万年初心者のための世界史ブックガイド

2015年7月31日

三宅正樹 新谷卓 石津朋之 中島浩貴 編著 『ドイツ史と戦争  「軍事史」と「戦争史」』 (彩流社)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 05:35

軍事史より広義の概念の戦争史の上に立った論文集。

第一部は、統一戦争から冷戦までの通史。

第二部は、戦争史と思想家・戦略家。

第三部は、軍組織と陸海軍概説。

第四部は、トルコ・中華民国・日本などへの世界的影響。

 

第一章。

対デンマーク、オーストリア、フランスとの戦争をまとめて統一戦争と呼ぶ。

普仏戦争は最近では独仏戦争という表現が強調される。

エムス電報事件ではプロイセンだけでなく全ドイツ的憤激とナショナリズムが巻き起こった。

統一後、軍事予算審議は7年に一度だけ(七年制予算)となり、通常これは議会の敗北とされてきたが、逆に兵員数が固定化され増員が難しくなり、仏露に対して常備兵力劣勢の傾向。

また、参謀本部の役割がこれまでは強調され過ぎてきた、皇帝・軍事内局・陸軍省も重要であると書かれている。

全般的に、軍国主義=プロイセン→ナチズムという単線的な見方は本書では批判的に捉えられている。

軍の政治介入より、国家・社会で軍事的価値観を受容する普通の人々の心性こそが重要。

第一次世界大戦直前、陸軍増強を主張する小モルトケに対して、ヴィルヘルム2世と陸軍省は反対した。

なぜなら貴族や上層市民以外から将校・下士官を採らざるを得なくなり、軍が「民主化」される危険があると考えたから。

実際そうなった。

そこから極右的ナショナリズムとナチズムが生まれた。

戦争と社会的平等は親和的である。

 

第二章。

第一次および第二次大戦についての、望田幸男氏による手際よい記述だが特にノートすべき点は無し。

 

第三章。

冷戦について。

この章は『アデナウアー回顧録 Ⅰ』『同 Ⅱ』『ドイツ再軍備』のよい復習になる。

西ドイツ再軍備関連のキーパーソンとしてシュパイデル、ホイジンガー、ブランクなどの人名を軽くチェックしておく。

 

第四章。

リュヒェルとシャルンホルスト。

シャルンホルストは(ビスマルクやフリードリヒ2世と異なり)ドイツ史において常に肯定的に評価されてきた。

有名なプロイセン軍制改革の前、1806年以前の改革を主導したのがリュヒェル。

これまでクラウゼヴィッツのリュヒェルへの酷評が定着していた。

イエナ・アウエルシュテットの戦いでナポレオンに大敗したこともあって、この以前のリュヒェルの改革は全く評価されてこなかった。

しかし、シャルンホルストとリュヒェルは実は互いに評価し合っており、共通点も多い。

以下、リュヒェルの言葉。

国家を構成する者は誰にでも、それぞれの分に応じた持ち場があり、それは必要という強い法則によって守られています。各人がそれぞれの持ち場でなす功績にしたがって、全体の幸福のためには誰もがなくてはならない存在なのです。玉座からあばら屋にいたるまで。

私は今、玉座からあばら屋にいたるまでといいましたが、それは異なる階層のすべての――法則にしたがえば、それは自由ではあるが平等ではない、それどころか不平等にならざるをえない――位階を表現したいためでありまして、それらの諸階層による相互扶助によって、国家の幸福はもたらされるのです。

至極真っ当な認識だ。

こういう見識が平板な平等主義に批判・否定され、大衆社会のカオスに陥り、そこから生まれたのがナチズムだ。

シャルンホルストは無能な貴族への憤りをもちつつ、既成の諸身分と社会階層をある程度前提にした国民統合を構想。

その前提には彼のフランス革命に対する幻滅があった。

シャルンホルストとリュヒェルには確かに違いがあるが、その距離は極端に遠いものではない。

シャルンホルストはその軍制改革において、教養層に農民・下層市民の模範を求めた。

「既存の身分的隔たりに対して教養を軸にした新たな社会的隔たりを敷設する」。

こうした認識はリュヒェルの啓蒙専制主義との共通性を持っている。

 

第五章。

モルトケとシュリーフェン。

18世紀から19世紀にかけて、社会的上層部のみが主導する「官房戦争」から、ナショナリズムを通じ全国民を巻き込む「国民戦争」への移行。

フランス革命が国民戦争を生み、ウィーン体制下では官房戦争に止まるが、普仏戦争で再び国民戦争化。

官房戦争に指導力を発揮したモルトケが国民戦争に翻弄され十分な解決策を見い出せず。

「平和を脅かすものはもはや君主の野心ではなく、各国の国民の世論であり、国内状況についての不安であり、とりわけそれらの代表者である各党派の煽動である。」

モルトケがこうした透徹した認識を持っていたにも関わらず、矯激で野蛮なナショナリズムに火をつける危険性を無視して、普墺戦争でウィーン入城や普仏戦争でアルザル・ロレーヌ併合を主張したのは思慮に欠けると言わざるを得ない(前者は未遂に終わったが)。

加えて対仏予防戦争の主張も。

これがシュリーフェン、小モルトケに悪影響を与える。

そしてシュリーフェン論争について。

「シュリーフェン計画」は実在したか?

ちょっと論旨が読み取りにくい。

計画自体は存在し、第一次大戦後、ドイツ軍国主義の象徴的表れとして批判の的になった。

一方で、勝利を確実にする完璧な軍事計画だったのが、小モルトケの不手際によって骨抜きにされドイツ敗北に繋がったとする見方も事実とは言い難い。

結局、批判派も擁護派も計画の意義を過大評価しているのではないか、ということか?

 

第六章。

ルーデンドルフの戦争観。

ヒンデンブルクと並ぶ第一次大戦の「国民的英雄」。

大戦末期の軍部独裁の主導者。

大戦後には極右勢力と結び、ヒトラーのミュンヘン一揆にも参加。

1937年死去したが、最晩年にはナチスと距離を置いていたという。

その総力戦理論は戦争指導から政治的要素を放逐し、「戦争は政治の一手段」というクラウゼヴィッツの思想を倒立させてしまっていると評されている。

 

第七章。

ドイツ陸軍。

一般兵役義務と国民意識形成についての学説紹介。

 

第八章。

ドイツ海軍。

この章では19世紀末からの英独建艦競争以前の発展について。

当初の仮想敵国はデンマーク。

日清戦争での北洋艦隊主力の「定遠」「鎮遠」もドイツ建造。

ドイツの海軍と言っても、一般的に全くイメージのわかないこの時期だが、過小評価はできないと主張。

 

第九章。

イギリスから見た英独建艦競争。

この建艦競争は、イギリスにおいては、多分に「ドイツの脅威」を政治利用し世論を煽動するために起こったという側面が大きい。

急進的軍人がジャーナリズムへの暴露を繰り返し、ドイツと同じプロパガンダで「海軍恐怖」を煽った。

正直イギリスですらこうなのかと幻滅を感じた。

実際には正確な戦力把握、適切な示威行動、着実な建造(「ドレッドノート」級戦艦[1905年~])によって、1912・13年には英国が競争に勝利していた状況だった。

 

第十章。

ドイツ空軍。

1935年再軍備宣言と共に成立。

初代参謀総長ヴェーファー(用兵)、航空次官ミルヒ(造兵)。

36年ヴェーファー事故死。

ゲーリングが司令を務めたが軍で最もナチ的とは言い難い。

途中、「ユダヤ系のミルヒ」という我が目を疑う記述があった。

その他、戦略爆撃と戦術空軍の相克について。

 

第十一章。

メッケルと日本帝国陸軍。

戦時中の著作から生まれたメッケル神話の歪み。

1885~88年陸軍大学校で教鞭を取り、その功績大、本人も後々まで日本からの留学生を支援し日本に親近感を持っていた。

しかし明治十年代末から二十年代初めにかけては他のドイツ人教官も同じ位評価されており、教授内容もドイツ兵学の高度なものではなく、基礎に過ぎない、そして当時の日本陸軍のレベルは実際その程度だったと評されている。

 

第十二章。

コルマール・フォン・デア・ゴルツとオスマン帝国陸軍。

アブデュルハミト2世に招かれた軍事顧問団。

(大モルトケもかつてオスマン帝国に勤務。)

1897年希土戦争勝利への貢献。

スルタンによる改革妨害と教え子による1908年青年トルコ革命。

第一次大戦では同盟国側指揮官としてドイツ顧問活動。

 

第十三章。

アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンと中華民国陸軍。

義和団事変に従軍、1930年に退役した軍人。

ワイマール共和国時代には右翼政党、国家人民党とその関連団体鉄兜団に加入するが、両者がナチと協力するようになると脱退。

1932年8月当時国防相でヒトラーを利用しようとしていたシュライヒャーに反ナチの立場を採るよう説得。

ナチの表面的ナショナリズムに騙された保守派(ナチについてのメモ その5参照)にならずに済んだことは注目と称賛に値する。

1928年よりドイツから中華民国へ軍事顧問派遣、ファルケンハウゼンもゼークトの後任として軍事顧問に就任、日中戦争が勃発すると対日戦を指導。

(義和団事件時を例外として、ドイツの東アジア政策は[外務省・軍ともに]ほぼ常に日本より中国を重視していた。)

40年三国同盟が成立するとファルケンハウゼンの活動に日本が抗議、当時彼は私人の立場だったが、国籍剥奪までちらつかせて外相リッベントロップが帰国させる。

 

 

おしまい。

硬い論文集だが、初心者が全く読めないわけではない。

それなりに有益で面白い。

買う必要は無いが、図書館にあればどうぞ。

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