時代錯誤、もはや秘密外交の時代ではない、大国間関係のみを重視することで「辺境」のカンボジア・チリ(アジェンデ政権成立と崩壊)・イラン(親米的シャーの没落)などで失敗してきた、「現実主義」で法の支配と立憲主義を内外で疎かにするのは間違いだとしている。

この章はやや公式主義的見解が多く、正直あまり面白いとは思わなかった。

 

 

21章「それは誰の物語なのか? 冷戦を回顧する」。

ジョン・ルイス・ギャディス『冷戦 その歴史と問題点』への書評。

米国の自己賛美的傾向の記述を批判。

米ソのみに集中して第三世界を無視する傾向も。

「南部の田舎風の決まり文句」のような、政治理論についての粗雑で拙劣な記述も指摘(上記リンク先記事で私も似たようなことを書いてます)。

小ブッシュとイラク戦争を支持したことについてもギャディスを批判している(これは外交史家として批判されて当然だ)。

 

 

22章「羊たちの沈黙 リベラルなアメリカの奇妙な死について」。

1980年代以降総崩れになったリベラル派が「イスラム・ファシズム」という単純化によって易々とイラク戦争支持へと取り込まれたことを徹底的に批判している。

「人権」が集団的行動の基盤として従来の政治的忠誠にとって代わった。対抗的な政治のレトリックがこのように変貌したことでもたらされた利益は、相当なものであった。しかしそれでも、代償は払われた。「権利」という抽象的な普遍主義の立場をとり、悪しき政権にたいして、「権利」の名のもとにとられる妥協のない倫理的姿勢を保持することは、あらゆる政治的選択を二項対立的な道徳用語の鋳型へと流しこむという習慣に易々とつながってしまうだろう。

これはもっともだが、著者が非難するネオコンだけでなく、旧来のリベラル派にもそういう傾向はあっただろうし、20章のキッシンジャー批判と矛盾する点もこの言葉には含まれているように思える。

ただ、普遍的立場に立とうとする努力を最初から放棄し、自らの国・階級・宗教・人種・ジェンダー・性的志向に奉仕する知識人を批判して記された以下の言葉が持つ意味はとてつもなく重い。

知識人は平和をかき乱すべきなのだ―――とりわけ自分たち自身の平和を。

 

 

23章「良き社会 ヨーロッパ対アメリカ」。

グローバリゼーションの流れに乗り、高い経済成長率を誇るアメリカだが肝心の国民生活は苛酷。

医療・社会保険の貧弱、異常な格差、長時間労働・・・・・。

対外行動でも軍事力への過信と国際協調からの逸脱が顕著。

 

 

結び「よみがえった社会問題」。

米英流のグローバル市場拡大が不況・失業・社会不安・極右台頭を招き、それへの適応策を世界各国が迫られているが、実はこれは19世紀にもあったこと。

そこから介入主義的国家が誕生。

それは全体主義への傾向と非効率という非難が向けられ、実際一部で共産主義国家という史上最悪の暴走例を生んだ。

しかし、それが新自由主義という単一の原則を貫く理由には決してならない。

1989年の教訓が誤認され、それが現在の惨状に繋がっている。

数々の利害・要求を調停できるのは国家だけである。

今日では国家介入の支持者は自己懐疑と人間の不完全性ゆえの制約の必要を認めているのに対し、自由市場を理想化する人々の方がうぬぼれたユートピア的野望を持つ最新の近代主義の幻想家だ。

この指摘は極めて重要に思える(ハジュン・チャン『世界経済を破綻させる23の嘘』)。

だとすれば、真の保守派が現在どちらを支持すべきなのかは余りにも明白だ。

さらに

かつて全体主義において国家が中間組織を破壊して孤立した個人を支配したが、グローバル市場の時代においては国家自体が中間組織となり保護すべきものになっている

との主張には目の冴える思いがした(コーンハウザー『大衆社会の政治』)。

福祉国家の解体と規制なき市場は歴史上多くの例があるようにそれ自身の正統性を掘り崩して自壊する。

左翼は非正規雇用者など「排除された者たち」を包含し、存続不可能な制度に固執することも、自由市場主義に屈服することも避け、共産主義という「国家への偶像崇拝」への残滓を清算し、積極行動主義的国家を再び擁護することが必要である。

たとえどんな意味でも自分を「左翼」と認めない私もこの結論には完全に賛成します。

面白い。

書評を中心にした雑多な内容だが、効用の高い文章が多い。

11章、19章など具体性の強い史実が記されている部分もある。

機会があれば手に取って下さい。

何かしら得るところがあるでしょう。

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