万年初心者のための世界史ブックガイド

2014年2月22日

塩野七生 『十字軍物語 3』 (新潮社)

Filed under: ヨーロッパ — 万年初心者 @ 09:05

1巻2巻を記事にしてから、ものすごく間隔が空きましたね・・・・・・。

何かめんどくさくて、読む気がしませんでした・・・・・・。

全3巻で、2巻において描かれたのが、第2回十字軍まで。

山場と言える第3回、第4回を残したままで、相変わらずペース遅いなあと思っていたら、案の定この3巻はやたら分厚い。

第3回十字軍の描写を読み始めて、まず驚いたのが、英国王リチャード1世の評価が相当高いこと。

「獅子心王」のあだ名通り、勇猛果敢で中世騎士の理想像であっても、猪突猛進の猪武者で、国王と政治家としては思慮分別に欠ける、というイメージがあり、クレバーな現実主義者を評価する著者の好みには合わない人物かと思っていたら、意外なほど好意的な筆致にびっくりする。

第3回十字軍参加者は、英王リチャード1世、仏王フィリップ2世、独帝フリードリヒ1世だが、フリードリヒはシリアに入る直前に事故で溺死(フリードリヒ指揮下の一部が現地に残留し、史上有名なドイツ騎士団となる。)。

フィリップと仲違いしたリチャードは単独でサラディンと互角以上に戦い、イェルサレムこそ奪還できなかったものの、イェルサレム巡礼の自由と安全の確保、ティロス・アッコン・ハイファ・カエサリア・アルスーフ・ヤッファの海港都市のキリスト教側確保という条件で休戦協定を結ぶ。

本書では、これは当時望みうる最善のものだったとされている。

確かに、史上屈指の名将サラディン相手にこれだけの条件を勝ち取れば、御の字でしょう。

高校世界史レベルでは、イェルサレムを奪還できなかったことをもって、単純に「失敗」と述べられている、この第3回十字軍の評価が変わります。

また、その途上で、当時ビザンツ帝国から半独立状態にあったキプロス島を征服し、西欧勢力の強力な拠点としたことも、リチャードの大きな功績とされている。

それに引き換え、リチャード1世と弟のジョン王を手玉に取って大陸から英国勢力をほぼ一掃することに成功した、冷徹なリアリストのイメージがあるフィリップ2世に対しては、その狡猾さと悪辣さを強調し、冷ややかな記述がなされている。

「先生、ちょっと個人的な趣味が入りすぎてませんか?」と言いたくなりますが、まあいいでしょう。

中東での西欧勢力をかなりの程度回復させたリチャードは1199年死去(奇しくも源頼朝没年と同年だ)。

著者は、十字軍研究の大家ランシマンの獅子心王への酷評に同意せず、キリスト教徒側の制海権を奪還・維持したリチャードを高く評価している。

第4回十字軍は、言うまでも無く教皇インノケンティウス3世の発案から、脱線してコンスタンティノープル攻略に至ったものだが、本書では、サラディンの弟アラディールと暗黙の了解に達し、攻撃目標をイスラム勢力ではなく、ビザンツに向けた、ヴェネツィア元首エンリコ・ダンドロの怜悧な手腕を好意的に記している。

第5回十字軍は1218~21年。

これは高校世界史では数えないので、以後回数がずれる。

教皇ホノリウス3世主唱だが、ヨーロッパからの遠征は無く、パレスチナ現地のキリスト教勢力が主導し、エジプトのナイル・デルタの扇型、東端ダミエッタ(西端はアレクサンドリア)を攻撃。

この最中にアラディールが死去、息子のアル・カミールが即位。

ダミエッタ攻撃は、結局失敗に終わる。

この時の休戦交渉で、中世修道会創立で著名な聖フランチェスコが使者として出てくることに驚く。

名著、藤沢道郎『物語イタリアの歴史』(中公新書)でのフランチェスコ伝の章では記されていたのか覚えていない。

第6回、神聖ローマ皇帝兼シチリア王フリードリヒ2世が遠征、アル・カミールと一戦もせず講和、教皇グレゴリウス9世と対立。

だがその条件は、内部対立を懸念するアル・カミールが妥協に傾いたせいで、意外なほど有利であり、イェルサレムのうち、東側三分の一のイスラム教徒側を除く地区を回復、巡礼・通商の自由安全確保、ティロスの北、シドン・ベイルート含め海岸部がキリスト教徒側であると確認し、その結果トリポリ・アンティオキアとも陸続きとなる。

ここでも、著者はランシマンの低評価に同意していない。

第7回、1248~54年、仏王ルイ9世主導。

始まった時には、フリードリヒ2世はまだ生きていた(没年は1250年)。

開始前に、1244年エジプト・アイユーブ朝に従わないシリア勢力がイェルサレムを占領している。

ルイは「聖王」と呼ばれ、内政では名君と言えるが、この外征は完全に失敗。

ダミエッタを攻撃するが、大敗し捕虜となる。

身代金を支払って釈放されるが、この敗北の巻き添えを食って、宗教騎士団も衰退。

この前後にイスラム世界では、大激動が続く。

まさにこの第7回十字軍の最中に、1250年エジプトの王朝がアイユーブ朝からマムルーク朝に交替。

1258年モンゴルのフラグ軍がバグダードに入城し、アッバース朝滅亡。

1260年アイン・ジャールートの戦いで、マムルーク朝バイバルスがモンゴル軍を撃退。

第8回、再びルイ9世が、今度はチュニスを攻撃するが、すぐに病死。

以後急坂を転げ落ちるように、アンティオキア公領・トリポリ伯領が消滅、1291年アッコン陥落、続いてシドン・ティロスも喪失。

昔の概説書だと、1291年のアッコン陥落が十字軍の終幕として書かれており、史的解釈としては現在でもそれで間違いないのかもしれないが、シドンとティロスの喪失は時期的にはアッコン陥落の後らしい。

これは本書を読むまで、気付かなかった。

本書でのアッコン陥落の描写は感動的であり、同じ著者の『コンスタンティノープルの陥落』(新潮文庫)と同じく、感慨深いものがある。

宗教騎士団のうち、ヨハネ騎士団はロードス島からマルタ島に移って存続、ドイツ騎士団は東方植民へ、テンプル騎士団は仏王フィリップ4世によってスケープゴートとされ弾圧、という流れになります。

本書では、最後にフィリップ4世の残酷さを厳しく指摘し、仏人教皇クレメンス5世とアヴィニョン教皇庁に触れてラストです。

まあ、いい方じゃないですか。

歴史読物としては良くできている。

分量が気にならない。

私程度のレベルではそれだけで有難いと思って、読了すればいいんでしょうが、やはりどうしてもかつてのようには絶賛する気は起きません。

著者は現在、本書でも登場する(13世紀の神聖ローマ皇帝であって、18世紀のプロイセン王ではない方の)フリードリヒ2世についての作品を書いているようですが・・・・・・。

一定水準は必ずクリアしているとわかっていても、即座に手に取るつもりにはなれませんねえ。

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