万年初心者のための世界史ブックガイド

2014年5月30日

A・コナン・ドイル 『シャーロック・ホームズの冒険』 (光文社文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 12:25

推理小説の創始者としてE・A・ポーの名前を出したので、ついでにこれも挙げておくか。

大衆小説とは言え、ここまで有名だともはや一般常識の範囲内でしょう。

「赤毛連盟」とか、子供の頃から筋は知ってる話でも、改めて原作を読むとなかなか面白い。

私は本書を含めシリーズの半分くらいしか読んでいないが、気に入ったら全作読むのもいいでしょう。

2014年5月29日

ポオ 『黒猫 モルグ街の殺人事件』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 12:43

エドガー・アラン・ポーは、高校世界史教科書ではあまり見ない名前か。

怪奇小説と、おそらく著者が創始者と言える、探偵(推理)小説を収録。

内容的にはさして言うことはない。

普通に面白い。

私がお伝えできるのはそれくらいです。

2014年5月24日

秦郁彦 『日中戦争史』 (河出書房)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 08:50

初版が1961年と半世紀以上前の本を復刊したもの。

内容は詳細な戦史ではなく、時期も限定されており、前史として1935年の情勢から1938年の戦線泥沼化まで。

第一章は「梅津・何応欽協定」、二章「華北分離工作の失敗」、三章「日中戦争」、四章「盧溝橋事件」、五章「日中戦争における拡大派と不拡大派」、六章「日中戦争をめぐる列国の動向」、七章「軍事作戦概史」、八章「戦前期における日本の海外投資の展開過程」という構成。

合計320ページ余り。

各章各節は短いので、版形の大きさと分厚さから考えた事前の予想よりは読みやすい。

巻末の付録資料のうち、陸海軍省・外務省主要職員一覧表と関係主要外交官と陸海軍軍人の略歴は他の本を読むときにも役に立つ貴重なもの。

以下、気になった部分のものすごい適当なメモ。

満州事変が1933年塘沽(タンクー)停戦協定で一応終結した後、蒋介石政権は共産党討伐を最優先し対日融和策を採る。

35年米国の銀買い上げ政策によって銀本位国の中国経済が不況に陥り、米中関係が悪化。

それを背景に(広田弘毅外相自身の硬直した姿勢もあり結局失敗したが)「広田和協外交」が展開。

一方、国民政府の華北統治は汪兆銘派の黄郛が率いる北平政務整理委員会に委ねられていた。

しかし、34年1月黄は辞任、以後中央政府を代表する軍事委員会北平分会の何応欽と華北反蒋軍閥の宋哲元が関東軍支那駐屯軍(天津軍)と対峙する情勢となる。

ここで関東軍は大日本帝国に破滅的結果をもたらした華北分離工作を始める。

35年6月天津軍司令官梅津美治郎と何応欽との間で梅津・何応欽協定が結ばれ、国民政府は河北省より撤収を余儀なくされる。

同月末の土肥原・秦徳純協定によって国民政府はチャハル省(河北の西北・熱河の西)からも撤収(土肥原は関東軍特務機関長)。

宋哲元はチャハル省主席で日本と南京政府の間で日和見を決め込んでいたが、35年末、宋は河北・北平入りし、冀察政権主席になり、秦徳純が新チャハル主席になるが、国民政府に接近していた宋は日本側の圧力で解任。

この時期、ソ連は五ヵ年計画による国防力充実と人民戦線戦術による西側資本主義国への接近により、満州事変当初の融和策を捨て、対日牽制策へと転換。

英国も対中経済援助(幣制改革)を用いた積極的極東政策へ向かう。

(米国はひとまずは消極的孤立主義の態度を崩さず。)

日本の中国本土への南下を告げる両協定によって、中国の排日意識が高揚、国民政府内では汪兆銘・唐有壬ら親日派と宋子文・孔祥熙ら欧米派との対立が深刻化。

蒋介石は表面上汪の外交政策を支持し、中共討伐に専念、何応欽に対日処理を委ねるが、35年末汪・唐へのテロが勃発、親日派は凋落していく。

両協定で国民党諸機関と于学忠(旧東北系)・宋哲元(旧西北系)両軍は河北・チャハルから撤退。

平津衛戍司令として復活した宋と新河北省主席商震の両頭政治が行われ、山東・山西は韓復榘・閻錫山両軍閥が割拠し南京政府の中央化政策に反抗する。

関東軍・天津軍はこのような情勢をさらに煽り、華北と華中・華南を分離し、国民政府の統治領域を長江流域のみに留めようとした。

いくらなんでも中国を舐めすぎですよ。

そんなこと可能なわけが無い。

中国本土の割譲容認など、中国内のどんな勢力にとっても即政治的自殺行為です。

わざわざ中国が、それこそ中央政府の徹底した弾圧の対象だった共産党も含めて、狂的な排日運動で一致団結する土壌を作ってしまった。

共産党を徹頭徹尾武力鎮圧していた国民政府の背後を襲うような真似が、果たして日本の真の国益に資するものだったのか。

日中双方の粗暴・低俗なナショナリズムと(主に日本側の)因循姑息な権益意識が、日中両国民に対する真の脅威たる共産主義勢力を蘇らせてしまった。

35年11月冀東防共自治委員会(殷汝耕ら)が日本の肝煎りで作られ、それが12月冀東防共自治政府に発展。

それに対抗して作られた、宋哲元の冀察政務委員会は「冀」=河北と「察」=チャハルのみを管轄し、南京政府の統制が強く、自治権も制限されており、結果として日本側の圧力をかわすことに成功した。

この冀東政権と冀察政権の性格の違いは記憶しておきましょうか。

冀東防共自治政府は高校日本史でごくまれに出てくるだけですが、日本が破滅する第一歩となった1935年華北分離工作を代表する固有名詞として憶えておく価値あり。

日本側の予想に反して、南京国民政府の幣制改革は成功、西南派は屈服し、華北軍閥は中央化、経済的政治的全国統一が進行。

西南派の胡漢民は36年5月死去、広東・広西軍閥も36年6月南京政府に開戦するが9月には降伏。

にもかかわらず、日本は支那駐屯軍を増派し、冀東を通じた密輸で国民政府の関税収入に打撃を与え、綏遠事件を起こす。

(最後の綏遠事件で中央軍が北上し、日中間の緩衝地帯が消滅。)

36年川越茂駐華大使と張群外交部長との交渉が続くが、抗日テロが続発。

37年林銑十郎内閣の佐藤尚武外相による「中国再認識論」など日中融和への動きもあり、冀東政権解消も検討されたが、結局立ち消え。

ここで日英交渉の記述あり。

英国内の対外関係態度について、(1)親日・反米・反独派(ロザミーア卿、バイウォーター)、(2)親独・反日派(ロシアン卿)、(3)反日・親米派(ヤング・トーリー=保守党左派)という分類が載せてあった。

続いて、運命の盧溝橋事件を受けた態度について。

不拡大派は、参謀本部の石原莞爾、戦争指導課、陸軍省軍務課、外務省、海軍。

拡大派は、参謀本部作戦課・支那課、陸軍省軍事課、関東軍・朝鮮軍・天津軍参謀の一部。

後者の拡大派には政党政治家中島知久平鉄道相らも含まれ、今村均もややそうした傾向があったとされている。

(今村の名は意外だが、たぶんメモのミスではないと思う。なおこの時期の統制派実力者である陸軍次官の梅津は、本書ではそれほど批判的に記されていない。)

全面戦争化の後、37年8月の船津工作、同年のトラウトマン工作、38年6月の宇垣・孔工作、40年の銭永銘工作と、何度か和平工作が試みられたが、不幸にして成功せず。

なお、トラウトマン工作時に、杉山陸相と並んで賀屋興宣蔵相が条件を加重したとの記述があった。

個人的にはこれが気になる。

賀屋は、福田和也『昭和天皇 第五部』では日中和平の確固たる支持者として描かれてるので。

日中戦争は、8年間の無通告戦争となり、軍事作戦のサイクルが初期の2年間に集中して事実上終結、後は戦闘と政治工作と内戦が間歇的に交錯する奇妙な「半戦争」であり、戦後は交戦両国内部の政治社会体制の変化が激しい、と書かれている。

最後に、冒頭で書いた巻末付属資料から以下の職務のみ書き写してみる。

陸相=34年1月林銑十郎、35年9月川島義之、36年3月寺内寿一、37年2月中村孝太郎、同月杉山元、38年6月板垣征四郎、39年8月畑俊六、40年7月東条英機。

外相=33年9月広田弘毅、36年4月有田八郎、37年3月佐藤尚武、37年6月広田、38年5月宇垣一成、38年10月有田、39年9月野村吉三郎、40年1月有田、40年7月松岡洋右。

メモがきつい。

これが限界だ。

細かなところは飛ばせば良い。

概括的記述をチェックするだけでも結構有益。

出来ればノートを取った方がいいが、自分も完全には出来ないことを他人に勧めることはできないか。

7000円近くするので、買うには高いが、内容的には古くても手堅い印象なので、図書館にあれば借りてください。

2014年5月22日

エウリーピデース 『タウリケーのイーピゲネイア』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 07:30

古代ギリシアの三大悲劇詩人(「悲劇作家」ではなく「悲劇詩人」として間違いではないようだ)のうち、唯一読んでいない著者を穴埋めするためだけに読んだが、中々良い。

初心者でも話の筋の面白さは充分感じ取れる。

トロイア戦争の発端となったヘレネの夫であるスパルタ王がメネラオス、その兄がミュケナイ王アガメムノン。

アガメムノンは遠征出発に際し、順風を得るため、娘のイピゲネイアを生贄にした(実は女神アルテミスに救われ、黒海北岸のタウリケー地方に移り住む)が、それを恨んだ妻クリュタイメストラにトロイからの凱旋後に殺害される。

報復として、子のオレステスとエレクトラが母を殺害、オレステスは復讐の女神エリーニュースに追い立てられ、イピゲネイアのいるタウリケーに至る・・・・・・といった所から始まる話。

ラストは悲劇らしからぬ締めだが、大団円とも言えて、読後感は悪くない。

あまり労力を使わず、古典的作品を読んだという実績を作れるので、お勧め。

2014年5月20日

ホーソーン 『完訳 緋文字』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 13:42

植民地時代の17世紀アメリカ、ボストンが舞台。

ピューリタン的で厳格な社会における姦通小説。

姦通を犯したとして罰せられた女ヘスター・プリン、その夫で医師のチリングーワス、牧師ディムズデイル。

筋は非常にシンプル。

読みやすくはあるが、やや物足りない感があり。

分量的には短めで通読はしやすい。

教科書に出てくる19世紀アメリカ文学で、初心者でも読めるようなものは少ないし、予想よりは面白かったこともあるから、まあ良しとするか。

2014年5月19日

コレット 『青い麦』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 04:21

思春期を迎えた幼馴染の男女の前に年上の女性が現れ、少年がその女性と初体験をして、それから幼馴染とも関係を持つ話。

品の無い紹介だが、実際そういう話なのでしょうがない。

これも『ダフニスとクロエー』と同じく、微妙なエロ的関心から学生時代に読んだと思われる。

私が読んだのは新潮文庫だったと思うが、今読むのならこの版がいいでしょう。

ちょっと立ち読みしたら、巻末の鹿島茂氏(『怪帝ナポレオン三世』著者)の解説が面白かったです。

2014年5月15日

ヨハーン・ヴォルフガング・ゲーテ 『ファウスト  第二部』 (集英社文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 07:29

第一部の続き。

これも(この翻訳では)とりあえず普通に読める。

内容的には、ギリシア神話とゲルマン的キリスト教世界観の融合。

トロヤ戦争の原因であるヘレナとの恋と、皇帝へ錬金術じみた行為の売り込みで取り入る話が、二つの主要ストーリー。

第一部はまだしも一貫した筋があるから理解できるものの、この第二部は訳がわからないという意見も聞くが、それを言うなら、もう第一部からして、私には訳がわからない。

ただし、断片的に何かの寓意やゲーテの生きた時代への批判を読み取ることは可能。

社会の繁栄と教育の普及が悪しき反抗者を生み出し、自由な精神が驕り高ぶり、混乱と破局を引き起こす、それを遥か昔から人間は繰り返してきた、という意味の台詞は、ゲーテのフランス革命観とも繋がるか(坂井栄八郎『ゲーテとその時代』)。

現世の富・権力・評判・知識の空しさと来世への信仰の必要というテーマはとりあえず読み取れた。

しかし、私の手に余る作品であることは間違いない。

書名一覧での評価はいいとこ「2」ですが、これが私の知性と感性の限界です。

2014年5月12日

ヨハーン・ヴォルフガング・ゲーテ 『ファウスト  第一部』 (集英社文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 08:19

世界文学の古典のうち、韻文作品の『イリアス』『オデュッセイア』『神曲』『失楽園』などは、散文で記された19世紀的な長編小説よりも、初心者にとってハードルが高い。

知名度は抜群だが、これもそのやっかいな作品群の一つでしょう。

ですが、この版では散文調で訳しているので、有難いことに、普通に読めます。

筋もきちんと追える。

300ページもなく、量的にも楽。

高校世界史で習ったような、大雑把な粗筋だけ確認すればいいという気持ちで、気楽に読み進めればいい。

ファウストがメフィストフェレスの助けを借りて誘惑する娘の名が、マルガレーテからグレートヒェンにいつの間にか変わっていることなんかを除けば、特に読みにくいところも無い。

読了したという事実自体が、最大の収穫です。

特に深い感銘を受けたわけではないが、それはもちろんこちらが悪い。

2014年5月9日

ジェイン・オースティン 『高慢と偏見  上・下』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 08:34

このオースティンは、世界史愛好家にとっては少々微妙な作家で、高校教科書にはまず出てこないのだが、各社の「世界文学全集」には、ブロンテ姉妹と共に必ずといっていいほど収録されている。

高校世界史レベルではほぼ存在しないも同然であっても、それを超えて、普通の文学史では極めて著名な作家であるから、この度読んでみました。

1813年出版。

イギリス中産階級ベネット家の長女ジェインとビングリー、次女で主人公のエリザベスとダーシーの恋愛が主題。

愚鈍で下品な母と妹たち、賢明ではあるがやや冷淡で怠惰な父親など、脇役も印象的。

驚くような非日常的事件はないが、ストーリーは起伏に富み、決して飽きさせない。

物語の展開が巧みで、ほとほと感心してしまう。

脇役も含め、人物描写が的確で、その言動が生き生きと眼前に浮かぶようである。

同じ恋愛小説でも『赤と黒』よりずっと愉しめた。

楽に読み進められて、これだけ愉しませてくれるのだから、言う事無し。

是非取り組んでおくべき古典であると、お勧め致します。

2014年5月1日

西部邁 『14歳からの戦争論』 (ジョルダンブックス)

Filed under: 史論・評論 — 万年初心者 @ 09:09

2009年刊。

著者が持つ、先の戦争観、日本近代史観をわかりやすい形で述べた本。

以下、重要と思われる文章とその感想。

日米両国の太平洋決戦は大東亜戦争の一環でしたが、大東亜戦争そのものが、(林房雄という作家のいった)「百年戦争」の最終局面なのでした。欧米諸列強(とくにイギリス、フランス、オランダ、アメリカ、ロシア)のアジア植民政策が、徳川幕府時代の末期から日本列島にも触手をのばしはじめていたのです。それにたいして日本がいかに防衛体制を敷くか、という百年史のなかで、大東亜戦争は解釈されなければなりません。

その軍事体制が、終始一貫、自衛的なものであったと断言してはならぬでしょう。とくに、大正四年に出された「対支(中国)二十一ヶ条要求」の前後から、その軍略に「覇権的な武力発動」(としての「侵略」)の要素が少しずつ強まってきたことは否定できないでしょう。少なくとも、中国をはじめとするアジア諸国からみれば、その侵略性を打ち消すことはできません。ただし、そうしたアジア侵略(その側面)も、日本がわからすると、欧米のアジア植民地化が進めばその被害が日本にも及ぶ、という判断に立っての(当時の言葉でいえば)「自存自衛」の戦争であったという見方もあるのです。そのぶんを割引いて考えると、大東亜戦争を中心とする「百年戦争」において、日本の侵略度は、世間でいわれているほど大きくはないとみるべきです。私ならば、自衛度と侵略度の割合は七対三だ、というくらいで、この話を御仕舞にします。

たとえその割合であっても、侵略を受けたアジアの国々は、日本の過去にたいして、批判を逞しくしています。ましてや、その批判を強くすると日本の対アジア外交が(政治的姿勢のみならず経済的援助という点でも)いっそう妥協的になるとなれば、日本に「歴史認識」を正しくせよ、とアジア諸国(とくに中国と韓国)は迫ってきます。つまり「謝罪外交」を続行せよ、と要求してくるのです。

その要求に(ある程度)応じるのは、バランス・オブ・パワー・ポリティクス(勢力均衡政治)たらざるをえない外交の、必然というものでしょう。しかし限度を超えると、それは「国辱」であり、国辱の態度を続けるのでは日本の国益が害されます。

時間と努力を投入しながら、あの百年戦争が(基本的には)日本の自衛戦争であったのだ、とアジア諸国を説得していかねばなりません。それこそ歴史認識として、近代日本の戦争史における自衛的な色合はきわめて明瞭なのです。日本占領のGHQ(ジェネラル・ヘッド・クウォーター、総司令部)司令官のダグラス・マッカーサーですら(アメリカ議会の外交委員会で)そう証言しております。

また、対米戦争にしても、それがアメリカの策謀によって成り立った、日本にたいするいわゆる「ABCD包囲陣」(アメリカ、ブリテンつまり英国、チャイナつまり中国そしてダッチつまりオランダの四国による日本への輸出停止政策)への反発として起こったことは明らかです。1905年(明治三十八年)に終わった日露戦争で日本がアジアで頭角を現した直後から、アメリカが日本を仮想敵国とみなしはじめた、という歴史認識も正しいものだといわざるをえないでしょう。

このように整理してくると、百年戦争は「義戦」(「政治的正義の戦争」)であった、大東亜戦争もその義戦の流れにおいて戦われたものである、といってかまいません。その過程で生じた日本の軍略における軽率や傲慢は幾重にも批評されるべきでしょうが、それを延長させて、大東亜戦争が全体として侵略戦争であったとみるのは、はなはだしい間違いです。

さらに、日本人自身が日本国家の過去における軽率や傲慢を(批判を超えて)断罪するというのは、それ自体として、軽率にして傲慢な言動です。自分が当時の歴史的状況の中のただなかにいると想像してみたとき、自分はけっしてそのような軽率・傲慢を起こさなかったはずだ、と断言できる者がどれだけいるでしょう。人間の認識(および感情)は、自分のおかれている歴史的状況にかなり依存するのです。その状況から頭一つ抜け出ようと努力するのも人間ではありますが、その努力も虚しく、大概の人間は状況に大きく左右されるものなのです。

その意味での人間における「完成不可能と可謬性(間違いを犯す可能性)」を認めてかかると、現在の歴史的状況に立って過去の歴史的状況を断罪するのは論外というほかありません。その論外の議論ばかりがあふれてはや六十余年なのです。「戦後日本人よ、汝みずからの軽率・傲慢を知れ」といいたくなって当然です。

極めて巨視的な観点からすれば、以上のような史観に異論は無いが、現在の浅薄・矯激・単純・愚劣な世論状況を考えると、赤字で記したような部分はもっと強調されてしかるべきだし、国際的情勢から見れば上記の通りでも、国内的には、日本が先の大戦に向かう過程において、大衆民主主義の醜い弊害に押し流された側面が余りにも強いのではないかとの感は否めない気がする(言うまでも無く、こうした「民衆世論の暴走の結果としての軍国主義」を、自身も衆愚民主主義に冒されていることを自覚すらせず、よりによって民主主義の名の下に断罪した米国など戦勝国の史観にも、私は何の正当性も認めません)。

戦争責任のことをいうなら、あの戦争の始め方、進め方、終え方における日本の軍事関係者の政治的および軍事的な稚拙さや乱暴さを、日本国民みずからが追及するのが先決です。とはいえ、当時の日本国民の多数派は、その軍事について、歓迎したり容認したりしていたのですから、この追及の鉾先は鈍くならざるをえません。敗戦直後に「一億総懺悔」という言葉が流行りました。つまり、すべての日本人に「無謀もしくは拙劣な戦争をやった」責任があったということです。そう反省するのは、おそらく間違っていない態度でしょう。

とはいうものの、指導者はいわゆる「結果責任」をとらなければならない、といわれております。予想から大きく離れた甚大な不利益を国民が結果として被るなら、そんな指導を行った者たちは責任を免れないということです。この結果責任を国民自身が追及せずに、戦勝国に(東京裁判という似非の法律的審判で)肩代わりしてもらうというのは、たしかに不甲斐ない所業だ、と思っている日本人が少なからずいるのです。

私は、この種の戦争責任論にも半分くらい違和感を覚えます。政治家であれ軍人であれ、「与えられた状況」の中で、「限られた能力」によって、「何らかの動機」に駆られて、「結果の予測」を組み立てようと「努力」した上で、指導という「行為」をなします。その結果が失敗となったとき、責任を持つべき側面があるとしたら、「動機において不純」であるか「努力において怠慢」であるかの、いずれかもしくは両方、ということになるでしょう。少なくともその努力が最大限のものであったとしたら、そうとしか考えられません。

良き動機にもとづいて最善の努力をなした上での悪い結果ということなら、それを咎めることはできないのではないでしょうか。それを咎めるのは、政治家や軍人に完全な人間であれ、と無理な要求をするに等しいのです。完全性からあまりにも遠かったことについて自省するかどうかは、指導者本人の自由ということになりましょう。あの戦争の指導者の多くに不純な動機(たとえば地位や個人的名誉への執着)や怠慢な行い(たとえば情報の収集や解析における杜撰)があったことは否定できないでしょう。しかし同時に、苦しい状況のなかで能力一杯の予測をなした上での大敗北、というのがあの戦争指導者たちの普段の姿であったといえるのかもしれないのです。事前には指導者に喝采をあびせておきながら、事後には敗北せる指導者に石礫を投げるというのは、あまり褒められた振る舞いとはいえません。

明治期における対中国の日清戦争や対ロシアの日露戦争は立派であったが、昭和期の大東亜戦争は狂気の沙汰であった、というのはあまりにも単純な歴史観です。世界に帝国主義の嵐が吹き荒れている時代における「百年戦争」の最終段階、それが大東亜戦争でした。それゆえ、まずもって必要なのは、「時代の悲劇的な宿命」という観点です。自分が指導者であったら何をなしえたかと想像してみれば、自分もその世界規模の悲劇のなかであがくしかなかったのではないか、という思いを深くするはずです。

要するに、現在の状況に立ち現在の能力にもとづいて過去の歴史を裁断するのには、それ自体として不道徳の傾きがあります。言い換えれば、人は歴史のなかでしか生きられぬ、ということを軽んじているということです。指導者もまた戦争の犠牲者(生け贄)であったとみる心の余裕がほしいものだと私は思います。

この文章にはほとんど違和感無し。悲惨な敗北に終わった戦争に日本を押し流した「主犯」は、社会的上層部ではなく、民衆(の世論)だと私は確信しているので。そして形が変わっただけで戦前と同様に卑劣な衆愚世論で国家を脅迫・破壊する一般国民が(自らの世論の低劣さとそれがもたらす恐るべき危険には完全に無自覚のまま、上は天皇から下は一般軍人までの)「戦争責任」を偉そうに喋々するのを見ると、本当に穢いものを見たなという嫌悪感を抑えきれない。

「欧米の植民地であることからアジアを解放する」というのが大東亜戦争の大義名分でした。そして、実際に、インドネシアやビルマに典型をみるように、大東亜戦争が切っ掛けになって、アジア解放が進んだのです。

しかし大東亜戦争における「八紘一宇」(『八方』の諸民族が『一つの家』のなかで暮らすこと」)の理念は、かならずしもアジア諸国のナショナリズム(国民主義)を尊重するものでありませんでした。つまり、アジア解放のあとにアジア地域はいかなる国際関係におかれるべきかについて、日本帝国は十全な配慮をしていたとは考えられないのです。アジアを資源供給地なり市場開拓地として位置づける、という日本の自民族中心主義が露骨であった、次第にそうなっていった、とみざるをえません。

それにたいしアメリカは「自由民主」の理念をアジアに与えようとしました。簡略化していうと、「八紘一宇」と「自由民主」の理念の闘争において日本は敗れた、ということになります。もっというと、「自由民主」は植民地主義からの「民族独立」とアジア国際社会における「民族自決」といううるわしい未来観につながっていったのです。それで、日本の掲げた「アジア解放」も色あせたものになり、さらに「自由民主」が「解放後のアジア」に何らかの理念を与えてくれる、という錯覚が広まっていきました。

そもそも、人種的、言語的、宗教的、習俗的にこうまで異なったアジア諸民族を「一宇」に、いいかえるとアジア共同体(感情的な一体感につらぬかれた集団)に、まとめ上げるのは無理といわなければなりません。アジアはコミュニティ(共同体)になりえず、せいぜいのところ、緩やかなアソシエーション(連合体)になれるだけのことでしょう。この点における楽観が、日本が理念においても敗北したことの最大因ではないかと思われます。

もちろん、自由民主「それ自体」はかなりに空疎な観念です。国民の歴史にもとづく秩序がなければ、自由なんかは単に無秩序を招くだけに終わるでしょう。また国民の歴史感覚にもとづく(流行の世論ではなく)歴史的な常識としての輿論がなければ、民主(という名の多数決制)は人民の野放図な欲望や行動を正当化するだけのことになりましょう。つまり、自由民主主義を健全なものにする基礎的な条件、それはナショナリズム(国民主義)にあるということです。

アメリカのいう自由民主はあくまでアメリカ流の生活と国家の押しつけで、すぐそのことが、二十世紀後半の時代が進むにつれ少しずつ明らかになってきました。今でいえば、アメリカの自由民主は「アメリカニズムをグローバル化させること」つまり「アメリカ流儀による世界画一化」にすぎません。

しかしそのことが、六十余年前には広く知られてはいませんでした。ヒストリカル・イフ(歴史がもしそうであったならという仮想)を語ってみれば、日本がアジア諸国にたいしてもはっきりと国民主義(にもとづく自由民主)を提示していれば、日本はアジアをもっと強くリードすることができたでしょう。たとえ武力においてアメリカに敗れても、理念においてアメリカよりも優位に立つことができたに違いありません。

だが、自由民主は日本国内にあってすら、まだ理想の段階にあると思われていたのです。そうであればこそ、敗戦日本人の多くはアメリカ占領軍を「解放軍」とみなしたのでした。つまり日本人民をいわゆる「天皇主義」の抑圧から解放してくれる軍隊と誤認する、という愚かしい意見と行動が敗戦直後のこの列島に広がったのです。

日本を含めアジア諸国の解放と(それに続く)自立の道はナショナリズムのほかにはありません。ただし、そのナショナリズムは、自国についてのみのことではないのです。他国のナショナリズムをも認めてかかる以上、それは安定した国際環境をアジア地域に作り出す、ということを意味します。

前半にある、この程度の自省すら「自虐的」として悪罵を投げかけるような連中は、保守派でも何でもなくただの愚かな右派的ポピュリストだ。

そしてそんな連中に限って、後半のような自由民主主義に対する懐疑など全く持ち合わせていないのだから、もう心底からの軽蔑を込めて嗤うしか無い。

第二次世界大戦は、アメリカとドイツがそれを主導したことによって、自由主義と全体主義との戦いというイデオロギー戦争となりました。ここでイデオロギーというのは疑われることのない「固定された考え方」ということです。アメリカは建国以来、そしてドイツはナチズムの勃興を通じて、国家や国際関係を「特定理念(アメリカは「自由民主」、ドイツは「民族の団結」)をめざす合理的設計」の対象としてとらえました。それらの単純思考がイデオロギー戦争をもたらしたといってよいでしょう。政治的主張のために何千万名もの人命が損傷されたのですから、その狂気の度合たるや、まことに大きいというほかありません。

それは一部の軍国主義者の策謀によるものなんかではありませんでした。各国の世論が戦争を熱烈に支持したのです。民主主義は世論に根差す政治で、世論は人気によって煽り立てられやすいものです。そのことを忘れてはなりません。そして戦争にあっては、「生と死」そして「友と敵」を明確に区別しなければならないのです。そういう状況が「人気」の火に熱狂の油を注ぐことについては、多弁を要しないでしょう。

そういう因果のなかで、近代の戦争は政治宣伝の体制を異様に発達させます。第二次世界大戦では、「ラジオと映画」の影響が社会の隅々にまで浸透したのでした。今ではテレビとインターネットが、つまりテレ(遠方から)のビジョン(映像)が、そこに登場する「識者」や「専門家」のたわいのないお喋りの音響とともに、民衆の脳髄にまで突き刺さってくる始末です。その宣伝において、戦争にかんするデマ(集団的な嘘話)が流布されます。つまり「デマ」ゴギー(「民衆」への煽動)が情報メディアを通じてばらまかれるのです。銘記すべきは、デマ(嘘話)は「民衆」という意味だということです。古代ギリシャの昔(二千六百年ほど前)から、デモクラシーは、デマをたっぷりと含むデマゴギーによって熱狂させられることが多い、とみられていました。現代人はそれをすっかり忘れてしまいました。民主主義に疑念を抱くことを暗黙のタブー(禁忌)としている、それが現代人だからです。正確には、西欧社会にはデモクラシーへの懐疑が少しは残っているようですが、アメリカはそれを信仰しております。アメリカに屈従した戦後日本はその信仰を習慣にまで仕立て上げているのです。

フリードリッヒ・ニーチェという哲学者が、十九世紀の終わりに、「現代は“三つのM”によって動かされている」と喝破しました。「三つのM」とは「モーメント(束の間)のモーデ(気分)のマイヌンゲン(世論)」ということです。

戦争では「三つのM」が盛大に動員されます。その意味でなら、戦争期においてこそ、人間というものの本質が剥き出しにされます。つまり公心では、国家の行く末をめぐって、(正義の過剰としての)横暴、(勇気の過剰としての)野蛮が目立つといってさしつかえありません。そして私心では、生命のことをめぐる(思慮の過剰としての)臆病と(慎重の過剰としての)卑怯が高まるのです。

まことに矛盾多き厄介な動物、それが人間だと絶望したくなって当然です。そんな代物が戦争をやれば、大いなる可能性で酷い事態になると予想できます。その意味でなら、「戦争反対」の決まり文句にも言い分がありましょう。

しかし、現代における戦争反対の声は、人間を厄介な代物とはみておりません。それは、「素晴らしき性質を有した人間たち」の生命を守れ、という偽善・欺瞞の科白だときています。人間性に称えられて然るべき性質がないわけではありません。しかし、人間はけっしてサヴリン(崇高)なものではないのです。それゆえ民衆にサヴリン・パワー(主権)を授けるとする「民主」の人間観は根本的に間違っています。主権を授けるに値するものがあるとしても、それは民衆それ自体ではなく、民衆が背負っているかもしれない歴史な知恵のほうなのだと考えなければなりません。

「多数参加の上での多数決」という政治制度を排せよといっているのではありません。戦争にかんして熱狂を逞しくするほどに危険なものだ、とわきまえている人々によってその制度が運営されなければならないといっているだけのことです。

かつての空想的平和主義の裏返しのような、軽薄・低俗・卑劣な好戦論が跋扈している現状では、上で赤字にしたような、保守的な非戦論(というか厭戦論)に自分がますます近づくのを感じる。

戦後日本人は、まだ、「冷戦」のなかにいるつもりのようです。つまり、世界は自由民主主義圏と全体主義圏とに分かれていて、両者のあいだに(「熱戦」への傾きを秘めた)冷戦が繰り広げられている、とみるふしだらな思考習慣から脱け出せないままでいます。

違うのです。すでに指摘したように、自由はその国家の歴史的秩序のなかでのみ意義あるものとなります。民主の意味も、その国家の歴史的な輿論に支えられていなければ、失われていきます。なお、ここで「輿論」というのは、社会の輿[こし](台)をなしている庶民に伝えられてきた常識のことです。それはマスメディアに煽られる流行の「世論[せろん]」とは異なるものだということをおさえておきましょう。

自由民主主義の代表国たるアメリカに追随しているのが反社会主義的だ[引用者註――初版本原文には「反」の文字が無いが、ここはそれが無いと意味が通らない]、という冷戦期の考えは迷妄の一種にほかなりません。どだい、アメリカは、国民において歴史意識が乏しく、社会主義国と同じく壮大な社会実験として国家を建設してきました。したがってアメリカは、むしろレフティズム(左翼主義)の代表国なのです。

ここで思い起こさなければならないことがあります。「左翼」とは、フランス革命時に「自由・平等・博愛」のためにアンシャン・レジーム(旧体制)をすべてぶっこわせと叫んだいわゆるジャコバン派の連中のことだったのです。ついでにいうと、社会主義が世間を騒がせはじめたのは、それから五、六十年後のことでした。社会主義だけが左翼なのではありません。アメリカにおけるような(歴史意識の貧国な)個人主義も左翼に属します。というよりも、左翼のむしろ見本なのです。

我が国の歴史は長く連続しております。少なくとも半世紀ほど前まではそうでした。そこに歴史的秩序はいかにあるべきか、歴史的常識の何たるべきかが示されている、少なくとも示唆されている、と考えられます。そのことを大事にするという意味でのナショナリズム(国民主義)が今後の指針とならなければなりません。私たちは、単なるピープル(人民)ではなくナショナル・ピープル(国民)でなければなりません。国民ならば、個人(を大切にする)主義と社会(を重要ととらえる)主義のあいだで平衡をとる意識を強く持つはずです。

本当に保守的な立場から「価値観外交」を行うならば、まず自由民主主義を教条とする米国から距離を置いて、自立に向かってほんのわずかでも歩を進める努力をしてもらいたい。

・・・・・延命のためとあらば、どんな横暴も野蛮も、いかなる臆病も卑怯も、すべて許されるという、ごく卑俗な意味でのニヒリズム(虚無主義)に、人はみずからの精神を浸す破目に陥ります。ニヒリズムというのは、人間の生の拠るべき価値なんかニヒル(ない)と公言する態度のことをさします。そんなことでは、死ぬ甲斐もなくなろうというものではありませんか。

もちろん、「生き延びることそれ自体」に意味なんかありはしないのさ、と大声で断定してはなりません。というのも、生き延びているうちに、生きることの意味がみつかる、ということがあるからです。

「どういう死に方を選ぶか」ということも「生の意味」に含まれます。ともかく死に方のことをはじめとして、生きることの目的・意味・価値といったものはそう簡単にみつかりません。生きていなければ生きる目的も見出せないのです。そう考えれば、何はともあれ生き長らえてみよう、とかまえるのが大事な場合もあるのです。

もっというと、「ここが死に場所だ」、「この崇高な目的のために死を恐れるな」と声高に呼号する連中には気をつけたほうがよいということです。生命を犠牲に供してもよいような立派な価値をみつけるのは、なかなかにむずかしいのです。一生かけても本当に確かな生の意味を発見できない、それが人生の通り相場だ、といって大して過言ではないでしょう。

この方は、ごく表面的に最近の単純・粗暴・矯激な自称右派と同じ主張をしているように見えるときがあるが(本書もそのように受け取られる危険がある)、実際には底無しに卑しいそれら「ネット右翼」的心性とは、根本的に次元の違う位置にいる人だと思う。

そのことが上記の文章を読んでもわかります。

「14歳からの」とタイトルにあるが、特に青少年向きとは感じない。

一般読者が読んでも有益。

少なくとも私は、ほとんどの主張に共感することができました。

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