万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年8月21日

井上寿一 『戦前昭和の社会  1926~1945』 (講談社現代新書)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 15:30

井上氏の著作では、『昭和史の逆説』『吉田茂と昭和史』『山県有朋と明治国家』を紹介済み。

戦前と現在の社会を対比し、その類似点を探る。

(1)アメリカ化、(2)格差社会、(3)大衆民主主義の三つの視点から考察。

取り上げられる具体的事例では、デパート、アパートなどの住生活、映画、家庭電化製品の普及。

続いて、モダンガール、女性参政権運動、就職難、プロレタリア文学と左翼運動の挫折、エロ・グロ・ナンセンスの世相、政党政治への失望。

農民運動高揚、国防婦人会結成、新興宗教流行など騒然とする世相の中、カリスマ待望論が世論の中で広まり、ラジオという最新メディアが近衛文麿という高い支持を受ける指導者を作り上げる。

また、同様に当時登場した新メディアである写真ニュースが親枢軸国世論の盛り上がりをもたらす。

本書の叙述から(私が個人的に)読み取れる戦前昭和の社会は・・・・・・。

自由な消費生活を謳歌する民衆があり、彼らは決して国家の既成統治層の言いなりとなり一方的に動かされるような存在ではない。

民衆は、あくまで主体的に活動し、極左的社会主義から極右的国粋主義にまで揺れ動く。

そして半ば自らがもたらした混乱に耐え得なくなると、かつて自らが非難したよりもはるかに劣悪な指導者(近衛・軍部)の胸に飛び込む。

盧溝橋事件後、民衆世論は無分別な強硬論一色となり、戦時体制下での「下方平準化」による格差是正を支持することとなる。

やはりこの方の本は面白い。

まずハズレは無い。

テーマや形式からすると、私の中心的関心から逸れかねないのだが、それでも十分楽しめた。

本書を特に、というわけではありませんが、読んでも損は無いはずです。

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2013年8月11日

ローラン・ジョフラン 『ナポレオンの戦役』 (中央公論新社)

Filed under: フランス — 万年初心者 @ 15:12

ナポレオンの生涯における、八つの戦いを取り上げて、細かな戦史を叙述した本。

本文に入る前に、ナポレオンの前歴と列強による対仏大同盟を整理しておく。

ナポレオン・ボナパルトは1793年南仏トゥーロン港攻略で名を挙げるが、94年ジャコバン政権崩壊と共に一時投獄、しかし95年ヴァンデミエールの王党派反乱を鎮圧し、96年イタリア方面軍総司令に任命される。

対仏大同盟、第1回は1793年ルイ16世処刑を機に結成、英露墺普西蘭が参加、95年普仏間のバーゼル条約と97年仏墺間のカンポ・フォルミオ条約で消滅、ベルギーと北伊チザルピナ共和国が仏勢力下に入り、ヴェネツィアが墺領に。

第2回はナポレオンのエジプト遠征を受けて1798年英露土・両シチリアで結成、1801年リュネヴィル条約でオーストリア軍はイタリアより排除、ライン左岸が仏領に、1802年アミアン条約で英とも講和成立。

第3回は1804年第一帝政が樹立されると05年英露墺が結成、アウステルリッツの三帝会戦後、1805年プレスブルク和約で伊・南独のオーストリア領放棄。

第4回、神聖ローマ帝国解体で1806年英露普が結成、イエナ・アウエルシュテット戦後、1807年ティルジット条約でウェストファリア王国と普領から割いたワルシャワ大公国が成立、露は大陸封鎖令に協力。

第5回、スペイン反乱を機に、1809年英墺が結成、ワグラムの戦いの後、シェーンブルンの和で、墺はザルツブルク・南チロル・イリリア・西ガリツィアを失う。

第6回、ロシア遠征の失敗で1813年英露普墺で結成、同年ライプチヒの戦いで連合国勝利。

第7回、ナポレオンのエルバ島脱出で結成、1815年ワーテルローで百日天下粉砕。

高校世界史では、4回目と5回目が省略されていて、6回目が第4回として記述され、7回目は言及無し。

ナポレオンの軍略に一貫しているのは、自軍を分散させ、各軍が相互に援助できる距離を保ちつつ急速に進軍し、敵の予想外の地点で全軍を集中し敵を撃破すること。

配下の将軍としては、オージュロー、ベルティエ、ダヴー、ネイ、ミュラ、ベルナドット、ランヌ、スルト、マクドナルド、マッセナ、マルモン、グルーシーらの名前を、覚えなくてもいいが、目に慣らしておく。

以下、本文の八つの戦いにごく簡単に触れるが、上記の対仏大同盟メモを見て、どういう政治情勢下の戦いだったのかをチェックしつつ読みましょう。

(1)1796年ロディ橋の戦い

アルプスを越え、ピエモンテ・オーストリア両軍を分断、ピエモンテを降伏させた後、ロディ橋でオーストリア軍と激突、勝利。

(2)1798年ピラミッドの戦い

これは年号をしっかりチェック。

近代イスラム・中東史の起点の年1798年(大革命の下二桁をひっくり返した年)。

オスマン朝治下の総督が指揮するマムルーク兵と戦って勝利、しかしアブキール湾の戦いで仏海軍がネルソン率いる英艦隊に惨敗(戦列艦13隻中11隻喪失)、ナポレオンが去った後のエジプトではムハンマド・アリーが台頭することになる。

(3)1800年マレンゴの戦い

1799年第一統領に就任したナポレオンが第2次イタリア遠征を敢行、モロー将軍による対ドイツ方面の陽動作戦を行った上で大サン・ベルナール峠でアルプス越え、オーストリア軍の意表を突くが、ナポレオンの予想に反して、墺軍は撤退せず正面対決を求め、その際軍を分散させていた仏軍は大苦戦、前半戦はほとんど敗北、ナポレオン神話もこの時点であわや終わりかという状況だったが、援軍が辛くも間に合い、ようやく勝利。

(4)1805年ウルム、アウステルリッツの戦い

まずウルムで、オーストリア軍の背後に出て小規模な戦闘の後、墺軍を降伏させる。

続いてウィーン占領。

補給難を克服するため、後退するとの偽情報や休戦提案によって、露墺軍を短期決戦に仕向ることに成功。

ウィーン北東アウステルリッツで、北に主力を置いた仏軍が南の仏軍を攻撃する露墺軍の脇腹を突き大勝。

別名「三帝会戦」だが、「三帝」はナポレオン1世、アレクサンドル1世、フランツ1世。

神聖ローマ帝国滅亡が翌1806年だから、「神聖ローマ帝国が滅んだから、最後の皇帝フランツ2世が、オーストリア皇帝フランツ1世を名乗った」と覚えたのは勘違いだったか。

『角川世界史辞典』を引いたら、オーストリア皇帝を名乗ったのは、ナポレオンの皇帝即位に対抗してだと書いてあった。

(5)1806年イエナ、アウエルス(シュ)テッドの戦い

対プロイセン戦。

有名なのはナポレオン自身が普軍を破ったイエナの戦いだが、それより大規模の普軍をダヴーがアウエルステッドで破る。

仏軍はベルリン入城。

(6)1807年アイラウの戦い

ロシア軍と残留プロイセン軍との戦い。

仏軍は、伝令が捕らえられて作戦が筒抜けになり、中央攻撃が失敗、皇帝本陣にまで敵が迫り、騎兵突撃でようやく戦局を挽回するも被害甚大、辛勝。

(7)1809年ワグラムの戦い

1808年スペイン反乱に続く戦い、09年墺と開戦、精鋭部隊を欠いていたが、火砲の集中で勝利、翌1810年オーストリア皇女マリ・ルイーゼと結婚。

(8)1815年ワーテルローの戦い

ベルギーでの会戦。

英軍と普軍を分断し、緒戦は勝利、しかし普軍の捕捉に失敗、ウェリントン率いる英軍に敗北。

私はこの戦いを、英軍が仏軍の猛攻を耐え忍んでいるうちに、ナポレオンが派遣した別働隊が捕捉できなかった普軍が戦場に殺到して勝敗を決したと理解していたのだが、確か本書では普軍の動きがそれほど決定的要因では無かったというような感じの記述だった。

これはちょっと意外な気がして強く印象に残った。

感想は、「普通」ですかね。

ロシア遠征やライプチヒの戦いに触れられていないのは残念。

巻末に作戦図が有り、本文を読む際参照するといいが、それほどわかりやすいものではない。

ナポレオン時代の政治事項を復習しつつ読むのなら有益か。

是非にとお勧めする気は無いです。

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