万年初心者のための世界史ブックガイド

2015年7月8日

引用文(林健太郎6)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 15:36

引用文(林健太郎5)に続き

林健太郎『個性の尊重』(新潮社 1958年刊)収録

「映画と文学による歴史の勉強」より。

フランス革命を題材にした文学はすこぶる多いが、ディッケンズの『二都物語』は先ず代表的なものであろう。波乱に富んだメロドラマ風のものであるが、カーライルの『フランス革命史』の強い影響を受けており、革命前の貴族の腐敗と暴逆を描いて革命を必然としながら、ジャコバンのテロリズムを神意に背く悪と見なす作者の立場が一貫して流れている。これも曾て映画になり、最近また新しい映画がつくられた。アナトール・フランスの『神々は渇く』はジャコバンのテロリズムの最高潮期におけるパリの一段面を描いた傑作である。ロベスピエールに魅せられた一青年が一身を革命に捧げて、やがて断頭台に身を滅す姿は甚だ印象的である。

ロマン・ローランは晩年コミュニズムの同伴者になった人であるが、その以前に書かれた一連の革命劇(『愛と死の戯れ』『獅子座の流星群』他全部で八篇あり)は権力闘争の空しさを説いたヒューマニズムの香り高い作品である。ユーゴーの『九十三年』はこの革命中ヴァンデー地方に起った王党派の反革命の内乱を題材にしている。作者の同情は革命の側にあるが、王党派の貴族も魅力的に書かれている。彼はいかなる立場でも主義のために身を捧げる人物の中に高貴さを見たのである。このヴァンデーの叛乱の余燼ともいうべき同じ地方の木莵[みみずく]党の叛乱を描いたのがバルザックの出世作『木莵党』である。ここでも王党派の貴族が赫かしく描かれ、それに反して共和派の指揮官がすこぶる凡庸な人物にされているが、これは王党派であったバルザックの政治意識と関係がなくはないであろう。

この革命で処刑された悲劇の女王マリ・アントアネットに関してはシュテファン・ツヴァイクの詳細な伝記『マリ・アントアネット』がある。映画『マリ・アントアネット』は原作はちがうが、やはり彼女の生涯を知るに便利である。ツヴァイクはまた、この時代ジャコバン党員から転身して政府の変わる毎に次々に転向しナポレオンの下で警視総監を勤めた驚くべき保身術の大家フーシェの伝記『ジョゼフ・フーシェ』を書いている。

この他ドイツ人の作家では、十九世紀の前半に急進的な革命思想家として活躍しドイツ近代劇の創始者ともいわれるゲオルク・ビューヒナーが戯曲『ダントンの死』を残している。十九世紀末に出た耽美主義者シュニッツラーにフランス革命に取材した『緑の鸚鵡』というすこぶる面白い戯曲があるが、これは全く作者の奔放な空想の作品で歴史とは何の関係もない。

ゲーテが彼の体験したフランス革命をいくつかの作品に表わしていることは有名である。フランスに近いドイツの村で無知な農民をだますにせジャコバン党員を書いた戯曲『市民将軍』は革命に熱狂する同国人を戒めたもので、彼の革命に対する気持を最も明瞭に表わしている。最も愛誦される彼の小説『ヘルマンとドロテア』には、革命軍の侵入によって家を追われたラインラントの田舎町の避難民の姿が描かれ、その中に彼の革命観が示されている。彼の対仏戦争の従軍記『対仏陣中記』と『マインツの攻囲』とは彼自身の体験記としてばかりでなくこの戦争の実情を知るのにも役立つ。革命軍がヴァルミーで始めて勝った時、敵側の陣中にいたゲーテがいった有名な言葉「ここに新しい歴史が始まる」は前者の中にあり、またよく引用される言葉「暴行が行われるよりは不正が行われる方がよい」は後者の中にある。

ナポレオンは多くの作品の中に姿を現わしているが、彼をめぐる歴史小説としてはトルストイの『戦争と平和』に及ぶものはない。この作品についての説明は不要であろう。ナポレオン時代の秘密警察を暴いたバルザックの『暗黒事件』も有益である。文学者によるナポレオンの伝記としてはエミール・ルードヴィヒのものがあるが、メレジュコフスキーの小説『ナポレオン』は普通の伝記を読むよりも面白い。バーナード・ショーの『運命の人』も彼の断面を鋭く描き出している。

十九世紀以降になると、文学者が同時代人であることが多いので、いわゆる歴史小説ではなく自分自身の時代や社会をよく描いた小説が今日から見て歴史のよい材料となる。イギリスではサッカレーの『虚栄の市』が十九世紀初の貴族社会を、ディッケンズの『オリヴァ・トゥイスト』『デイヴィド・コパフィールド』『ハード・タイムズ』等の諸作が下層社会を示すよい史料である。なお十九世紀中葉にイギリスの黄金時代を現出したヴィクトリア女王にはリットン・ストレイチーの伝記があり、その治下の大政治家ディズレイリにはアンドレ・モーロアの伝記がある。

フランスではバルザックという写実主義の大作家がいるので、彼の小説を読むと復古王朝から七月王朝にかけてのフランスの社会が実によくわかる。もしもこの意味での代表作をあげれば、地方都市の生活を描いた『ウージェニー・グランデ』パリを描いた『セザール・ビロドー』農民を描いた『農民』であろう。スタンダールの『赤と黒』は主人公ジュリアン・ソレルの性格が魅力であるが、やはりこの時代をよく表わしている。最近来た映画はソレルの描き方は足りない代りに、当時の風物はよく写している。ユーゴーの『レ・ミゼラブル』は写実とは縁遠い小説であるが、その中にはさまれたワーテルローの戦や七月革命の描写は面白い。二月革命、特にその後の六月の労働者暴動及びそれをめぐるフランス知識人の精神状態はフロベールの『感情教育』の中に古典的な表現を見出した。

ロシアでは、ゴーゴリ、トルストイ、ドストイェフスキー、ツルゲーネフ、チェーホフなどの文豪を始めとして文学全体に社会性が豊かであり、絶好の社会の鏡を提供しているが、特にツルゲーネフの小説を『猟人日記』から『処女地』まで順に読むことは十九世紀ロシア社会史のよい勉強になる。ゴーゴリの『死せる魂』『検察官』も必読である。

ドイツにおいてはこのような役割を果すインメルマン、フライタークなどの作家が他の国の作家ほど有名でなくまた面白くもないので訳されていない。ただハウプトマンの『織工』が一八四四年のシュレジエン(シレシア)の有名な織工の一揆を描いており、歴史の著作にもよく引用される。

イタリアについてはナポレオン没落後メッテルニヒの支配下に行われた反動政治が、スタンダールの『パルムの僧院』によく出ている。そしてこの反動政治への反抗として起った革命党カルボナリの運動は同じくスタンダールの短篇『ヴァニナ・ヴァニニ』に描かれている。歌劇(映画にもなった)『トスカ』も同じようなテーマを扱っている。

アメリカについていえばホーソン『緋文字』が、植民時代、十七世紀のニュー・イングランドの社会の雰囲気を伝えたすぐれた歴史小説であるが、アメリカの歴史小説家としてはスコットに比肩するジェームズ・フェニモア・クーパーがあって独立戦争や西部の開拓を描いたいくつかのすぐれた小説を書いている。しかしこれらは日本語に訳されていない。(但し一番有名な『モヒカン族の最後』は子供の読物になっている。)同時代を写した小説としては黒人奴隷の悲惨な運命を描いて奴隷解放の精神的源泉となったストウ夫人の『アンクル・トムス・ケビン』を見落とすことは出来ない。なお南北戦争を舞台としたミッチェルの『風と共に去りぬ』はアメリカにおける『アンクル・トムス・ケビン』以来のベスト・セラーといわれているが、歴史小説としても有数のものであろう。なお続々輸入されるアメリカ映画にはそれぞれ何等かの史実を背景とするものが多いが、それらをここで一々解説するわけにはゆかない。

十九世紀後半に入ると小説の数は益々多く、歴史の参考として利用し得るものもおびただしい数に上る。そこでこれまでのような調子で解説を続けて行くことは不可能なので、ここで一先ず筆をおくことにする。
(拙著「歴史と人間像」三一年四月より、但し増補)

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