万年初心者のための世界史ブックガイド

2015年8月26日

トニー・ジャット 『失われた二〇世紀 下』 (NTT出版)

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上巻の続き。

この下巻は第三部ヨーロッパ史とイスラエル論、第四部アメリカ論を収める。

 

 

11章「破局―1940年フランスの敗北」。

アーネスト・メイ『奇妙な勝利 ヒトラーのフランス征服』という著作への書評。

この本は、マジノ線の陰に隠れる退嬰主義と国内の分裂、戦力不備によって半ば必然的に敗北したフランスというイメージを修正するもの。

ヒトラーの勝利は偶然と幸運に因るところが大きい。

当初ドイツ軍は第一次大戦同様ベルギー通過ルートでの攻撃を予定していたが、この地域でフランス軍には逆に積極攻勢に出るプランを擁しており、これは可能な限り国境から離れて北東に突出する作戦計画。

もしこれが実現していたら英仏蘭ベルギー軍が勝利したはず。

ところが独側の作戦計画が偶然ベルギーに漏洩したため、ドイツは作戦を変更、実際にはルクセンブルクとアルデンヌの森を突破して大攻勢を仕掛け、そこから英仏軍を海峡沿いに追い詰め、ダンケルクの撤退に至る。

フランスの諜報の弱さが致命的となった。

以上のことから、メイはフランス勝利の可能性を示唆するが、著者によれば、それは極めて実現性の少ない歴史のイフを積み重ねなければ成り立たないものであり、ヒトラー政権と軍部間のドイツの国内対立を過大視し、フランスのそれを過小評価しているとする。

フランスの国内分裂の例として、ブルムに対するピエール・ガクソットの罵倒、ヴィシー政権によるブルムへの見せしめ的裁判によりにもよって協力を申し出る共産党、カグール団(『記憶の中のファシズム』参照)の存在、ムッソリーニへの強迫的な哀願と支援要請などが挙げられている。

ガクソットはその著『フランス人の歴史』における筆致は喩えようも無く品格高いものなのだが、ややそのイメージを損なう記述であった。

結局、フランスの自信喪失と自己不信という背景は決して無視できない、マイケル・ハワードの普仏戦争への考察が1940年にも当てはまる、フランスの敗北は単に戦術的レベルでの失敗からもたらされた偶発的なものではなく、軍システムそして社会システムの欠陥に由来するという主張に著者は同意している。

 

 

12章「失われた時を求めて フランスとその過去」。

ピエール・ノラ編集『記憶の場』への書評。

この章は内容を捉えることが難しい。

最後の部分からのみ抜粋。

学校制度のカリキュラムから叙述史が消滅しつつある。

「正典」としての普遍的権威を主張する歴史が。

もちろんそれへの批判も必要不可欠だが、国民が共有できる歴史が無ければ、批判的視点があっても約に立たず、過去の大半が忘却されてしまう、国民国家の物語の恣意性を非難するだけでは済まない、というようなことを言っているのか?

ノラ編著も結局そうした国民歴史物語になっているが、それを全面否定はしないということ?

完全な誤読かもしれません・・・・・。

私の能力ではこれ以上読み取れません。

 

 

13章「庭に置かれたノーム像 トニー・ブレアとイギリスの『遺産』」。

「ニュー・レイバー」「第三の道」の美名の下に、実際はサッチャリズムを温存した英国のブレア政権(1997~2007年)への徹底批判。

貧富の格差拡大、鉄道インフラ・医療・教育の荒廃など新自由主義的「改革」がもたらした負の面を強調している。

 

 

14章「国家なき国家 なぜベルギーが重要なのか」。

北部オランダ語圏フラマンと南部フランス語圏ワロンに分裂寸前のベルギー国家についての章。

EU本部のあるヨーロッパの中枢で、首都ブリュッセルは両語地域になっている。

経済的にはかつてとは逆転して、現在は北部が豊かになっている。

フラマンはカトリック信仰から同じ言語のオランダと歴史を分かれた。

移民を含めれば、国内の分裂が究極の域に達している。

やはりそれをまとめるのは中央政府しかない、民間活動の自発性からは国家の統合は保証されない、国家が軽すぎることが問題だというのが著者の結論。

 

 

15章「ルーマニア 歴史とヨーロッパのあいだで」。

チャウシェスク政権崩壊後、特権を巧みに保持した元共産党員イリエスクと排外主義的ナショナリストが争う大統領選の描写から始まる、ルーマニアへの悲観的考察。

歴史をさかのぼり、アントネスク元帥の独裁政権が1942年時点で同盟国ドイツから「ユダヤ人を救った」ことは事実だが、独ソ戦でルーマニア軍は虐殺に手を染めている、戦後共産化した後、ゲオルギウ・デジおよびチャウシェスクの対ソ自立路線を西側諸国は歓迎し支援したが、国内体制は余りにも抑圧的だった、そして現在ではヨーロッパで最も排外的な国になってしまっていると指摘している。

 

 

16章「暗い勝利 イスラエルの六日間戦争」。

1967年第三次中東戦争時、イスラエルのキブツ(自給自足的農業共同体)に筆者はいた。

イスラエル政治は左派労働党と右派リクードの二大政党が中心。

国民はドイツ・東欧系ユダヤ人のアシュケナジとスペイン・地中海・イスラム圏出身ユダヤ人のセファラディに大別。

建国から現在にかけて、優位性が前者から後者に移るにつれて、政策は右傾化し、パレスチナ人と周辺諸国への強硬姿勢を強めている。

著者は第三次中東戦争での圧倒的勝利を過信せず、占領下のアラブ人との共存に心を悩ませた首相エシュコルを評価している。

その他の人名として、ベン・グリオン、ゴルダ・メイア、ダヤン、ベギン、ラビン、ペレス、シャロンなどをチェックして目に慣らしておくとよい。

1967年以後のイスラエルは自信過剰となり、国際世論から犠牲者ではなく抑圧者と見られるようになったと著者は批判的に記している。

 

 

17章「成長を知らない国」。

前章に続くイスラエル批判。

自国への批判者に対する反ユダヤ主義のレッテル貼りが、逆に実際上のそれを招いていると述べる。

 

 

18章「アメリカの悲劇? ウィテカー・チェンバース事件」。

ここから第四部。

アメリカでのソ連スパイ活動について。

「赤狩り」のマッカーシズム時代には多くの冤罪があったが、アルジャー・ヒスとチェンバースがスパイだったのは事実。

転向しヒス告発者となってリベラルには嫌悪されるチェンバースだが、彼はマッカーシーの見境の無いヒステリックな言動は反共主義にとって最悪の敵であると述べ、リバタニアンが聖典視するアイン・ランド『肩をすくめるアトラス』を独裁的な教条主義と批判していたなどの点を挙げ、著者はチェンバースを同情的に評している。

 

 

19章「危機 ケネディ、フルシチョフ、キューバ」。

キューバ危機での米政権内の執行委員会(エクスコム)の録音を文字起こししたものに基く考察。

キューバ危機の経緯は、キューバへの中距離弾道ミサイル搬入→海上封鎖→キューバからのミサイル撤去およびキューバへの不侵攻とトルコの米軍基地からの旧式ミサイル撤去という米ソ間の暗黙の合意。

まずフルシチョフの意図から。

キューバへのミサイル配備はベルリン問題解決の「てこ」ではない。

前年1961年ベルリンの壁が構築されて状況は一応安定化し、ベルリン問題が果たした役割は副次的。

またクレムリン内での権力闘争が原因とも言えない。

戦略的劣勢の挽回とキューバ侵攻阻止が目的。

スプートニク打ち上げ後に騒がれた「ミサイル・ギャップ」は実際には存在せず、ICBM(大陸間弾道弾)の数で当時米ソは実に17:1の圧倒的格差があった。

米側では、空軍参謀総長カーティス・ルメイが対独宥和政策の誤りを引き合いに出して軍事行動を進言(これは大統領ケネディの父が宥和派だったことの当てこすりも含まれる)。

ディーン・アチソン、財務長官ディロン、ウィリアム・フルブライトも同様(最後の名前には本当か?と目を疑った)。

一方、マクスウェル・テイラー参謀総長は反対、マクジョージ・バンディ、ロバート・マクナマラ、ディーン・ラスク、リンドン・ジョンソンらも同様で、数年後にはヴェトナム介入で大失敗を犯す面々が穏健な選択肢を支持しているのは興味深い。

それに対して大統領の実弟ロバート・ケネディに対する著者の評価は低い。

強硬派に近い発言をしており、その著『十三日間』(中公文庫)は主観的産物かとも思われる。

この本の新版での解説ではロバート・ケネディの強硬姿勢は議論が軍部のペースで進むのを避けるためにあえて取ったもので、ロバートの意図はその逆だったと書かれているようだが、この辺私には判断不能だ。

ケネディ、フルシチョフともに核戦争の壊滅的リスクは十分認識していたので、全面核戦争は危機がやや違うコースをたどったとしても恐らく避けられただろう、として両指導者を評価している。

この章で出てくる人名を、ハルバースタム『ベスト・アンド・ブライテスト』の人物評と比較してみても面白い。

 

 

20章「幻影に憑かれた男 ヘンリー・キッシンジャーとアメリカの外交政策」。

ウィリアム・バンディが書いたニクソン政権時代の外交についての本への書評。

バンディ自身がジョンソン前政権でのヴェトナム介入主導者の一人。

それに対してニクソン政権大統領特別補佐官のキッシンジャーはヴェトナム撤兵、米中接近、米ソデタントという顕著な成果を収めた。

だが著者のキッシンジャーへの批判は厳しい。

秘密主義、個人スタッフへの権力集中、通常の国務省ルート軽視による失敗を列挙している。

(キッシンジャー自身の『秘録』を見ると、国務省官僚は惰性と事なかれ主義で創造的外交を邪魔するだけの存在で、国務長官ロジャースへの蔑視も見て取れ、キッシンジャーだけが勢力均衡という揺るぎない原則で国益を見定めているという、ほぼ全ての回顧録に共通するであろう自己弁護的色彩の物語が記されている。)

頭越しの米中接近による日本の対米不信、石油危機対応の失敗、西独ブラント政権東方外交への冷淡さ、カンボジア侵攻がクメール・ルージュの過激化を促したことなど。

1971年第三次印パ戦争でのパキスタンのヤヒア・カーン政権への肩入れも。

『キッシンジャー秘録』では、インド首相インディラ・ガンディーの傲慢さと対ソ接近を描き、インドの意図は東パキスタン(現バングラデシュ)の解放ではなくパキスタン国家の完全崩壊だったと述べ、米中による仲介とパキスタン支援を正当化している。

それに対して著者は、パキスタンは軍事政権下にあるのに対し、インドは民主主義国であると強調、「地政学的戦略の機械的援用」を批判する。

1972年北爆再開後も米ソ首脳会談が流会しなかったのは前年の米中カードのせいだとキッシンジャーは自賛するが、それもソ連が東ドイツの状況を安定化させることを最重要視していたからだと著者は主張。

しかし、第四次中東戦争でイスラエル首相ゴルダ・メイアとエジプト大統領サダト間を行き来したシャトル外交で停戦を実現したこと、在任中全般的に軍部の見解に流されず独自に手綱を取ったことは評価している。

結論として、キッシンジャーのメッテルニヒ外交礼賛は時代錯誤、もはや秘密外交の時代ではない、大国間関係のみを重視することで「辺境」のカンボジア・チリ(アジェンデ政権成立と崩壊)・イラン(親米的シャーの没落)などで失敗してきた、「現実主義」で法の支配と立憲主義を内外で疎かにするのは間違いだとしている。

この章はやや公式主義的見解が多く、正直あまり面白いとは思わなかった。

 

 

21章「それは誰の物語なのか? 冷戦を回顧する」。

ジョン・ルイス・ギャディス『冷戦 その歴史と問題点』への書評。

米国の自己賛美的傾向の記述を批判。

米ソのみに集中して第三世界を無視する傾向も。

「南部の田舎風の決まり文句」のような、政治理論についての粗雑で拙劣な記述も指摘(上記リンク先記事で私も似たようなことを書いてます)。

小ブッシュとイラク戦争を支持したことについてもギャディスを批判している(これは外交史家として批判されて当然だ)。

 

 

22章「羊たちの沈黙 リベラルなアメリカの奇妙な死について」。

1980年代以降総崩れになったリベラル派が「イスラム・ファシズム」という単純化によって易々とイラク戦争支持へと取り込まれたことを徹底的に批判している。

「人権」が集団的行動の基盤として従来の政治的忠誠にとって代わった。対抗的な政治のレトリックがこのように変貌したことでもたらされた利益は、相当なものであった。しかしそれでも、代償は払われた。「権利」という抽象的な普遍主義の立場をとり、悪しき政権にたいして、「権利」の名のもとにとられる妥協のない倫理的姿勢を保持することは、あらゆる政治的選択を二項対立的な道徳用語の鋳型へと流しこむという習慣に易々とつながってしまうだろう。

これはもっともだが、著者が非難するネオコンだけでなく、旧来のリベラル派にもそういう傾向はあっただろうし、20章のキッシンジャー批判と矛盾する点もこの言葉には含まれているように思える。

ただ、普遍的立場に立とうとする努力を最初から放棄し、自らの国・階級・宗教・人種・ジェンダー・性的志向に奉仕する知識人を批判して記された以下の言葉が持つ意味はとてつもなく重い。

知識人は平和をかき乱すべきなのだ―――とりわけ自分たち自身の平和を。

 

 

23章「良き社会 ヨーロッパ対アメリカ」。

グローバリゼーションの流れに乗り、高い経済成長率を誇るアメリカだが肝心の国民生活は苛酷。

医療・社会保険の貧弱、異常な格差、長時間労働・・・・・。

対外行動でも軍事力への過信と国際協調からの逸脱が顕著。

 

 

結び「よみがえった社会問題」。

米英流のグローバル市場拡大が不況・失業・社会不安・極右台頭を招き、それへの適応策を世界各国が迫られているが、実はこれは19世紀にもあったこと。

そこから介入主義的国家が誕生。

それは全体主義への傾向と非効率という非難が向けられ、実際一部で共産主義国家という史上最悪の暴走例を生んだ。

しかし、それが新自由主義という単一の原則を貫く理由には決してならない。

1989年の教訓が誤認され、それが現在の惨状に繋がっている。

数々の利害・要求を調停できるのは国家だけである。

今日では国家介入の支持者は自己懐疑と人間の不完全性ゆえの制約の必要を認めているのに対し、自由市場を理想化する人々の方がうぬぼれたユートピア的野望を持つ最新の近代主義の幻想家だ。

この指摘は極めて重要に思える(ハジュン・チャン『世界経済を破綻させる23の嘘』)。

だとすれば、真の保守派が現在どちらを支持すべきなのかは余りにも明白だ。

さらに

かつて全体主義において国家が中間組織を破壊して孤立した個人を支配したが、グローバル市場の時代においては国家自体が中間組織となり保護すべきものになっている

との主張には目の冴える思いがした(コーンハウザー『大衆社会の政治』)。

福祉国家の解体と規制なき市場は歴史上多くの例があるようにそれ自身の正統性を掘り崩して自壊する。

左翼は非正規雇用者など「排除された者たち」を包含し、存続不可能な制度に固執することも、自由市場主義に屈服することも避け、共産主義という「国家への偶像崇拝」への残滓を清算し、積極行動主義的国家を再び擁護することが必要である。

たとえどんな意味でも自分を「左翼」と認めない私もこの結論には完全に賛成します。

面白い。

書評を中心にした雑多な内容だが、効用の高い文章が多い。

11章、19章など具体性の強い史実が記されている部分もある。

機会があれば手に取って下さい。

何かしら得るところがあるでしょう。

2015年8月20日

トニー・ジャット 『失われた二〇世紀 上』 (NTT出版)

Filed under: 史論・評論 — 万年初心者 @ 06:14

『荒廃する世界のなかで』と同じ著者。

イギリス生まれのユダヤ人で、一時左派シオニズムに惹かれイスラエルに移住、しかし1967年第三次中東戦争後のイスラエルに幻滅し、アメリカで活動、2010年死去。

本書は史的エッセイと書評集。

この上巻は知識人論。

アーサー・ケストラー、プリーモ・レーヴィ、ハンナ・アーレント、アルベール・カミュ、ルイ・アルチュセール、エリック・ホブズボーム、エドワード・サイードらが扱われている。

個人的には、名前と若干の著作名と大雑把な政治的立場しか知らない人々だ。

加えて、元教皇ヨハネ・パウロ2世の章もある。

まず序章で現在の世界についての著者の解釈が述べられる。

現代を前例の無い特別な時代として、過去の歴史を学ぶことで得られる教訓は大して益が無い、それに囚われず我々は前進できるという考えが蔓延している。

歴史への拘りがあっても、それはある集団の受苦を強調し、被害者としての立場を独断的に主張するもの。

それに対し、「古い国民的物語」には様々な偏りや欠点があっても、国民全体に過去を参照させ経験を認識させる利点があった。

だが現在の対立する個別的関心事からのみ過去を参照する態度が余りに普遍的になってしまった。

断片化された情報が氾濫し、人々の立場は極端に分裂・多様化・分極化した。

20世紀の戦争と革命を経て、ヨーロッパは自省的態度に導かれたが、米国は「勝利」の記憶が強調され過ぎている。

そうした心情から、国家機能の縮減と公共部門後退が金貨玉条視され、経済中心主義の弊害が放置されている。

それに対抗するはずの批判的知識人もほぼ消滅した。

マルクス主義のドグマを否定するのは当然だが、そのために自由市場を絶対視する必要はないはず。

政治的課題の語り口そのものを放棄していると言わざるを得ない。

一方、「悪」を単純化し、歴史に学ばず、現状を前例の無いものとして極端な対応を(「イスラム・ファシスト」などという言説を用いて)採る傾向が瀰漫している。

実際には20世紀にもグローバリゼーションやテロの経験はあった。

昨日の左翼と今日の右翼が、とりわけ、過去の経験が現在の問題に深くかかわっていることを否定するという、自信過剰の傾向を共有している。

例えば、戦後ヨーロッパの福祉国家は社会民主主義者だけでなく、保守的なキリスト教民主主義者によっても主導されたものであり、超党派的コンセンサスの下に築かれた、それは1930年代の恐るべきカオスへの回帰を避けるためであった、この重大な歴史の教訓をネオリベは忘れている、と著者は述べる。

ファシストと共産主義者もまた、明確に国家の支配的役割を追求したという事実それ自体は、自由社会における公的セクターの突出した地位を否定する根拠とはならないし、共産主義の崩壊が、自由と効率との最適のバランスの問題に、統制なき市場という解決を与えたわけでもない。

このことは、北欧の社会民主主義国を訪れた者なら、だれでも認めうることである。前世紀の歴史がいやというほど証明しているように、国家には得手不得手というものがあるのだ。民間セクターもしくは市場にまかせたほうがうまくいく事柄もあれば、それではまったくうまくいかないこともある。

わたしたちは、西洋の冷戦の勝利に酔いしれた余波のうちに身につけてしまった国家に対する偏見から自由になって、ふたたび「国家を思い描く」ことができるようになる必要がある。わたしたちは、国家の欠点を認め、それと同時に、国家をなんのうしろめたさもなく弁護する方法を学ばねばならない。・・・・・

わたしたちは、二〇世紀の終わりにあたって、国家が重すぎる、という場合もあることを知っている。しかし、である。国家が軽すぎる、という可能性もあることを忘れてはならないのだ。

非政治的な時代には、経済的にものを考え、語る政治家には大いに価値がある。というのも結局、経済的なものというのは、現代のほとんどの人々が自分たちの生活機会や利害を思い描く際の視点なのであり、この真実をみすごした公共政策は、たした成功をおさめることはできないだろう。

しかし、それは今の物事のあり方にすぎない。物事はずっとこのように見えてきたわけではないし、未来にもそのように見えるだろうと想定する正当な根拠はない。真空を嫌うのは自然だけではない。・・・・・とるべき重要な政治的選択肢のない民主主義国家、本当に重要なのは経済政策のみであり、さらには経済政策の大部分が非政治的アクター(中央銀行、国際機関、多国籍企業)によって決定されるような民主主義国家は、民主主義国家として機能するのをやめてしまうか、ふたたび不満の政治を、ポピュリズム的ルサンチマンの政治を呼びこむだろう。

最後に故ヨハネ・パウロ2世について、以下の文章を引用。

この教皇のなかでポーランド人と神秘主義者が混ざりあっていることは、彼がなぜこれほどまでに「西洋の物質主義と個人主義」に対して、またそれゆえ現代の資本主義の大部分に対して攻撃的であるのかを説明してくれるかもしれない。もちろん、物質主義的偶像や傲慢の罪を批判するのはカトリック教会の仕事である。しかしカロル・ヴォイティワ[教皇の本名]は、さらにその先へと進んでいる。彼が教皇になる三年前の1975年、ヴァチカンでの四旬節の儀式において、彼は消費主義と迫害という教会にとっての二つの脅威のうち、前者がはるかに危険なものであり、より大きな敵であると明確に述べた。

事実、思想のシステムとしての、そして政治的実践としてのマルクス主義への彼の批判は、物資的進歩、資本主義的利益、世俗的な放縦の崇拝に対する彼のより広い非難に由来している。ヴァーツラフ・ハヴェルやほかの1970年代から80年代の反コミュニストたちと同様に、近代・現代性こそが、そして信仰を失った現代の西欧こそが、わたしたちの現在の危機の源なのであると彼は信じていた。コミュニズムとそれに付随する悪は、環境汚染も含め、二次的な徴候にすぎず、いずれにせよ西側の源から東側にむかって輸出されたのである。

著者はこれに続けて、教義の保守性、教会の自由化拒否、「解放の神学」など社会進歩的勢力への冷淡さなどを批判的に記すのだが、私は以前から漠然と持っていたヨハネ・パウロ2世への敬意がさらに強く増した。

なぜなら上記の認識は正しいとしか思えないから。

共産主義と自由民主主義は近代主義の派生形態であるという意味では同根である(服部龍二『日中国交正常化』)。

私は、著者による市場原理主義批判には満腔の賛意を示したいが、それがより広く民主主義・近代主義批判として展開されていればより説得力のあるものになったのにと思えてならない。

下巻も読んでますので、また記事にするつもりです。

2015年8月18日

ジェームズ・M・バーダマン 『アメリカ黒人の歴史』 (NHKブックス)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 09:02

この手の本としては、本田創造『アメリカ黒人の歴史』(岩波新書)などが類書か(かなり古いが)。

まず冒頭で用語の話。

アメリカ黒人を指す呼称として、以前はニグロが使われるのが一般的。

あるいはカラード・パーソンも。

代表的な黒人団体、「全米黒人地位向上協会」は National Association for the Advancement of Colored People :NAACP である。

それが、公民権運動を経て、アフリカン・アメリカン、ブラックアメリカン、ブラックスに変わる。

一方、「ニガー」という言葉は最も蔑視的でタブーとなっている。

ヨーロッパの加工品、アフリカの労働力、アメリカの原材料の三角貿易で黒人奴隷がアメリカに流入。

18世紀末、ホイットニーによる綿繰り機発明と南部綿花栽培の繁栄が、不幸にして一時下火だった奴隷需要を高めた。

なお、奴隷貿易自体は19世紀初頭に禁止され、奴隷の新規流入は停止しており、それ以後の奴隷廃止論争はすでに国内にいる奴隷とその子孫をめぐるものだったことは、しっかりと意識しておく。

本書では、教科書的には有名なミズーリ協定、カンザス・ネブラスカ法などの記述は省略されている。

南北戦争後、黒人に与えられたはずの投票権が骨抜きになる。

南部で依然続いた人種隔離制度は、白人が演じた滑稽な黒人キャラクターから「ジム・クロウ」制度と呼ばれる。

これは初めて聞く名称だ。

19世紀末、まず経済的地位向上を目指す融和的・漸進的な黒人運動家ブッカー・ワシントンが現われ、それに対して政治的急進的なW・デュボイスが対峙。

20世紀半ばの公民権運動でも、穏健派・主流派のマーティン・ルーサー・キング牧師と急進的なブラックパワー運動と「ネイション・オブ・イスラム」を率いたマルコムXがいる。

アラバマ州のバスボイコット運動、アーカンソー州のリトルロック高校入学問題、1963年ワシントン大行進、64年公民権法、65年投票権法と運動は進展するが、65年ロサンゼルスのワッツ暴動とマルコム暗殺、68年キング牧師暗殺(同年ロバート・ケネディも暗殺)と暗い事件も相次ぐ。

積極的差別是正のための優遇措置であるアファーマティブ・アクションが導入され、73年にはロスで黒人市長が誕生、89年には黒人州知事も生まれるが、アファーマティブ・アクションを逆差別だとする保守層の反発も80・90年代には生まれた。

92年ロス暴動は個人的に報道を覚えているし、2009年オバマの大統領就任はまだ記憶に新しい。

特にこの本を薦めるわけではないが、一般常識として知っておくべきことが適度に触れられており、そこそこ有益。

こういう本も一冊くらいは読んでおくべきでしょう。

2015年8月16日

宮城谷昌光 『草原の風 上・中・下』 (中央公論新社)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 07:16

後漢の光武帝劉秀を描いた歴史小説。

読売新聞連載。

著者の本では以前『長城のかげ』『楚漢名臣列伝』を紹介済み。

前漢最盛期武帝の後、一時的衰運を立て直した中興の祖が宣帝。

その次が元帝だが、その王皇后の甥が王莽で、ここでもう不吉な名が出てくる。

成帝、哀帝、平帝、孺子嬰ときて、簒奪が行われ、王莽の新(8~23年)。

劉秀は荊州南陽郡出身。

兄の劉縯と挙兵。

当初、緑林という勢力と共闘。

新への叛乱としては山東から起った赤眉の乱が有名だが、直接王莽を滅ぼしたのは旧緑林系勢力。

その過程で劉秀は兄を緑林に殺されるが、隠従忍耐を通す。

同族の劉玄(更始帝)が緑林に擁立される。

半独立の形勢を維持しつつ、河北遠征を命じられた劉秀は、成帝の子と称し劉子與と名乗る卜者の王郎の蜂起で一時危機に陥るものの、冀州・幽州を掌握することに成功、王郎を討ち取る。

そのうち、赤眉軍が長安に侵攻、更始帝は殺害され、劉盆子が擁立。

その前に劉秀は光武帝として即位、25年洛陽を都に定める。

元号は建武(中国の年号の場合、読み方は「けんむ」もしくは「けんぶ」どちらでも可)。

この1300年後、日本の「建武の新政」は、後醍醐天皇が光武帝に倣う意図を示したもの。

光武帝は赤眉を打倒、涼州の隗囂を攻撃、隗は病死、益州の公孫述も建武十二年に討たれ、ほぼ天下平定。

功臣は朱祐、鄧禹、呉漢、馮異、耿純ら。

皇后となり、二代皇帝明帝を生んだのは陰麗華。

外戚による弊害が目立つ後漢だが、陰氏は謙虚な振舞を貫いた。

なお、倭の奴国王遣使は光武帝死の直前。

後漢は北宋・南宋と並んで文弱という印象が強い。

光武帝、明帝以降は幼帝・若年死の皇帝が続き、三国志の動乱を迎え、中国古代文明自体が崩壊する。

だがやはり光武帝にはいいイメージあり。

寛容、温和、謙虚、常識・・・・・。

言わば成功した劉備か。

劉邦、劉秀、劉備と並べると、やはりそれぞれに魅力的で懐の広い好人物に思える。

三人目の劉備が前二者のような成功に恵まれなかったことが惜しまれる。

中国全土の支配王朝としては短期間存続しただけの秦の跡を受けた、実質的な最初の統一王朝の漢帝室がたとえ名目上でも継続できなかったことの意味は小さくないように思える。

「皇帝たりえるものは劉氏に限る」というような原則が打ち立てられていれば、易姓革命による破壊と混乱の繰り返しによる、中国史を周期的に襲う悲惨な被害を多少とも軽減できたかもしれない。

本書を読むと、そんな儚い空想に誘われる。

さらに言えば、日本やイギリスのように、君主が実質的・世俗的統治者の役割からは徐々に退き、国家の統一と国民統合の象徴という精神的・超越的存在になればもっと良かったんでしょうが、そこまでの幸運は望み過ぎか。

 

 

すらすら読めて分量は気にならないが、ページ配分が変だ。

即位から全国統一までが駆け足過ぎる印象。

失礼ながら、作者の構成力を疑ってしまう。

後漢と光武帝を描いた本は、三国時代はもちろん前漢に比べても圧倒的に少ないので貴重ではあるが、あまり出来がいいとは感じない。

でも毎日新聞で連載されていた同じ著者の『劉邦』はいつか読んじゃうんだろうなあという気がします。

2015年8月14日

冨田浩司 『危機の指導者 チャーチル』 (新潮選書)

Filed under: イギリス — 万年初心者 @ 06:23

著者は現役外交官の方。

時系列的な通常の伝記ではないが、通読すると大体チャーチルの生涯が見通せるようになっている。

しかし、前半はひたすらだるい。

知っていることが多くて退屈。

スペイン継承戦争の英雄マールバラ公ジョン・チャーチルを始祖に持ち、父ランドルフ・チャーチルは、自由党から転じたジョゼフ・チェンバレンと並ぶ保守党のホープで、蔵相まで務めた。

ランドルフと米国人の妻との間に、1874年ウィンストン・チャーチル誕生。

インド、スーダン(マフディの乱鎮圧)、ボーア戦争での従軍と冒険を体験し、妻クレメンティーンとは仲睦まじい理想的な夫婦関係を築く。

1900年保守党下院議員となるが、1904年には自由党に移籍。

貴族院たる上院だけでなく、下院も支配階級の子弟が無償奉仕する場となっており、19世紀末では下院議員は無給、結局議会政治の最先進国イギリスでは200程度の貴族の名家が社会を動かしていた。

(これが決して否定的に見るべきものではないことはユーゴー『レ・ミゼラブル』の記事参照。)

ロイド・ジョージと協力し、1911年海相就任。

第一次大戦中、1915年ダーダネルス海峡作戦失敗で海相更迭(ただしその後の上陸作戦での多大の犠牲はチャーチルの失敗ではないとされている)。

1917年ロイド・ジョージ挙国一致内閣で軍需相に就任するが、戦後1922年には落選の憂き目を見、1924年保守党に復党。

ボールドウィン内閣蔵相として金本位制復帰を断行するが、この政策は失敗というしかない。

ナチス・ドイツ台頭にあってはイーデン、ダフ・クーパーらと宥和政策に反対。

1939年9月開戦とともに海相として入閣。

当時のチャーチルの主張は排他的なほど空軍力増強に集中すべきだとするもので、軍事戦略的には大陸での決戦ではなくイギリス本土防衛に重点を置いた孤立主義的アプローチ。

戦略爆撃の威力を強調することは、チャーチルの意図とは逆に、宥和主義を助長した面もある。

チャーチルの主張通り、実際に空軍力だけでドイツを抑止できたかは疑問だとされている。

また、1938年ミュンヘン会談時点での戦略的優位は英仏と独のどちらにあったのか、という宥和政策の賛否に関わる重大問題がある。

一時的宥和によって稼いだ時間によって、新型戦闘機「ハリケーン」および「スピットファイア」を1940年のバトル・オブ・ブリテンに投入することが可能になり、それがイギリス本土防空戦の勝利をもたらしたことは事実である。

しかし、その間ドイツの軍拡ペースも向上していた、ミュンヘン協定破棄によってチェコのスコダ軍需工場もドイツは手に入れた、バトル・オブ・ブリテンはそもそも英仏海峡対岸をドイツが支配しなければ戦う必要が無かったものだ、という三点がチャーチルの宥和反対の論拠。

本書によれば、最新の研究でも結論は出ていないとのこと。

チャーチルの外交方針について、日本とイタリアに対しては宥和的姿勢を見せており、反ナチではあるが一貫して反ファシズムとは言い切れない、ただしドイツに対してはヒトラー政権成立以前から厳しい態度を示していた。

米英ソの「大連合」を基本的に楽観していたが、スターリンの判断には不透明な面があり、東欧諸国はミュンヘン以後でも反独より反ソ政策を優先する可能性があった。

一方、ネヴィル・チェンバレンの外交について。

チェンバレンは彼以前の戦略的曖昧さを放棄して、「戦略的宥和政策」から「確信的宥和政策」に転換したと評されている。

これはヒトラーを合理的取り引き可能な相手と見なすもの。

しかし、ズデーテン危機に当っては従来の「戦略的宥和政策」に則って、チェコと同盟関係にあったフランスに対応を一任し、仏独開戦の場合におけるイギリスの態度は事前に明言しない、という行動を採った方が、ヒトラーを抑止できたとの説を著者は紹介している。

もし「確信的宥和政策」を採るのなら、ミュンヘンで不可侵条約、軍縮交渉開始などより明確な代償をチェンバレンはヒトラーに要求すべきだった。

それは、イギリスの軍備の不充分さを考慮して弁護できるとしても、ミュンヘン以後もさらに宥和に拘ったのは明らかに不適切(最終的な開戦理由となったポーランドへの保障も、「ポーランドの独立」に対してのものであって「領土の一体性」ではなかった)。

チェンバレンは大英帝国の全般的地位低下を視野に入れ、最大限妥協して平和的環境を手に入れることを重視し、世論もそれを支持したが、ヒトラーは余りにも異常すぎた。

開戦後、ドイツは加担したソ連と共にポーランドを粉砕するが、西部戦線は「奇妙な戦争」と呼ばれる小康状態を保つ。

イギリスには、対外拡張抜きのナチズムの反共防波堤的性格を評価する向きがあり、ドイツ国内での軍クーデタによるヒトラー排除への期待感も持ちつつ、得られた貴重な時間で空軍力拡張を着々と進める。

1940年5月、ドイツ軍がノルウェー侵攻、西部戦線での大攻勢が始まる。

ここで(ミュンヘン協定には反対したものの)宥和派に近いと見られていた外相ハリファックスではなく、チャーチルが首相に就任したことは決定的意味を持つことになった。

ハリファックス自身が辞退したことと、国王ジョージ6世の任命が誠に当を得ていた。

機甲師団を中心に電撃戦を展開するドイツにフランスが惨敗する状況の中、まだ未参戦だったイタリアへ参戦阻止のメッセージが送られ、対独交渉自体にもハリファックスは含みを残すが、チャーチルは断固拒否。

実際、この瞬間ヒトラーは最も勝利に近づいていたかもしれない。

なぜなら当時ヒトラーが提出したであろう講和条件はイギリスにとって(少なくとも表面的に)破滅的とまでは言えないから。

ヨーロッパ大陸のドイツ、西半球のアメリカ、海洋帝国のイギリスで世界を三分する構想で、イギリスが海空軍力を制限し、親独的政権を樹立するなら、イギリスの独立自体は認めたはず。

しかし、チャーチルはこのような講和を断固拒否し、国民的団結を固めることに成功。

戦争指導について。

バルカンから攻め入る「地中海戦略」はあくまで限定的攻勢を目指したものであり、戦後のソ連の脅威も想定して東欧に米英軍を入れることを重視したとの考えは過大評価であり、あくまで当時の状況への対応に過ぎないとされている。

武器貸与法と第二戦線問題でルーズヴェルトと協調、スターリンへの「宥和」とフランスへの肩入れを持ち前の雄弁を振るって遂行。

1942年、戦後の福祉国家路線を敷いたベヴァリッジ報告を支持。

45年7月十年振りに行われた総選挙で敗北、退陣、51~55年に第二次政権を率いた後、65年死去。

前半と最後がややだるいが、中盤の外交論は面白い。

この記事でもそこを主にメモした。

予想よりは良かったが、しかしまずは(かなり古いが)河合秀和『チャーチル』(中公新書)を読んだ方がいいかもしれない。

2015年8月12日

池田清 『海軍と日本』 (中公新書)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 08:20

1981年刊。

著者はJ・ジョル『ヨーロッパ百年史』の訳者。

1925年生まれで、重巡洋艦「摩耶」および戦艦「武蔵」の元乗組員。

第一部海軍と戦争。

言い尽くされたことだが、「大艦巨砲主義」への固執と航空主兵論への転換の遅れ、艦隊決戦を想定した「海戦要務令」の聖典視、国力の相対的劣勢から採用された個艦優秀主義・少数精鋭主義への過度の傾斜などを指摘。

「物量作戦に敗れた」というのは一面的であって、人的ミスの要因も大。

大いに喧伝された帝国海軍の砲術技量も実際には低調。

さらに旧軍においてあれだけ突撃精神が強調されたにも関わらず、実際の戦場では攻撃の不徹底と戦果拡大の失敗という現象が、第一次ソロモン海戦、レイテ沖海戦で見られた(しかし珊瑚海海戦での井上成美司令をその例として挙げるのは、空母艦載機の残存機数からすると当っていない気がする)。

大局的戦争指導も不統一であり、戦争終結への見通し無し、開戦時の英米可分論は無理であり、フィリピンを攻撃せずマレーと蘭印にのみ攻め込んでも無駄だったろうとされている。

第二部海軍と政治。

ワシントン会議で加藤友三郎が見事なリーダーシップを発揮したが、加藤寛治はそれに反対。

ロンドン軍縮会議では加藤寛治が軍令部長となり、末次信正次長と共に条約に反対。

それに対峙したのが海相財部彪(たけし)、次官山梨勝之進、軍務局長堀悌吉、軍事参議官岡田啓介だが、海相の財部は決断力を欠き、加藤・末次らは海軍長老の東郷平八郎元帥と伏見宮博恭王を担ぎ出し、条約反対派(「艦隊派」)への支持を煽り立てる。

1933年大角岑生(みねお)海相の下、大角人事で条約派の多くが予備役に編入、陸軍の下剋上状態と共に軍の国政専断の原因となる。

対外的には中国認識の貧弱さから二度の上海事変を引き起こし、陸軍を掣肘するどころか共に日中関係を袋小路に追い込む役割を果たしてしまった。

特に第二次上海事変は盧溝橋事件を日中全面戦争に拡大するきっかけになったものであり、その際良識派のはずの海相米内光政の責任は大きい。

石川信吾、神重徳ら親独的中堅層が推進した海軍の南進政策の致命的悪影響も指摘。

39年2月海南島占領、40年9月北部仏印進駐、同月三国同盟、41年7月南部仏印進駐。

「山海関[満州と中国本土との境界]を越えたゆえに支那事変となった。鎮南関(中国・仏印国境の町)を超えたがゆえに大東亜戦争がおきた」との言葉を紹介し、日米戦争は中国政策のみではなく、欧州での第二次大戦勃発後に日本が行った武力南進と東南アジアをめぐる帝国主義国同士の対立で起ったとしている。

第三部海軍の体質。

「根なし草の国際主義」との指摘。

陸軍のような露骨な政治介入はないものの、その代償としての政治力の欠如も。

「デモクラティックな陸軍」と「リベラルな海軍」という対比。

(旧陸軍のどこがデモクラティックかとおっしゃる向きがあるかもしれませんが、昭和陸軍青年将校らの下剋上と統制拒否こそ、まさに「民主的」現象です。)

海軍は志願兵の多さとエリート集団としての自意識から陸軍のような暴走には至らず、合理性を重視していたが、学校秀才タイプのみが集まり、臨機応変の才に乏しく、陸軍とは逆の極端に陥ってしまった。

昭和期の海軍トップであった岡田啓介は惜しくも加藤友三郎の力量には及ばず、国運を転回させる程の存在感を示せなかった。

その少し前、大正期に山本権兵衛、斎藤実は海相八代六郎の決断によりシーメンス事件で現役を退く。

東郷元帥の反対を押し切ってこの措置を断行した八代の見識を評価して著者は本書を締め括っている。

暇潰しのつもりで読んだが、それほど悪くはなかった。

200ページ余りですぐ読めるのも良い。

2015年8月10日

小林章夫 齋藤貴子 『諷刺画で読む十八世紀イギリス  ホガースとその時代』 (朝日選書)

Filed under: イギリス — 万年初心者 @ 07:30

普段なら絶対手に取らない分野の本。

ウィリアム・ホガースという画家の絵を「読解」して18世紀イギリス社会を描写した本。

ホガースは1697年生まれ。

その生涯中にイギリスは、王統はステュアート朝からハノーヴァー朝に替わり、ウォルポールが責任内閣を組織し、フランスとの植民地争奪戦に勝利する一方、南海泡沫会社事件などの経済危機や政治腐敗も目だってきた。

ピューリタニズムの反動として信仰心が後退する傾向が見られたものの、同時にメソディストも台頭していた。

文学以外のイギリス芸術は長らく大陸出身者が主導しており、ヘンリ8世に仕えたホルバインや、チャールズ1世時代のファン・ダイクなどが代表者。

イギリス美術自立の先駆けとなったのがホガース。

代表作の「ビール街」と「ジン横丁」は見たことがある人もいるか?

そこでは賭博と動物虐待、酒の害と売春など、社会の暗部も描かれている。

ホガースは「芸術と道徳の不可分」を信じ、自ら社会慈善事業も行った。

 

読みやすい。

必読とまでは言わないが、社会史の本では悪くない。

気が向いたらどうぞ。

 

2015年8月8日

宮崎市定 『中国史の名君と宰相』 (中公文庫)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 04:06

久しぶりに宮崎氏の本の文庫化(2011年11月)。

「世界伝記大事典」という本の項目(宮崎氏の全集にも未収録)を中心に、他のいくつかの論文をあわせた本。

「南宋末の宰相賈似道」「宋江は二人いたか」「張溥とその時代」など。

あと、平凡社東洋文庫『鹿洲公案』の解題もあり。

このうち、張溥は明末の東林党の流れを汲む文人で、在野にあって郷紳層に多大の影響力を持ち、崇禎年間に中央政界の人事すら世論の力で動かした人物。

だが、著者の評価は厳しい。

反権力闘争に従事しながら、自身権力欲の強いジャーナリスト的存在であり、その硬直した中華・攘夷思想が明・清(後金)間の対等外交・和平路線と内政整備を妨げたとしている。

久しぶりに宮崎氏の本を読んだが、やはり文章がいい。

生き生きとした躍動感があり、実に清々しい。

特にこの著作がということはないが、他の本と同じく、どんどん読み進めていくのが望ましい。

2015年8月6日

下田淳 『居酒屋の世界史』 (講談社現代新書)

Filed under: ヨーロッパ — 万年初心者 @ 05:12

金銭(現物貨幣を含む)と引き換えに酒を飲む場である居酒屋を通じて見た歴史。

通史編では、古代オリエント・ギリシア・ローマ、中近世ヨーロッパ、近現代ヨーロッパ、イスラム、中国・韓国、日本が扱われ、テーマ編では、教会・売春・芸人・犯罪と陰謀が記述される。

主要論旨をまとめた、三つのキーワードが提示される。

「農村への貨幣経済の浸透」=古代においては農村居酒屋は無し、都市・街道にのみ存在、それが中世以降農村にも出現。

「多機能性」=居酒屋が金貸し、裁判、冠婚葬祭、賭博、演芸、売春、商談、医療、職業斡旋などの場として機能する(これは主にヨーロッパのみ)。

「棲み分け」=上記機能が近代化・工業化とともに分離・独立していく。

 

古代においては商業・交通の盛んな都市と街道にのみ居酒屋が存在、また上流階層では無料接待が基本だったが、中世盛期以降、農村への貨幣経済浸透によって居酒屋が出現、共同体の様々な機能を併せ持つ場として成長、さらに近世の宗教改革で飲酒を伴う集会が教会から追放されたことにより、俗性の強い共同体機能が居酒屋に移り、最盛期を迎える。

しかし、近代化が深化するにつれ、その機能がカフェ、レストラン、ホテル、劇場などに分散して「棲み分け」が進行、居酒屋は単なる飲酒場に衰退していく。

あと、酒自体の話で、醸造酒と蒸留酒の区別、後者の普及が禁酒運動の一因になったとかいう話も。

非ヨーロッパ地域では、中国の茶館をやや例外にして、イスラムのカフェや日本の居酒屋には多機能性は無し、コミュニティセンターとしては日中韓・イスラムとも寺院が使用されていた。

ヨーロッパ世界での権力の分立が農村への貨幣経済浸透を阻止せず、これがヨーロッパ近代を生んだと書かれていて、何やら最後にずいぶん話が大きくなった。

 

全然期待せず、暇潰しのつもりで読んだが、中々良かった。

私が推薦する社会史関係の本は苦手な人にもお勧めです。

 

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