万年初心者のための世界史ブックガイド

2015年6月30日

引用文(林健太郎2)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 15:32

引用文(林健太郎1)に続き

林健太郎『個性の尊重』(新潮社 1958年刊)収録

「映画と文学による歴史の勉強」より。

人間の歴史は地球上に人類が発生した時から始まり、最初に長い原始時代が続くが、歴史として面白くなるのは人類がいわゆる文明の段階に入ってからである。そして人類の文明はオリエントの古代文明から始まるのであるが、この時代はある意味では芸術になり難く、またある意味ではなり易い。というのはこの時代は元来近代の人には縁の遠いものであり、且つそこには魅力ある個人の活躍というものがない。それはこの時代が絶大な権力を持った専制君主の時代であって、その下に隷属していた人民の中には勿論個人の自由はないし、帝王自身も神の名において伝統と慣習に基いて統治していたのであるからそこにも本当に個性のある個人はいないのである。この時代はエジプトにおけるようにすぐれた文化を残したが、それはピラミッドのように単に専制君主の権力の象徴にすぎず、後期に現われて来る個性的な彫刻にしても作者個人の名前は記されていない。そして一般にこの時代には神話や伝説、帝王の功業表などはあっても文学というものは生れていない。この時代はいわば生きた人間がまだ出て来ないので、近代人が歴史小説の材料をここに求めることは無理なのである。しかし逆に、この現代ばなれのした怪奇と幻影の世界は、現実を離れた空想の世界に美を探究しようという人には絶好の舞台を提供する。「芸術のための芸術」を標榜した浪漫主義者ゴーティエの『ミイラ物語』などはその好適例である。しかしこれはあくまで作者の幻想の所産であって歴史小説というべきものではなく、従って歴史の勉強のためにはあまり役に立たない。

古代エジプトを題材とした特筆すべき小説は戦後出たフィンランド人ワルタリの『エジプト人』である。ただしこれは古代エジプト史の中ではかなり後期、新王国第十八王朝の異色あるファラオ、アクナートンの時代を舞台としている。このファラオはエジプト伝来の多神教を捨てて一神教を採用し、そのため神官階級と闘争した誠に個性的なファラオで、歴史家によって「最初の個人」と呼ばれている。そしてこの時代のエジプトは新興民族ヒッタイトと戦い、その他のアジア諸民族とも交渉が繁かった。それ故作者がこの王の宗教改革を中心におき、且つ主人公に広くエジプト以外のオリエント地方を遍歴させているのは巧みなやり方というべきである。作品そのものの基調はかなり通俗的で芸術的に高いものではないが、歴史の参考としてはたしかに役に立つ。シネマスコープ『エジプト人』はこの作品の映画化である。

古代オリエントが歴史文学の題材となり難いのに反比例して、映画にとってはここが絶好の稼ぎどころである。それはこの世界の持つエグゾティズムとスペクタクル性が映画に最も向いているからである。これはシネマスコープの発明以来一そう著しい。『エジプト人』は画期的な作品といわれたが、その後につくられた『ピラミッド』もエジプトが舞台である。これが扱っているのは『エジプト人』よりずっと古い古王国第四王朝のクーフー王である。この時代はファラオ権力の全盛時代で、この王は最も大きなピラミッドをつくった人であるから、この映画も正にピラミッドの造営をテーマとしている。しかしこの王の伝記などはほとんど伝わっていないから、ここに出て来る話は全くつくりごとで、この映画の味噌であるピラミッドの坑道の秘密も勿論想像にすぎない。しかしピラミッドの内部に盗人などが入ってこないようにいろいろな工夫をこらしたことは事実であるらしい。そして多数の人民を使役しナイル河を利用して遠くから石材を運んだ有様は大体あのようなものであったろう。

歴史映画ではないが今一つ『王家の谷』という映画は現代に残るエジプトの史蹟を見物する意味で大へん有益である。ここではさきにいったアクナートンとその二代後のトゥ―タンカーメン王(これはその豪奢な地下墳墓が手つかずに発掘されたことで有名)とを一緒にしたような架空のファラオの墓が出て来て、考古学者がここにモーセとのつながりを発見するという話がおちである。アクナートンの宗教改革はたしかに一神教の採用という意味で画期的であり(ただし一代だけで終わったが)、ここにキリスト教の先駆を見る学者もないではないが、それはやはり誇張であり、勿論エホバ信仰との直接の関係はない。

時代は下ってローマ時代のことになるが、ゴーティエの『ある日のクレオパトラ』やフロベールの『サランボオ』もやはりオリエントの世界を描いている。後者はカルタゴが舞台で第一次ポエニ戦争後に起った傭兵の反乱が素材となっている。フロベールはこの小説を書くために数十冊の本を読み、親しくこの地を旅行して歴史と地理を調べたといわれている。それだけあってこの古代都市とそこに出て来る人物の描写は緻密を極めており、誠に絢爛たる絵巻物を展開している。しかしこれもまたフロベールの文学の反面である現実逃避の審美主義のつくり出した空想的作品であり、厳密な意味での歴史小説の部類には入らないであろう。

(追記:引用文(林健太郎3)に続く)

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