万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年11月1日

ジョン・ルカーチ 『評伝ジョージ・ケナン  対ソ「封じ込め」の提唱者』 (法政大学出版局)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 15:52

著者ルカーチの作品では『ヒトラー対チャーチル』を(実質タイトルだけ)紹介済み。

外交官ジョージ・ケナンは、『人物アメリカ史 上』の記事で書いたように、アレグザンダー・ハミルトン、ロバート・リーと並んで、私が最も好意と敬意を持つアメリカ人の一人。

1904年に生まれ、2005年100歳を越えて大往生を遂げる。

包括的で詳細な伝記ではなく、それほど長大ではない。

ミルウォーキー生まれで、父の名はコシュート・ケナン。

ケナンは、その名前を嫌うことになった。その理由はおそらく、その後ヨーロッパ史への造詣を深めるにつれ、ジョージ・ケナンが、コシュートやジュゼッペ・ガリバルディといったロマンティックで大衆受けのする革命家を好きになれなかったからだろう。

そして(少なくとも私にとっては)極めて重要な文章が記される。

彼は、第一次世界大戦後のドイツ(および欧州)にとって最善のことは、立憲君主制の採用であっただろうと考えた。そしてその後も、彼はそう書くことになる。民主主義の手続きのせせこましさへの批判や苛立ちはドイツに限定されたものではなかった。・・・・・ジョージ・ケナンは共産主義だけでなく、自由民主主義を心底から、そして知的観点から批判してきた。この点は、彼の友人や賛同者であっても無視したり、曖昧にしてすますべきではないことであった。

プリンストン大学へ入学、卒業後外交官の道を歩み、スイス・ドイツ・エストニア・ラトヴィアに駐在、ロシア研究に従事し、スターリン体制下のモスクワとミュンヘン会談時のチェコ、第二次大戦勃発時のドイツにも在勤し、ポルトガルを経て大戦末期には再びモスクワで勤務。

(ベルリンでのケナンの経験については引用文(ケナン1)を参照。)

このへんで、先に言及した民主主義に対するケナンの嫌悪感の問題に戻ろう。この点は、ケナンの伝記を手がけようとする者が無視したり、忘れたりすべきでない事柄である。いくつかの点で、この問題は生涯をとおして彼につきまとった。1930年代には、彼の信念は民主主義の改革ということにとどまらず、議会主義と民主主義に対する批判を含んでいた。・・・・・当時のオーストリアは権威主義政権の統治下にあり、議会や選挙は停止され、社会民主党および国家社会主義党も含め、政党は活動を停止させられていた。ケナンはオーストリア政府を是認した。さらに一歩踏み込み、彼はそうした権威主義政府は、全体主義的な警察国家の独裁に対してのみならず、非効率的な議会制民主主義に対しても健全で歓迎すべき代案だと信じていた。三年後、ケナンは本の執筆に取りかかった。それは、移民の制限のみならず普通選挙権の制限をともなったアメリカ合衆国の漸進的改革を唱えるものだった・・・・・

(著者はその後で、「が、幸いなことに執筆を断念した。」と続けるが、私はこの著作が読めないことが残念で仕方が無い。)

ケナンは、東欧の新興独立国に対して醒めた視線を向け、勢力均衡の維持と多民族間の秩序維持の観点から、第一次大戦で崩壊してしまったハプスブルク帝国を評価した。

独ソ戦が始まると、連合国の対ソ支援に制限を設けるよう主張(引用文(ケナン2)参照)。

著者は、当時の状況下では、ドイツの全欧支配か、ソ連の東半分の支配かの二者択一しかなかったのであり、ケナンの立場は現実性を欠くものだと見なしている。

ナチズムの本質については、以下のように観察。

ヒトラーと国家社会主義に対する彼の見解は、西側世界のおおかたの見方とは異なっていた。なかでも、おそらく米国民の見解とは違っていた。・・・・・ケナンはつぎのように書いた。ヒトラーとナチはアナクロニズムの正反対であり、彼らの考え、行動、手段は古臭くも反動的でもなく、新奇で革命的だった。しかもヒトラーは、その後生き残ることになるドイツの国民、民族、国家の統一を完成させたのだ、と。

「プロイセンの非民主的伝統」ではなく、そこから実質的には離反していた大衆の愚劣と狂信と憎悪、その大衆が支持した野卑・低俗を極める種族的・人種的ナショナリズム(俗流ダーウィニズムと疑似科学に起源を持ち、完全に非伝統的な意味でのナショナリズム)こそがナチズムの基盤だったとの主張は、私には全く正しいものとしか思えない。

(なぜそう思うかは、ドイツカテゴリの記事をご覧下さい、としか言えません。強いて挙げろと言われれば、村瀬興雄『ナチズム』ニッパーダイ『ドイツ史を考える』の記事での引用文をとりあえずお読み下さいと申し上げておきます。)

ナチズムを、民主主義・進歩主義・形式的民族自決主義の観点から批判しても全く無意味です。

戦後、1946~50年は国務省官僚トップの一人であり、ケナン自身の米外交政策への影響が最も強かった時期でもある。

47年マーシャル国務長官の下で政策企画室長を務め、戦後米外交の最も輝かしい成功例とも言えるマーシャル・プランにも貢献。

一方、通常マーシャル・プランと並んで冷戦の二大政策とされるトルーマン宣言へは違和を表明。

戦後の米ソ協調の夢に浸る米世論に対して、いち早くソ連の脅威を主張し、いわゆる「X論文」で「封じ込め政策」を提唱したケナンだったが、その対応は主として軍事的なものではなく(マーシャル・プランのように西欧の自己崩壊を防ぐための)政治的対応の必要を説くものであり、アメリカが死活的国益を持つ地域は西欧と日本のみだとして、トルーマン宣言中のギリシアとトルコへの支援という具体的措置については是認しつつ、「世界規模の反共十字軍」に繋がりかねない構想には反対を貫く。

そうした観点から、戦時中の中国への過度の期待の裏返しとも言える、共産中国への過大評価された脅威視を批判、アジア政策においては日本を友好関係に繋ぎとめることを重視し、その流れで、後には全く重要性に見合わず、甚大なコストを伴ったヴェトナムへの軍事介入を批判することになる。

(ただ、本書で、CIA設立に賛同し、東欧での秘密工作と騒乱育成を主張したと書かれているのはイメージが違うが。)

48年末アチソンが国務長官に就任すると、ケナンの役割はやや低下する。

スターリン支配下のソ連の脅威を直視し、必要な軍備を整え、政治的措置を採る必要を唱えたケナンだったが、それが成された上で、ソ連と真摯な交渉に入るべきだとして、対話の必要自体を認めないタカ派とは一線を画す。

西側占領地域を固め、西ドイツ成立へと向かう時期に、ドイツの中立化と非軍事化を交換条件にした統一ドイツ容認(すなわち東独のソ連圏からの離脱)、欧州での米ソ戦力引き離しという、西側の団結破壊を目的としたソ連による「平和攻勢」、攪乱工作を懸念する人々から見て受け入れがたい政策を主張。

極東でも日韓の非軍事・中立化と、この地域での兵力の相互撤退を主張した。

また、中ソ対立を予見し、アメリカの政策の重点は中国よりもロシアに置かれるべきだとしたが、実際の政策はニクソン・キッシンジャー外交を経て、これとは逆になったと著者は評している。

1950年朝鮮戦争では、侵攻してきた北朝鮮軍を38度線に押し返すことのみ賛成し、それ以上の介入に反対。

以後、北朝鮮という国家があまりに異常な体制となってしまったので、朝鮮戦争での国連軍の38度線以北への進撃には違和感を持たないが、中国の介入がほぼ避けられなかったであろうことを思えば、この時点での朝鮮統一はどの途不可能で、ケナンの立場にも理があるというべきでしょう。

一方、ディーン・ラスクは当初韓国放棄を主張し、それがケネディ政権下では、はるかに勝ち目が薄く、国益にも適わないヴェトナム戦争介入を推し進めるんだから、ケナンとは外交官として雲泥の差があります(ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』参照)。

52年駐ソ大使となり、そのキャリアに相応しい地位と言えるが、ソ連での駐在をナチ時代の抑留になぞらえる発言で、ソ連当局から「好ましからざる人物」として召還要求が出され辞職。

核兵器に依存した国防政策に反対し、核兵器の先制不使用を主張、スターリン死後は「ハト派」の代表格としてソ連との対話と交渉の必要性を強調した。

ケナンにとって、封じ込め政策は、西側を軍事的政治的に脆弱で不利な立場に置くことを防いだ上で、有意義な交渉を可能にする状況を作り出し、長期的にソ連の好ましくない側面が変化することを促す政策であり、対立自体を自己目的とするものではなく、核時代においてそのような無思慮な対決姿勢はあまりに危険極まりないものであった。

以後、ケネディ政権下で駐ユーゴスラヴィア大使を勤めた他は、歴史研究に没頭することになる。

この心底からの保守主義者で伝統主義者のアメリカ人は、最大の敵はアメリカの「保守主義者」たちだということを知った。筆者はかつて、ケナンは愛国者であって民族主義者ではないと書いた。なぜなら、愛国心は防衛的だが、民族主義は攻撃的であり、愛国心は伝統主義的であり、民族主義はポピュリスト的だからだ。また、愛国心は自国の国土と歴史への愛着だが、民族主義はまとまりのない大衆を団結させる粘着性のあるセメントだからだ。

・・・・・多くのアメリカ人と違って、ジョージ・ケナンは、合衆国が神に選ばれた国家だとか、米国民は選ばれた民だとか、人類にとって最後で最善の希望だとかいったことを信じなかった・・・・・

ジョージ・ケナンは民主主義の運用の多くに疑問を抱いており、本当に悲観的であった。・・・・・「民衆による統治制度を有していると考えている大半の国で世論と称するものは、しばしば実際には多数の人びとの総意などではなく、声の大きい特殊な少数派の利益の表現なのではないか、と私は思う。」

アメリカだけでなく、日本でも「愛国者」は消え失せ、愚かで醜い「民族主義者」だけが幅を利かすようになり、「声の大きい特殊な少数派の利益」が異常なまでにまかり通る世の中になってしまいました。

『ロシア、戦線を離脱する』、『介入する決定』などの米ソ関係史、『ビスマルクのヨーロッパ秩序の衰退』、『致命的同盟』などのヨーロッパ外交史を執筆。

後者の著作のうち、「致命的同盟」とは露仏同盟のことを指し、露仏同盟こそが第一次世界大戦を招いた、(通説とは逆に)独よりも露仏両国を攻撃的・膨張主義的だったと主張している点が非常に興味深い(ただし著者のルカーチはそれを疑問視している)。

またビスマルクについても、ルカーチは註で以下の通り記している。

少なくともひとつの事例において、ビスマルクの性格についてのケナンの識見は議論の余地がある。ビスマルクは「多くの点で・・・・・十八世紀の人間だった」。でも、たとえば、ビスマルクは新聞を操作する術をよく心得ていたのではなかったか。

最も通俗的でつまらない立場は、「ビスマルクは非民主的だから良き政治家とは言えない」というもの。

一方、ケナンは貴族的・前近代的な秩序と価値観の体現者としてビスマルクを評価している。

しかし、ルカーチは、ビスマルクは大衆政治と民衆的ナショナリズムの利用者であり、(悪い意味で)「民主的」な側面を持つ政治家だとしているわけ。

個人的には、これはややルカーチに分があるような気がする。

マイネッケ『ドイツの悲劇』でも書かれていたように、やはりビスマルクは(私の考えでは)「非民主的な」良き面と「民主的な」悪しき面(このかぎ括弧内の表現は逆ではないです。念のため。)を兼ね備えた「境界線上の人物」だった気がする。

ケナンの考えでは、第一次世界大戦が20世紀最大の惨事と言える、ロシア革命や第二次世界大戦はその直接的帰結と言えるからだとされている。

また、ロシア研究の大家として以下のようにも書いている。

われわれと似かよった、政治的・社会的・経済的な諸制度という意味で、ロシアが『デモクラシー』を実現するということは期待できない。そして、たとえロシア流の自治の形態がわれわれのそれと非常に異なっているとしても、このことは全体として、悪いことだと考えるべきではない。われわれの多くが同感だと思うが、われわれ自身のモデルは、それほど完全ではない。そして、今日と同様に、今後も米ロ関係には良いときも、悪いときもあるだろう。

日本が中国を見る際にも適用できる考え方だと思われる。

最晩年にはイラク戦争への反対を表明。

それを新聞で読んで、強い感銘を受けたことをはっきりと覚えている。

非常に良い。

ケナンの、デモクラシーへの懐疑と批判という側面をはっきりと読み取ることが出来て、個人的には極めて有意義な読書だった。

ますます彼への尊敬の念が増した。

このブログでもケナンの著作をいくつか紹介しています。

まだ一冊も読んだことが無い、あるいはケナンの名も知らなかったという方は、まず何を措いても、『アメリカ外交50年』を読むことをお勧めします。

アメリカ史、日本近代史、国際政治学等、様々な分野で、文字通り必読の文献です。

次には『レーニン・スターリンと西方世界』を。

ソ連史の名著中の名著であり、驚くほど多くの貴重な知見が得られます。

他にも『回顧録』『アメリカ外交の基本問題』『危険な雲』『二十世紀を生きて』を記事にしていますが、とにかく日本語で読める著作は図書館等も利用して(原書を読める方はこんなブログに用は無いでしょうから)、一つでも多く読まれることを強くお勧め致します。

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