万年初心者のための世界史ブックガイド

2014年5月1日

西部邁 『14歳からの戦争論』 (ジョルダンブックス)

Filed under: 史論・評論 — 万年初心者 @ 09:09

2009年刊。

著者が持つ、先の戦争観、日本近代史観をわかりやすい形で述べた本。

以下、重要と思われる文章とその感想。

日米両国の太平洋決戦は大東亜戦争の一環でしたが、大東亜戦争そのものが、(林房雄という作家のいった)「百年戦争」の最終局面なのでした。欧米諸列強(とくにイギリス、フランス、オランダ、アメリカ、ロシア)のアジア植民政策が、徳川幕府時代の末期から日本列島にも触手をのばしはじめていたのです。それにたいして日本がいかに防衛体制を敷くか、という百年史のなかで、大東亜戦争は解釈されなければなりません。

その軍事体制が、終始一貫、自衛的なものであったと断言してはならぬでしょう。とくに、大正四年に出された「対支(中国)二十一ヶ条要求」の前後から、その軍略に「覇権的な武力発動」(としての「侵略」)の要素が少しずつ強まってきたことは否定できないでしょう。少なくとも、中国をはじめとするアジア諸国からみれば、その侵略性を打ち消すことはできません。ただし、そうしたアジア侵略(その側面)も、日本がわからすると、欧米のアジア植民地化が進めばその被害が日本にも及ぶ、という判断に立っての(当時の言葉でいえば)「自存自衛」の戦争であったという見方もあるのです。そのぶんを割引いて考えると、大東亜戦争を中心とする「百年戦争」において、日本の侵略度は、世間でいわれているほど大きくはないとみるべきです。私ならば、自衛度と侵略度の割合は七対三だ、というくらいで、この話を御仕舞にします。

たとえその割合であっても、侵略を受けたアジアの国々は、日本の過去にたいして、批判を逞しくしています。ましてや、その批判を強くすると日本の対アジア外交が(政治的姿勢のみならず経済的援助という点でも)いっそう妥協的になるとなれば、日本に「歴史認識」を正しくせよ、とアジア諸国(とくに中国と韓国)は迫ってきます。つまり「謝罪外交」を続行せよ、と要求してくるのです。

その要求に(ある程度)応じるのは、バランス・オブ・パワー・ポリティクス(勢力均衡政治)たらざるをえない外交の、必然というものでしょう。しかし限度を超えると、それは「国辱」であり、国辱の態度を続けるのでは日本の国益が害されます。

時間と努力を投入しながら、あの百年戦争が(基本的には)日本の自衛戦争であったのだ、とアジア諸国を説得していかねばなりません。それこそ歴史認識として、近代日本の戦争史における自衛的な色合はきわめて明瞭なのです。日本占領のGHQ(ジェネラル・ヘッド・クウォーター、総司令部)司令官のダグラス・マッカーサーですら(アメリカ議会の外交委員会で)そう証言しております。

また、対米戦争にしても、それがアメリカの策謀によって成り立った、日本にたいするいわゆる「ABCD包囲陣」(アメリカ、ブリテンつまり英国、チャイナつまり中国そしてダッチつまりオランダの四国による日本への輸出停止政策)への反発として起こったことは明らかです。1905年(明治三十八年)に終わった日露戦争で日本がアジアで頭角を現した直後から、アメリカが日本を仮想敵国とみなしはじめた、という歴史認識も正しいものだといわざるをえないでしょう。

このように整理してくると、百年戦争は「義戦」(「政治的正義の戦争」)であった、大東亜戦争もその義戦の流れにおいて戦われたものである、といってかまいません。その過程で生じた日本の軍略における軽率や傲慢は幾重にも批評されるべきでしょうが、それを延長させて、大東亜戦争が全体として侵略戦争であったとみるのは、はなはだしい間違いです。

さらに、日本人自身が日本国家の過去における軽率や傲慢を(批判を超えて)断罪するというのは、それ自体として、軽率にして傲慢な言動です。自分が当時の歴史的状況の中のただなかにいると想像してみたとき、自分はけっしてそのような軽率・傲慢を起こさなかったはずだ、と断言できる者がどれだけいるでしょう。人間の認識(および感情)は、自分のおかれている歴史的状況にかなり依存するのです。その状況から頭一つ抜け出ようと努力するのも人間ではありますが、その努力も虚しく、大概の人間は状況に大きく左右されるものなのです。

その意味での人間における「完成不可能と可謬性(間違いを犯す可能性)」を認めてかかると、現在の歴史的状況に立って過去の歴史的状況を断罪するのは論外というほかありません。その論外の議論ばかりがあふれてはや六十余年なのです。「戦後日本人よ、汝みずからの軽率・傲慢を知れ」といいたくなって当然です。

極めて巨視的な観点からすれば、以上のような史観に異論は無いが、現在の浅薄・矯激・単純・愚劣な世論状況を考えると、赤字で記したような部分はもっと強調されてしかるべきだし、国際的情勢から見れば上記の通りでも、国内的には、日本が先の大戦に向かう過程において、大衆民主主義の醜い弊害に押し流された側面が余りにも強いのではないかとの感は否めない気がする(言うまでも無く、こうした「民衆世論の暴走の結果としての軍国主義」を、自身も衆愚民主主義に冒されていることを自覚すらせず、よりによって民主主義の名の下に断罪した米国など戦勝国の史観にも、私は何の正当性も認めません)。

戦争責任のことをいうなら、あの戦争の始め方、進め方、終え方における日本の軍事関係者の政治的および軍事的な稚拙さや乱暴さを、日本国民みずからが追及するのが先決です。とはいえ、当時の日本国民の多数派は、その軍事について、歓迎したり容認したりしていたのですから、この追及の鉾先は鈍くならざるをえません。敗戦直後に「一億総懺悔」という言葉が流行りました。つまり、すべての日本人に「無謀もしくは拙劣な戦争をやった」責任があったということです。そう反省するのは、おそらく間違っていない態度でしょう。

とはいうものの、指導者はいわゆる「結果責任」をとらなければならない、といわれております。予想から大きく離れた甚大な不利益を国民が結果として被るなら、そんな指導を行った者たちは責任を免れないということです。この結果責任を国民自身が追及せずに、戦勝国に(東京裁判という似非の法律的審判で)肩代わりしてもらうというのは、たしかに不甲斐ない所業だ、と思っている日本人が少なからずいるのです。

私は、この種の戦争責任論にも半分くらい違和感を覚えます。政治家であれ軍人であれ、「与えられた状況」の中で、「限られた能力」によって、「何らかの動機」に駆られて、「結果の予測」を組み立てようと「努力」した上で、指導という「行為」をなします。その結果が失敗となったとき、責任を持つべき側面があるとしたら、「動機において不純」であるか「努力において怠慢」であるかの、いずれかもしくは両方、ということになるでしょう。少なくともその努力が最大限のものであったとしたら、そうとしか考えられません。

良き動機にもとづいて最善の努力をなした上での悪い結果ということなら、それを咎めることはできないのではないでしょうか。それを咎めるのは、政治家や軍人に完全な人間であれ、と無理な要求をするに等しいのです。完全性からあまりにも遠かったことについて自省するかどうかは、指導者本人の自由ということになりましょう。あの戦争の指導者の多くに不純な動機(たとえば地位や個人的名誉への執着)や怠慢な行い(たとえば情報の収集や解析における杜撰)があったことは否定できないでしょう。しかし同時に、苦しい状況のなかで能力一杯の予測をなした上での大敗北、というのがあの戦争指導者たちの普段の姿であったといえるのかもしれないのです。事前には指導者に喝采をあびせておきながら、事後には敗北せる指導者に石礫を投げるというのは、あまり褒められた振る舞いとはいえません。

明治期における対中国の日清戦争や対ロシアの日露戦争は立派であったが、昭和期の大東亜戦争は狂気の沙汰であった、というのはあまりにも単純な歴史観です。世界に帝国主義の嵐が吹き荒れている時代における「百年戦争」の最終段階、それが大東亜戦争でした。それゆえ、まずもって必要なのは、「時代の悲劇的な宿命」という観点です。自分が指導者であったら何をなしえたかと想像してみれば、自分もその世界規模の悲劇のなかであがくしかなかったのではないか、という思いを深くするはずです。

要するに、現在の状況に立ち現在の能力にもとづいて過去の歴史を裁断するのには、それ自体として不道徳の傾きがあります。言い換えれば、人は歴史のなかでしか生きられぬ、ということを軽んじているということです。指導者もまた戦争の犠牲者(生け贄)であったとみる心の余裕がほしいものだと私は思います。

この文章にはほとんど違和感無し。悲惨な敗北に終わった戦争に日本を押し流した「主犯」は、社会的上層部ではなく、民衆(の世論)だと私は確信しているので。そして形が変わっただけで戦前と同様に卑劣な衆愚世論で国家を脅迫・破壊する一般国民が(自らの世論の低劣さとそれがもたらす恐るべき危険には完全に無自覚のまま、上は天皇から下は一般軍人までの)「戦争責任」を偉そうに喋々するのを見ると、本当に穢いものを見たなという嫌悪感を抑えきれない。

「欧米の植民地であることからアジアを解放する」というのが大東亜戦争の大義名分でした。そして、実際に、インドネシアやビルマに典型をみるように、大東亜戦争が切っ掛けになって、アジア解放が進んだのです。

しかし大東亜戦争における「八紘一宇」(『八方』の諸民族が『一つの家』のなかで暮らすこと」)の理念は、かならずしもアジア諸国のナショナリズム(国民主義)を尊重するものでありませんでした。つまり、アジア解放のあとにアジア地域はいかなる国際関係におかれるべきかについて、日本帝国は十全な配慮をしていたとは考えられないのです。アジアを資源供給地なり市場開拓地として位置づける、という日本の自民族中心主義が露骨であった、次第にそうなっていった、とみざるをえません。

それにたいしアメリカは「自由民主」の理念をアジアに与えようとしました。簡略化していうと、「八紘一宇」と「自由民主」の理念の闘争において日本は敗れた、ということになります。もっというと、「自由民主」は植民地主義からの「民族独立」とアジア国際社会における「民族自決」といううるわしい未来観につながっていったのです。それで、日本の掲げた「アジア解放」も色あせたものになり、さらに「自由民主」が「解放後のアジア」に何らかの理念を与えてくれる、という錯覚が広まっていきました。

そもそも、人種的、言語的、宗教的、習俗的にこうまで異なったアジア諸民族を「一宇」に、いいかえるとアジア共同体(感情的な一体感につらぬかれた集団)に、まとめ上げるのは無理といわなければなりません。アジアはコミュニティ(共同体)になりえず、せいぜいのところ、緩やかなアソシエーション(連合体)になれるだけのことでしょう。この点における楽観が、日本が理念においても敗北したことの最大因ではないかと思われます。

もちろん、自由民主「それ自体」はかなりに空疎な観念です。国民の歴史にもとづく秩序がなければ、自由なんかは単に無秩序を招くだけに終わるでしょう。また国民の歴史感覚にもとづく(流行の世論ではなく)歴史的な常識としての輿論がなければ、民主(という名の多数決制)は人民の野放図な欲望や行動を正当化するだけのことになりましょう。つまり、自由民主主義を健全なものにする基礎的な条件、それはナショナリズム(国民主義)にあるということです。

アメリカのいう自由民主はあくまでアメリカ流の生活と国家の押しつけで、すぐそのことが、二十世紀後半の時代が進むにつれ少しずつ明らかになってきました。今でいえば、アメリカの自由民主は「アメリカニズムをグローバル化させること」つまり「アメリカ流儀による世界画一化」にすぎません。

しかしそのことが、六十余年前には広く知られてはいませんでした。ヒストリカル・イフ(歴史がもしそうであったならという仮想)を語ってみれば、日本がアジア諸国にたいしてもはっきりと国民主義(にもとづく自由民主)を提示していれば、日本はアジアをもっと強くリードすることができたでしょう。たとえ武力においてアメリカに敗れても、理念においてアメリカよりも優位に立つことができたに違いありません。

だが、自由民主は日本国内にあってすら、まだ理想の段階にあると思われていたのです。そうであればこそ、敗戦日本人の多くはアメリカ占領軍を「解放軍」とみなしたのでした。つまり日本人民をいわゆる「天皇主義」の抑圧から解放してくれる軍隊と誤認する、という愚かしい意見と行動が敗戦直後のこの列島に広がったのです。

日本を含めアジア諸国の解放と(それに続く)自立の道はナショナリズムのほかにはありません。ただし、そのナショナリズムは、自国についてのみのことではないのです。他国のナショナリズムをも認めてかかる以上、それは安定した国際環境をアジア地域に作り出す、ということを意味します。

前半にある、この程度の自省すら「自虐的」として悪罵を投げかけるような連中は、保守派でも何でもなくただの愚かな右派的ポピュリストだ。

そしてそんな連中に限って、後半のような自由民主主義に対する懐疑など全く持ち合わせていないのだから、もう心底からの軽蔑を込めて嗤うしか無い。

第二次世界大戦は、アメリカとドイツがそれを主導したことによって、自由主義と全体主義との戦いというイデオロギー戦争となりました。ここでイデオロギーというのは疑われることのない「固定された考え方」ということです。アメリカは建国以来、そしてドイツはナチズムの勃興を通じて、国家や国際関係を「特定理念(アメリカは「自由民主」、ドイツは「民族の団結」)をめざす合理的設計」の対象としてとらえました。それらの単純思考がイデオロギー戦争をもたらしたといってよいでしょう。政治的主張のために何千万名もの人命が損傷されたのですから、その狂気の度合たるや、まことに大きいというほかありません。

それは一部の軍国主義者の策謀によるものなんかではありませんでした。各国の世論が戦争を熱烈に支持したのです。民主主義は世論に根差す政治で、世論は人気によって煽り立てられやすいものです。そのことを忘れてはなりません。そして戦争にあっては、「生と死」そして「友と敵」を明確に区別しなければならないのです。そういう状況が「人気」の火に熱狂の油を注ぐことについては、多弁を要しないでしょう。

そういう因果のなかで、近代の戦争は政治宣伝の体制を異様に発達させます。第二次世界大戦では、「ラジオと映画」の影響が社会の隅々にまで浸透したのでした。今ではテレビとインターネットが、つまりテレ(遠方から)のビジョン(映像)が、そこに登場する「識者」や「専門家」のたわいのないお喋りの音響とともに、民衆の脳髄にまで突き刺さってくる始末です。その宣伝において、戦争にかんするデマ(集団的な嘘話)が流布されます。つまり「デマ」ゴギー(「民衆」への煽動)が情報メディアを通じてばらまかれるのです。銘記すべきは、デマ(嘘話)は「民衆」という意味だということです。古代ギリシャの昔(二千六百年ほど前)から、デモクラシーは、デマをたっぷりと含むデマゴギーによって熱狂させられることが多い、とみられていました。現代人はそれをすっかり忘れてしまいました。民主主義に疑念を抱くことを暗黙のタブー(禁忌)としている、それが現代人だからです。正確には、西欧社会にはデモクラシーへの懐疑が少しは残っているようですが、アメリカはそれを信仰しております。アメリカに屈従した戦後日本はその信仰を習慣にまで仕立て上げているのです。

フリードリッヒ・ニーチェという哲学者が、十九世紀の終わりに、「現代は“三つのM”によって動かされている」と喝破しました。「三つのM」とは「モーメント(束の間)のモーデ(気分)のマイヌンゲン(世論)」ということです。

戦争では「三つのM」が盛大に動員されます。その意味でなら、戦争期においてこそ、人間というものの本質が剥き出しにされます。つまり公心では、国家の行く末をめぐって、(正義の過剰としての)横暴、(勇気の過剰としての)野蛮が目立つといってさしつかえありません。そして私心では、生命のことをめぐる(思慮の過剰としての)臆病と(慎重の過剰としての)卑怯が高まるのです。

まことに矛盾多き厄介な動物、それが人間だと絶望したくなって当然です。そんな代物が戦争をやれば、大いなる可能性で酷い事態になると予想できます。その意味でなら、「戦争反対」の決まり文句にも言い分がありましょう。

しかし、現代における戦争反対の声は、人間を厄介な代物とはみておりません。それは、「素晴らしき性質を有した人間たち」の生命を守れ、という偽善・欺瞞の科白だときています。人間性に称えられて然るべき性質がないわけではありません。しかし、人間はけっしてサヴリン(崇高)なものではないのです。それゆえ民衆にサヴリン・パワー(主権)を授けるとする「民主」の人間観は根本的に間違っています。主権を授けるに値するものがあるとしても、それは民衆それ自体ではなく、民衆が背負っているかもしれない歴史な知恵のほうなのだと考えなければなりません。

「多数参加の上での多数決」という政治制度を排せよといっているのではありません。戦争にかんして熱狂を逞しくするほどに危険なものだ、とわきまえている人々によってその制度が運営されなければならないといっているだけのことです。

かつての空想的平和主義の裏返しのような、軽薄・低俗・卑劣な好戦論が跋扈している現状では、上で赤字にしたような、保守的な非戦論(というか厭戦論)に自分がますます近づくのを感じる。

戦後日本人は、まだ、「冷戦」のなかにいるつもりのようです。つまり、世界は自由民主主義圏と全体主義圏とに分かれていて、両者のあいだに(「熱戦」への傾きを秘めた)冷戦が繰り広げられている、とみるふしだらな思考習慣から脱け出せないままでいます。

違うのです。すでに指摘したように、自由はその国家の歴史的秩序のなかでのみ意義あるものとなります。民主の意味も、その国家の歴史的な輿論に支えられていなければ、失われていきます。なお、ここで「輿論」というのは、社会の輿[こし](台)をなしている庶民に伝えられてきた常識のことです。それはマスメディアに煽られる流行の「世論[せろん]」とは異なるものだということをおさえておきましょう。

自由民主主義の代表国たるアメリカに追随しているのが反社会主義的だ[引用者註――初版本原文には「反」の文字が無いが、ここはそれが無いと意味が通らない]、という冷戦期の考えは迷妄の一種にほかなりません。どだい、アメリカは、国民において歴史意識が乏しく、社会主義国と同じく壮大な社会実験として国家を建設してきました。したがってアメリカは、むしろレフティズム(左翼主義)の代表国なのです。

ここで思い起こさなければならないことがあります。「左翼」とは、フランス革命時に「自由・平等・博愛」のためにアンシャン・レジーム(旧体制)をすべてぶっこわせと叫んだいわゆるジャコバン派の連中のことだったのです。ついでにいうと、社会主義が世間を騒がせはじめたのは、それから五、六十年後のことでした。社会主義だけが左翼なのではありません。アメリカにおけるような(歴史意識の貧国な)個人主義も左翼に属します。というよりも、左翼のむしろ見本なのです。

我が国の歴史は長く連続しております。少なくとも半世紀ほど前まではそうでした。そこに歴史的秩序はいかにあるべきか、歴史的常識の何たるべきかが示されている、少なくとも示唆されている、と考えられます。そのことを大事にするという意味でのナショナリズム(国民主義)が今後の指針とならなければなりません。私たちは、単なるピープル(人民)ではなくナショナル・ピープル(国民)でなければなりません。国民ならば、個人(を大切にする)主義と社会(を重要ととらえる)主義のあいだで平衡をとる意識を強く持つはずです。

本当に保守的な立場から「価値観外交」を行うならば、まず自由民主主義を教条とする米国から距離を置いて、自立に向かってほんのわずかでも歩を進める努力をしてもらいたい。

・・・・・延命のためとあらば、どんな横暴も野蛮も、いかなる臆病も卑怯も、すべて許されるという、ごく卑俗な意味でのニヒリズム(虚無主義)に、人はみずからの精神を浸す破目に陥ります。ニヒリズムというのは、人間の生の拠るべき価値なんかニヒル(ない)と公言する態度のことをさします。そんなことでは、死ぬ甲斐もなくなろうというものではありませんか。

もちろん、「生き延びることそれ自体」に意味なんかありはしないのさ、と大声で断定してはなりません。というのも、生き延びているうちに、生きることの意味がみつかる、ということがあるからです。

「どういう死に方を選ぶか」ということも「生の意味」に含まれます。ともかく死に方のことをはじめとして、生きることの目的・意味・価値といったものはそう簡単にみつかりません。生きていなければ生きる目的も見出せないのです。そう考えれば、何はともあれ生き長らえてみよう、とかまえるのが大事な場合もあるのです。

もっというと、「ここが死に場所だ」、「この崇高な目的のために死を恐れるな」と声高に呼号する連中には気をつけたほうがよいということです。生命を犠牲に供してもよいような立派な価値をみつけるのは、なかなかにむずかしいのです。一生かけても本当に確かな生の意味を発見できない、それが人生の通り相場だ、といって大して過言ではないでしょう。

この方は、ごく表面的に最近の単純・粗暴・矯激な自称右派と同じ主張をしているように見えるときがあるが(本書もそのように受け取られる危険がある)、実際には底無しに卑しいそれら「ネット右翼」的心性とは、根本的に次元の違う位置にいる人だと思う。

そのことが上記の文章を読んでもわかります。

「14歳からの」とタイトルにあるが、特に青少年向きとは感じない。

一般読者が読んでも有益。

少なくとも私は、ほとんどの主張に共感することができました。

広告

WordPress.com Blog.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。