万年初心者のための世界史ブックガイド

2015年5月25日

30冊で読む世界文学

Filed under: おしらせ・雑記, 文学 — 万年初心者 @ 07:43

かなり以前、30冊で読む世界史 その1 および 同 その2 という記事を上げたのですが、この二つは当ブログの中では比較的よく読んで頂いている記事のようです。

そこで、ほぼ同じことを文学カテゴリ限定でやってみようと思い立ち、この記事を書きました。

「30冊で読む世界史」の方は、850冊弱を紹介した時点で書いた記事なのに対し、こちらは「文学」の記事が120冊弱しかない中から30冊を選ぶわけですから、選択の厚みが乏しいことは否めませんが、短めの「世界文学全集」一社分くらいは読んだかなとも思えるので、とりあえず以下の原則に則り作成してみます。

 

 

1.高校世界史教科書の文化史ページに載っている作品を基準として、30冊で世界文学を一読できるリストを作る。

 

2.分冊になる長大な作品でも、一作ならあくまで「1冊」と数える。

 

3.古典としての知名度を重視して選択し、内容的な面白さは二の次とする。

 

4.だがあまりに難解で、通常の意味での物語性に乏しく、通読困難な作品は挙げない。

 

5.小説および戯曲のみを取り上げ、詩は抒情詩だけでなく、叙事詩も除外する。

 

6.時代的には19世紀、地域的にはヨーロッパにあえて偏重して、そこにおける小説作品群を文学の最高峰と見なして選択する。

 

 

補足しますと、1は私にとって一番身近な高校世界史に準拠して作品を選択するということで、奇を衒って「玄人」向けの知名度の低い作家を挙げたり、教科書にないような現代作家を多く挙げるようなことをする気は無いし、その能力も無いということです。

2は、史書と違って、中にはやたら長い作品で、それでも読むべきものがありますから、しょうがないですね。

3。これも史書と違います。「30冊で読む世界史」ではどちらかと言えば、網羅性への配慮より本自体の面白さを重視して選びましたが、文学の場合、どうしても避けられない「定番」というものあると思うので。

4は、もちろんそれでも読めない本はありますからね。特に20世紀以降の小説で。

5。正直、詩は全くわかんないです。基本翻訳で詩を味わうのは無理だと思いますし、対訳にあたるほどの忍耐と能力もありません。抒情詩ではなく叙事詩ならちょっと違うのかもしれませんが、それでも自分には無理です。

6は、完全に時代に逆行してます。西欧とロシアで著名な小説が多く書かれた19世紀を文学の黄金時代とすること自体ありきたり過ぎますし、より現代に近い時代にアジア・アフリカ・ラテンアメリカで書かれた作品にも注目すべきとの見方が今の流行りなんでしょうが、この記事では(私のような)全くの文学初心者がまず最初に読むべき基本的な「正典(カノン)」リストを試作するという立場から、あえて「時代錯誤のヨーロッパ中心主義」を貫くことにします。

 

では具体的な作品を挙げていきましょうか。

 

古代オリエントの『ギルガメシュ叙事詩』などを除くと、世界文学史の冒頭にくるのはやはりホメロス『イリアス』『オデュッセイア』でしょう。

いきなり読めない古典がきた・・・・・・。

古典古代において、他の文学作品や史書でも頻繁に引用されますし、後世への影響も絶大ですが、これは初心者にはハードルが高すぎる。

岩波文庫の全訳を読むのも、不可能ではないでしょうが、自分がやってないことを他人に勧める資格が無い。

というわけで、この記事では実質的な文学の始まりとしてギリシア悲喜劇を想定することにします。

これは読める。

このブログでも、そこそこ読んだものを記事にしていますが、悲劇ではものすごく面白かったり、強い感銘を受けたものは(残念ながら私の感性では)無かった。

そこで、「原則3」からネームバリュー重視で、

(1) ソポクレス『オイディプス王』(岩波文庫)

を第一冊目に選ぶ。

ギリシア悲劇の最高傑作との評価が定着しているし、これを選ぶのが無難でしょう。

で、もう一冊、こっちは個人的に感じた面白さを重視して、

(2) アリストパネース『女の平和』(岩波文庫)

も挙げておく。

恐ろしいことにヨーロッパ古典古代の文学はこれで打ち止めだ。

ラテン文学はばっさりカット。

ウェルギリウス『アエネイス』とか読めねえっすわ・・・・・。

(同じ無理なら、ウェルギリウスよりホメロスに挑戦した方がもちろんいいし。)

当然ホラティウスやオウィディウスを読む気にもなれない。

30冊という制限があることを言い訳にして次行きます。

 

ヨーロッパ中世文学も同じ。

『ニーベルンゲンの歌』とか『ローランの歌』とか、初心者が果たして無理に取り組む意味があるのか・・・・・。

もっとも、手に取ってみたら何とか読了できて、部分的には面白さも感じ取れたとなる可能性も無いでは無いが、今のところそんな気になれない。

 

で、次はルネサンス文学なんですが、その前にヨーロッパ以外の「東洋文学」(手垢が付き過ぎた古めかしい言い方ですが)を全部片付けるという暴挙に及びます。

イスラム文学。

オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』はそれほど長くないし、読めなくもないでしょうが、まあいつか機会があれば、という感じしかしない。

かと言って、あの長い長い『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』(岩波文庫で全13冊)を通読することにさして意味があるとも思えない(そのうち1冊だけ読むのでもいいんでしょうが、今のところ強いてその必要を感じない)。

インド文学。

ぱっと思い浮かぶのは、カーリダーサ『シャクンタラー』だけだ。

これも好事家的興味から、機会があれば目を通そうかと思うだけだ。

まして『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』なんて絶対読めない。

その一部らしい『バガバッド・ギーター』でも苦しい。

近現代のタゴールの詩集もパスするしかない。

中国文学。

『唐詩選』を味読して感慨に耽るなんて高尚な趣味は持ち合わせていないし、他の散文作品でも通読したのは羅貫中『三国志演義』だけだ。

それも馴染みの通俗歴史小説だから分量に関わらず読めた。

とにかくどれも長いんですよ。

岩波文庫だと、『水滸伝』が全13冊、『西遊記』が全10冊、『金瓶梅』が全10冊、『紅楼夢』が全12冊と、どれも特別な関心か相当の覚悟が無いと読み通せない。

『聊斎志異』だけは上・下巻のようですが、実は抄訳でしたというオチがついている。

近現代文学では、魯迅がいますし、『故郷 阿Q正伝』はそこそこ面白かったのでリストに入れるか、頭の中で保留していたのですが、結局選外にしました。

老舎や郭沫若も何か読んではみたいが、今のところ手が出ない。

 

以上終わり。

再びヨーロッパ文学に戻ります。

 

ルネサンス文学冒頭にくるダンテ『神曲』は韻文作品だからパス。

新しい訳なら通読可能かもしれないが、今のところ挑戦する気になれない。

ペトラルカも詩人だ、だがボッカチオ『デカメロン』は散文だから読める。

しかし、内容的にあまり感心するところが無かったので、折角の読める古典にも関わらず落とす。

チョーサー『カンタベリ物語』やラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』やエラスムス『愚神礼賛』、モンテーニュ『随想録(エセー)』も、強いて読まなきゃいけない本には思えず。

だがここでは、文学史上絶対に外せない巨人、シェイクスピアがいる。

個人的にも非常に性に合う作家だし、実際文学的価値の高さと読み易さを共に満たす点では最高レベルの文豪に思える。

戯曲だけに一作一作は短く、シェイクスピアだけはどこかの版元の文学全集の該当巻を採用しようかなと思ったくらいなのだが、さすがにアンバランスなので思い止まり、その代わりこの作家のみ2作品をリストアップすることにする。

で、何を採るか迷いに迷う。

悲劇ではなく喜劇で一番素晴らしいと感じたのは『ヴェニスの商人』なのだが、結局高校世界史レベルの知名度に負けて、悲劇から

(3) シェイクスピア『ハムレット』(白水社uブックス)

を採用。

もう一作も喜劇・史劇ではなく悲劇から採り、こちらは個人的評価で最高に素晴らしいと感じた、

(4) シェイクスピア『オセロー』(ちくま文庫)

を自信を持って挙げる。

シェイクスピアについては、それぞれの感じ方によって各作品の合う合わないは当然あるでしょうが、文学史上最大最高の作家の一人であることは間違いなく、しかもどの作品も初心者・素人が十分読めるものですから、この作家だけは数をこなすことを意識してやった方がいいかもしれません。

そしてもう一つ、忘れちゃいけない、

(5) セルバンテス『ドン・キホーテ 前篇 全3巻』(岩波文庫)

があります。

これほど面白く、楽に読み通せる古典だったのかと驚いた次第ですので、やはりこれは外せません。

本当は後篇(実質的には続篇)も読んだ上で推薦したかったのですが、間に合いませんでした。

ですが、余裕があれば是非読みたいと思っています。

 

そして、17・18世紀文学。

イギリスではミルトン『失楽園』やバンヤン『天路歴程』というピューリタン文学があるが、もちろん私の手には負えません。

どう考えても、初心者が愉しく読める本じゃない。

しかし、それ以外で極めて著名で重要な作品が二つあります。

(6) デフォー『ロビンソン・クルーソー』(河出文庫)

および

(7) スウィフト『ガリヴァー旅行記』(岩波文庫)

がそれです。

この二つはどういう文学カテゴリに分類していいか判断のつかない作品だが、その分極めてユニークで特徴的なものなので、是非こなしておきたい。

通読難易度もそれほど高くないし、これだけ知名度のある作品を読了すると、知的見栄も張れるし、充実感も高い。

そして、この両作品が出た18世紀前半からちょっと時代が戻って、17世紀フランスの古典主義文学より、

(8) コルネイユ『嘘つき男・舞台は夢』(岩波文庫)

(9) ラシーヌ『ブリタニキュス・ベレニス』(岩波文庫)

を選択。

ここでは、ギリシア悲喜劇についてアリストファネスの喜劇の方が読みやすかったのとは逆に、モリエールの喜劇の方がいまひとつだったので、外します(と言ってもコルネイユで挙げた作品は喜劇ですが)。

この古典主義劇作家の巨匠三人についても、本当はもっといろいろな作品に触れるべきなんでしょうが、素人のやることですから、とりあえず全員のさわりに接しただけで良しとします。

なおこの時期、高校世界史レベルを超えますが、近代小説の起源を成す作品として、ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』、アベ・プレヴォ『マノン・レスコー』、ラクロ『危険な関係』、コンスタン『アドルフ』(これのみ19世紀初頭の作品ですが)、リチャードソン『パメラ』、フィールディング『ジョーゼフ・アンドルーズ』および『トム・ジョーンズ』などがあるものの、現時点で潰せたものは一つも無いです。

「原則6」からして、19世紀小説の名作で未読のものがまだまだあるのに、そこまで手が回りません。

 

さあ、ここからいよいよ、18世紀末から19世紀という文学(小説)「黄金時代」に入ります。

まず古典主義。

古典主義と言えば、ゲーテとシラー。

いくら何でもゲーテを外すわけにはいかない。

ネームバリュー優先の「原則3」がある。

ところがこれに迷う。

『ファウスト 第一部』『第二部』も、『若きウェルテルの悩み』も、どうしても面白く思えなかった。

とは言え、これ以外の作品をろくに読んでもおらず(『ヘルマンとドロテーア』だけ)、しょうがないので、

(10) ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(岩波文庫)

を採用。

知名度は圧倒的だし、同じ面白くないなら『ファウスト』よりは読みやすいだろうという、投げやりな理由で決定。

私程度ではそんなもんです。

シラーは入れるか外すかどうしようかと思ったが、こちらは面白く読めたので、

(11) シラー『ヴァレンシュタイン』(岩波文庫)

を選んでおきましょう。

だが、さすがにレッシングは飛ばしていいでしょう。

 

さあロマン主義だ。

教科書的にまずぱっと思い浮かぶのはノヴァーリス『青い花』だが、これは読めたもんじゃない(あくまで初心者にとっては)。

他にもロマン主義文学者は詩人と評論家みたいな人が多くて、この記事では対象外になる作家が多い。

独のハイネとヘルダーリンも、英のワーズワースとバイロンも、米のエマーソンとホイットマンも詩人だから、ひたすら無視。

シュレーゲル兄弟とかスタール夫人とかは、何をしたのかよくわからない人だからパス、さらにグリム兄弟の『童話集』(岩波文庫で全5冊)なんてのを通読することにさしたる意味があるとも思えない。

となると、(小説家で)残るのは誰か。

フランス・ロマン派の先駆者としてのシャトーブリアンは、その政治的活動については個人的に深い興味と共感を抱いているが(伊東冬美『フランス大革命に抗して』)、代表作の『アタラ』『ルネ』が入手しやすい形で出てないし、と言い訳してスルー。

イギリスのスコットは『アイヴァンホー』の読みにくさに懲り懲りしました(翻訳の問題もあるでしょうが)。

ドイツのホフマン『黄金の壷』は面白かったが、知名度の点で難がある。

しかしここで、文学史上、絶対に外しちゃいけない一人がいます。

(12) ユーゴー『レ・ミゼラブル 全4巻』(岩波文庫)

分厚い分厚い岩波文庫で全4冊。

しかし、覚悟を決めて下さい。

読みやすさは私が保証します。

こういう大作が入ると、いかにも「世界文学全集」らしくて貫禄が出ます。

『九十三年』の方が短くて読みやすいが、知名度に差がありすぎる。)

他に何があるかと言うと、ここらでアメリカ文学を一作入れておきますか。

(13) ホーソーン『緋文字』(岩波文庫)

ホーソンは通常の分類としてはロマン派なんですね。

これはそこそこ面白かったし、教科書的な知名度もあるし、強い確信を持って入れるわけではないが、まあリストアップしましょう。

代わりにマーク・トウェインの作品を一つ入れるか迷ったんですがね・・・・・。

とりあえず、これで行きましょう。

ああそうだ、そうだ、ロマン主義でもう一人絶対忘れちゃいけない作家がいた。

ほらほらあの人。

この記事で初めて出る国の人。

その国の「近代文学の父」。

そう、プーシキン。

圧倒的に素晴らしい作家が続出した19世紀ロシアでの先駆者であるこの人だけは、ロマン派に属するんだった。

そこで、歴史小説の

(14) プーシキン『大尉の娘』(岩波文庫)

を自信をもって推薦します。

以上、ロマン主義終わり。
で、次は写実主義(リアリズム)なんですが、その前に片付けておかなきゃいけない作家たちがいます。

世界史教科書にはほとんど出てこないんですが、文学史上では決して外せない、オースティンとブロンテ姉妹です。

作風としてはロマン主義と写実主義の中間に属すると考えていいんでしょうか?

なぜか19世紀初頭、英国の、しかも全員女性という共通点を持つこの三人ですが、代表作を実際に読んでみました。

結果、どれも素晴らしかったです。

なぜこれほどの名作が教科書に載っていないのか、一般的な文学史と高校世界史での評価のズレを不審に思います。

(15) オースティン『高慢と偏見 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(16) シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(17) エミリー・ブロンテ『嵐が丘 上・下』(光文社古典新訳文庫)

「原則1」からは外れますが、これらは絶対に外せない作品だと深く確信しましたので、皆様にも是非お勧めしておきます。

 

さて、いよいよ写実主義(リアリズム)に入ります。

我々が普通世界文学の名作と考える作品のうち、極めて多くがこの中に含まれます。

小説の黄金時代の19世紀の中で、さらにその中枢となる作品群です。

まず何と言ってもフランスの三作家、スタンダール、バルザック、フロベールを挙げないといけない。

スタンダールについては『赤と黒』よりも『パルムの僧院』が、フロベールについては『ボヴァリー夫人』よりも『感情教育』がまだしも面白かったのですが、「原則3」の定番重視の観点から、それぞれ前者を選ばざるを得ない。

そして、バルザックはもちろん『ゴリオ爺さん』で決まり。

(18) スタンダール『赤と黒 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(19) バルザック『ゴリオ爺さん 上・下』(岩波文庫)

(20) フローベール『ボヴァリー夫人』(河出文庫)

人によって当然好みは異なるでしょうが、この三人の大作家の中でも、私にとっては、バルザックは完全に別格です。

バルザック作品の素晴らしさを知ることができたのが、ここ1、2年の自分の読書生活での最高の収穫の一つでした。

本当は『従妹ベット』も入れたいくらいなんですが、冊数の制約がありますから泣く泣く除外。

次にイギリス。

サッカレー『虚栄の市』は長過ぎて未だに読めず。

よってもう一人の代表的作家で国民的文豪の

(21) ディケンズ『二都物語 上・下』(新潮文庫)

を選ぶ。

ディケンズは『デイヴィッド・コパーフィールド』の方がいいのかもしれませんが、長い。

高校世界史で定番として載っている上記の作品にしておきましょう。

で、いよいよロシア文学だ。

西欧に比して後進的存在であった19世紀ロシアで、こうまで素晴らしい文学作品が続々生まれたことは不思議と言えば不思議です。

トゥルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフが代表ですが、その露払いのような作家(と言うのは不当な評価かもしれませんが)としてゴーゴリがいます。

これも迷ったんですが、入れときましょう。

(22) ゴーゴリ『鼻 外套 査察官』(光文社古典新訳文庫)

19世紀文学を重視すると「原則6」で決めてるんだから、別にアンバランスじゃない、と自分に言い聞かせる。

トゥルゲーネフは定番、

(23) ツルゲーネフ『父と子』(新潮文庫)

で決まり。

トゥルゲーネフも読んだのがこの一作のみとは寂しい限りだが、高校世界史での知名度の高いこれを読むだけで、今のところ精一杯です。

ただ、再読した印象は初読の際よりずっと良かったので、自信を持ってお勧めできます。

そしていよいよドストエフスキーです。

自分の中では、最も偉大な小説家です。

本当は、代表作『罪と罰』に、私が最高の小説作品と考えている『カラマーゾフの兄弟』を加えた二作をリストアップしたい。

しかし、これも断腸の思いで、後者を省きます。

もし余力があれば、是非挑戦して下さいと申し上げておきます。

(24) ドストエフスキー『罪と罰 上・下』(新潮文庫)

あと、内容的深みにはやや欠けますが『虐げられた人びと』は物語としての面白さは最高級だと思われますので、特に推薦しておきます。

で、トルストイなんですが、これに迷う。

トルストイの無い「世界文学全集」は考えられない。

絶対に飛ばすわけにはいかない。

しかし『戦争と平和』を何とか読み通したものの、これを皆様にお勧めするのは躊躇する。

「原則3」からすれば有名過ぎて書名が一般常識になっているこれは外せないが、「原則4」からして(物語性に乏しいわけではないが)通読困難にも程があるこれを入れるのは難しい。

悩んだ結果・・・・・やめます。

自分の読後感からして、これを読んで下さいとはやはり言えない。

かと言って、『アンナ・カレーニナ』は未だに手付かずだし、もう一つの長編『復活』も手に取るかどうかわからない。

結局、代替作として、

(25) トルストイ『イワン・イリッチの死』(岩波文庫)

を挙げておきます。

ただ短いから挙げたのではなく、実際素晴らしい作品だと思ったので。

こういうものでも、トルストイ文学の真髄には触れることができます・・・・・ということにしておいて下さい。

チェーホフ。

ドストエフスキーと並んで好きな作家。

短編小説集をどれか選びたかったのですが、もうこれにしておきましょう。

(26) チェーホフ『桜の園』(岩波文庫)

何とも言えない哀感をしみじみ感じさせる作風が心に染みます。

他の作品も同じく。

チェーホフもできるだけ多くの作品に触れて頂きたいなあと思います。

 

 

写実主義終わりです。

19世紀、文学の黄金時代、フランスとロシア、そしてイギリスに、上記の通り偉大な小説家が続出したのですが、なぜかドイツにはさしたる人物がいない。

ゲーテ、シラーという巨人の後は、詩人のハイネくらいで、小説家としては著名な存在が思い浮かばない。

何か不思議な感じです。

 

 

閑話休題。

自然主義。

高校世界史での暗記事項では、ゾラ・モーパッサン・イプセン(とストリンドベリ)だ。

まず、

(27) ゾラ『居酒屋』(新潮文庫)

外せません。

実際読んでみたら目を背けたくなるような陰惨さもあるが、やはり迫力がすごい。

衝撃度においてそれにやや劣るが、

(28) モーパッサン『女の一生』(光文社古典新訳文庫)

も挙げる。

二作とも「定番感」は十二分にあるし、後者も強いて落とす程、悪い読後感ではなかったので、まあこれは無難な選択でしょう。

イプセン『人形の家』は入れなくていいでしょう。

自然主義ではもう一人、ストリンドベリの名がときどき挙がるが、作品が現状手軽な形で手に入りにくいし、無視。

 

 

自然主義も終わりました。

続く、耽美主義とか象徴主義は、詩人がほとんどだから、すっ飛ばします。

ワイルドも、ボードレールも、ランボーも、マラルメも、ヴェルレーヌも、知らん知らん。

ワイルド『サロメ』も、読むのなら雰囲気を感じるだけでいい。

 

 

ついに20世紀まで来た。

だが、もう28冊挙げてしまっており、残り2冊しか空きが無い。

20世紀以降の文学から、2冊だけ選ぶ・・・・・。

いくら「原則6」を基準にすると言っても、無茶苦茶だ・・・・・・。

でもしょうがない。

書名一覧をざっと眺めて、ネームバリューがあってしかも読みやすいものは・・・・と探して、これだ。

(29) カフカ『変身・断食芸人』(岩波文庫)

いかにも20世紀小説らしい、訳のわからなさ。

私にはその文学的価値はわかりません。

ただよく知られた作品で、普通に読めるというだけで選びました。

それ以上は私の能力では無理です。

さあ、ラスト1冊、どれを選ぶか。

よし、これにしよう。

(30) スタインベック『怒りの葡萄 上・下』(ハヤカワepi文庫)

「えっ?」と思った方も多いでしょうが、この作品は今だからこそ読まれる価値があると判断しました。

ジョイスプルーストも、トーマス・マンロマン・ロランも、ジイドヘッセも、カミュも外して、スタインベックという選択は本来あり得ないんでしょうが、あえて個人的趣味から選ばせて頂きました。

いや、高校世界史でのネームバリューを一切無視した上での個人的趣味なら、シェンキェヴィチ『クォ・ヴァディス』アナトール・フランス『神々は渇く』ジョージ・オーウェル『動物農場』ウィリアム・ゴールディング『蝿の王』ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』などが候補になるんですが、とりあえずやめときます。

レマルク『西部戦線異状なし』は知名度もあるし、入れ替えていいかもしれませんが、まあこれで行きましょう。

結局どれを選んでも一長一短です。

 

 

 

終わりです。

以下、一気に並べてみましょう。

 

 

(1) ソポクレス『オイディプス王』(岩波文庫)

(2) アリストパネース『女の平和』(岩波文庫)

(3) シェイクスピア『ハムレット』(白水社uブックス)

(4) シェイクスピア『オセロー』(ちくま文庫)

(5) セルバンテス『ドン・キホーテ 前篇 全3巻』(岩波文庫)

(6) デフォー『ロビンソン・クルーソー』(河出文庫)

(7) スウィフト『ガリヴァー旅行記』(岩波文庫)

(8) コルネイユ『嘘つき男・舞台は夢』(岩波文庫)

(9) ラシーヌ『ブリタニキュス・ベレニス』(岩波文庫)

(10) ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(岩波文庫)

(11) シラー『ヴァレンシュタイン』(岩波文庫)

(12) ユーゴー『レ・ミゼラブル 全4巻』(岩波文庫)

(13) ホーソーン『緋文字』(岩波文庫)

(14) プーシキン『大尉の娘』(岩波文庫)

(15) オースティン『高慢と偏見 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(16) シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(17) エミリー・ブロンテ『嵐が丘 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(18) スタンダール『赤と黒 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(19) バルザック『ゴリオ爺さん 上・下』(岩波文庫)

(20) フローベール『ボヴァリー夫人』(河出文庫)

(21) ディケンズ『二都物語 上・下』(新潮文庫)

(22) ゴーゴリ『鼻 外套 査察官』(光文社古典新訳文庫)

(23) ツルゲーネフ『父と子』(新潮文庫)

(24) ドストエフスキー『罪と罰 上・下』(新潮文庫)

(25) トルストイ『イワン・イリッチの死』(岩波文庫)

(26) チェーホフ『桜の園』(岩波文庫)

(27) ゾラ『居酒屋』(新潮文庫)

(28) モーパッサン『女の一生』(光文社古典新訳文庫)

(29) カフカ『変身・断食芸人』(岩波文庫)

(30) スタインベック『怒りの葡萄 上・下』(ハヤカワepi文庫)

 

 

 

「30冊で読む世界史」と同じく、これも叩き台に過ぎません。

このリストも、ご自身の趣味でどんどん取捨選択して下さい。

「自分だけの世界文学全集」を作る気持ちで好みの作品を集めて、やる気を持続させるのが重要だと思うので。

場合によっては、30冊という数字にこだわらず、厳選した10冊の文学書だけを挙げて、「誰が何と言おうと、これが自分にとっての世界文学ベスト10だ、その代わりこれだけは石に噛り付いても読み通すんだ」としてもよい。

ただ、30冊というのは、そう無理な数字ではないと思います。

中には読了にひと月近くかかるような大長編もありますが、戯曲なんかは一日で読めます。

学生の方なんかは1、2年かければ余裕じゃないでしょうか。

忙しい社会人の方でも十分読めると思いますし、もちろん定年退職したような年齢の方が気持ちを新たに取り組むというのもいいでしょう。

いつから始めても遅すぎるということはありません。

また、文学の他に、絵画・音楽・彫刻・建築・書道・(一部の)映画などの芸術分野がありますが、初心者が教養のために親しむ場合、作品への触れやすさやコスト、理解のしやすさなどを考えると、文学がやはり一番無難な芸術分野だと思います。

 

それでも日々雑務に追われて、悠長に文学書なんて読んでる余裕が無いという方もいらっしゃるかもしれません。

どう時間を確保するか。

現在の平均的人間が一番時間を浪費していることは何か。

結局、自分を省みても、「ネットをだらだら見ている時間を減らす」ということしか無いと思います。

それが一番無駄だから。

せめて通勤・通学電車の中でスマホをいじるのを止めて、文庫本を広げてみればどうでしょうか?

10分、15分でも結構読めるもんですし、それが毎日習慣付けられたら生活が随分違ってきますよ(文学に限らず)。

 

あとは翻訳について。

この手の外国の古典文学では、やはり岩波文庫が基本になるでしょう。

岩波文庫目録は基本的な作品リストとしても使えるので、どこかで貰っておくといいです。

しかし歴史がある分、訳文が古いことがあります。

ごく稀な例外を除き、翻訳はやはり新しいものが圧倒的にいいと思います。

以前途中で投げ出してしまっていた作品を新訳で読んだら、驚くほど容易に読めたということを、私自身何度も経験してます。

この意味で近年注目すべきは、光文社古典新訳文庫。

上のリストでも相当数の版をそこから選択していますが、本当に有り難いシリーズです。

この出版社からよくこれだけ良心的な企画が出たなと(失礼千万にも)思ってしまいます。

いくつもの翻訳が出ているような作品では、図書館や書店で書名検索の上、基本的には一番新しい訳本を選んで、取り組むようにすればいいでしょう。

ただ、長編作品の場合、活字が大きくなることなどから冊数が旧版より増えて、その圧迫感で読み出す前からやる気が削がれることはあるかもしれません。

私は、複数の翻訳の良し悪しを厳密に判定できるような能力を持っていないので、新訳に正確性が欠けるとか作品の雰囲気を損なっているなどと感じたことはありませんが、上に書いた理由からあえて旧版を選ぼうとしたことはあります。

要は、基本新訳、しかし自分の読みやすいものを最優先にと、ごく平凡な方針でいきましょうということです。

 

 

最後により根本的な問題として、こういう古典文学を果たして今読む意味があるのかということです。

これらの文学も、書かれた当時には娯楽作品として受け入れられていたものが少なくないでしょう。

しかし、現代にはよりお手軽で刺激的な娯楽が、それこそ無数にあります。

面白く読める文学作品でも、読む上でやはり一定の精神の緊張が必要とされますし、その「面白さ」は漫画やアニメ、ライトノベルやネット動画、アクション映画やバラエティTV番組を見て得られるものとは明らかに異質です。

では、なぜ文学を読むのか?

それに答えるにはやはり、個人個人の好き嫌いを超越した、「価値」というものを考えざるを得ない。

ある価値観を絶対視することは危険であり煩わしくもあるが、あらゆる価値を極端にまで相対化してしまうのもどうかと思う。エドワード・ミシャンという経済学者が、「失楽園」と「スーパーマン物語」のあいだに質の高低・優劣をつけるべきではないという類の価値相対主義を批判したそうだが、私もその批判に同意せざるをえない。シェークスピアの劇は、よほどにこれ見よがしの演技の場合は別として、やはり、ストリップ・ショウよりも高級なものだとしなければ、演劇の概念やそこにおける秩序すら不明になるのではないか。

引用文(西部邁8)より。

人間が人間である以上、「価値」からは離れられないし、その「価値」の高低による区別も考えざるを得ない。

そしてその「価値」がどこから生まれるかと言えば、不完全極まる、我々個々の人間の気まぐれな嗜好からではなく、何十世代にもわたる試行錯誤から生まれた伝統と慣習からだと言うほかないし、その歴史的に育まれてきた価値を基準にするしかない。

そうであれば、長年価値ありと認められてきた文学作品を鑑賞することは、現代のエンタテインメント作品を享受するよりも、「とりあえずは」高級なことだと考えるしかない。

こんなことを書くと、「自分は今のくだらない娯楽作品よりも古典文学を愛好する“高尚”な人間だ」などと主張しているように思われるかもしれません。

ですが、それは全く違います。

最近の漫画やアニメなどはほとんど見ませんが、昔学生時代に親しんだ漫画なんかはよく読み返しますし、テレビのバラエティ番組を見るのも好きです。

絵画や彫刻の良し悪しなど全くわかりませんし、どんな古典的な名作でも、心底感動させられたという経験は皆無です(多少ともわかるのは漫画の絵柄だけです)。

クラシック音楽なんか5、6分も我慢して聴いていられない性質だし、それならJ-POPでも聞き流していた方がはるかに楽です。

そうしたサブ・カルチャーの愉しさはわかっているつもりです。

でもやっぱり、メイン・カルチャーあってのサブ・カルチャーなんですよ。

サブ・カルチャーがメイン・カルチャーに成り代わって、世界が埋め尽くされると、それ自体が退屈と焦燥の原因になってしまう。

そんな状態に人類が長期間耐えられると思えない。

古典文学なんて読むのは面倒だ、そんなもの無くても生きていく上で何も困らない、と言いたくなる気持ちはよくわかります。

しかし、「今生きている我々が面白いと思うか、面白くないと思うかという感覚だけが唯一の価値判定の基準なんだ、その真価を知るために我々の側からは何の努力も訓練もする必要が無い、どんなに歴史的な価値があるものでも我々が面白くなければ一切無価値なんだ、そんなものを有り難がるのは根拠の無い愚かな懐古趣味に過ぎないんだ」という人々に対しては(文学作品に限ったことではありませんが)、自分はそんな柄では全くないにも関わらず、それをたしなめる側にまわらざるを得ません。

 

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ヴィクトール・ユゴー 『九十三年 上・中・下』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 07:24

1874年刊。

ユーゴー最後の小説。

西フランス、ブルターニュ半島東南部ヴァンデ地方で、1793年保守的な農民がパリの革命政府に反抗して蜂起した、王党派反乱を描いた歴史小説。

剛毅で冷徹な王党派貴族ラントナック、彼と同様に冷徹で革命の理念を狂信するシムゥルダン、同じ革命軍に属しながらより寛容で温和な態度を持するゴォヴァンの三人が主に登場する。

容易に予想されるように、もちろん著者のユーゴーは、革命政府軍・ヴァンデ軍双方の残虐行為を記しながらも、結局革命の理念を進歩の名の下に支持し、ただそこに多くの暴力が伴ったことを遺憾として、ラントナック・シムゥルダン両者の長所・短所を描きつつ、ゴォヴァンを最も気高い存在として扱っている。

しかし、私自身の同情と共感は、はっきり反革命と王党派の側にあるので、『レ・ミゼラブル』を読んだ時と同じく、ユーゴーの史論は軽く読み飛ばすしかない。

ユーゴーがパリ・コミューンの悲劇を目撃した上で書いた作品だが、それなら「人類社会の進歩の必然」や「自由を求めて闘う民衆の正しさ」を根本から疑うべきだったんじゃないですか、と言いたくなる。

とは言え、ストーリー展開は圧倒的に面白く、次々と興味ある場面を描き出し、初心者にも驚くべきスピードでページを手繰らせることは間違いない。

身の程知らずの感想ですが、ユーゴーのその能力だけは認めるしかない。

私が今まで読んだ全ての作家の中で、最もストーリー・テラーとしての力量が感じられます。

知名度は『レ・ミゼラブル』に遠く及ばないが、これも読んで良かったと強く感じる。

書名一覧での評価は「4」にしようかと思ったが、思い切って「5」にしますか。

それくらい一気に読めた作品です。

2015年5月21日

バルザック 『暗黒事件』 (ちくま文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 07:16

19世紀初頭、ナポレオン帝政樹立前後のフランスで、王党派的信念を守り通し、実際行動も辞さない、若く美しい貴族令嬢ロランス・ド・サン=シーニュとシムーズ家の双子兄弟が、ある陰謀に巻き込まれる話。

ナポレオン、タレーラン、フーシェも登場する歴史小説。

そのフーシェ配下の密偵コランタンが暗躍する。

バルザックの他の作品と同じく、書き出しではかなりの忍耐を要するが、一度登場人物が出揃い、物語が動き出すと、ぐいぐい引き込まれる。

バルザックのストーリー・テラーとしての実力は本当に凄いと実感させられる。

文学音痴の私でも面白く読めてその偉大さが理解できる作家としては、シェイクスピアとドストエフスキーが別格だと思っていたのですが、バルザックがそれに加わりそうな気配です。

あとは『幻滅』『ウージェニー・グランデ』などもできれば読みたいと思います。

2015年5月16日

ウィリアム・シェイクスピア 『コリオレーナス』 (白水社uブックス)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 16:05

あまり知名度は高くない作品。

ローマ史劇。

初期共和政時代のグナエウス・マルキウス・コリオラヌスが主人公。

『古代ローマ人名事典』によると、コリオリ(コリオライ)の戦いで活躍するが、平民の反感を買って前491年に追放、間もなく敵であるウォルスキ(ヴォルサイ)人(コリオライの住人)を率いて祖国ローマに弓を引いたが、母に嘆願されてローマへの進軍を思い止まったという伝説に基づく話。

シェイクスピア自身が元ネタにしたのはプルタルコス

本書で描かれるコリオレーナスは、あまりに強情・剛直で妥協を知らず、挑発的であり、結果責任を問われる政治家としては大きな欠点を持っていると感じられる。

しかしデマゴーグ的な護民官に煽動され、愚かな行動に走る民衆の醜悪さも十分描写されている。

以下、コリオレーナスの台詞。

 

ギリシアでは民衆がもっと大きな権力をもっていた、だがおれに言わせればそれが不服従を育て、ついには国を滅ぼすもととなったのだ。

 

「おれたちは要求した、おれたちは多数だ、だから元老院は恐怖心からおれたちの要求を飲んだのだ」こうしてわれわれは権威の座をみずから汚し、愚民どもにわれわれの心づかいを恐怖心と呼ばせることになるのだ。

 

身分、栄誉、分別が、衆愚の賛成、反対によらざればなにごとにおいても決定をくだすことができぬありさまだ

 

あの大衆の代弁者の舌を引っこ抜くがいい。やつらに甘い権力の味をなめさせるな、やつらには毒だ。諸卿が堕落すれば元老院の判断力は麻痺し、国家に必要不可欠な統一が失われることになる。悪がいっさいを支配し、善をなそうとしてもその力をもてなくなる。

 

塩野七生『ローマ世界の終焉』の記事で書いたような思いに再び駆られる。

古代ローマから現代日本にまで共通する(そしてますます酷くなる)宿痾を眼前に晒される思いがする。

この白水社uブックスのシェイクスピア作品の解説は上演史を主にした簡略なものであまり参考になった気はしないのだが(ただ訳文は読みやすくてとても良い)、この劇についてはファッショ的な、あるいは逆に左翼的人民劇のような脚色が1930年代になされていたなどの記述があって面白かった。

貴族と民衆双方の欠点を照らし出す普遍的な政治劇との評価は当たっていると思われる。

 

非常に良い。

素晴らしい。

シェイクスピア作品にしてはあまり知られていないが、是非勧める。

2015年5月10日

プラトン 『メノン  徳について』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 16:32

テッサリア出身でゴルギアスの弁論術を学んだ若者メノンが、前402年ごろソクラテスと対談したという設定の著作。

メノンはこの直後、ペルシア帝国の皇位争いに加わったギリシア傭兵の撤退戦である「アナバシス」で敗死したという。

一応内容をノートしてあるんですが、自分で書いていながら読み返すとよくわからない部分がある。

「解読」に苦労しながら、たぶんこういうことだろう、こうすれば何とか意味が通る、と考えてこの記事を書く。

いつもの如く、私が書く内容紹介はあまり信頼せず、ご自身でお読みになる際の参考に止めて下さい。

 

本書はまず徳について三種の考え方を提示。

(1)伝統的人々=優れた人のあり方を示す徳という言葉に当てはまる慣習に従うだけで、それ以上突き詰めて考えようとしない。

(2)ソフィスト=人々を支配し統率する力が徳、知恵を教える賢者と自らを規定(ゴルギアスにはやや慎重な部分があるが)。

(3)ソクラテス=徳は単に有益なものではなく探求の対象、無知の知の自覚の重要性、徳はソフィストが主張するように職業的に教えられるようなものではない、しかし広い意味での教育は重視する。

(1)の立場にはアニュトスがいて、この人物はペロポネソス戦争での敗北後アテネに成立した「三十人僭主」政権が打倒された後、前399年民主派政治家としてソクラテス裁判を主導する。

対談では、まずメノンが、徳は教えられるか?と尋ね、それに対しソクラテスは、それ以前に徳とは何なのかと問い返す。

メノン:男・女・子・年長者・自由人・奴隷にそれぞれの立場に応じた徳(アレテー=卓越性)がある。

ソクラテス:それらに共通する徳があるはず、また単なる卓越性でなく正義と節度といった条件もまた付く必要がある、その条件も徳である。

メノン:美しい立派なものを欲し、それを獲得する力があることが徳。

ソクラテス:「美しい立派な」ものはそれを「よい」と思うから欲するのであって、逆に悪いものを欲する人間も本人はそれを「よい」ものと思っているから欲している、「悪いものを欲する人」はいない、「よい」「悪い」を真に識別する知こそが重要、またそれを獲得する能力に問題を移せば、例えば富や要職を不正に手に入れるのは悪徳だ、正義や節度といったアレテーの「部分」が伴わねば不徳に陥る、しかしそう考えると「部分」が伴っているか否かで徳・不徳が決定されることになり、部分で全体を定義している矛盾に陥る、もっとも自分も徳そのものが何であるかを知ってはいない。

メノン:「探求のパラドクス」を提示。すでに知っていることを人は探求しようとはしない、一方知らないことはこれから何を探求するかさえ知らないので探求できない、という考え方。

ソクラテス:怠惰および論争のための論争の口実となるこのパラドクスを否定、魂の不死という立場から、「学習」とは実は「想起」であるとの説を提示。適切な問答で正しいドクサ(ここでは考え・判断・思惑・推測)に達し、自分で自分の中の知識を「再獲得」するのが学びだ。そして徳とは何かに戻って、それは教えられるものなのか、知識なのかを考察。徳はよい、有益なものだが、健康・強さ・美・富という有益なものも正しい使用が無ければ有害、勇気も単にある種の「元気」に過ぎなければしばしば有害、節度やものわかりの良さも同じ、これらすべては知によって導かれる限り有益で幸福、したがって徳は知であると言えるが、しかしこの「知」は果たして教えられるような知識か?、と疑問を呈する。

ここでアニュトスが登場(この対話は明らかに架空で事実ではないとのこと)。

アニュトス:ソフィストを批判。

ソクラテス:自身もソフィストに批判的だが、しかし何も知ろうとせずに非難することをたしなめる。

アニュトス:立派で優れたアテネ人に付き、教えを受けさえすれば立派な人間になれる。

ソクラテス:テミストクレス・アリステイデス・ペリクレスという偉人の息子たちが優れた人物になれなかった、もし徳が教えられるようなものなら、彼らがあえて自分の息子に教えないということがあり得るだろうか?

(アニュトスは怒って退場。)

ソクラテス:具体的行為の正しさについては知が導かなくても「正しい考え(ドクサ)」があればよい。ただし「正しい考え」は魂に長期間留まらないことが多く、原因の推論を行う知のように安定的に持続するものではない、アニュトスが挙げたような人々は知恵ある賢者ではなくドクサによって政治的統率を行っているだけ、だから他者を教え諭し自身と同様の優れた者にできない、彼らは知の点では託宣者・預言者と何ら変らない、彼らに対する称賛の言葉「神のごとき人」とは実は「神懸かりの人」とでも解釈すべき。もちろんソフィストも徳の教師ではない。結局徳そのものが何であるかは、無知の知の自覚に基づく徹底した自己探求によって知るしかない。

 

 

短いので読みやすい。

訳者解説が半分を占める。

『プロタゴラス』と同様、初心者も気後れせず読了していけばいいかと思います。

2015年5月4日

バルザック 『従妹ベット 上・下 (バルザック「人間喜劇」セレクション11・12)』 (藤原書店)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 16:54

スタンダールの作品で『赤と黒』の他に『パルムの僧院』を、フロベールの作品で『ボヴァリー夫人』に加えて『感情教育』を読んだが、それらよりもずっと素晴らしいと感じた『ゴリオ爺さん』のバルザックを、その一作しか読まないのもどうかと思い、翻訳も新しいこれを選んだ。

七月王政下のパリが舞台。

好色で自堕落なエクトール・ユロ男爵と貞淑で美しい妻アドリーヌ、ユロの息子ヴィクトラン、娘のオルタンスがまず登場。

アドリーヌの従妹で不器量なオールドミスのリスベット(ベット)が密かな嫉妬と憎しみの感情を募らせ、ユロ一家を破滅させようとたくらむ。

かつてベットが保護していたポーランド亡命貴族で芸術家気取りのヴェンセスラス・シュタインボックをオルタンスが奪い、夫にしたのも復讐の一因。

他に俗悪なブルジョワでヴィクトランの舅クルヴェル、悪辣な素人娼婦でベットと組むヴァレリー・マルネフ夫人などが絡む物語。

夫の破滅的愚行で没落し、苦しめられるアドリーヌだが、結果としては、ベットの復讐は失敗し、ヴァレリーは悲惨な最期を迎え、ベットも失意のうちに死ぬ。

それで目出度し目出度しかと思いきや、物語のラストにとんでもない結末が準備されている。

この救いの無さは凄い・・・・・。

 

最高に面白い。

テンポの速いストーリー展開は全く飽きさせない。

金銭勘定以外の全ての価値観が溶解し、あらゆる階層を腐敗と愚行に導く近代社会の実像を完璧に描いている。

やはり素晴らしい。

二作しか読んでいないが、バルザックは本当に性に合います。

機会があれば、他の作品も読んでみたい。

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