万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年11月24日

松戸清裕 『ソ連史』 (ちくま新書)

Filed under: ロシア — 万年初心者 @ 15:53

ごく簡潔なソ連通史。

今の若い人は「ソ連」という国を教科書でしか知らないんですよねえ。

私が年を取ったというだけの話なんですが、何とも不思議な感じがします。

ここでも書いたんですが、以前はむしろ「ロシア」の方が、「昔はあったけど今は無くなった国」みたいな感覚でした。

閑話休題。

本書は全6章のうち、スターリンの死まででわずか2章。

戦後史の比重が高い。

だが1917(1922)~1991年のソ連邦全体の歴史を考えればかえってバランスがいいと言うべきか。

内容的にも特色があり、政治史だけではなく経済史にも多くのページを割く。

具体例としては、処女地開拓、国民経済会議設立、MTS(機械・トラクターステーション)改組。

他にもコルホーズの大規模化、付属地(私的使用可能地)制限、コルホーズ農民のソフホーズ並みの待遇改善等々。

「一党独裁の非民主的国家」としか言いようが無いソ連ではあったが、少なくともスターリン時代以後は、国民生活の向上を求める民意に配慮する(せざるを得ない)一面があったことが記述されている。

末期の章では『ゴルバチョフ回顧録』からの引用が多数載せられている。

あの分厚い本はとても読めないですから、これもまあ良い。

なお、経済・社会史については大体の雰囲気が解かればいいですが、政治史については少なくとも最高指導者の順番だけはきちんと憶えて下さい。

1917年十一月革命とレーニン政権、24年レーニン死とスターリン体制への(数年をかけた)移行、53年スターリン死とフルシチョフ台頭、64年ブレジネフ、82年アンドロポフ、84年チェルネンコ、85年ゴルバチョフ、91年共産党クーデタ失敗とソ連崩壊、ロシアのエリツィン政権、という順序と年代は、初心者でも(アンドロポフとチェルネンコはまあ除いていいとしても)必ず暗記が必要です。

それにソ連と対峙した米国の戦後大統領の順序なども一般常識として頭に入れておくべき。

1945年トルーマン、53年アイゼンハワー、61年ケネディ、63年ジョンソン、69年ニクソン、74年フォード、77年カーター、81年レーガン、89年ブッシュ(父)、93年クリントン、2001年ブッシュ(子)、09年オバマ、と何も見ずにそらでスラスラ出てこないと困る。

任期4年、再選で8年、その加算年で替わっていない2人は何か変事(暗殺とウォーターゲート事件)が起こったということ。

で、どの大統領が共和党で民主党かは当然すぐわかりますよね?

わからないという方はもう少し基礎固めに時間を費やして下さい。

加えて、戦後イギリスの首相とその与党(保守党か労働党か)[黒岩徹『イギリス現代政治の奇跡』]、第五共和政以降のフランス大統領とその支持基盤(保守か左派か)[渡辺啓貴『フランス現代史』]、(西および統一)ドイツの首相と与党(キリスト教民主同盟と社会民主党と他党との連立形態)[小林正文『指導者たちでたどるドイツ現代史』」、それから日本の首相[福永文夫『大平正芳』]も、それぞれ任期順と就任年度を記憶することが望ましいです。

中国についても、1949年人民共和国成立、58年「大躍進」政策開始とその大失敗、60年代初頭の調整政策、66年文化大革命発動、71年米中接近と林彪失脚、76年毛沢東死と四人組逮捕、78年改革開放政策確立、89年天安門事件といった具合に、「穏歩」と「急進」のサイクルを年代とともに捉えておく。

これだけ暗記した上で、戦後史の概説書を読むと、非常に史実の見晴らしがよくなって、理解度が大きく向上します。

そして、戦後世界史の時代区分 その1 と 同 その2 という記事で書いたようなストーリーを頭の中で再現できればよい。

私もあやふやなところがあるので、あまり偉そうにお勧めできる立場でもありませんが、少なくとも、この引用文でも書かれてある通り、「歴史は流れがわかればそれでいいんであって、年号などを暗記させるのはナンセンス」といった意見には私は徹頭徹尾反対です。

この点では私は極めて頭が固く、時代錯誤とか頑迷固陋とか何と言われようと自分の意見を変えるつもりはありません。

年号を含む細かな事実を理解した上でなければ、「歴史の流れ」と言いつつ、ごく単純化され偏向したストーリーに知らず知らず足を捕られてしまう惧れが大きいと思います。

話が逸れ過ぎました。

本書の感想に戻ると、特筆すべき点は無いもののコンパクトで読みやすい。

教科書レベルの次に読む本としてはいいかもしれない。

史観もバランスが取れている印象で、特に違和感は無い。

もうソ連型社会主義に幻惑される人間などいるわけ無いのだから、終始共産主義への糾弾口調で記す必要も無いでしょう。

本書を読み終えたら、以後ケナン『レーニン・スターリンと西方世界』ヴォルコゴーノフ『レーニンの秘密』メイリア『ソヴィエトの悲劇』パイプス『ロシア革命史』クルトワ『共産主義黒書 ソ連篇』などを読み進んでいって下さい。

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2013年11月17日

森本公誠 『イブン=ハルドゥーン』 (講談社学術文庫)

Filed under: イスラム・中東 — 万年初心者 @ 06:28

「高校世界史のイスラム文化史で出てくる、イブンなんとか」の一人である歴史家についての著。

原本は1980年に「人類の知的遺産第22巻」として刊行。

このシリーズは、中央公論社「世界の名著」と違って、古典の翻訳部分は一部だけで、編者の解説の方が主という構成になっている。

1冊も読んだことがないくせに、今まで「何となくパッとしないシリーズだなあ」などと失礼な感想を抱いていた。

本書では、全450ページ中、翻訳は200ページ余りと半分ほどで、あとは森本氏の解説。

1部は思想分析の叙述、2部は伝記、3部が原典の抄訳、4部は後世への影響分析。

イブン・ハルドゥーンは『歴史序説(世界史)』の著者として有名。

田舎と都会の文明を対比し、アサビーヤ(連帯意識)による王権の成立とその消滅による堕落・崩壊を述べる。

1332年マグリブのチュニス生まれ。

鎌倉幕府滅亡と百年戦争の直前。

近隣の状況では、1250年成立のマムルーク朝は1382年にバフリー・マムルーク朝からブルジー・マムルーク朝に替わる。

マグリブではムワッヒド朝が1269年滅亡、モロッコのマリーン朝、西部アルジェリアのザイヤーン朝、東部アルジェリア・チュニジア・トリポリタニアのハフス朝の三国鼎立時代になる。

各王朝内部は不安定だが、とりあえずマリーン朝が優勢。

イブン・ハルドゥーンも政治に関与するが、細部はさすがに省略。

グラナダのナスル朝にも仕え、マムルーク朝にも出仕。

ダマスカス攻撃の際にはティムールとも会見している。

史上有名な1348年の黒死病で両親はじめ多くの親族を亡くす。

『歴史』の執筆を開始。

第一部は理論、第二部はアラブと東方イスラム世界、第三部がアラブとベルベル人の西方イスラム世界の具体的記述。

このうち第一部に「まえがき」と「序論」を加えたものが、通常『歴史序説』と呼ばれ刊行されている。

岩波文庫から森本氏の手に成る全4巻の分厚い翻訳が出ていますが、イスラム・中東カテゴリにある本のレベルを見れば、私ごときが読めるような本でないことはお解かり頂けるかと思います。

本書での抄訳を読んでも・・・・・・率直に言って素人が読んで感銘を受けるようなものではない。

ただ部分的には、以下の引用のように考えされられる文章もあります。

およそ人間の魂は、さまざまな社会習慣に染まって、もはやその精神状態は宗教面においても世俗面においても、善良なものとはいえなくなっている。いまやまったく抜きがたいほど奢侈的な風潮に染まってしまったために、信仰心がもてず、また奢侈的な生活をするにはあまりにも多くの物質を必要とするにもかかわらず、所得がこれに伴わないがために、まともな世俗的行為ができない。

・・・・・これはすべて奢侈的文化の極度の発達がもたらす結果である。このような発達は、生産ならびに商業活動、文明という点での都市全体の堕落を招くのであるが、一方住民の個々人も堕落してしまう。すなわち、奢侈的生活を営もうとするために労苦に疲れ、またそうした生活に要するものを得ようとする場合に染まりやすい悪に染まって、一つの悪徳を得てしまうと、他の悪徳も得ようとするというように魂は傷つく。それで生計を立てるに当たっての不道徳、悪事、不誠実、ごまかしといった行為がそのものずばりで、また形を変えて住民のあいだにはびこる。人はそのような生計の立て方に全力を傾けて熟慮し、目的のためにはどんな策略も用いるようになる。虚言、賭博、詐取、詐欺、窃盗、偽証、高利貸が横行し、さらに奢侈のもたらす多くの欲望や快楽のために、あらゆる種類の不道徳的行為、不道徳さとその動機の公言、ひどいときには家族や親戚や婦人とのあいだにさえ行われる猥談などに長じる。これは田舎や砂漠の生活では非難すべきこととされている。また狡猾老獪で、身にかかる圧力や不正行為に対する懲罰から身を守ることにたけ、ついにはこれが住民の大半の習慣となり性質となって、そうでない者は神の教えに救われた者だけとなる。

・・・・・よく理解し注目しなければならないのは、文明発展の頂点は文化と奢侈であり、頂点に達した文明は、生物の寿命と同じように、破滅へと向きを変えて老衰し始めるという点である。奢侈的文化にはぐくまれた人間の性質は、まさに堕落の目ということができる。人間はみずから有益なものは取り入れ、有害なものは退け、それが当然のこととして努力できてこそ一人前の人間である。それなのに、都会の人間は自分のことを自分ですることができない。安息に過ごしすぎたために軟弱であるか、贅沢三昧な環境に育ったために尊大であるか、であって、このいずれも非難すべきことである。

・・・・・またこのような堕落は道徳面でも同じで、奢侈的生活とその心酔から堕落し、魂はそうした生活に染まってしまう。都会の人でこれに巻き込まれない者は少ない。体力、さらには性格や宗教心について堕落してしまった人間は、もはやその人間性を堕落させてしまったわけで、事実畜生に変わってしまったのである。

14世紀のマグリブでも21世紀の日本でも全くこの文章の叙述通りのことが起こっている。

伝統や慣習、身分と信仰といった拘束が力を失い、自由を得た(精神的な)下層民衆が、邪悪な欲望を満たすため、数の力で専横を極め、思いのままに振る舞うとき、どんな国や文明も滅びるしかない。

民衆全体の腐敗と堕落にはもうどんな手も打ち様が無い。

最近では、そういう視点を持たない史論に対しては、たとえどんなに世評の高いものでも、個人的には本格的関心が持てなくなりました(例えば塩野七生『ローマ人の物語』)。

イブン・ハルドゥーンが指摘するように、有史以来人類は同じことを繰り返してきたんでしょうが、特に、彼が知らずに済んだ近代以降は、君主や貴族や宗教といった民衆への抑制手段を破壊することが進歩とされてしまったので、一層悲惨なことになっている。

この倒錯を是正することはもはや全く不可能ですから、やはり人類にはこの先いかなる希望も無いでしょう。

日本のアサビーヤも今世紀に入る辺りで完全に失われたようです。

まったく、どんな滅び方するのやら・・・・・・。

世界史教科書で必出の歴史家についての貴重な概説と作品抄訳だとは思うが、あまり得たものは無い。

ちょっと微妙な評価になってしまいました。

2013年11月10日

戸部良一 他 『失敗の本質  日本軍の組織論的研究』 (中公文庫)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 13:44

戸部氏は『外務省革新派』という著作を紹介済み。

他の著者は、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎の各氏。

著者紹介で見ると、現職は防衛大学の先生が多い。

単行本は1984年ダイヤモンド社刊、文庫化は1991年。

かなり著名な本で、私も書名だけはかなり前から知っていた。

ちょっと前にビジネス戦略書みたいな扱いで、再ブームになって売れてましたかね?

(個人的にはそういう読み方は趣味に合わないが。)

たまたま手に入ったので、いい機会だと思い読んでみた。

まず序章で、日米戦争に至るまでの外交的大戦略は問題にせず、開戦後の戦い方を組織論から考察するという狙いを説明。

政府・大本営レベルではなく、上級司令部・艦隊レベルの行動に焦点を絞る。

第一章で具体的戦史からの事例、素材としてノモンハン事件・ミッドウェー海戦・ガダルカナル攻防戦・インパール作戦・レイテ海戦・沖縄戦の六つを挙げ、事実経過の叙述の後、アナリシスという講評を述べる。

第二章で戦略・組織における先の事例での失敗の分析。

第三章で組織理論と教訓、今日的課題を記述するという構成。

通読してみた感想を言えば、全体的に見て平均的、悪く言えば平凡。

戦史の解釈もそうだし、二章以降の分析も同じく。

第二章の節名を挙げていっても、「あいまいな戦略目的」「短期決戦の戦略志向」「主観的で『帰納的』な戦略策定――空気の支配」「狭くて進化のない戦略オプション」「アンバランスな戦闘技術体系」「人的ネットワーク偏重の組織構造」「属人的な組織の統合」「学習を軽視した組織」「プロセスや動機を重視した評価」など、ごく常識的で、ほとんど予想可能なものであり、特に興味をそそられるものは全くと言っていいほど無かった。

第三章でも、日露戦の教訓へ過剰適応して自己革新的組織でなくなった日本軍といったことが書いてあり、これもごく普通。

個人的にはほとんど得たものが無い。

戦略論としてではなく、著名な戦史のおさらいとして読むにしてもあまり良いとは思えない。

例として、私にも理解できる範囲内で一点だけ。

ミッドウェー海戦について。

空母4隻を主力とする日本海軍の第一機動部隊がまずミッドウェー島基地を空襲、効果不充分との報告を得て、魚雷を搭載していた攻撃機に再度陸用爆弾を装備し直していたところ、カタパルト故障で発進が遅れていた巡洋艦搭載の水上偵察機より米空母発見の報が入電、第二航空戦隊山口多聞司令(空母「飛龍」「蒼龍」指揮)は陸用爆弾装備のまま即座に米空母に向け攻撃隊を発進させるべきと意見具申したが、機動部隊指揮官の第一航空戦隊南雲忠一司令(空母「赤城」「加賀」指揮)はそれを退け、より確実に敵空母を撃沈できると思われた魚雷への再度の兵装転換を指示、それに手間取るうちに、乾坤一擲で搭載攻撃機のほとんどを出撃させてきた米軍機が襲来、旧式機が主力の雷撃隊は零戦がほとんど撃退したものの、その間隙を縫って急降下爆撃機が攻撃、「赤城」「加賀」「蒼龍」の三空母が被弾、艦載機と二度の兵装転換で飛行甲板や格納庫に散乱していた魚雷や爆弾が誘爆して大破炎上、これで大勢が決してしまった、というミッドウェー海戦の経緯は、少しでも戦史を読んだことのある人なら常識的事実として頭に入っているでしょう。

山口司令の主張通り、即座に攻撃隊を発進させていれば、米空母を撃破し得たし、日本空母が被弾していても致命傷にはならなかった、というのはよく語られる歴史のイフではある。

しかし、最近の研究では、攻撃隊を即時発進させるとなると、そのため相当の時間、飛行甲板が塞がれ、その時点で滞空中だった艦載機のかなりの部分を水上不時着させなければならない恐れがあったこと、またその場合、護衛戦闘機無しで攻撃機を出撃させねばならない可能性が高く、その攻撃隊が敵戦闘機の防空網を突破して米空母の飛行甲板を破壊し、戦闘能力を奪うことができたか、実はかなり疑わしいとする説もあると聞いたことがある(清水政彦『零式艦上戦闘機』等)。

ミッドウェーの敗因としては様々なものが挙げられると思う。

作戦計画を事前にほぼ完全に察知された情報戦レベルでの敗北。

ミッドウェー島攻略か米空母撃滅かがあいまいだった、作戦目的の不明確さ。

同時に行われたアリューシャン作戦に中型空母1隻と小型空母1隻を割き、何より貴重な空母戦力を分散させたこと。

攻撃力低下への懸念から、偵察に空母艦載機をほぼ使用せず、巡洋艦搭載の水上機に頼ったがゆえの、偵察機の不足と索敵の不備。

不充分な護衛艦艇、空母を取り囲む重厚な輪形陣や空母自体の分散配置の欠如、前衛部隊の未設置など機動部隊運用上の経験不足。

細かな点を挙げれば、他にもいろいろあると思うが、これらの諸要因と比べて、攻撃隊を即時発進すべしという山口司令の意見具申が退けられたことについて、ミッドウェーの根本的・第一義的敗因とするほどの重要性は見いだしがたいというのが、最近の研究の結論のようです。

(本来機動部隊指揮官として山口司令の方が南雲司令よりはるかに適任であり、三空母壊滅後、「飛龍」単艦で米軍の三空母に立ち向かい、米空母「ヨークタウン」を撃破した山口司令の敢闘精神は高く称えられるべきだとしても。)

発行年代を考えれば仕方が無いのかもしれないが、本書ではそうした点は看過され、ごく平凡な筆致に留まっている。

全体的に見て、どうももう一つ。

有名な本だけに、私にはわからない長所もあるんでしょうが、自分にとってはいまいち良さがわからない本でした。

2013年11月1日

ジョン・ルカーチ 『評伝ジョージ・ケナン  対ソ「封じ込め」の提唱者』 (法政大学出版局)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 15:52

著者ルカーチの作品では『ヒトラー対チャーチル』を(実質タイトルだけ)紹介済み。

外交官ジョージ・ケナンは、『人物アメリカ史 上』の記事で書いたように、アレグザンダー・ハミルトン、ロバート・リーと並んで、私が最も好意と敬意を持つアメリカ人の一人。

1904年に生まれ、2005年100歳を越えて大往生を遂げる。

包括的で詳細な伝記ではなく、それほど長大ではない。

ミルウォーキー生まれで、父の名はコシュート・ケナン。

ケナンは、その名前を嫌うことになった。その理由はおそらく、その後ヨーロッパ史への造詣を深めるにつれ、ジョージ・ケナンが、コシュートやジュゼッペ・ガリバルディといったロマンティックで大衆受けのする革命家を好きになれなかったからだろう。

そして(少なくとも私にとっては)極めて重要な文章が記される。

彼は、第一次世界大戦後のドイツ(および欧州)にとって最善のことは、立憲君主制の採用であっただろうと考えた。そしてその後も、彼はそう書くことになる。民主主義の手続きのせせこましさへの批判や苛立ちはドイツに限定されたものではなかった。・・・・・ジョージ・ケナンは共産主義だけでなく、自由民主主義を心底から、そして知的観点から批判してきた。この点は、彼の友人や賛同者であっても無視したり、曖昧にしてすますべきではないことであった。

プリンストン大学へ入学、卒業後外交官の道を歩み、スイス・ドイツ・エストニア・ラトヴィアに駐在、ロシア研究に従事し、スターリン体制下のモスクワとミュンヘン会談時のチェコ、第二次大戦勃発時のドイツにも在勤し、ポルトガルを経て大戦末期には再びモスクワで勤務。

(ベルリンでのケナンの経験については引用文(ケナン1)を参照。)

このへんで、先に言及した民主主義に対するケナンの嫌悪感の問題に戻ろう。この点は、ケナンの伝記を手がけようとする者が無視したり、忘れたりすべきでない事柄である。いくつかの点で、この問題は生涯をとおして彼につきまとった。1930年代には、彼の信念は民主主義の改革ということにとどまらず、議会主義と民主主義に対する批判を含んでいた。・・・・・当時のオーストリアは権威主義政権の統治下にあり、議会や選挙は停止され、社会民主党および国家社会主義党も含め、政党は活動を停止させられていた。ケナンはオーストリア政府を是認した。さらに一歩踏み込み、彼はそうした権威主義政府は、全体主義的な警察国家の独裁に対してのみならず、非効率的な議会制民主主義に対しても健全で歓迎すべき代案だと信じていた。三年後、ケナンは本の執筆に取りかかった。それは、移民の制限のみならず普通選挙権の制限をともなったアメリカ合衆国の漸進的改革を唱えるものだった・・・・・

(著者はその後で、「が、幸いなことに執筆を断念した。」と続けるが、私はこの著作が読めないことが残念で仕方が無い。)

ケナンは、東欧の新興独立国に対して醒めた視線を向け、勢力均衡の維持と多民族間の秩序維持の観点から、第一次大戦で崩壊してしまったハプスブルク帝国を評価した。

独ソ戦が始まると、連合国の対ソ支援に制限を設けるよう主張(引用文(ケナン2)参照)。

著者は、当時の状況下では、ドイツの全欧支配か、ソ連の東半分の支配かの二者択一しかなかったのであり、ケナンの立場は現実性を欠くものだと見なしている。

ナチズムの本質については、以下のように観察。

ヒトラーと国家社会主義に対する彼の見解は、西側世界のおおかたの見方とは異なっていた。なかでも、おそらく米国民の見解とは違っていた。・・・・・ケナンはつぎのように書いた。ヒトラーとナチはアナクロニズムの正反対であり、彼らの考え、行動、手段は古臭くも反動的でもなく、新奇で革命的だった。しかもヒトラーは、その後生き残ることになるドイツの国民、民族、国家の統一を完成させたのだ、と。

「プロイセンの非民主的伝統」ではなく、そこから実質的には離反していた大衆の愚劣と狂信と憎悪、その大衆が支持した野卑・低俗を極める種族的・人種的ナショナリズム(俗流ダーウィニズムと疑似科学に起源を持ち、完全に非伝統的な意味でのナショナリズム)こそがナチズムの基盤だったとの主張は、私には全く正しいものとしか思えない。

(なぜそう思うかは、ドイツカテゴリの記事をご覧下さい、としか言えません。強いて挙げろと言われれば、村瀬興雄『ナチズム』ニッパーダイ『ドイツ史を考える』の記事での引用文をとりあえずお読み下さいと申し上げておきます。)

ナチズムを、民主主義・進歩主義・形式的民族自決主義の観点から批判しても全く無意味です。

戦後、1946~50年は国務省官僚トップの一人であり、ケナン自身の米外交政策への影響が最も強かった時期でもある。

47年マーシャル国務長官の下で政策企画室長を務め、戦後米外交の最も輝かしい成功例とも言えるマーシャル・プランにも貢献。

一方、通常マーシャル・プランと並んで冷戦の二大政策とされるトルーマン宣言へは違和を表明。

戦後の米ソ協調の夢に浸る米世論に対して、いち早くソ連の脅威を主張し、いわゆる「X論文」で「封じ込め政策」を提唱したケナンだったが、その対応は主として軍事的なものではなく(マーシャル・プランのように西欧の自己崩壊を防ぐための)政治的対応の必要を説くものであり、アメリカが死活的国益を持つ地域は西欧と日本のみだとして、トルーマン宣言中のギリシアとトルコへの支援という具体的措置については是認しつつ、「世界規模の反共十字軍」に繋がりかねない構想には反対を貫く。

そうした観点から、戦時中の中国への過度の期待の裏返しとも言える、共産中国への過大評価された脅威視を批判、アジア政策においては日本を友好関係に繋ぎとめることを重視し、その流れで、後には全く重要性に見合わず、甚大なコストを伴ったヴェトナムへの軍事介入を批判することになる。

(ただ、本書で、CIA設立に賛同し、東欧での秘密工作と騒乱育成を主張したと書かれているのはイメージが違うが。)

48年末アチソンが国務長官に就任すると、ケナンの役割はやや低下する。

スターリン支配下のソ連の脅威を直視し、必要な軍備を整え、政治的措置を採る必要を唱えたケナンだったが、それが成された上で、ソ連と真摯な交渉に入るべきだとして、対話の必要自体を認めないタカ派とは一線を画す。

西側占領地域を固め、西ドイツ成立へと向かう時期に、ドイツの中立化と非軍事化を交換条件にした統一ドイツ容認(すなわち東独のソ連圏からの離脱)、欧州での米ソ戦力引き離しという、西側の団結破壊を目的としたソ連による「平和攻勢」、攪乱工作を懸念する人々から見て受け入れがたい政策を主張。

極東でも日韓の非軍事・中立化と、この地域での兵力の相互撤退を主張した。

また、中ソ対立を予見し、アメリカの政策の重点は中国よりもロシアに置かれるべきだとしたが、実際の政策はニクソン・キッシンジャー外交を経て、これとは逆になったと著者は評している。

1950年朝鮮戦争では、侵攻してきた北朝鮮軍を38度線に押し返すことのみ賛成し、それ以上の介入に反対。

以後、北朝鮮という国家があまりに異常な体制となってしまったので、朝鮮戦争での国連軍の38度線以北への進撃には違和感を持たないが、中国の介入がほぼ避けられなかったであろうことを思えば、この時点での朝鮮統一はどの途不可能で、ケナンの立場にも理があるというべきでしょう。

一方、ディーン・ラスクは当初韓国放棄を主張し、それがケネディ政権下では、はるかに勝ち目が薄く、国益にも適わないヴェトナム戦争介入を推し進めるんだから、ケナンとは外交官として雲泥の差があります(ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』参照)。

52年駐ソ大使となり、そのキャリアに相応しい地位と言えるが、ソ連での駐在をナチ時代の抑留になぞらえる発言で、ソ連当局から「好ましからざる人物」として召還要求が出され辞職。

核兵器に依存した国防政策に反対し、核兵器の先制不使用を主張、スターリン死後は「ハト派」の代表格としてソ連との対話と交渉の必要性を強調した。

ケナンにとって、封じ込め政策は、西側を軍事的政治的に脆弱で不利な立場に置くことを防いだ上で、有意義な交渉を可能にする状況を作り出し、長期的にソ連の好ましくない側面が変化することを促す政策であり、対立自体を自己目的とするものではなく、核時代においてそのような無思慮な対決姿勢はあまりに危険極まりないものであった。

以後、ケネディ政権下で駐ユーゴスラヴィア大使を勤めた他は、歴史研究に没頭することになる。

この心底からの保守主義者で伝統主義者のアメリカ人は、最大の敵はアメリカの「保守主義者」たちだということを知った。筆者はかつて、ケナンは愛国者であって民族主義者ではないと書いた。なぜなら、愛国心は防衛的だが、民族主義は攻撃的であり、愛国心は伝統主義的であり、民族主義はポピュリスト的だからだ。また、愛国心は自国の国土と歴史への愛着だが、民族主義はまとまりのない大衆を団結させる粘着性のあるセメントだからだ。

・・・・・多くのアメリカ人と違って、ジョージ・ケナンは、合衆国が神に選ばれた国家だとか、米国民は選ばれた民だとか、人類にとって最後で最善の希望だとかいったことを信じなかった・・・・・

ジョージ・ケナンは民主主義の運用の多くに疑問を抱いており、本当に悲観的であった。・・・・・「民衆による統治制度を有していると考えている大半の国で世論と称するものは、しばしば実際には多数の人びとの総意などではなく、声の大きい特殊な少数派の利益の表現なのではないか、と私は思う。」

アメリカだけでなく、日本でも「愛国者」は消え失せ、愚かで醜い「民族主義者」だけが幅を利かすようになり、「声の大きい特殊な少数派の利益」が異常なまでにまかり通る世の中になってしまいました。

『ロシア、戦線を離脱する』、『介入する決定』などの米ソ関係史、『ビスマルクのヨーロッパ秩序の衰退』、『致命的同盟』などのヨーロッパ外交史を執筆。

後者の著作のうち、「致命的同盟」とは露仏同盟のことを指し、露仏同盟こそが第一次世界大戦を招いた、(通説とは逆に)独よりも露仏両国を攻撃的・膨張主義的だったと主張している点が非常に興味深い(ただし著者のルカーチはそれを疑問視している)。

またビスマルクについても、ルカーチは註で以下の通り記している。

少なくともひとつの事例において、ビスマルクの性格についてのケナンの識見は議論の余地がある。ビスマルクは「多くの点で・・・・・十八世紀の人間だった」。でも、たとえば、ビスマルクは新聞を操作する術をよく心得ていたのではなかったか。

最も通俗的でつまらない立場は、「ビスマルクは非民主的だから良き政治家とは言えない」というもの。

一方、ケナンは貴族的・前近代的な秩序と価値観の体現者としてビスマルクを評価している。

しかし、ルカーチは、ビスマルクは大衆政治と民衆的ナショナリズムの利用者であり、(悪い意味で)「民主的」な側面を持つ政治家だとしているわけ。

個人的には、これはややルカーチに分があるような気がする。

マイネッケ『ドイツの悲劇』でも書かれていたように、やはりビスマルクは(私の考えでは)「非民主的な」良き面と「民主的な」悪しき面(このかぎ括弧内の表現は逆ではないです。念のため。)を兼ね備えた「境界線上の人物」だった気がする。

ケナンの考えでは、第一次世界大戦が20世紀最大の惨事と言える、ロシア革命や第二次世界大戦はその直接的帰結と言えるからだとされている。

また、ロシア研究の大家として以下のようにも書いている。

われわれと似かよった、政治的・社会的・経済的な諸制度という意味で、ロシアが『デモクラシー』を実現するということは期待できない。そして、たとえロシア流の自治の形態がわれわれのそれと非常に異なっているとしても、このことは全体として、悪いことだと考えるべきではない。われわれの多くが同感だと思うが、われわれ自身のモデルは、それほど完全ではない。そして、今日と同様に、今後も米ロ関係には良いときも、悪いときもあるだろう。

日本が中国を見る際にも適用できる考え方だと思われる。

最晩年にはイラク戦争への反対を表明。

それを新聞で読んで、強い感銘を受けたことをはっきりと覚えている。

非常に良い。

ケナンの、デモクラシーへの懐疑と批判という側面をはっきりと読み取ることが出来て、個人的には極めて有意義な読書だった。

ますます彼への尊敬の念が増した。

このブログでもケナンの著作をいくつか紹介しています。

まだ一冊も読んだことが無い、あるいはケナンの名も知らなかったという方は、まず何を措いても、『アメリカ外交50年』を読むことをお勧めします。

アメリカ史、日本近代史、国際政治学等、様々な分野で、文字通り必読の文献です。

次には『レーニン・スターリンと西方世界』を。

ソ連史の名著中の名著であり、驚くほど多くの貴重な知見が得られます。

他にも『回顧録』『アメリカ外交の基本問題』『危険な雲』『二十世紀を生きて』を記事にしていますが、とにかく日本語で読める著作は図書館等も利用して(原書を読める方はこんなブログに用は無いでしょうから)、一つでも多く読まれることを強くお勧め致します。

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