万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年7月31日

引用文(西部邁10)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 15:46

西部邁『文明の敵・民主主義  危機の政治哲学』(時事通信社)より。

ハイエクは、1950年代にアメリカ(の自由主義の牙城であるシカゴ大学)に滞在したときに、リベラリズムは、西欧では警戒されアメリカでは称賛されているということに気づきました。コンサヴァティヴィズム(保守主義)が、西欧では伝統の擁護であり、アメリカでは(伝統を破壊するしかなくなる)個人主義的自由主義の弁護である、ということについても認識しました。ハイエクは、社会秩序をスポンテニアス・オーダー(自生的秩序)であるべきだとみなした点で、正統の保守思想家だと思われます。しかし、全体主義に抵抗するのをみずからの使命と考えていた彼は、市場における自由な変化の創造がかならず社会的な調和に至る、という進化論に傾きすぎていたと思われます。そのせいで、保守思想を「変化を嫌う」考え方として片づけてしまう嫌いがありました。変化の創造は危機の創出でもある以上、「政府の介入」による「自由への抑制」は不可避だ、ということをハイエクは過小評価してしまったのではないでしょうか。その点では、ジョン・メイナード・ケインズのほうが、「現代の危機」をより深く感じとっていたといえます。

西部邁『大衆への反逆』(文芸春秋)より。

・・・・・反ケインズの潮流が大衆にたいする全幅の信頼を偽装してケインズの選良主義や計画主義やを攻撃してみせるとき、私は、「ちょっと待ってくれ、ケインズ主義はほかならぬ大衆の要求したものなのだ、かれはそれに疑心をひた隠しながら律儀に応えつづけただけではないのか」と反論したくなる。

・・・・・コンヴェンション(慣例)という社会の地面が大衆の重みによって抜けていく感覚とそこで生じる墜落の感覚とに抗してなおも前進をつづけるためには、計画的理性の英知を動員して道路工事をおこなわなければならないし、また、その種の英知のとどかぬ遠未来において道路が那辺に通じるかなど瞑想している暇はない。ケインズの不安と不安ゆえの勇気とはこのようなものであった、と私は思う。「長期的にみると、われわれはみな死んでしまう」という片言隻語は、社会不信に陥った不安な心性がかえって社会的責任への勇気を培養するという心理的葛藤の表現なのであろう。「人間の本性は理性的である」という経済学の通念を信じられないかれが、かえって理性知の極致ともいうべき社会計画に傾くのも同じ種類の葛藤であろう。

・・・・・ケインズ自身の心臓発作が死に至る病であったのにも似て、大衆社会の痙攣が一過性のものであるはずがない。むしろ、ポスト・ケインズの時代にあっては痙攣こそが常態であるようにもみえる。そんないま、それじたい痙攣の一種にほかならぬ反ケインズの嵐がケインズですらもちえた不安や懐疑を吹き飛ばしていく。ケインズは大衆人のことをなにかしら奇怪で不穏なものと感得した。しかしそんな感性は、賞讃され慰撫されることをひたすら欲する大衆人の受入れるところではない。まして、ケインズにおける不安や懐疑の不徹底こそ痙攣を慢性化させる原因なのだ、などと大衆人は考えはしない。たとえそう考えても、それを認めてしまうと、目前の幸福や平等に水が差されてしまうからである。大衆に迎合する言論、それが大衆の歓迎する言論にほかならない。

西部邁『思想の英雄たち』(文芸春秋orハルキ文庫)より。

ハイエクが保守主義者になれなかったのは、自生的な(慣習的)秩序がいわば自生的に破壊されることもありうる、という疑念を持ち合わせなかったからである。自生的秩序は、全体主義者や合理主義者が社会を計画的に編成しようとして行使する「設計主義[コンストラクティヴィズム]」によらなくとも、崩壊しうる。つまり人々が自発的に、急激かつ広範に、新しいものに飛びつき、そのせいで「習慣、伝統、道徳」が壊されていくならば、産業制における市場機構であれ民主制における投票機構であれ、不安定に動揺し、その挙句、設計主義によって社会を安定させようとする“隷従への道”すらが敷かれることになるのだ。いいかえると、自生的秩序はいつも不安定均衡状態にあるのであって、その均衡にとどまりつづけるには、新しいものにたいする十分な警戒心が必要だということである。保守主義は、変化をまったく拒絶するというのではまったくないが、グラデュアリズムつまり漸進主義の態度をもって変化に対応しようとする。ハイエクにあっては、この態度が希薄なのである。

彼の全著作を読み通すと、とくに「習慣、伝統、道徳」へのこだわりにおいて、彼は変化におけるラディカリズムつまり急進主義に同調してはいなかったのであろうと推察される。その意味で彼はほとんど保守主義者である。しかし、社会主義や福祉主義に抗して市場機構を守り通すのが彼の言説の政治的な目的であった。それゆえ、市場の表層における過大なイノヴェーション(革新)が、その深層に横たわっている「習慣、伝統、道徳」をも傷つけるほどに、激しく回転するという事態――それが高度技術および高度情報の大衆社会である――には無頓着であった。いや、L・ヴィトゲンシュタインを従兄に持つというその出身からも推測できるように、彼が大衆化の荒波が高まりつづける今世紀[20世紀]の状況に心安らかであったはずがない。おそらくは、全体主義に逆らう動きをまずもって肯定するという政治的な構えにもとづいて、彼は大衆社会への嫌悪を心のうちに隠したのであろう。要するに、良かれ悪しかれ、ハイエクは隠れ保守主義者であったと私には思われるのである。

・・・・・・・・・・

・・・・・ハイエクの書物は競争主義者や市場主義者にとっての聖典となりつつある。しかし、はっきりさせておかなければならないのは、彼が位置している地点はアメリカ流儀の個人的自由主義とは大きく隔たっているということである。

ハイエクにあって個人は、心理の隅から行為の果てに至るまで、コスモスという自生的秩序のなかでまず当初から他者と関連づけられている。個人が原子として孤立していて、次におのれの利己的利益を求めて市場に出向く、というのではないのである。

「人間は賢明であったために新しいルールを採用したのではなかった。人間は新しい行動ルールに服従することによって、賢明になったのだ。きわめて多くの合理主義者が次のような最も重要な洞察にいぜんとして反対し、迷信という汚名を着せる傾向さえある。その洞察とは、人間は言語から道徳や法に至るまでの人間の最も有益な制度を単にけっして発明しなかっただけでなく、今日でも、それらの制度が人間の本能も満足させていないのに、なぜそれらを保持しなければならないかがまだわかっていないということ〔である〕。文明の基本用具――言語、道徳、法および貨幣――はすべて、設計の結果ではなく、自生的生長の結果である。また、法と貨幣については、組織された権力がそれらを支配し、徹底的に腐敗させてしまったのである。」

このように、ルールという全体的な仕組のなかに人間をおくという意味で、ハイエクはある意味で全体論者であるということすらできる。ただしその全体論は社会の設計にかんするものではない。つまりハイエキアンを自称するものは、アメリカ流の個人主義的な方向での合理主義とロシア流の全体主義的な方向での合理主義とにともども反対しなければならないのである。そして、いうまでもないことだが、極端に私的なものとしての恋愛や極度に公的なものとしての軍事といったような、市場化に馴染まないものについてまで強いて市場機構を設計しようとするアメリカ流のやり方もハイエキアンの採る途ではない。

ハイエクがアメリカ的な経済学の主流と懸け離れているのは、その全体論的(もしくは構造論的)な姿勢においてであることはいくら強調してもしすぎるということはない。たとえば、最近我国において「小さな政府」論や規制緩和論がかまびすしいが、それらの議論でかならず引き合に出されるのはハイエクの徹底した反政府・反統制の言説である。それはよいとしても、その市場主義がアメリカニズムとよぶのが適切なような個人主義の弁護論に流れていくのでは、ましてや“なすにまかせよ[レッセ・フェール]”の掛け声とともに社会の「習慣・伝統・道徳」の破壊に赴くようでは、それはハイエクのとは似ても似つかぬ市場論だといってよい。ハイエクのことをあえて「ある意味での全体論者」と形容したくなるゆえんである。

・・・・・・・・・・

そうだとするとハイエクは首尾一貫せる保守主義者だということになる。彼が保守せんとしたのは、もちろん、既存の秩序そのものではない。既存の設計された秩序の奥底にあって歴史をつらぬいて持続してきた自生的な秩序、彼が保守せんとしたのはそれである。逆にいうと、真正の保守主義者が権威や位階の体制を保とうとするのも、それら自体ではなく、それらに含まれている歴史の知恵とでもいうべきものを守らんがためなのだと思われる。

そう解釈してもなお私にはハイエクへの不満が残る。それは、近現代の市場経済は巨大な技術革新のうねりとなって発展しているのであり、それゆえ市場が大いなる不確実性の発生源になっている、ということについて、ハイエクが等閑視しているということだ。たぶん、そのことを承知の上で、彼は市場機構を礼賛しつづけたのではあろう。反ソ、反ナチの思想的闘士として彼はそうしなければならなかった。その点を省いてみてはじめて、彼は鮮烈な保守主義者としての風貌を表わしてくるのである。

引用文(クイントン2)および引用文(佐伯啓思2)引用文(佐伯啓思3)参照。

広告

2013年7月21日

佐伯啓思 『20世紀とは何だったのか  「西欧近代」の帰結 現代文明論(下)』 (PHP新書)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 15:20

かなり前に読んだ上巻の続き。

以下に内容メモ。

箇条書きに近いので、意味不明なところもあろうかと思います。

まえがき。

「文献を隈なく渉猟することにはさして関心がなく、・・・・・文献としては、たとえば岩波文庫の古典と中央公論の『世界の名著』、それに二十世紀の古典がいくつかあれば十分・・・・・」とあって、「あっ、それでいいのか」とも思うが、当然私のレベルではそれすら全く不可能ですので、本書のような解説書は助かります。

1章。

19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパの中心性が崩壊して、真の意味で「世界史」が成立。

バラクラフ『現代史序説』が挙げられているが、これも読まなきゃいけないなと思いつつ、放置したままです。

近代の始まりを、1648年ウェストファリア条約で宗教的権威から世俗権力が独立したことに置く。

絶対王政を擁護したホッブズの思想だが、個人の自由契約がその出発点である以上、結局近代民主主義に繋がらざるを得なかった。

ホッブズの思想が、保守主義の観点から決して首肯すべきようなものでないことは、引用文(クイントン1)参照。

合理と普遍性の追求が啓蒙思想を生み、それが帝国主義によって非ヨーロッパ世界に拡散、米国とソ連の台頭をもたらす。

ウォーラステインによると、フランス革命によって、自由主義・社会主義・保守主義の三思想が生まれ、それぞれが米国・ソ連・西欧の主流となる。

表面上の対立に関わらず、伝統破壊と反貴族主義において米ソの共通性有り。

2章。

キルケゴール曰く、近代は「反省・水平化の時代」。

ニーチェ曰く、弱者のルサンチマンと隠された権力欲に基づく「奴隷革命」の時代。

彼の言うニヒリズムは東洋的無常観・諦念観ではない。

「目的の崩壊」=個人が意味を偶然性に与えることができなくなる。

「統一の崩壊」=集団・世界にも意味付けが失われる。

「真理の崩壊」=デカルトの合理的認識論→表象としての世界・真理とは言えない。

世界は「存在」するのではなく「生成」するもの、懐疑主義・静寂主義という消極的ニヒリズムを超え、「力への意志」を持ち新たな価値を創り出す「能動的ニヒリズム」=「超人」。

しかし、ハイデガー曰く、ニーチェのニヒリズム論も結局はデカルト主義、「人間-世界」を「主体-客体」として定立、主体性の形而上学であるのは同じだとして、(自身も一時支持した)ナチによるニーチェ思想の利用を説明している。

ニーチェは「奴隷道徳」に対して「貴族道徳」というものを考案してみた。これは「畜群」や「奴隷」を見ると「吐き気がする」という感覚のあり方を斥力として、人間を向上させようという戦略である。「げ、あんな連中といっしょにしてほしくないぜ」という嫌悪感をバネにして人間的成長をはかろうというのである。論理的には整合的なのだが、『道徳の系譜』を書いたときにニーチェがまだ気づいていなかったことがあった。それは、「畜群」というのは「畜群を見ると吐き気がする」というような「貴族のマネ」も簡単にできるタフな生物だった、ということである。その一世紀後に「オレ、ニーチェ読んで、あのバカども殺さないかんつうことが分かったわけ」とほざく子どもたちが輩出するとは、かの天才も想像できなかったであろう。大衆はニーチェが思っているより「もっとバカ」だったのである。その惨憺たる帰結はご存じのとおりである。

内田樹『街場の現代思想』(文春文庫)

ニーチェの近代批判は、その民主主義批判に典型をみるように、鋭利をきわめているようにみえる。だがその道徳・宗教批判は矯激に跳ねている。それは、おそらく、人間の生が道徳・宗教への関心(ということは価値への模索)をぬきにしては成り立たぬということを軽視したためであろう。

西部邁『思想の英雄たち』(文芸春秋orハルキ文庫)

3章。

ハイデガー『存在と時間』について。

世界を超越して外から見るのではなく、世界の中にすでに投げ込まれてその中で世界をみる「現存在」。

そのことの意味を問うことをしないのが「頽落」。

人間は共同存在であるから、ほとんどを大勢に従うことになり、中性的な「人」DasMannの言うがままとなる。

それに対して、死を意識して(「先駆的覚悟性」)、過去を取り戻しつつ(「反復」)、「本来性」を回復し、集団による共同の企て(「運命」)を引き受けることが必要。

しかし、結局これも近代の「主体性」の哲学を一層徹底化させたものに過ぎなくなってしまい(後のサルトルらも含めて)、通俗・平俗化されればナチスのような大衆運動に利用されることになる。

晩年のハイデガーは、人間を活動し選択し決断するものというより、観照し待望し何かに仕えるものであると考えるようになった。

4章。

ファシズムが、平等化の進展による階級社会消滅と大衆社会化によって生まれたことを指摘(コーンハウザー『大衆社会の政治』)。

伝統的共同体と宗教的信条を無くした根無し草の平等な個人が、政治的アパシーに陥り、あきれるほど簡単に他者に同調することによってファシズムが生まれる。

空っぽの大衆の頭に、カリスマが「国民的問題」とエセ世界観を注ぎ込み、達成不可能な情緒的目標で煽動された大衆が全体主義運動の道具となる。

それに抗すべきエリートや知識人も、反伝統主義・反既成支配層の感情から大衆に合流し、煽動者の手先に成り下がる。

著者は、「ナショナリズムからファシズムが生まれた」という考えを否定し、国民国家と帝国主義(および排外的民族主義、人種主義)とは全く違うことを強調する。

少数民族を包摂し統合するのが真のナショナリズムであり、移民や少数民族への野蛮な排斥はむしろナショナリズム=国民統合形成からの逸脱であるとする。

この国民国家的ナショナリズムに対置されるのが、種族的ナショナリズムであり、ナチは自らの軸足を後者に置き、そして皮肉というか理不尽というか、ユダヤ人も後者を基礎にする集団であると想定して徹底的な攻撃・撲滅の対象とした。

5章。

19世紀自由主義改革による民主政治は「指導者民主主義」であり、かつての国王と貴族の統治のような世襲制ではないが、依然エリートによる大衆の指導を内実にする政治であった。

それが産業革命以後の、中間層の拡大、複製技術革命が起こり、文化の商品化が進むと、他人の真似を自分の意見であると思い込む大衆が画一的でステレオタイプ化された世論を生み出し、大衆の欲望・野心・情念・偏見を動員することに成功した者が世界を動かすようになる(ルボンタルド)。

オルテガが指弾するように、凡庸なものがほとんど無制限の権利を要求し、政治について全く自覚も無く一切の努力もしない大衆が「生まれながらの権利」に基づき主張を押し通す社会となる。

さらに経済学者にその典型をみるがごとく、エリートとされる知的専門家こそが、大衆的存在に成り下がっている。

優れた少数者は特権者として否定され引き摺り下ろされてしまう(「奴隷一揆」[ニーチェ])。

6章。

政治だけでなく、経済も大衆化が進む。

所有と経営の分離、株式・債券市場の発達により、金融部門が拡大。

長期的スパンの実物経済が短期のシンボル経済に変化。

価格・賃金の安定という点で、大企業体制と大衆社会の蜜月関係が築かれるが、失業の不安が付きまとう。

ケインズの不確実性の概念。

不安な状況の中、人々は貨幣だけを信頼(「流動性選好」)。

実体経済への投資より金融市場での投機が横行し、経済は停滞。

貨幣は交換手段とは別に価値保蔵機能を持つ。

貨幣は交換価値しかなく、使用価値はない特殊な商品であり、根本では集団心理によって支えられるだけの存在。

金融市場の極度の不安定性からして、この貨幣を大衆心理へ委ねるのは危険であり、中央銀行・政府のエリートに依存するしかないというのがケインズの考え。

有効需要を増やす公共事業も、ケインズ自身は、民主的ではないエリートによる配分を想定していた。

社会民主主義とリベラル左派の論拠ではなく、大衆社会へのアンチテーゼとして、保守的立場からケインズを再評価するのが著者の主張。

7章。

アメリカ文明について。

(古典的)共和主義は王権とも対立するが、民主制へも批判的。

公的自由=徳を持つ公的活動。

私的自由=中身はブラックボックスで一切問われない。

本来共和主義が擁護したのは公的自由だったはずが、いつの間にかそれとすり替わった私的自由がほぼ無制限に主張される。

具体的日常的コミュニティでの健全な民主制が普遍化することで形骸化する。

技術主義・消費社会・方法化・ニヒリズムが蔓延し、手段の目的化・絶対化が止めどなく進行。

多文化主義を唱える主流派に対し、あくまでヨーロッパ文化を中心とする保守派。

人間中心主義(ヒューマニズム)も結局ニヒリズムに過ぎないものと化す。

適当過ぎるメモなので、読み返すと自分でもよくわからない部分があります。

しかし、本書自体は非常に読みやすく、中身の濃い本ですので、是非実際にお読み下さい。

2013年7月11日

岡本隆司 『中国「反日」の源流』 (講談社選書メチエ)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 16:07

『世界のなかの日清韓関係史』と同じ著者。

1970~80年代の「日中友好第一主義」の裏返しで、それと同じくらい硬直しており、同じくらい馬鹿げている「反中原理主義」にはまり込んだ、最近腐るほどいる低俗な(自称)右派みたいなおどろおどろしいタイトルだが、中身は至極まとも。

20世紀における日中の正面衝突には軽く触れるだけで、17~19世紀の両国関係と内部の社会構造から対立の源流を探るというもので、近世の描写が大部分を占める。

以下、一応メモは取ったんですが、曖昧さや誤読があるかもしれません。

本書の論旨を一言で言うと、日本は公権力と社会との距離が近く、中国は国家と社会の遊離が顕著だ、というもの。

明代中国では、海禁政策と長城建設による現物主義の財政経済が行われる一方、社会の商業化と流動化は進行し、その矛盾が北虜南倭という破局を導く。

それに続く清は、民間の既成秩序に立ち入らない方針を採り、徴税も請負制で国家が個々の民衆を把握するのではなく、大口の少数者より取り立てる体制となっていた。

康熙時代のデフレから乾隆時代のインフレに変化する中で、中国が大きな繁栄を謳歌する一方、日本では逆に18世紀にデフレと経済的下降局面に入る。

しかし、日本では、そこから鎖国の下での輸入代替化の進行、自給自足的なクローズド・システムの確立、産業革命(インダストリアル・レヴォリューション)ならぬ勤勉革命(インダストリアス・レヴォリューション)が起こり、上下一体の凝集性を備えた社会が成立、近代化に適合的な条件を得る。

それに対して、中国社会は、流動的開放的官民乖離をその特徴とする。

多数の同郷・同業団体が力を持ち、聚落形態においても、権力の及ばない村落が中国では際立って多い。

こうした状況下で、中国は西欧の衝撃を受けたが、よく言われる中華思想もあり、本来日本よりも海外経験は多かったにも関わらず、西欧の文明と科学技術について、国家の上層部は無関心であり、一方民間では実用に特化した関心しか持たれず、国家全体としての体系的摂取には至らなかった。

社会の形態から言って、中国は柔構造、日本は剛構造であり、同じく西欧の衝撃を受けた日本では剛構造ゆえの脆さから、有機的結合の破綻がもたらされたが、それが同時に維新へのきっかけになり、新たに再編された官民協同の凝集的社会が上下一体となって近代化を推進できた。

太平天国の乱前後、漢人官僚の「督撫重権」は武装中間団体を政府側が組織し地方を確実に把握しようとするものであり、官民一体の凝集的社会を作り出そうとする試みと見なし得る。

ここから外交面に話は移る。

1871年日清修好条規が結ばれ、これは対等の国際条約だが、清は依然として朝鮮・琉球・ヴェトナムなどに対して朝貢国の概念を保持。

72年琉球藩設置、74年台湾出兵、75年江華島事件、76年日朝修好条規、79年沖縄県設置(琉球処分)を経て、1880年代、清は日本に対抗し、朝鮮において、これまでの「属国自主」のうち、「属国」を実体化し「自主」を名目化しようとする。

これが日本との対立をもたらし、82年壬午軍乱、84年甲申事変、94年日清戦争につながる。

内政に話が戻って、李鴻章らが推進した洋務運動について、「中体西用論」に立ち、「変法」(制度改革)を意図しなかったので失敗したという定説にやや疑問を投げかけ、李鴻章も制度改革の必要性は認識していたが出来なかった、当時の清朝の「官民懸隔」と西欧(および日本)の「君民一体」「上下一心」との距離が大き過ぎて、漸進的な改革の推進すら不可能になっていたとされている。

これを克服するために、中間団体の存続基盤を潰す社会構造の変化が必要だったと述べている。

普通、社会の中にあり、国家に対抗する中間団体というものは、自由の保障として肯定的に評価されるが(コーンハウザー『大衆社会の政治』等参照)、本書では逆。

まあ、国家の権力があまりにも弱体で、中間団体が武装化すら行い、単なる私的欲望の集合体として専横の限りを尽くすような状況はマイナスでしかない、という具合に理解しておきましょうか。

そこそこ面白くはあるが、なぜか強く勧める気にならないというのは前著と同じ。

普通ですかね。

上記の他にメモしようかと思うことはあったんですが、面倒なのでパス。

この記事を読んで、気になった方だけどうぞ。

2013年7月1日

手嶋兼輔 『ギリシア文明とはなにか』 (講談社選書メチエ)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 16:03

世界史で「古典古代」と一括して扱われるギリシア・ローマについて、東地中海文明=ギリシア、西地中海文明=ローマという区分を明確にするという立場からの文明論とのこと。

以下、内容を適当に抜き出した箇条書き。

文脈に沿って整理してないので、自分でも意味が不明確な部分があります。

まずヨーロッパ文明の輝かしい起源というイメージが強烈な古代ギリシアだが、当時においては、むしろペルシア文明が圧倒的に優勢であったことを強調。

デルタ地帯に首都を置いた、第26王朝サイス朝エジプトとギリシアの密接な関係。

ギリシア人は最初傭兵として、のちに商人としてエジプトに進出。

新王国とプトレマイオス朝に挟まれたこの時期のエジプトはあまり注目されないが、エジプト・ギリシア枢軸ともいうべきものが成立していた。

ヘロドトスの「ナイルの賜物」という言葉は、本来はエジプト全体ではなく、デルタ地帯のみに関して述べたもの。

エジプト、ペルシアなど普通は中央集権的統一王朝が繁栄の頂点と見なされるのに対し、ギリシアではポリス分立期が全盛。

マケドニアによって全ギリシアが統一されるが、これは逆に衰退期のイメージが持たれる。

アテネにこだわったソクラテスに対し、ギリシア外に目を向けたクセノフォン。

マケドニアを半夷狄(バルバロイ)と見なす考えに反対し積極的に評価する考えが生まれる。

アリストテレスのギリシア至上主義。

その親族のカリステネスも考えを同じくするが、遠征に同行したアレクサンドロス大王に謀反の疑いをかけられ処刑される。

その遠因となった、アレクサンドロスによる跪拝礼導入の主張は、東方的専制主義に感染したというよりも、圧倒的に優勢なペルシア文明との落差を直視し、一時的征服から安定的統治へ移行する必要から出たものであり、ギリシア的優越感克服と被征服者から学ぶ姿勢を示したものとして評価。

後継者(ディアドコイ)国家のうち、セレウコス朝はティグリス河畔のセレウキアの他にシリアにアンティオキアも建設、ギリシア化に多くの限界がありペルシア文明色が濃い。

「セレウコス朝シリア」という表記は不正確だが、ある程度は妥当。

プトレマイオス朝はギリシア・マケドニア至上主義を退け、エジプト文明と融合し大きく飛躍、最後の王朝だが衰亡のイメージは当たらないと、本書では高く評価されている。

西地中海のローマでは、反ギリシア的な大カトーと小スキピオの対立。

当時のギリシアはアンティゴノス朝が北方支配、南方ペロポネソス半島中心のアカイア同盟と協調と対立、そこにローマが絡む。

ポリュビオスのような親ローマ的知識人が持つ、かつてのギリシア優越主義。

「旧ギリシア」=ギリシア本土、早くにローマに屈し、古い偏見に捕われる。

「新ギリシア」=エジプト・シリア、商業発展、文明の融合により先進地域として再生、その表れがムセイオンとエウクレイデス、アルキメデス、エラトステネス、アリスタルコスなど。

「旧ギリシア」ではかつての古典文化への固定化・美化が進み、それをローマ人も賛美したため、現代に至るまで古典古代の精華とされているが、著者はあまり評価せず、むしろ「新ギリシア」における成果を強調している。

ローマ支配下でもギリシア的要素は存続、東ローマ帝国は最近ビザンツ帝国と呼ばれることが多いが、「東ローマ」=「東地中海文化圏」と解釈した場合、「東ローマ帝国」と呼ぶ方が適切とも。

上のメモは内容が曖昧で誤読もあるかもしれませんが、本書自体は読みやすい。

高校レベルの基礎知識があれば十分面白く読める文明論になっている。

ギリシア文明内部の相違だけでなく、ギリシアとローマ間のそれをもっと説明してくれれば、なお良かったが。

しかし悪くない本です。

WordPress.com で無料サイトやブログを作成.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。