万年初心者のための世界史ブックガイド

2014年7月26日

引用文(内田樹7)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 03:18

「週刊現代」 2011年1月15日22日合併号より。

・・・・・いまメディアの劣化によって、若い人たちの「メディア離れ」が急速に進行しています。新聞も読まない、テレビも見ない、もちろん週刊誌も読まない。必要な情報はすべてネットで手に入ると彼らは豪語します。

メディアの質が下がっているのは事実です。でも、マスメディアに背を向ける人々が、ネット上に氾濫する情報の中から良質なものとデマゴギーを識別する訓練を受けているわけではない。

そのことを僕は懸念しているのです。

ネット上には、マスメディアであれば常識や慣行や市場の淘汰圧などによって排除されていたはずの空疎なデマゴギーがほとんど制限を受けることなく流布しています。

デマゴギーはしばしば「マスメディアが抑圧していた不都合な真実」を名乗ります。その名乗りの当否を吟味できるだけの批評的な訓練を受けていない人々に向けて無数の情報が浴びせかけられている。

そのほとんどは匿名のものであり、生身の身体によって担保されている情報をネット上で探すのは、砂漠から砂金の粒を拾い出すほどむずかしい。

僕はこの現状を手放しで喜ぶ気になれません。

これまで凡庸で定型的なマスメディアを批判してきた知的な人たちは、これからもネット上にあふれる情報をてきぱきと処理してスマートに生きてゆくことができるでしょう。

彼らはいわば「マスメディアを上方に離脱する人々」です。けれども、その一方に、「マスメディアから下方に離脱する人々」も出てきています。

彼らはマスメディアの提供する定型的言説さえ実は理解できていなかったのに、「マスメディアの情報はクズばかりだ」という批判の言葉だけは丸呑みしてしまった。

つまり、今マスメディアから「情報貴族」と「情報難民」という二つの社会集団が離脱しつつあるということです。

僕たちが問題にしなければならないのは後者です。彼らはシンプルで薄っぺらな物語に簡単にアディクトしてしまう。その傾向はマスメディアが助長してきたものです。

その一方で、マスメディアに対する不信はネット上に氾濫するメディア批判の言説から学習してしまっている。この社会集団はまだ少数にとどまっていますが、急速に増加しつつあります。彼らは紛れもなくマスメディア自身が生み出した存在です。

「不都合な真実」でさえあれば何でも信じてしまうこの「自分には批評性があると思い込んでいる軽信者たち」の増大をどうやって抑止するか。

僕はそれがマスメディアの喫緊の課題だろうと思っています。

内田樹 他 『有事対応コミュニケーション力』(技術評論社)より。

・・・・・今はどんどんメディアが多様化していき、良質な情報にアクセスできる人は、かつてのような日刊紙とNHKのニュースだけから情報をとる時代と比べて、桁違いに良質な情報を手に入れることができる。でも、その対極に、そもそも新聞さえ読まないという人が大量に発生している。「ふつう誰でもこれくらいのことは知っているだろう」という情報における中流のラインというのが消滅しつつある。

情報における下層の人たちは自分の個人的な興味でネットから適当にトピックを選んで、流言飛語の類も含めて、そういうものを真実だと思い込んでしまっている。

僕は「情報難民」と呼んでいますけれども、彼らはもう新聞を読まない、テレビのニュースも見ない。ネットにだけアクセスする。

たしかにネット上には他では得がたい有用な情報も飛び交っていますけれど、同時に99%はジャンク情報なわけです。ネット上で良質な情報を選択的に拾い上げるためには、高いメディア・リテラシーが要るのだけれど、そのような能力を育成するチャンスはほとんど提供されていない。

でも、ネットにおける情報難民たちは、自分たちが選択している個人的なバイアスがかかりまくった流言飛語の類をしばしば「良質なインサイダー情報」だと勘違いしている。マスメディアが報道しない、新聞にもテレビにも出ないから、「これこそ真実なのだ」という逆転した推論を行っているわけです。

ネット上の情報では「市場の淘汰圧」が機能しない。マスメディアは一応商売だから、市場に流布させるだけの価値があるかどうかについて事前のスクリーニングをかけているけれど、ネット上の情報は商売じゃないから、誰もチェックしない。その結果、「マスメディアには絶対載らないジャンクな情報」が「マスメディアでは絶対報道されない極秘情報」と同一視されるという混乱が起きる。そして、情報難民たちはジャンク情報を極秘情報だと勘違いする。それによってますますメディア・リテラシーの格差がきわだって、情報の階層性が再生産される。この情報格差の進行はたいへんな勢いで進んでいると思います。

もともと日本は、情報に関してはかなり非階層的な、フェアな社会だったと思うんですよ。かつて、日本にはクオリティペーパーがないとよく言われました。知識人たちは日本には『ル・モンド』や『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』のような新聞がないと怒っていました。でも、それは情報の階層性ということを見落とした議論だと思う。『ル・モンド』なんて実売35万部ですからね。フランスは総人口6000万人ですから、『ル・モンド』のようなクオリティペーパーを理解できるのは人口の5%くらいということなんです。階層ごとに読む新聞が違う。左翼は『リベラシオン』、右派は『フィガロ』、市井の人は『フランス・ソワール』やスポーツ新聞を読んで、もっと階層が下の人たちはそもそも字がよく読めないから新聞なんか読まない。そういうかたちでメディアが階層化している。階層化しているから「上質なメディア」もありえたわけです。日本にクオリティペーパーがなかったのは、知的にも1億総中流だったからです。数千万の読者がだいたい同じようなレベルの、同じような質の情報を享受できていたわけです。これが日本の高度成長を支え、市民道徳を支え、出版文化を支えてきた。でも、そのシステムがいま瓦解しようとしている。ヨーロッパほど階層が静態的ではないから、今非常に流動性が高いままに、情報格差と階層化がリンクしている。僕はそちらのほうにずっと危険性を感じるんです。

マスメディアにさまざまな欠点があることは僕も認めます。多くの点で上杉さんのマスメディア批判に僕も同意するんですけれど、ああいう種類の惰性の強いメディア、ある範囲内にすべての出来事を押し込めてしまって、体制の根幹を覆すような情報を隠蔽し続けるという抑圧的なメディアは実は「体制の重石」としても機能していたわけです。プラスとマイナスは表裏一体です。このあと、マスメディアが没落し、民放テレビのいくつかがなくなり、新聞は部数が激減し、日本のマスメディアがなくなった後に起こるのは、情報のデモクラシーではなく、むしろ情報のアナーキーだと僕は思います。

そして、アナーキーな情報環境でいちばん収奪され、いちばん苦しむのは、情報のアナーキーをもろ手を挙げて歓迎している当の情報難民たちなんです。

情報難民の大量発生というのは、言い換えると「世の中の成り立ちがよくわからない(でも、本人は熟知している気になっている)人たち」が大量発生するということです。

これはきわめて危機的な状況だと僕は思う。だから、僕はメディアの人に会うと苦言を呈するんです。もう少しこの層のことをまじめに考えて欲しい、と。ジャーナリストの諸君が失業するのはしかたない。自己責任なんだから。

でも、日本の情報格差がこのまま進行して、世の中の成り立ちについても、人の道についても、何もわかっていない大量の若者たちを抱えこんだときに、私たちはいったいどうすればいいのか。その社会的コストを誰が負担するのか。

そのことをもう少しまじめに考えてもらいたい。じゃあ、どうすればいいんだと訊かれても、僕にはかばかしい答えがあるわけじゃないんですけど。

 

 

大長編を含む文学の読書に集中したいのと、他の分野でもノートを書き溜めないといけないので、また当分の間更新を停止させて頂きます。

再開未定です。

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2014年7月15日

引用文(西部邁11)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 16:11

西部邁『無念の戦後史』(講談社) 「32 IT革命」より。

前世紀末から今世紀初頭にかけて、IT革命なるものが、世間の耳目を集めるような派手さで、繰り広げられました。

パーソナル・コンピュータ、携帯電話、ロボットなどの情報媒体が普及し、またインターネットを代表とする情報のシステムも拡大されています。

たしかに、インフォメーション・テクノロジー(IT、情報技術)が急進的に効率化されるだけでなく、それが社会全体に急激な変化を惹き起こしました。そういわざるをえないような現象が、先進諸国のみならず後進諸国にも休みなく発生しているかにみえます。

しかしその(大衆化という意味での)「革命」は、次の二つの意味で、「大破壊」にすぎません。

一つに、短期的でみれば、また局所だけを眺めれば、ITによる情報交換の効率化は社会にとって有益と断言できそうに思われます。たとえ新たなITの導入で社会から排除される(失業者のような)者が増えようとも、ITが彼らに新たな活動の場所を創り出してくれる、と考えればなおさらです。

しかしITの安易な導入は、短期および局所にあってすら、ITで操作しやすい(パターン化されているという意味での)「技術的」な種類の情報のみを増やしてしまいます。

そのせいでHO(ヒューマン・オーガニゼーション、人間組織)におけるチームワークが破壊されていきます。それは、アメリカで個人のパフォーマンス(成果)のみを基準として賃金を払うという成果主義が失敗している、という事実によくみてとれます。

二つに、長期でみれば、また大域を眺めれば、ITが有効なのは「確率的に予測される未来」についてだけです。

そんな場合があるとしたら、(たとえば金融取引のように)たった一ヶ月であるにもかかわらず何百回ものプレイが同一のルールの下で行われるので、そこに確率めいた事態が発生する、というごく限定された場合だけです。

非確率的な未来にはまずもってHO(人間組織)が当たらなければならないという真実をIT革命論は無視しています。

HOの崩壊を伴うITの繁殖は、むしろ、不法と不徳の温床だといったほうがよいのではないでしょうか。

実際、企業犯罪や性犯罪が多発しているという現在の状況の背後には、社会がITの発達と普及を統御できなくなっているという事態があるのです。

とくにインターネットは、アノニミティ(匿名性)を許すことが多いので、犯罪や不道徳を助長します。

詐欺や中傷の飛び交う場所、それがインターネットだといってさしていいすぎではありません。意見を作る努力をしないで意見を吐いてもよいとみなされている場所の見本、それがインターネットである、といってさして誇張ではないでしょう。

インターネットにせよ携帯電話にせよ、民衆がいわゆる「双方向コミュニケーション」に向かうので、政治の方面では世論の、そして経済の方向では市場の、そして文化の方向では欲望のヴァイタリティ(活力)を増大させ、そしてそれが社会全体の民主化を促す、といわれております。

それは大いなる誤解です。というよりその民主化における「民」が、ITの異常発達のせいで、「公民」ではなく「私民」にますます転落していっているのです。

私民化の実態についてくどくど解説する必要はありますまい。少年たちが異常性欲の映像に見入っている、少女たちが公共の場所で化粧に励んでいる、大人たちが自分の会社のこと以外には話題を持たない、あるいは自分の子供のほかには人間というものに関心を払わない、テレビのスラップスティック(どたばた)をぼんやり眺めているのが唯一の娯楽である、といった光景が果てしもなく広がっています。

「メディアはメッセージである」(マーシャル・マクルーハン)という言を今こそ思い起こすべきではないでしょうか。「メディア(媒体)の使い方が問題なのであって、メディアが技術的に発達することそれ自体は歓迎すべきことである」というのが大方の意見のようです。しかしそれは人間の本性にかんする誤解にもとづいています。

たとえばインターネットでいうと、そこには情報の「断片」が網羅されており、それを「急速」に取り出すことが可能です。つまりそのメディアの存在によって「意味」されているメッセージは、断片的な具体情報を、その刺激力と流通力に期待をかけて、急速に他者と交換するのが現代人の生き方であるべきだ、という価値観なのです。

そしてそこで犠牲にされているのは、様々な具体的情報を何ほどか統一的に関連づけることを可能にする解釈の規則、なかんずく価値の体系なのです。

つまりIT革命それ自体が人々のパブリック・マインド(公心)を縮小させ、プライヴェート・マインド(私心)を肥大にしているということです。それが人間精神をヴァイタルなものにするとはとうてい思われません。

公心は人格心(にもとづく自発的な価値表現)と規律心(にもとづく自覚的な規範受容)とから成ります。そして私心には情緒心(にもとづく閉鎖的な自我意識)と帰属心(にもとづく受動的な服従態度)とから成ります。

前者が薄まり後者が濃くなるのがプライヴァタイゼーション(私民化)にほかなりません。私民の活力なんかは、人格と規律(価値と規範)に欠けているため、しょせん自己のうちに自閉したり他者の命令に追随したりするだけのことなのです。

革命(大衆化)を期待する心性そのものが活力において不足していることの現れであることに気づくべきではないでしょうか。自分のうちに精神の躍動を感じることができないため、自分の周囲に大変化が起こってくれれば自分も積極的に活動することができるかもしれない、とそれら革命主義者は願望するのです。

人間精神の活力は、むしろ、おおよそ同じことを「反復」する行為に見出されます。

反復が可能なのは、その対象にゆるがせにできない意義があると考えればこそです。また反復のなかにおのずと生じてくる微妙な差異に格別の意味があると思えばこそなのです。換言すれば、物事を「保守」することに活力の上昇を感じ、それを「革新」するのは活力の低下を覚える、ということです。

いうまでもありませんが、私心が悪くて公心がよい、などといっているのではありません。

情緒心に乏しい人格は偽善者のものですし、帰属心に欠けた規律は官僚人のものです。健全な人間は、自分のうちに情緒心と人格心の葛藤があると意識します。それゆえ、自分のおかれた状況のなかで両者を平衡させるべく「思索」するのです。また帰属心と規律心を折り合わせるべく、人々は集団のおかれた状況のなかで「議論」しなければならないのです。

IT革命は「思索と議論」を深めるのに貢献しているでしょうか。

逆です、断片情報で思索に中断を強いる、情報の急速伝達で議論に打ち切りを迫る、それがIT革命なのです。

そこで「チャット」(雑談)が行われていることをもって思索と議論の豊饒化とみるのは手前勝手な見方です。個人の思索にも集団の議論にも、安定した感情と確実な論理が不可欠です。チャットやらにそうした感情と論理を期待すべくもありません。

現代の文明状況が不安定な感情によって動揺させられ、不確実な論理によって振動させられていることは誰の眼にも明らかです。戦争のような大状況に始まり幼児虐待のような小状況に至るまで、現代文明を特徴づけているのは(庶民ではなく大衆の)感情の当て処のない漂流です。そして(知識人ならぬ専門家の)論理の筋道を欠いた彷徨なのです。

文明は、その絶頂において、深い憂愁と重い虚無にとらわれているといってよいのではないでしょうか。

あらゆる思索が明朗さと力強さを失って単なる屁理屈と化し、すべての議論が真摯さと活発さを失くして単なる御芝居に落ちています。

この文明の堕落を表象してくれているのがデモクラシー(民衆政治)ならぬマスクラシー(大衆政治)なのです。

マスクラシーは、右手に(擬似大衆化した)専門人のために新聞・テレビ・雑誌などのマスメディアを、左手に(擬似専門人化した)大衆人のために携帯電話やパソコンなどの最新のITを携えています。そして、マスマン(大衆人)とスペシャリスト(専門人)の連合軍に敵対する一切の勢力を殲滅すべく、大行進中であります。

「馬鹿は死んでも治らない」といえばそれまでですが、そんな時代に生まれてくる子孫には、如何ともし難く、同情を寄せざるをえないのです。

2014年7月8日

山崎正和 『世界文明史の試み  神話と舞踏』 (中央公論新社)

Filed under: 史論・評論 — 万年初心者 @ 16:06

「アステイオン」誌で、副題の方をタイトルにして連載されていた文明論。

連載中から斜め読みはしていた。

著者は『鴎外 戦う家長』『不機嫌の時代』等の著書を持つ評論家・劇作家として有名。

本書では、シュペングラー、トインビーハンチントンらとは異なり、地域・民族ごと別個に成立し、盛衰を繰り広げる有機体としての文明という考え方を否定している。

独立した複数の「文明の衝突」ではなく、統一的な世界文明誕生が現在の状況でありそれが先史時代からの一貫した趨勢だとされている。

例えるなら、文明は様々な要素の束のようなもので、言語のみやや例外だが、他の要素はすべて切り替え可能なもの。

ここで二つの概念が登場する。

「する」身体=目的連鎖・画一化・集団性・「世界開豁」。

「ある」身体=自己目的・異質化・個別性・「世界洞窟(閉塞)」。

(前者が仕事や産業、後者が芸術・スポーツ・宗教を含むと書かれていた気がするが、こう単純化するのは誤読かもしれない。)

人権思想の淵源は、天賦人権説では説明がつかず、“「ある」身体”という概念の発見にあるとされる。

そしてそれは王権の世襲が契機となっており、「至高至尊の王」という考えから、それ自体尊重されるべき「ある」身体というイメージが生まれ、それが人権思想に繋がる。

王権神授説と天賦人権説は表面上正反対だが、「ある」身体という考えから見ると同種類のもの。

前近代における政治的抑圧は、「する」身体の王が、「ある」身体の臣民を抑圧していたという解釈を著者は採る。

貴族特権が普遍化して国民の権利となったという説明は聞いたことがあったが、この考えは新鮮である。

本書前半はこの両概念を使って、ベルクソン、デュルケーム、カントなどを引用しながら、意識・言語・神話・宗教・道徳・文字・国家・技術の起源を考察する。

全く訳がわからないということはなく、とりあえず文脈は追えるが、私の知的レベルを超える話なので、ひとまずあー、そうですか、と言っておくしかない。

メモするのも面倒なので、省略(すみません)。

後半部は、やや具体性を増した比較文明論。

本書では、いわゆる近代西洋文明の制覇にそれなりの理由を認める。

これを西洋中心主義・近代主義の偏見であるということに著者は同意しない。

5万年の人類史から見れば、近代化の期間を極限まで長く取り、前5世紀のギリシアから19世紀の英国までとしたとしても、全人類史の20分の1の期間に過ぎないとしている。

なお、後半で一番参照されている本は、中央公論社「世界の歴史」シリーズ旧版なので、前半よりレベルが急に下がった感がして、非常に読みやすい。

ここでのキーワードは「文明の『雑種強勢』」。

ヘレニズムとヘブライズムの複雑な混交と融合がヨーロッパ優位の根源。

それに対して、エジプト古代宗教、ゾロアスター教、ヒンドゥー教、儒教、道教は、「雑種交配」せず。

仏教はやや微妙だが、迫害による聖俗両権の分離などは起こさず、権力者の支持次第に盛衰を繰り返した。

世界文明にとって残念だったのは、中国とインドの世界観の雑種交配が生じなかったことであり、とくにせっかく母胎の民族を離れた仏教がたとえば儒教と化学反応を起こさなかったことであった。仏教の深遠な世界像と儒教の現世的な倫理学がもし結びついていたら、あるいはその結合の困難さに多くの知性が深く懊悩していたら、アジアはたんに地理的な単位に終わることなく、ヨーロッパと並ぶもう一つの文明世界になっていたかもしれない。そんな妄想を誘うのは、ユーラシア大陸の東辺に日本という小国があって、そこでささやかな実験がおこなわれていたからである。

日本では神道・仏教・儒教の混合宗教が生じ、小規模ながら雑種強勢の歴史があった。

しかし、アジアの中心・中核である中国にはそれが生じなかった。

ついでながら世界文明史にとって惜しまれるのは、中華帝国が唐代に世界文明を育む空前絶後の機会を迎え、しかし結局はこの好機を永遠に逃したことである。

シルク・ロードと首都長安の繁栄、風俗文物の東西交流、儒教・仏教・道教・マニ教・景教(ネストリウス派キリスト教)・ゾロアスター教・イスラム教の並存があったものの、しかし官製の儒教教義固定化が起こり、仏教・道教との争いも思想上ではなく朝廷の恣意によって決着がつけられ、「夷教」の漢人への布教は進行しなかった。

ユーラシアの東端(中国・日本)と西端(ヨーロッパ)では、巨視的に見て、東は連続性、西は流転と混乱・再生が顕著である。

ユーラシア中央部の騎馬民族による攻撃が西へは過酷、東へは穏和だったという偶然も作用し、さらに西にはイスラムというもう一つのライバルが近隣に生まれたことも大きかった。

西洋文明は、ギリシア合理主義とヘブライ一神教の本格的融合による雑種強勢を得て、ロシアや南北アメリカにも広まる。

イスラムと中国では、科学について過度の技術実用志向と無関心の間を揺れ動いたのに対し、キリスト教的ヨーロッパでは宗教教義による科学への抑圧と同時に、(根本的原因である神意を前提とした上での)「近接原因」への関心があり、それが近代を導くことになった。

極めて巨視的な解釈として、西洋文明の優位を認め、近代の擁護に傾く著者であるが、もちろんその問題点も見逃されていない。

私は啓蒙主義者の楽天主義に与する者ではないし、神を否認する人間中心主義者でもないが、現実に生きる人間を尊重し、そのために適切な社会を守りたいと祈念する一点で、自分が啓蒙主義者の末裔と呼ばれることを避けるものではない。

しかしそれと同時に私が懼れるのは啓蒙主義の倫理的な傲慢さであって、正義の根拠を人間の理性が与えうると信じる迷妄である。

トドロフもいうように、正義の理念は神のみが与えうるという思想も独善的だったが、それを人間の理性が決めうるという思想はさらに根拠を欠いている。トドロフは理性が善のみならず悪にも奉仕するという理由でこれに反論しているが、私は正義の観念が現に歴史的に変遷し、しかも真に有効に働くためにはいわば人間の身につき、慣習にならなければならないという点を注意しておきたい。

「殺すな」「盗むな」という正義がかくも強力になったのは、それが神話時代から人類によって引き継がれ、さらに個人が幼少時からの教育によって身体に植えつけられているからだろう。これにたいしてフランス革命、ロシア革命、中国革命があれほど凄惨な流血を見たのは、一時期の理性が極端に独善的になり、長年の「ある」身体の慣習を麻痺させたからだと考えられる。理性は無時間的に働くのにたいして、正義の観念は共同体の慣習、身体の慣習という二重の意味で時間のなかでのみ熟成する。このずれは進歩の速さを尊んだ啓蒙の時代、さらにそれを継承して変化を急ぐ現代においてすでに深刻であり、二十一世紀の社会でさらに重大さを増すと思われる。

道徳をめぐって、神に代わって理性を崇め、それに行動の基準と第一原因を求める、ルソー、カント、ロールズらの試みは破綻している。

理念的原初状態で一切の他律を排した個人から出発するという通念ではなく、最初から共同体に組み込まれた個人、物語と慣習に根ざす道徳を主張する意味で、著者はマイケル・サンデルなどの共同体主義、啓蒙主義以前のアリストテレスにまで遡る伝統的人間観を肯定している。

しかし、現代社会では、利益目的の細分化された「物語」が人為的に大量生産され、道徳の基盤を揺るがし、個人がアトム化され、慣習の規範を脱した非道徳な群衆と化している。

そして現在の「高度情報化社会」が、実際には史上最悪の衆愚社会と化す危険性を以下のように鋭く指摘。

電子媒体のより深刻な文明上の問題は、こうした感情的、断片的な情報の氾濫に人びとが慣れ、結果として論理的、体系的な思考法を面倒がるようになることである。すでに多くの先進国でいわゆる「活字離れ」が進み、書物や雑誌はもちろん、新聞でさえ売れ行きを減らしているといわれる。そこにはたんに長文を読むことを億劫がる風潮も見られるが、同時に疑われるのは長文を書くような職業的著者への不信、広く古典や専門的知識人の権威にたいする反感が潜んでいることである。控えめにいっても、選ばれた個人の思索の跡を受動的に読まされるよりは、知的に同等の仲間とブログの広場で喋りあうほうが楽しい、という漠然たる気分が人びとを書店から遠ざけているのではないだろうか。

ここに現代の商業主義が加わり、広告料という経済問題がはいりこむと事態は決定的に悪化する。・・・・・今日、大きな報道機関に期待される最重要の役割は、それが自己の責任において情報に署名をつけるということである。情報の真偽についてはもちろん、無数の情報のあいだの重要性の価値づけ、いいかえれば社会が何を知るべきかという指針を、日々みずからの名前を賭けて明示することである。自由な社会では報道機関の選択にも競争が生じ、そのなかでやがて情報は淘汰されて一つの漠然とした統一像を結ぶ。一般市民はこの世界像にもとづいてそれぞれの価値判断をくだし、自己の社会的、政治的な態度を決めるところから民主政治への参加を始めるのである。

したがってもしこの社会において情報選択の専門機関が衰え、署名つきの編集された情報が乏しくなるとすれば、人類は流言蜚語の氾濫に飲みこまれるだろう。人びとは地域や自分の嗜好にしたがって偏った情報にのみ耳を傾け、世界全体の状況について感覚麻痺(アパシー)の状態に陥るかもしれない。逆にまったくの偶然から共有された不確実な情報を妄信して、政治的なポピュリズムやファシズムへと暴走するかもしれない。現実にこれが2011年以前の中東の置かれていた状況だが、情報媒体の変化という一点だけを見れば、これは先進国を含めた全世界の将来像であるかもしれないのである。

内容豊富なので、全体をノートするのは放棄しました。

特に芸術論などの記述は完全に省略した。

全く何を言っているのかすらわからないという部分は少ないが、やはり難しいところがある。

しかし、上でメモしたような興味深い部分もあり、そこそこ面白く読める文明論。

初心者でも挑戦する価値有りです。

2014年7月2日

伊藤之雄 『昭和天皇伝』 (文芸春秋)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 00:42

伊藤氏の本は『伊藤博文』(講談社)および『山県有朋』(文春新書)という重厚な二つの著作を紹介済み。

本書では、天皇を拒否権の無いロボットではなく、調停者的関与を行う政治的プレイヤーとして扱う。

ただし、それは昭和天皇が自らの個人的意志を貫徹できる絶対的存在であったことを主張するものではない。

例えば、戦前昭和期における最大の政治的課題であった軍の統制について、陸海軍大臣を罷免させたとしても、軍から後任者を得られないと政治過程は行き詰まり、かえって天皇と政党内閣が窮地に陥る。

著者には、「近代天皇は『魔力』のような権力を持っているのか」という題の論文もあるそうです。

本書において、総じて言えば、治世前半における為政者としての先帝への評価は高くない。

しかし、経験を積んだ大戦後期からは円熟した政治的判断を見せるようになる。

そうした先帝の政治的行動の障害となった風潮について、以下の文章。

右翼たちは天皇制を支持し、天皇親裁を唱えるが、彼らのあるべき天皇(またはその代理としての皇后・皇太子や皇族)像を持っており、それと異なると、なかなか従おうとはしない。後に即位して昭和天皇となった裕仁が苦しめられるのも、軍部や右翼のこのような態度である。

自らの底無しの卑しさと低劣さを棚に上げ、ここ十年来、皇太子殿下や雅子妃殿下に卑劣で醜悪な誹謗中傷を加えている恥知らずの大衆を見ていると、(戦前において軍部と右翼を熱狂的に支持した)一般民衆の愚劣さ・悪辣さは戦前・戦後・現在を通じて何一つ変わっていないと思える。

(私は、経済の長期低迷や政治の混乱ではなく、こうした皇室への品性下劣なバッシングが白昼堂々横行するようになったことに、何よりも日本の衰退と頽落を感じます。)

具体的叙述に入ると、大正期の原敬暗殺の悪影響を著者も指摘している。

昭和期に原が元老あるいは内大臣としてあれば、満州事変は起きないか拡大せず、太平洋戦争が無かった可能性すらあるとまで書かれている。

以前も書きましたが(井上寿一『山県有朋と明治国家』)、原や加藤友三郎、加藤高明が早すぎる死を迎える一方、伊東巳代治や金子堅太郎が長命を保ち、(本来民衆世論に抵抗すべき)枢密院を拠点に過激な世論に迎合して政府の穏健策の足を引っ張るのを見ると、何とも言えない気分になります。

1929年、張作霖爆殺事件をめぐる田中義一首相問責について、道義的善悪は別にして、陸軍首脳・与野党の方針を覆したのはまずい。

この時の牧野伸顕内大臣、鈴木貫太郎侍従長、一木喜徳郎宮内相の輔弼は当を得ておらず、先帝の右翼・軍部への威信を無くし、かえってそれらを統制困難にしてしまった。

むしろ田中に関係者の処分を遂行できなかったことを詫びさせ、3ヵ月ほどの時間をおいて辞任させ、穏やかに責任を問う方が良かった。

戦前日本に限らず、発展途上国での軍の統制はどこでも難しい問題だが、台湾出兵や日清戦争中の旅順虐殺の例を挙げ、これらの後には軍を暴走させることなく統制を強化できた、と著者は指摘。

強硬で一本槍な軍批判は逆効果であり、結果として軍の暴走を招きかねない。

戦後左翼に対抗して右派が、この時の先帝の言動を取り上げ、昭和天皇が平和主義者であった証拠であると主張しているが、著者はより広い視野からこの行動はやはり先帝の失策だったとしているわけ。

そしてこの田中首相問責を肯定的に捉える古川隆久『昭和天皇』(中公新書)の見解を手厳しく批判している。

続くロンドン海軍軍縮条約問題でも、やや一方的な浜口内閣支持と加藤寛治軍令部長の上奏拒否もまずい。

天皇の公平な調停者イメージが崩れ、自らの政治的基盤を掘り崩してしまった。

かつて、日清戦争直前、1893年に明治天皇は「和協の詔勅」を出し、海軍建艦計画についての、伊藤首相・民党・山県ら藩閥の三つ巴の対立を調停・緩和することに成功した(これは高校日本史教科書にも載っている)。

これに倣って、交渉妥結回訓のロンドン発電前に加藤軍令部長の上奏を受け、条約受諾とともに反対派も繋ぎ止める詔勅を出せば良かった、もっとも先帝の経験の浅さを考えれば明治帝とそのまま比較するのは酷だが、と著者は述べている。

なお、本書に記されていることではないが、このロンドン条約問題で、(アメリカが潜在的に日本の数倍の艦隊を揃えることができる国力を持っているのだから)対米7割の比率に拘った日本海軍の強硬派(いわゆる「艦隊派」)が愚かだったことは間違いないが、それを認めなかった米国も同様だと、高坂正堯氏は指摘していた。

しかし、ロンドン会議に悪い後遺症が残ったことの原因は日本側にだけあったのではない。視点を逆にして言えば、日本の反対論者がつまらない数字にこだわったのと同様、アメリカ側もそうであったと論ずることができる。ほぼ七割にするのなら、何故アメリカは対米七割という日本の主張を認めて、日本側に心理的に満足を与えなかったのかと言うこともできるのである。当時のアメリカに広い視野と大きな度量がなかったことは否定できない。

高坂正堯『世界史の中から考える』(新潮選書)より

浜口退陣後の第二次若槻礼次郎内閣の組閣において、先帝は閣僚を直ちに裁可せず、生真面目で慎重な任用を求める。

これは先の浜口内閣時代からの先帝の民政党への肩入れという、右翼勢力の潜在的不満に配慮した可能性があるが、文民首相の権限を弱めるもので望ましくない。

先帝のこうした言動は汚職の過去のある人物の閣僚入閣時にも繰り返されることになるが、善意の空回りというか、区々たることに拘りすぎた観が否めない。

満州事変において、林銑十郎朝鮮軍司令官の支援部隊独断越境が行われた。

田中義一問責、加藤寛治上奏拒否両事件では、天皇・宮中が慣行を破ったのに対し、今回は逆に陸軍が破った。

さすがの陸軍も不利な立場に置かれ、弱気となり、南次郎陸相・金谷範三参謀総長の辞職論すらあった。

無分別な対外膨張主義を支持する衆愚的な民衆世論に支えられた陸軍への統制をわずかでも回復する好機である。

元老西園寺公望が主張したように、軍越境の事後承諾と引き換えに、時間をおいて陸相・参謀総長・朝鮮軍司令に辞表を出させて予備役編入をしていれば良かった。

だが、先帝と牧野ら側近は、奉天事件・ロンドン条約では強気になり過ぎたのとは逆に、今回は弱気になり過ぎ、(クーデタ未遂の)三月事件の影響もあって、若槻首相と共に機会を逸してしまった。

上記リンクした古川氏著でも、この際に先帝が断固たる行動を取るべきだったとしているが、古川氏が述べているのは「朝鮮軍司令官の即時罷免」であり、やはりより慎重な影響力行使を良しとする本書での主張とは距離があるとすべきか。

以後は矯激な世論の支持を受けた軍がやりたい放題の状況となる。

二・二六事件では先帝の断固たる鎮圧指示が三日間も実行されず。

しかし石原莞爾ら陸軍内の支持者の力を借り、ひとまず鎮圧に成功し、多少の自信を得る。

だが、先帝も西園寺も、近衛文麿の本質を見抜けなかったのはまずかった。

1935年頃より中国軍の増強が進むと、陸軍中央で「対中一撃論」が広まる。

満州事変以来の、現地軍が主導し、参謀本部が容認し、陸軍省が抑制する様式がちょうど逆になりつつあった。

近衛は、その破滅的危険を伴う冒険主義を抑えるどころか、積極的に迎合し、煽り立てた。

その結果が、泥沼の日中戦争。

先帝は三国同盟阻止のため陸海相人事に関与。

立憲君主制とは君主が完全にロボット的存在になることではない、1931年英国でジョージ5世がマクドナルド挙国一致内閣の成立に尽くしたように、抑制的政治関与は普通である、と著者は指摘。

先帝もおおむねこの立憲君主の枠内で苦慮し悪戦苦闘して、軍部・世論の抑制に努めた。

不幸にして、日中和平は成立せず、三国同盟締結を経て、日米開戦に至るが、その過程への著者の評価は明解である。

ローズヴェルト大統領やハル国務長官がヨーロッパ戦線の問題やアジアでのアメリカの威信を考慮し、日米戦争を避けようとする日本側の妥協案に応ぜず、ハル=ノートを日本に提示した。このことから見て、その時点で戦争を避ける可能性はほとんどなかったといえる。

このような結果になった原因には、日本の中国等への侵略がある。また、外交判断が未熟で、日本は1940年に不注意にも三国軍事同盟を結び、ヨーロッパの戦争と日本の大陸政策を結び付けてしまったことがある。それに加え、直接的には南部仏印進駐によって米国の対日石油全面禁輸などの日本にとって深刻な事態が起こることはないという、日本側の甘い判断があった。

しかし米国も、日米戦争を避けたいという日本の意図をほとんど理解できなかった。また日本の軍事力を過小評価し、日米開戦によって双方に生じる膨大な犠牲について深く考慮せず、ハル=ノートという原則的対応を日本に提示した。これらの点で、日本ほどではないが、米国も日米開戦の責任を負う。

以上のように日米開戦には、両国の相互誤解の結果、誘発された戦争という一面がある。

・・・・・・

太平洋戦争の結果を知っている私たちから見れば、ハル=ノートでも受け入れるべきだとの考えを抱くのが自然である。しかし、歴史の当事者たちを、当時の経過や情報の限界を無視し、後知恵から批判するのは、意味のある歴史評価とはいえない。

様々な政治的経験を得た先帝は、戦争末期、陸海軍の資源配分問題での深刻な対立や東条内閣退陣について、円熟した判断とリーダーシップを発揮する。

両問題とも、直ちに介入せず、前者では双方の主張を述べ合わせた後に調停を行い、後者では時期を待って倒閣を容認。

終戦においてもそうであり、第三国の仲介や米国からの打診が無い以上、陸軍のクーデタなどの混乱を避けるためには、先帝が主張したような「一撃講和論」しかない、と著者は判断している。

そして、原爆とソ連参戦で陸軍の抵抗が弱まった一瞬の機を捉えて終戦を決断。

なお、終戦の詔書の中にアジア民衆への加害の自覚が無いという戦後左派の批判に対し、陸軍の反乱を抑える必要があったのに、そんなものは無いものねだりだ、戦後の言動から先帝もアジアの被害を認識していたはずだ、と著者は反論している。

終戦直後のマッカーサー訪問で、自身の責任を認めた発言はあっただろうが、それは道義的責任であって、政治的実質的責任ではないと指摘。

木戸幸一(元内大臣)が戦犯として逮捕された後も宮中に招いたり、日米戦争の最大原因を米誌の取材で尋ねられ、「両国民の相互不信」を挙げているのには、占領下の悔しい状況の中で溜飲が下がる。

占領下での米国との外交交渉での、象徴天皇の枠を超える言動も、おおむね現実に沿った妥当なものとして、本書では批判されていない。

退位論については、マッカーサーや首相、宮内府幹部の勧めがあれば可能性はあったが、基本は新日本建設に尽くす決意だった。

なお、いわゆる「富田メモ」については以下の記述あり。

本書で述べてきたように、昭和天皇は東京裁判の正当性を認めていない。しかし天皇は、三国軍事同盟から南部仏印進駐、太平洋戦争開戦と戦争への道を推進した戦争責任のある人物と、天皇や木戸幸一(内大臣)・広田弘毅(首相・外相)・東郷茂徳(外相)らのように、その道を止められず、道義的戦争責任を負っている人物を区別している。

このことは、「富田メモ」で名が上がる形で特に批判されているA級戦犯が松岡洋右と白鳥敏夫であり、より有力で有名な東条英機の名が上がっていないことの理由にもなる。天皇は、松岡や白鳥を、三国軍事同盟を推進するなど戦争への道を進めた人物として、特に許すことができなかった。東条は天皇の意を汲み取り、首相として戦争回避に最後の努力をしてくれた人物として別の扱いをしているのである。・・・・・・天皇は、合祀されたA級戦犯の十四人すべてを嫌っていたのではない。しかし、戦争責任があると思っている松岡や白鳥の合祀にとりわけ憤りを覚え、潔癖で真面目な性格から、そのような者が混じって祀られている靖国神社に参拝することはできない、と考えたのだろう。それ以上に天皇は、戦後に戦争の道義的な責任を自覚し、日本の再建に取り組んできたのであり、道義的責任すら自覚できずに、反東京裁判という立場からA級戦犯を合祀してしまう感覚に立腹したのだろう。

表面的に繁栄の絶頂にあるかの如く見えた日本の行く末に悲観的な気持ちを持ちつつ、崩御。

明治天皇も晩年は厭世的になったとも読んだことがあるが、両帝没後、国民が何をやり始めたかを思うと、その懸念は当たっている。

国の頂点にある象徴的統治者として、何か感じ取ることがあったのだろうか。

「おわりに」で結論とまとめ。

明治憲法では、形式上、天皇は首相、閣僚を罷免することすらできる。

しかし後任が得られなければ窮地に立ち、事実上の屈服を強いられ、威信が低下する。

そのような状況下でさらに個人的意志を押し通そうとすれば、革命やクーデタを誘発する危険すら生じる。

立憲国家の枠内で天皇の意向を国政に反映させるには、明治天皇のように権威を確立し、権力行使を抑制しつつ、バランスのとれた調停的政治関与を続ける必要がある。

先帝は即位から十分に権威を確立できず、田中首相問責・ロンドン条約・朝鮮軍越境という三つの重大事件で対応を誤り、自らの意志に反して日中戦争・太平洋戦争への道を止められなかった。

ただし、若く経験の無いことを考慮すれば、これを先帝の資質に求めるのは酷。

牧野内大臣ら輔弼する集団に円熟した有力政治家がおらず、元老西園寺は高齢のため常時身近で先帝を支えることはできなかった。

原敬や加藤高明がいれば、昭和史は全く変わったものになっていたかもしれない。

しかし、徐々に経験を積んだ先帝は、終戦時に諸条件が整うのを待ち、「聖断」を下すことができた。

拙速に講和を口にし、失敗すれば、唯一陸軍を抑えこめる天皇の威信が低下し、さらに降伏が遅れる。

(沖縄、広島、長崎、満州での悲劇を思えば、もう少しでも早く降伏していれば、との思いに駆られるのは自然ではある。しかし逆に、陸軍の徹底抗戦派と米国のヒステリックな世論に挟撃されていた総合的状況の細かな分析抜きに、「天皇が数日早く決断していれば原爆投下は無かった、満州でのソ連軍の暴虐も無かった、数ヶ月早く決断していれば沖縄戦は無かった、東京大空襲も無かった」と単純に言い募るのは、冷静で意味のある歴史的判断とは言えないと思う。)

戦後には日米基軸外交定着もサポートすることになる。

著者は末尾で、英米両国での伝記的著作の本格さ・豊富さを挙げて、その利点を指摘しているが、個人的にも同感です。

 

 

読みやすく、面白い。

とばし読みした、同じ著者の講談社『日本の歴史22 政党政治と天皇』より、こちらの方が良い。

古川隆久『昭和天皇』(中公新書)と読み比べてみるのも面白い。

(私は、歴史解釈の妥当性は本書が、全般的印象では古川氏著が好ましいように感じました。)

現在、文庫化されているようですので、手軽だと思います。

御一読をお勧めしておきます。

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