万年初心者のための世界史ブックガイド

2014年10月29日

ユーゴー 『レ・ミゼラブル  全4巻』 (岩波文庫)

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誰もがタイトルと主人公ジャン・ヴァルジャンの名は知っている名作。

明治時代に黒岩涙香が作った「ああ無情」という邦題はもはや消えてしまいました。

分厚い文庫本4冊だが、思い切って手に取ってみました。

訳者(豊島与志雄氏)前書きに書いてある年が1917年というのにまず驚く。

およそ一世紀前の訳か。

しかし、その後、手を加えられたこともあり、訳文に極端な古さは感じない。

ただ一点、修道女に対して「童貞さん」と呼びかける台詞があって、「うん?」となったが、辞書を引くと確かにカトリックの修道女という意味が出ている(この意味では現在ほとんど死語だが)。

全体の構成は、第一部が「ファンティーヌ」、第二部「コゼット」、第三部「マリユス」、第四部「叙情詩と叙事詩」、第五部「ジャン・ヴァルジャン」。

ファンティーヌはコゼットの母だが、冒頭で登場するのは主人公ジャン・ヴァルジャンと彼を改心させるミリエル司教で、実質この2人を中心に物語が始まる。

読み進めて行くと気付くのが、我々が普通考える小説とは随分色合の異なる、作者ユーゴーが直接的に読者に語りかけるような部分が極めて多く、物語がそれによってしばしば寸断されること。

ワーテルローの戦いなどの歴史的事実に関する描写と、修道院やパリの下水道についての薀蓄、ユーゴー自身の見解を述べる歴史論などがそう。

司馬遼太郎の歴史小説を読んだことのある人なら、「ああ、あれか」と思って頂けるでしょう。

以下、主にそうした史論を読んだ個人的感想を書き連ねていきます。

まずミリエル司教と、近隣住民から蛇蝎視されて孤独に過ごし、死を目前にした国民公会の元議員との対話。

この男が堂々と革命を擁護し、以後、保守的な王党派だったミリエルが進歩という観念に寛容になるという筋なのだが、どうも首を傾げる。

元議員は「93年」の恐怖政治を不幸な逸脱と認めつつ、旧体制の悪を引き合いに出して、未来の進歩のためには将来それも許されることになるだろうと述べるが、全く説得的に思えない。

信仰を重視し無神論を非難するミリエルに対し、元議員は信仰の必要性は認めながら、既存教会の権威を否定して一種汎神論的考えを述べるが、それすら捨て去り醜行と愚劣に耽っているのが20世紀以降の我々民衆の姿ではないでしょうか。

次いで子供の頃から知っている銀の燭台の話になるが、お決まりとは言え、やはりある種の感動は禁じ得ない。

で、ワーテルローの戦いの描写とユーゴーの歴史論が延々続く。

戦いの具体的経緯については、ジョフラン『ナポレオンの戦役』と違って、やはり英軍が持久しているうちにプロイセン軍が殺到して勝敗を決したという、オーソドックスな記述になっている。

ナポレオン1世が敷いた専制は認めつつ、諸王国に対して革命の理念を防衛し広めたという理由で、ユーゴーはワーテルローの敗北を悲しまない自由主義の一派に同意しない、と言う。

そして英普軍の勝因について、ウェリントン個人の功績を過大評価する見方に反対して、

彼[イギリス]はなお、かの1688年およびフランスの1789年の両革命後においても、封建的の幻を有している。彼はなお世襲制および階級制を信じている。強大と光栄とにおいて他にすぐれたるその民衆は、民衆としてでなく国民として自尊している。民衆でありながら、しかも好んで服従し、頭として一人の君主を戴いている。

と批判的に記しているが、このような態度を持したイギリスが、著者の祖国フランスを含めた他の国々よりもはるかによく、秩序ある自由を実現したことを、ユーゴーはどう考えるのだろうか?

彼自身も祖国の抑圧を逃れて、英国統治下の島に亡命していたというのに。

世襲身分制による秩序およびそれと結びつく伝統的教会は否定しつつ、民衆を教化し自制に導く信仰の必要は認める記述があるが、既存の教会を破壊した後に、左右の全体主義という邪悪な狂信に易々と絡め捕られた大衆を考えると・・・・・・。

第三部に入ると、王党派である母方の祖父と、ナポレオン時代の軍人だった父を持つマリユスという青年が登場し、王党派からボナパルティスト、そして共和主義者へと変化していく様が描かれていて、これはユーゴー自身をモデルにしているという説もあるそうですが、彼を共和主義思想に導く「ABCの友」という急進派青年団体の描写を読んでも、率直に言って嫌悪感しか感じない。

伝統的で権威主義的な旧体制の悪を一方的に排撃し、その後新体制を作り上げる自分達の資質については一片の自己懐疑も抱かないような連中なら、勝利を占めた後、旧体制に倍する悪を生み出して御仕舞だろうという気がするし、実際そうなっている。

マリユスが20世紀に生きていたら、ファシストやコミュニストになり、21世紀では酷薄・低劣な新自由主義者に「進化」するんでしょうね、と嫌味を言いたくなる。

個人的には、マリユスの祖父で旧世代の代表者たるジルノルマン氏の言動にむしろ共感してしまう。

また、フランスとパリは革命の光の根源だ、ナポレオン戦争はそれを広めたと書かれているが、この種のナショナリズムの低俗さには寒気がします。

「自国民による最悪の支配は、外国人による最善の支配に勝る」というのは基本原則としては正しいと思いますが、それにも限度があります。

1789年のフランス、1917年のロシア、1933年のドイツのように、自国が致命的な病に冒され、残念ながら自力ではそれを排除できる見込みが全く無いのなら、私はたとえ一時的に外国軍隊の力を借りてでも、自国が醜悪・愚劣を極める民衆の集団ヒステリーから解放されることを望みます。

もちろんそれに対して深甚な遺憾の念を持ち、一国も早く独立を回復する努力をすることが大前提ですが。

このように書くと、日本が戦前の軍国主義から米国によって「解放」されたことを念頭に置いていると思われるかもしれません。

ですが、それは全く違います。

「民衆世論の暴走の結果としての軍国主義」を民主主義の名の下に断罪する欺瞞を、私がどれほど馬鹿馬鹿しいと考え、心底から軽蔑しているかは、古川隆久『昭和天皇』(中公新書)の記事等をお読み下さい。

1688年の革命は1830年と同じく中途半端な革命だ、とユーゴーは書いているが、イギリスはそこで踏み止まったからこそ、秩序ある安定した自由を得たんでしょうと言いたい。

本文中に社会主義には好意的だが、共産主義を否定する記述があるが、そんな考慮は民衆はいとも簡単に捨て去り、最も極端な狂信と暴力に走ることは世界史が実証してます。

さらに、ジャックリー(民衆暴動)への懸念を語った後、大革命がジャックリーの免疫になったと言うが、驚くべき発言ではある。

革命自体が最も悪質・大規模なジャックリーであり、そんな恐るべき発作と痙攣を定期的に起こす民衆なら、絶対王政の抑圧と束縛も大いに有益だったと思わざるを得ない。

それから物語の舞台はオルレアン朝時代に移るが、七月革命の詳しい描写は無く、七月王政下1832年共和主義者の反乱へと続く。

この後半部クライマックスの反乱は、七月革命時のものと紹介されることが非常に多いですが(私も実際読むまで勘違いしてました)、あくまで七月王政下の出来事です。

それに関連して直接物語には出て来ないが、1848年の六月暴動は痛ましいものの、共和国への反乱なので鎮圧されねばならなかったとしているが、そうした政治的暴力が20世紀には日常茶飯事となり、そこから生まれた体制が人類の半分を支配したことを知れば作者は何と言うのだろうか。

それでも「進歩」への確信を語るのだろうか。

通俗的進歩主義者としての肖像がすっかり定着しているユーゴーだが、その彼も二月革命時には以下のような言動を取っていたはずである。

上院議員として政界でも活躍していたユゴーは、先ず、ルイ-フィリップの退位を労働者に伝え、次に、ルイ-フィリップの孫パリ伯爵の即位、オルレアン公妃摂政という形で立憲王政を存続させること、これが、ルイ-フィリップの意向であり、同時に、ユゴー自身の意向だと告げ知らせた。「譲位ではなく、王政廃止を!」「フランス上院議員黙れ!」怒号が上がり、労働者の一人がユゴーに銃口を突きつけた。ユゴーは、その労働者を見据えながら高く声を励まして言う。「そうです、私は、フランス上院議員です。フランス上院議員として述べるのです。私は、忠順を誓いました。国王その人に対してではなく、立憲王政に対して忠順を誓ったのであります」。怒号が渦巻き、ユゴーは台座を下りなければならなかった。

・・・・・・

労働者の威圧に屈して、議会が共和政を宣言した二月二十四日夜半、ユゴーは、ヴォージュ広場に面した書斎で無念の気持ちをノートにぶつける。「あゝ憐れむべき無自覚、盲目な大衆!彼らは、己れの欲するところも知らず、欲せざるところも知らぬのである」。

伊東冬美『フランス大革命に抗して』(中公新書)より)

こうした懐疑心をその後どうして捨て去ってしまったのか?

本作中には、ルイ・フィリップその人への比較的好意的な記述以外にその痕跡すら見当たらない。

そもそも、ユーゴーの政治的姿勢については、よく以下のような文章で紹介されますよね。

「ユーゴーはナポレオン3世の独裁に反対し、共和主義を貫き通した。」

この文章、ちょっとおかしくないですか?

「いや別におかしくないだろう、こんな短い文章のどこに間違いがあるんだ?」という声が聞こえてきますが、本当にそうでしょうか?

もう一度、よーく考えて下さい。

大革命以来、19世紀の近代フランス史を思い起こしながら。

何を言いたいのかというと、「ナポレオン3世は、根本的には世襲原理に基づいて政権を握ったわけではないでしょう?」ということなんです。

もし仮に、ナポレオン1世がライプチヒやワーテルローで敗れることなく、フランスで帝政が続き、マリ・ルイーズとの子がナポレオン2世として帝位を継ぎ、それから従兄弟のナポレオン3世が即位した、というふうに歴史が展開していたとするならば、まだ話はわかる。

(それでも大革命による伝統的君主政崩壊の後に、ごく近年新たに領土に加えられたコルシカ島の、言うに足りない貧乏貴族の一員が国民の支持を得て帝位に登ったという根本的事実は変えようがないが。)

でも実際は全く違うわけです。

ルイ・ナポレオンは二月革命後に生まれた第二共和政の下で、選挙によって圧倒的支持を得て、大統領に選ばれて権力を握ったんです。

しかも、男子直接普通選挙で。

当時考えられる限り、申し分の無い、完璧な民主的方法での選出です。

(ここで、民衆の半分の女性を排除した選挙方法など「普通選挙」の名に値しない、女性に選挙権が与えられていたならば、全く異なった結果が出たはずだと主張するのは、女性一般の政治意識を蔑むのと同じくらい的外れに思える。)

「いや、大統領に就任したその後、ルイ・ナポレオンはクーデタを起こし、暴力で帝政を始めたじゃないか、ユーゴーはそれに反対したんだ」とおっしゃる向きがあるかもしれませんが、それも人民投票で完全に国民の事後承諾を得ています。

12月20日と21日の2日間、布告で予告された国民投票が行われ、743万9216票の「ウイ」に対して、「ノン」はその一〇分の一以下の64万6737票。投票をボイコットした有権者が160万近くあったが、それでも圧倒的多数の国民がルイ=ナポレオンのクー・デタに賛成投票をしたのである。クー・デタがユゴーのいうように犯罪だったとするなら、フランスはその犠牲者ではなく、共犯者だったのである。

・・・・・・

国民投票は11月21日と22日の両日にかけて実施され、96パーセントという圧倒的多数で、フランス帝国再建を承認した。票数は、782万4000票の賛成に対し、わずか25万3000票の反対のみ。

もっとも、全国で、200万人の有権者が棄権したので、帝政復活に賛成しない者が四人に一人はいた計算になる。

しかし、それでもなお、フランス国民のほとんどが帝政の復活を承認したのは、動かしがたい事実であり、ルイ=ナポレオンが国民を欺いて、無理やり皇帝になったという議論は有効性を持たない。ペルシニーのいうように、ルイ=ナポレオンは国民の圧倒的な声に推されて、「いやいやながらも皇帝になった」のである。

鹿島茂『怪帝ナポレオン三世』より。ただしこの本はナポレオン3世を肯定的に評価する視点から書かれている。)

どこをどう考えても、ナポレオン3世が非民主的手段で権力の座に就いたとは言えない。

つまり、上に挙げたユーゴーについての文章が意味を持つためには、その中の「共和主義」という言葉を民主主義に反するものと解釈するしかないし、そうしないと辻褄が合わないわけです。

そして本来の意味の共和主義とは、実はそういうものなんです。

リパブリカンは「共和制」と訳されています。そして、あろうことか、共和政体によっては、世襲君主[モナーク]が否定される、と受け取られていることが多いのです。「公民[パブリック]」の抱く公心にかかわる「物事[レス]」、それを審議・審決するのがリパブリカンということでしょう。だから、この公心のなかにモナーク(主君)の受容という態度があるのなら、共和制と君主制が矛盾するわけがありません。少なくとも立憲君主制は、その憲法が公民に支持されているかぎり、共和制の一種でありうるのです。

どだい、リパブリックを共和と訳すのには無理があります。ごく素直に公民制としておけば、民衆の公心が政治の基礎であることを示すこともできて、好都合ではありませんか。以下で公民制というのはリパブリックに対応すると御承知おき下さい。

君主であれ貴族であれ、国家の政治をあずかるには、公心の持ち主として指導者の地位に就くのです。しかし、単独者である君主や少数者である貴族は、彼らにたいする批判勢力が公共の場にいないため、私心に流れ溺れることが少なくありません。公民政治が最善の政体と思われるのは、人々の私心によって政治が左右されるのを防ぐことができるという点にあります。

民衆政治と公民政治は同じではありません。公民政治にあっては、民衆が私心を(政治の場において)抑制する必要があると、あらかじめ宣言されております。したがって、いかなる条件がある場合に民衆が公心を手放さないでおれるか、ということが公民制にあっては絶えず問い直されるのです。

・・・・・民衆の歴史的常識にもとづく輿論[よろん]ならば公民の判断といえましょう。しかしデマゴギーに汚された世論[せろん]なんかは、民衆の人格心の喪失と規範心の弱化にもとづく、不平不満の情念そして既成利得への帰属心といった私心の掃き溜めであるといってかまいません。

(西部邁『文明の敵・民主主義』(時事通信社)より)

真の意味での共和主義とは、君主制的要素と貴族制的要素と民主制的要素が相互に抑制し合い均衡することを目指すもののはずである。

それが、通俗的意味の共和主義という言葉では、単に世襲君主と貴族身分の存在に反対する思想ということになってしまっている。

君主や貴族がますます消えつつある近現代の世界ではあるが、真の共和国には実はそれらの存在が不可欠である。

ユーゴーがそれを理解していたとはどうしても思えない。

以前、塩野七生『ローマ人の物語』最終巻の記事で、「共和政末期に民衆派と閥族派が争って、民衆派が勝ったのにやってきたのは共和政の崩壊と帝政の樹立だったという史実を妙に感じませんでしたか?」という問いを皆様に投げかけました。

似たようなことを、この時代の英仏史についてやってみましょうか?

二月革命によって、制限選挙制に固執した七月王政が打倒されたフランスでは、上記の通り男子普通選挙制が実現しています。

高校教科書にも出てくる、「農民が保守化したため社会主義者が大敗し、六月暴動のきっかけになった四月総選挙」やルイ・ナポレオンの大統領当選、クーデタ承認、帝政樹立の各国民投票など、すべて男子普通選挙です。

では、同時期のイギリスの選挙権はどうだったでしょうか?

「いや、そんなこと知らないよ」と言う方も多いでしょうが、教科書に19世紀イギリスの自由主義的改革の項目で、選挙法改正の話が出てくるじゃないですか。

完全に高校世界史の範囲内です。

1832年第1回選挙法改正で産業資本家が参政権を得て、1867年第2回で都市労働者が、1884年第3回で農業・鉱山労働者、第一次大戦後1918年第4回で男子普選と30歳以上の女性、1928年第5回で完全普通選挙という流れでした。

つまり二月革命後の時点では、明らかにイギリスよりフランスの方が民衆の参政権が広く認められているんです。

しかもイギリスでは、選挙権が拡大していっても地方の名望家が勢力を保ち、伝統的な上層階級が長く政治を指導し続け、そうした基礎の下に安定した二大政党制と間接民主制としての議員内閣制が運営されていった。

制度的には貴族院という非民主的な制度が歯止めとして存在したことも忘れてはならない。

そして国の頂点には常に世襲の国王が在位し、国の元首を国民の直接投票で選ぶような体制でなかったことは言うまでもない。

19世紀半ば、イギリスとフランスでどちらがより民主化が進展していたかを考えれば、明らかにフランスの方が民主的だったはずです。

ここで、「さすが革命の祖国フランスだ、議会制度の先達であるイギリスより民主主義において進歩してるじゃないか」なんて単純に感心されたら困るんです。

より民主化が進展していたフランスがナポレオン3世という独裁者の下に易々と屈した一方、世襲の君主と貴族が存在し非民主的要素を多く残存させていたイギリスが安定した自由と議会政治を保持しえたのは何故なのか自問自答して頂きたいんです。

結局、フランス史において、「王政」と「帝政」は、その拠って立つ原理が全く違うんですよ。

他の国々、ドイツやロシア、中国等では、皇帝は多民族を統治する君主、あるいは各国国王のさらに上に君臨する存在ということであり、王政も帝政も、君主政という大きなカテゴリの中のヴァリエーションに過ぎないわけです。

日本の天皇も、本質的に祭祀王であり文化的元首ともいうべき天皇をエンペラーと表現するのが適当かどうか議論はあるでしょうが、基本的に同じです。

一方フランスは違います(上で少し触れたようにローマ史においてはフランス史に近いところがあると思えます)。

フランス史において、帝政とは(世襲原理という伝統と貴族・聖職者階級に支えられた王政とは異なり)、はっきり言えば醜悪な民衆の狂気と愚行が生み出した独裁政であり、表面上のみ君主政の衣を被った奇形的民主政なんです。

フランス的(ローマ的)帝政は君主政的原理ではなく民主政から生まれたものであり、それでいてどんな世襲国王よりも強大な権力を振るう独裁政治であり、20世紀以降の左右の全体主義の不吉なプロトタイプです(ただし、さすがに私も両ナポレオンをヒトラー・スターリンと完全に同一視するつもりはありません)。

確か本作のどこかで、多少の紆余曲折はあっても民衆の勝利は長い目で見れば確実だ、みたいなことが書いてあったと思います。

確かにその通りなんです。

民衆は間違い無く勝利するんですよ。

本書の後半部で描かれる共和主義者の暴動は鎮圧されるが、そこからわずか十数年後には二月革命で民衆は蜂起し、七月王政を打倒する。

以後フランスでは、ブルボン家・オルレアン家を問わず、二度と世襲王権が登位することはない。

共和政が敷かれ、世襲身分は否定され、全ての人々が平等となり、あらゆる政治権力は民衆の意志のみをその根源とすることとなった。

そうして、民衆は誰に強要されるのでもなく、自らの自由な意志でナポレオン3世という独裁者を選び出し、それに服従したんです。

その独裁が対外敗戦によって崩壊した後も、不安定な政体の下で国の分断と社会不和という病を深刻化させ、20世紀にも左右の全体主義に転落することをようやく免れたものの、1940年には自分達が1789年に生み出した疫病に感染した隣国に惨めに征服される。

戦後は戦後で、人類史上初の全体主義を生み出した惨劇を「自由・平等・友愛」の名の下に美化・粉飾し、国際政治上のアングロ・サクソンへの反発もどこへやら、独露等の諸国と違って、米英仏は「民主的伝統」を持つ国家だ、などと米英に擦り寄っているのが実情です。

(こうした見方はフランスという国に好意的な方を激昂させるかもしれませんが、私は日本人が持つ「不十分な民主主義のために戦争の惨禍を味わったが、戦後民主化されて自由と繁栄を享受するようになった」という自国史イメージもそれに劣らない程、欺瞞に満ちていると思っています。上でもリンクした古川隆久『昭和天皇』(中公新書)井上寿一『山県有朋と明治国家』(NHKブックス)等の記事をご覧下さい。)

やはり作者のユーゴーは何か根本的な思い違いをしているんじゃないでしょうか。

社会悪の根源は旧き少数の特権者等ではなく、多数者たる民衆の内にこそあるはず。

物語の中で主人公を追い詰め、害そうとする宿敵のうちでも、ジャヴェル警視には偏狭ながらもある種の正しさを秘めているが、コゼットを虐待するテナルディエには誰もが嫌悪を禁じえないでしょう。

このテナルディエは、物語の末尾においてもそれに相応しい報いを受けることなく、新天地に旅立ち、そこでまた別種の悪に手を染めることが述べられています。

ミリエル氏のような人物がいても改心を促せるどころか、誹謗中傷の的にされ、我々民衆の誰も彼もが、多少の程度の差はあれ、皆テナルディエになってしまったのが、現下の大衆社会ではないでしょうか。

それに比べて、同じ文豪でもゲーテはよくわかっています。

フランスの悲しい運命を 偉い人たちはとくと考えてほしい

だが それをもっとよく考えねばならないのは下々の者たちだ

偉い人たちは滅んだ―しかし民衆を民衆の手から

守るのは誰だ? フランスでは民衆が民衆の上に専制を布いた

(『ヴェネツィアのエピグラム(格言詩)』)

 

多勢、多数は、必然的にいつもばかでまちがっている。

なぜなら多数は快適であり、誤りは常に真実よりもはるかに快適なのだ。

(『対話録』)

 

坂井栄八郎『ゲーテとその時代』(朝日選書)より)

ただ、ある文学事典では、第二帝政の崩壊によって帰国したユーゴーだったが、パリ・コミューンの後は政治から距離を置くようになったと書かれているのを読んだ記憶がある。

それを考えれば、あまり単純に作者の思想を捉えるのは間違いかもしれない。

しかし、あくまで本書に関して言えば、合間合間に披露される著者の歴史観・社会観・人間観には何一つ同意できる部分が無い。

さて、ここまで書いてきて、本書の文学としての個人的評価を述べますと・・・・・・。

これだけ悪口めいたことを書き連ねておいて、と呆れ返る人が多いでしょうが、評価は4を付けたいと思います。

何より、ストーリー自体はやはり感動的で、偉大な作品と言うほかない。

荒唐無稽だろうが、ご都合主義だろうが、お涙頂戴だろうが、物語は、やはり素晴らしい。

これだけの長編でありながら、本当に一気に読ませる。

第三部第八編のジャン・ヴァルジャンとテナルディエとの対決シーンなど、これからどうなるのかと、ぐいぐい引き込まれれる。

分量の割には、挫折する恐れは非常に小さいと思う。

これだけ有名な作品で、読了はそれほど難しくないのだから、できればこなしておきたい本です。

私はそうでもなかったが、訳文の古さが気になる方はちくま文庫の新訳の方がいいかもしれません。

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