万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年10月15日

カタリン・エッシャー  ヤロスラフ・レベディンスキー 『アッティラ大王とフン族  <神の鞭>と呼ばれた男』 (講談社選書メチエ)

Filed under: ローマ — 万年初心者 @ 13:21

選書メチエでは珍しい翻訳モノ。

著者はフランス在住の研究者。

アッティラ以前のフン族小史に続いて、史料の紹介と検討の後、アッティラの生涯、個性、政治、外交、軍事、死の状況、後世に残った神話について、各一章を割り当てる構成。

叙述方法においては、正確さを重視し、「互いをコピーし合っている」歴史小説まがいの著作からは一線を画している。

利用史料は、アンミアヌス・マルケリヌスの他、東ローマの外交官プリスクスのアッティラとの会見記録など。

フン族の故地、民族系統、言語系統は今もって不明。

(西)匈奴の後裔とする説も、確証は無し。

テュルク系言語を話す支配民族あるいはカリスマ的王家によって統合された遊牧民の集合体が融合して「民族」へと変容し、5世紀にはゲルマン民族とも融合したと見られる。

375年フン族が大移動を開始、376年以後アラン、西ゴート、東ゴートが玉突き状に民族大移動開始。

378年西ゴート族とのアドリアノープルの戦いでローマ東方帝ヴァレンスが敗死、これを機にテオドシウス帝が台頭することになる。

フン族の王では、ルガとオクタルという名が記録に残っており、オクタルの兄弟がムンディウク(彼自身は王ではない)、ムンディウクの子がブレダとアッティラ。

444年あるいは445年ブレダが殺害され、アッティラが単独統治を開始したと見られる。

当時の東ローマの統治者はテオドシウス2世、アスパル、マルキアヌスら、西ローマはヴァレンティニアヌス3世、ガラ・プラキディア、ホノリア、アエティウスら。

451年ガリアに侵入して、カタラウヌムで西ローマおよび西ゴート連合軍と激突、西ゴート王テオドリックを戦死させたものの、結局撃退される。

アッティラの治世はフン帝国末期にあたり、イメージとは異なり、大きな領土拡張を成し遂げたわけではない。

フン族内部で権力の独占性を高めたがゆえに偉大視されるようになったとも推測される。

当時のフン族を表現する言葉として、「寄生民族」という言葉は不快であり、他の支配民族にも当てはまるものだが、誤りとは言えないとする。

実際、定住政策を採りつつ、東西ローマ帝国から貢納金を取り立てていた。

晩年、皇女ホノリアとの「婚約」を主張して西ローマに侵攻したことのみは、上記の政策に反する、性急な帝国への支配欲に突き動かされた行動だとされている。

ここで側近たちの紹介。

アッティラ以後、歴史の表舞台に現れる人物が結構いる。

まずオレステス。

アッティラ没後、西ローマ帝国の実力者に成り上がり、ネポス帝を廃位し、自身の子ロムルス・アウグストゥルスを登位させるが、結局彼が最後の皇帝となった。

加えて東ゴート王族のウァラミル、テウディミル兄弟。

テウディミルの子が後のテオドリック大王。

後にカタラウヌムでアッティラを破るアエティウスも一時人質としてフン族の中で暮らし、協力関係を結んでいた。

対外関係に付いて、東ローマ外交の屈従ぶりを強調するのは正しくない、アッティラとの協定は長期的には履行されず、結局マルキアヌス帝らの強硬論が台頭することになった、と記されている。

著名なヴァンダル王ガイセリック(在位428~477年)はアッティラと協調関係を保つ。

フン帝国の軍事力を形成したのは、フン族自体の他、東ゴート・ゲピドのゲルマン民族、加えてアラン人とサルマタイ人。

アラマン族は服属せず、ブルグンドとフランクはローマ・フン両派に分かれる。

452年イタリア遠征、教皇レオ1世との交渉後、撤退。

453年何度目かの婚礼の夜に死去。

暗殺はあり得なくはないが、証明は不可能。

アッティラの長子エラクが帝国を継承するが、東ゴート・ゲピド族が反乱を起こし、454年あるいは455年エラク敗死。

あまりにあっけなく、フン帝国は四散、崩壊した。

末子のエルナク、(その子?の)デンギジクも、東ローマと戦って敗死。

(メモが乱雑で、上の一行には間違いがあるかもしれません。)

古代末期の人々に強烈な印象を残し、中世ゲルマン叙事詩の中に歌われており、あれこれとそのヴァリエーションが書かれているが、とりあえず『ニーベルンゲンの歌』だけを見ておけばいいでしょう。

ブルガール人、ハンガリー人の建国神話にも、自らをフン族の末裔とする内容があるそうです。

「アンチ・クリスト」とのイメージがあるアッティラだが、カトリックとアリウス派に過度に攻撃的だったとの証拠は無いとされている。

「ローマ文明の破壊者」としても、ガイセリックに比しても果たしてそうか、と疑問を投げかけている。

アッティラは中央ヨーロッパに生まれて、一生をほぼそこで過ごし、フン族も定住化途上にあり、支配下住民の大半はゲルマン人だった。

よって、アッティラを、チンギス・ハンやティムールのような大遊牧国家建国者と比較するのは適切ではないとしている。

フン帝国は、フン族から支配下民族、フン帝国全体からローマ(特に東帝国)という、「二重の寄生性」の性質を持っており、これが安定的統治を不可能にし、アッティラの死直後の瓦解を説明する。

また、アッティラの政治的行動のうちで、西ローマとの和平破棄が最大の失敗だった、これが東西両帝国および西ローマと西ゴートの協力・結集を促してしまったからだと評されている。

最後に、上記プリスクスの『断片』抄訳が載せられている。

これを使用した、ギボン『ローマ帝国衰亡史』の緊迫感に満ちた叙述が懐かしくなりました。

類書が案外少ない中、貴重ではあるが、翻訳モノということもありやや生硬な感がある。

学術的には正確なんでしょうが、物語性に乏しいので、読んでいて面白くない。

このテーマで、日本人著者によって平易に噛み砕かれた本が欲しいところではある。

訳者によるあとがき等が一切無いのも気になる。

残念ながら、もう一つお勧めする気になれない本でした。

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