万年初心者のための世界史ブックガイド

2015年3月28日

アントニー・エヴァリット 『ハドリアヌス  ローマの栄光と衰退』 (白水社)

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ローマ五賢帝の三人目、プブリウス・アエリウス・ハドリアヌス・アフェルの伝記。

西暦76年生まれ。

ヴェスパシアヌス帝治下。

ローマ生まれだが、一族はヒスパニア・バエティカ属州出身。

ただし祖先は移住したローマ人。

父方の祖父の妻の兄がトラヤヌスという名の人物で、その子がマルクス・ウルピウス・トラヤヌス帝。

10歳頃に父が死去し、後見人アッティアヌスとトラヤヌス帝、皇妃プロティナの保護を受け、トラヤヌスの親友ルキウス・リキニウス・スラの知遇も得る。

ギリシア贔屓で狩り好き、呪術へ傾倒する青年として育つ。

この辺の記述を読んで驚いたのが、48年に行われた帝国人口調査で、全人口6000万人のうち約10%がユダヤ人だったというところ。

ネロ帝末期にユダヤ人は反乱を起こし、ヴェスパシアヌス帝の長子ティトゥスによって鎮圧される。

ティトゥスの弟ドミティアヌスは即位後、徐々に恐怖政治を敷き、告発人(デラトル)が暗躍する。

この時代から次代にかけては、タキトゥス、小プリニウス、プルタルコス、諷刺詩人ユヴェナリス、現実政治上の抵抗勢力になったストア派哲学者エピクテトスら、錚々たる文人たちがいる。

ダキア王デケバルスが帝国に侵入、これに対する防衛策を講ずる中で軍人としてトラヤヌスが台頭。

ハドリアヌスもパンノニア軍団高級将校となりモエシアへ赴任。

96年ドミティアヌス暗殺。

後任のネルヴァは五賢帝時代を開いた名君だが、ドミティアヌスともかつてのネロにも忠実ではあった。

ここである執政官の「誰も何もできない社会を作る皇帝は悪いが、誰でも何でもできる社会を作る皇帝はもっと悪い」という言葉が紹介されているのが印象に残った。

即位翌年の97年近衛隊の反乱が勃発、ネルヴァ帝が一時拘束される。

五賢帝時代にはそぐわぬ史実ではある。

ネルヴァ帝は毅然とした態度を持したが、ドミティアヌス暗殺者が引き渡され殺されてしまった。

この苦境の中、ネルヴァはトラヤヌスを養子に指名。

これにはスラの巧みな工作もあったと思われる。

ネルヴァが死去し、トラヤヌスが即位すると、反乱を起こした元近衛隊長官と密告者を処刑、ハドリアヌスはスラやプロティナ、またトラヤヌスの姉の娘マティディアの後ろ盾を得て、厚遇される。

結局、マティディアの娘ウィビア・サビナと結婚することにもなる。

ただ自身の姉の夫セルウィアヌスとハドリアヌスは不仲。

妻のサビナとは冷たい関係で、むしろマティディア、プロティナと親密。

ハドリアヌスとプロティナとの肉体関係を匂わす見方もあるが、本書ではそれは否定されている。

理由は、プロティナの高潔さでは全ての史料が一致しており、さらに「彼[ハドリアヌス]は女性よりも男性に対して性的興味をもっていた」から。

101年第一次ダキア遠征、ムーア人指揮官ルシウス・クイエトゥスの活躍で翌年ローマ有利の講和。

105年第二次遠征、106年デケバルス死、属州ダキア設置。

スラが死去。

ハドリアヌスは明確な後継指名は受けなかったものの、辛抱強く忠誠を尽くす。

アリメンタ制(児童扶助)や中産階級保護など内政にも努めたトラヤヌスは「至高の皇帝(オプティムス・プリンケプス)」の称号を得る。

ポントゥス・ビテュニア属州総督小プリニウスに宛てた、キリスト教徒への匿名密告は決して取り上げないようとの有名な手紙が残されている。

ハドリアヌスはエピクテトスに師事、ギリシアを訪問、ギリシア風に髭を生やすようになる。

113年対パルティア戦、ハドリアヌスは軍のナンバー2に就任、有能なクイントゥス・マルキウス・トゥルボを配下に置く。

115年には冬都クテシフォンを占領するが(夏都はエクバタナ)、長期保持はできず。

117年キリキアのセリヌスでトラヤヌス死、ハドリアヌスが即位。

陰謀があったとの説も囁かれるが、この種の噂は必ず出るものだし、結局真相は永久に不明でしょう。

即位後、領土拡張策は放棄され、防衛策に転換。

アルメニア・メソポタミア・アッシリアの三属州を放棄、ダキアのみを保持、これで高校世界史でも教えられる「トラヤヌス帝時代=最大版図」との図式が成立。

市民には不評であったが、この政策転換にはこの頃完成したタキトゥス『年代記』の影響があると書かれているのは、非常に面白かった。

つまりアウグストゥスのゲルマニア征服放棄方針を記述した史書の記述が、同時代の政治に影響を与えたわけである。

118年近衛長官アッティアヌスの告発で四人の執政官経験者を処刑(このアッティアヌスは幼少時の後見人と同名だが、両者がどういう関係なのか読み取れず)。

その四人は、アウルス・コルネリウス・パルマ、ルキウス・プブリウス・ケルスス、ルシウス・クイエトゥス、ガイウス・アヴィディウス・ニグリヌス。

(ルシウス・クイエトゥスは上のダキア遠征でのムーア人指揮官と同一人物だろう。)

対外的消極策に転換すると同時に内政面でも治世の安定を重視。

121~125年属州視察。

軍規を回復し、民生に配慮、キリスト教への穏健な態度を貫き、悪意の中傷者への怒りを示す(二代後の哲人皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝がキリスト教徒に厳しい政策を採ったのと対照的)。

この頃、諜報機関に務めていたスエトニウス(『皇帝伝』の著者)が解任されているが、真相は謎。

それによって『皇帝伝』のうち「ティベリウス伝」より後の章では公的な一次史料を使えなくなった。

ブリタニアで長城を建設、ヒスパニアで精神異常の男に切りつけられたが、その男を処罰せず、医者に引き渡したという、世界史上の著名人物の美談でもとりわけ印象的な話もこの時期。

(315ページの「一一二年の冬」という記述は「一二二年」の間違いでは?)

ビテュニアでは、当時15歳くらいの美少年アンティノウスと出会う。

ローマ法の発展の上で画期となった、ルキウス・サルウィウス・ユリアヌスによる『永久告示録』の制定。

法律・条令の他、法務官や属州総督の司法方針の告示を含む。

ハドリアヌスには男子がおらず、後継者問題が発生。

不仲の義兄セルウィアヌスの娘の子ペダニウス・フスクスが候補に浮上。

同時に元老院議員マルクス・アンニウス・ウェルスも重要人物に。

子と孫も同名で、子が死んで孫が祖父に育てられ、この孫が後にマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝となる。

再度の属州訪問。

ユダヤ属州にギリシア化政策を適用。

130年アンティノウスがエジプトで溺死。

事故か自殺か不明。

殺害説はさすがに根拠が薄い。

ローマ・エジプトともに人身御供の風習は無い。

しかし呪術への傾きからすると完全には否定しきれず。

アンティノウスは死後神格化され、ローマに忠誠を誓いつつギリシア的独自性を保つシンボルとして用いられる。

このように、ともかくも文明的融和を成し遂げたギリシアとローマとは違い、131~133年最後のユダヤ反乱が勃発。

それが鎮圧された後、ユダヤ人は故郷から追放され、20世紀まで続く民族離散となる。

ハドリアヌスは重い病を得て、周囲との軋轢が激しくなる。

最側近のクイントゥス・マルキウス・トゥルボすら失寵。

後継者として養子指名したのはルキウス・ケイオニウス・コンモドゥス。

(後に起こったことを考えると、やはり末尾の名は不吉だなあ・・・・・。)

彼をルキウス・アエリウス・カエサルと改名させる。

実は、即位直後に処刑された四人の元老院議員のうちの一人、ニグリヌスの継子がルキウス。

かつての敵対勢力との和解によって帝国の安定を確保するのがハドリアヌスの意図だったと思われる。

しかしそれに不満を持つフスクスらが陰謀の罪状で処刑され、セルウィアヌスにも死を与えられる。

同じ頃、妻のサビナも死去(これに不審な点は無い)。

ところが、肝心のルキウス・アエリウス・カエサルも病死。

結局、ティトゥス・アウレリウス・フルウィウス・ボイオニウス・アッリウス・アントニヌスが後継者となり、ティトゥス・アエリウス・ハドリアヌス・アントニヌスと改名、彼がアントニヌス・ピウス帝。

後継者アントニヌスは、故ルキウス・アエリウス・カエサルの子ルキウス・ウェルスとマルクス・アンニウス・ウェルス(後のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝)を養子とする。

厭世的になったハドリアヌスは自殺を望むが、アントニヌスの説得によって思いとどまり、138年に死去。

故皇帝への反発が渦巻く元老院に対して、アントニヌス・ピウスが抗弁、説得に努め、ハドリアヌスの神格化を決議。

殺された元老院議員の従兄である史家ディオ・カッシウスも、ハドリアヌスの統治を公平に評価。

一方、マルクス・アントニヌス・アウレリウス帝は、ハドリアヌスへの冷淡な態度を取り、親近感を持たず。

 

 

古代の通俗的史書『ヒストリア・アウグスタ』からの引用が多数。

京都大学学術出版会の西洋古典叢書から『ローマ皇帝群像』というタイトルで邦訳が出ているようだが、これを読みたくなってくる。

著者は大学の専門的研究者ではなく、ジャーナリスト出身。

ややレベルが高いかと思ったが、そんなことはない。

『ローマ人の物語』の該当巻を事前に読むくらいなら十分。

同じ白水社からキケロ伝とアウグストゥス伝も出ている。

ローマ社会の背景説明が巧み。

各章がそれほど長くなく一定で、読みやすい。

一日2、3章ならペースを掴みやすくて、楽に読める。

1週間から10日で通読可能。

必読とまでは言いませんが、機会があれば、手に取ることをお勧めします。

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