万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年9月23日

遅塚忠躬 『フランス革命を生きた「テロリスト」  ルカルパンティエの生涯』 (NHKブックス)

Filed under: フランス — 万年初心者 @ 15:45

遅塚氏は『フランス革命 歴史における劇薬』引用文1)の著者。

カバーの紹介文で「フランス革命史の大家の遺作」とあるのを見て、ああ亡くなったのか、そう言えばかなり前の新聞で訃報欄にお名前が載っていたかなと思う。

ジャン・バティスト・ルカルパンティエという革命家の生涯を通じて見たフランス革命とテロリズムの考察。

はしがきで歴史認識の方法論を述べた後、序章で革命的テロリズムと反抗的テロリズムの区別などを論じて本文へ。

ルカルパンティエは、コタンタン半島(シェルブールを含む)近くの村の、「耕作農民」=中規模以上の農家の生まれ、下級司法官職に就いた後、国民公会議員になる。

国王二体論(自然的身体と政治的身体)の立場から、後者の政治的身体をどう扱うかが問題の核心だとして、ルイ16世処刑に賛成、「国王弑逆者」の汚名を着る。

自由権だけでなく、生存権=社会的デモクラシーの理念を保持。

1793年マンシュ県に派遣され、多くの反革命容疑者を摘発・逮捕し、パリ革命裁判所へ送致する。

ただし、大量処刑を自ら行った、「リヨンの霰弾乱殺者」フーシェや、「ナントの溺殺刑執行人」カリエなどとは同一視できない、と著者は指摘している。

テルミドール反動後に投獄されるが、1795年大赦で出獄。

王政復古後、1816年に大赦法が成立するが、弑逆者で、かつナポレオン百日天下加担者は例外として永久国外追放となり、ルカルパンティエも同様の措置を受ける。

しかし、密かに帰国し潜伏していたところを、1819年に逮捕、現在は美しい観光地だが当時は牢獄として使われていたモン・サン・ミシェルに収監され、1829年に獄死。

その死は七月革命直前であり、あと少し生き延びていれば再び出獄できた可能性が高いという。

著者は、ルカルパンティエが不屈に信念を貫いたことを称える論調で記すが、そう言われても私は特に感慨は持てない。

本書では、この後に二つの「付論」がついていて、実は本文よりこちらの方が興味深い。

付論1「ルソー、ロベスピエール、テロルとフランス革命」。

まずフランス革命の意義を全否定する論調を批判した後、諸学説の紹介。

「ジャコバン学派」とも言うべき流れでは、まずオーラールが周囲の敵に包囲された「軍事キャンプ」論で恐怖政治を説明し、マティエが階級間の「社会革命」としての分析を導入、ルフェーブルは「アリストクラートの陰謀」という観念と「防衛的反作用」という心性を述べ、ソブールは「民衆的テロルの収拾としての恐怖政治」という視点を提出する。

最後のものは、中公新版世界史全集の『アメリカとフランスの革命』の記事で書いたように、パリの民衆運動とジャコバン政権を同一視せず、両者の相克・対立を見逃さない立場のようです。

以上は全て「状況」からの説明と言える。

これに対して著者は、「内面」の論理を重視し、事件と構造の相互作用を観察し、そこにおける「言説」の重要性を指摘。

ルフェーブルの複合革命論、すなわちフランス革命をアリストクラート・ブルジョワ・都市民衆・農民という四者の自律的革命運動の複合体として理解する主張を取り上げ、この構造の中での「共通の利害発見の困難さ」と、それが「排除と自己権力正当化」の言説を導きやすかったことを論じている。

(著者は、「排除の言説」はジャコバン独裁だけでなく、ブルジョワ共和派にも共通しているとし、その例としてル・シャプリエ法[労働者の団結禁止法]を挙げている。)

その際、ルソーの一般意志概念、多数決原理と代議制に対する疑念が悪用された。

なお、フランソワ・フュレら修正派の見解については、聞くべきところがあるとしながらも、著者はあまり高く評価していないようである。

この付論1は、結構面白いと思うんですが、私の曖昧なメモではそれが伝わりにくいですね・・・・・・。

付論2「ボワシ・ダングラース――フランス革命期のあるプロテスタントの生き方」。

ボワシ・ダングラースは穏健共和主義の1795年憲法起草者。

富裕な名望家に生まれ、三部会に選出、中道的立憲派で、国民公会ではジロンド派と山岳派の中間を占める「平原派」に属した。

ルイ16世処刑に反対、監禁と和平確立後の追放を支持。

テルミドール後には信仰の自由保障と政教分離を確立する法令を作成。

1795年4・5月、ジャコバン残党の民衆蜂起が起こり、国民公会議場に乱入した暴徒が議員を殺害、その首を槍先に刺して当時議長だったボワシに突きつけたが、彼は毅然とした態度を示したという。

こうした経験から、無産者による直接民主制の危険性を指摘、有産者による代議制を支持。

王政復古下での「憲章」起草者の一人となり、百日天下後の白色テロに反対、恩赦の取り成しに努力する。

1826年没。

彼は、単なるオポチュニストではなく、フランスにおける「憲政的リベラリズムの父」である、と評されている。

確かに王政復古など万に一つもありえなくなった19世紀末以後のフランスからすれば、左右の過激主義を排して穏健共和主義を貫き、議会主義的デモクラシーと信仰の自由を確立するために努力した人物として、著者自身も含め、最大公約数的な支持を得やすい存在なんでしょう。

しかし、そうして得られた自由が止めどなく低俗化し、伝統的信仰を失った民衆が醜悪な世俗的イデオロギーを狂信し、多数決原理を利用して、前近代社会では決してありえなかった最悪の事態をもたらしたことを我々は知っている(木崎喜代治『幻想としての自由と民主主義』間宮陽介『ケインズとハイエク』)。

そう考えると、こういう誰からも批判されない穏健な人物でも、著者のようには、素直に肯定できない気分が残ってしまう。

やはり、著者とは根本的に考え方の違う部分がある。

1789年については、戦前昭和期についてのメモ その4の後半で書いたようなイメージしかない。

一人物を通じてみた、入門書的なフランス革命史では、伊東冬美『フランス大革命に抗して』の方が良いと思う。

とは言え、読み通して不快感がほとんど無いのは、著者の筆致ににじみ出る、人徳と品格ゆえでしょうか。

決して悪い本ではないと思います。

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