万年初心者のための世界史ブックガイド

2014年7月26日

引用文(内田樹7)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 03:18

「週刊現代」 2011年1月15日22日合併号より。

・・・・・いまメディアの劣化によって、若い人たちの「メディア離れ」が急速に進行しています。新聞も読まない、テレビも見ない、もちろん週刊誌も読まない。必要な情報はすべてネットで手に入ると彼らは豪語します。

メディアの質が下がっているのは事実です。でも、マスメディアに背を向ける人々が、ネット上に氾濫する情報の中から良質なものとデマゴギーを識別する訓練を受けているわけではない。

そのことを僕は懸念しているのです。

ネット上には、マスメディアであれば常識や慣行や市場の淘汰圧などによって排除されていたはずの空疎なデマゴギーがほとんど制限を受けることなく流布しています。

デマゴギーはしばしば「マスメディアが抑圧していた不都合な真実」を名乗ります。その名乗りの当否を吟味できるだけの批評的な訓練を受けていない人々に向けて無数の情報が浴びせかけられている。

そのほとんどは匿名のものであり、生身の身体によって担保されている情報をネット上で探すのは、砂漠から砂金の粒を拾い出すほどむずかしい。

僕はこの現状を手放しで喜ぶ気になれません。

これまで凡庸で定型的なマスメディアを批判してきた知的な人たちは、これからもネット上にあふれる情報をてきぱきと処理してスマートに生きてゆくことができるでしょう。

彼らはいわば「マスメディアを上方に離脱する人々」です。けれども、その一方に、「マスメディアから下方に離脱する人々」も出てきています。

彼らはマスメディアの提供する定型的言説さえ実は理解できていなかったのに、「マスメディアの情報はクズばかりだ」という批判の言葉だけは丸呑みしてしまった。

つまり、今マスメディアから「情報貴族」と「情報難民」という二つの社会集団が離脱しつつあるということです。

僕たちが問題にしなければならないのは後者です。彼らはシンプルで薄っぺらな物語に簡単にアディクトしてしまう。その傾向はマスメディアが助長してきたものです。

その一方で、マスメディアに対する不信はネット上に氾濫するメディア批判の言説から学習してしまっている。この社会集団はまだ少数にとどまっていますが、急速に増加しつつあります。彼らは紛れもなくマスメディア自身が生み出した存在です。

「不都合な真実」でさえあれば何でも信じてしまうこの「自分には批評性があると思い込んでいる軽信者たち」の増大をどうやって抑止するか。

僕はそれがマスメディアの喫緊の課題だろうと思っています。

内田樹 他 『有事対応コミュニケーション力』(技術評論社)より。

・・・・・今はどんどんメディアが多様化していき、良質な情報にアクセスできる人は、かつてのような日刊紙とNHKのニュースだけから情報をとる時代と比べて、桁違いに良質な情報を手に入れることができる。でも、その対極に、そもそも新聞さえ読まないという人が大量に発生している。「ふつう誰でもこれくらいのことは知っているだろう」という情報における中流のラインというのが消滅しつつある。

情報における下層の人たちは自分の個人的な興味でネットから適当にトピックを選んで、流言飛語の類も含めて、そういうものを真実だと思い込んでしまっている。

僕は「情報難民」と呼んでいますけれども、彼らはもう新聞を読まない、テレビのニュースも見ない。ネットにだけアクセスする。

たしかにネット上には他では得がたい有用な情報も飛び交っていますけれど、同時に99%はジャンク情報なわけです。ネット上で良質な情報を選択的に拾い上げるためには、高いメディア・リテラシーが要るのだけれど、そのような能力を育成するチャンスはほとんど提供されていない。

でも、ネットにおける情報難民たちは、自分たちが選択している個人的なバイアスがかかりまくった流言飛語の類をしばしば「良質なインサイダー情報」だと勘違いしている。マスメディアが報道しない、新聞にもテレビにも出ないから、「これこそ真実なのだ」という逆転した推論を行っているわけです。

ネット上の情報では「市場の淘汰圧」が機能しない。マスメディアは一応商売だから、市場に流布させるだけの価値があるかどうかについて事前のスクリーニングをかけているけれど、ネット上の情報は商売じゃないから、誰もチェックしない。その結果、「マスメディアには絶対載らないジャンクな情報」が「マスメディアでは絶対報道されない極秘情報」と同一視されるという混乱が起きる。そして、情報難民たちはジャンク情報を極秘情報だと勘違いする。それによってますますメディア・リテラシーの格差がきわだって、情報の階層性が再生産される。この情報格差の進行はたいへんな勢いで進んでいると思います。

もともと日本は、情報に関してはかなり非階層的な、フェアな社会だったと思うんですよ。かつて、日本にはクオリティペーパーがないとよく言われました。知識人たちは日本には『ル・モンド』や『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』のような新聞がないと怒っていました。でも、それは情報の階層性ということを見落とした議論だと思う。『ル・モンド』なんて実売35万部ですからね。フランスは総人口6000万人ですから、『ル・モンド』のようなクオリティペーパーを理解できるのは人口の5%くらいということなんです。階層ごとに読む新聞が違う。左翼は『リベラシオン』、右派は『フィガロ』、市井の人は『フランス・ソワール』やスポーツ新聞を読んで、もっと階層が下の人たちはそもそも字がよく読めないから新聞なんか読まない。そういうかたちでメディアが階層化している。階層化しているから「上質なメディア」もありえたわけです。日本にクオリティペーパーがなかったのは、知的にも1億総中流だったからです。数千万の読者がだいたい同じようなレベルの、同じような質の情報を享受できていたわけです。これが日本の高度成長を支え、市民道徳を支え、出版文化を支えてきた。でも、そのシステムがいま瓦解しようとしている。ヨーロッパほど階層が静態的ではないから、今非常に流動性が高いままに、情報格差と階層化がリンクしている。僕はそちらのほうにずっと危険性を感じるんです。

マスメディアにさまざまな欠点があることは僕も認めます。多くの点で上杉さんのマスメディア批判に僕も同意するんですけれど、ああいう種類の惰性の強いメディア、ある範囲内にすべての出来事を押し込めてしまって、体制の根幹を覆すような情報を隠蔽し続けるという抑圧的なメディアは実は「体制の重石」としても機能していたわけです。プラスとマイナスは表裏一体です。このあと、マスメディアが没落し、民放テレビのいくつかがなくなり、新聞は部数が激減し、日本のマスメディアがなくなった後に起こるのは、情報のデモクラシーではなく、むしろ情報のアナーキーだと僕は思います。

そして、アナーキーな情報環境でいちばん収奪され、いちばん苦しむのは、情報のアナーキーをもろ手を挙げて歓迎している当の情報難民たちなんです。

情報難民の大量発生というのは、言い換えると「世の中の成り立ちがよくわからない(でも、本人は熟知している気になっている)人たち」が大量発生するということです。

これはきわめて危機的な状況だと僕は思う。だから、僕はメディアの人に会うと苦言を呈するんです。もう少しこの層のことをまじめに考えて欲しい、と。ジャーナリストの諸君が失業するのはしかたない。自己責任なんだから。

でも、日本の情報格差がこのまま進行して、世の中の成り立ちについても、人の道についても、何もわかっていない大量の若者たちを抱えこんだときに、私たちはいったいどうすればいいのか。その社会的コストを誰が負担するのか。

そのことをもう少しまじめに考えてもらいたい。じゃあ、どうすればいいんだと訊かれても、僕にはかばかしい答えがあるわけじゃないんですけど。

 

 

大長編を含む文学の読書に集中したいのと、他の分野でもノートを書き溜めないといけないので、また当分の間更新を停止させて頂きます。

再開未定です。

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