万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年6月11日

プラトン 『プロタゴラス  あるソフィストとの対話』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 15:22

このレーベルは初めてか。

『ソクラテスの弁明 クリトン パイドン』『国家』に続けてこれを読んでみる。

表題となっているプロタゴラスは、「人間は万物の尺度」という価値相対主義的考えを唱えたソフィストとして、高校世界史でも出てくる人物。

アテネに滞在中の、60歳くらいのプロタゴラスを、当時36歳ほどと思われるソクラテスが友人と共に訪ね、ヒッピアスやプロディコスなど他のソフィストも同席する中、議論を行う。

(以下、議論の流れの概観。あまり上手くまとまっておらず、誤読や意味不明な所もあろうかと思います。)

まずプロタゴラスが、自分は専門教科ではなく、策を練る力、政治の技術を教えることができると主張。

それに対してソクラテスは、そうしたことは教えることができない、アテネでは非政治的な技術的問題は専門家だけが発言するが、国家政策は誰もが口にし議論する、また優れた人が息子に徳(アレテー)を伝授できないのも、その証拠だとする。

プロタゴラスは、そもそもエピメテウスが各種の生物に能力を分配した際に、人間だけが無防備な状態にされ、そこでプロメテウスが知恵を火と共に与えてくれた、さらにゼウスがヘルメスを通じて政治の技術として道義心と謙譲心を人間に与えて国が出来た、よって全ての人がアレテーを持っている、そうでなければそもそも国家自体が成り立たない、不正に対する罰とは本来のアレテーを取り戻すようにするためのもの、だが持って生まれた能力によってアレテーが劣っていることがある(これが偉人の不肖の息子)、こうしたアレテーの不均衡に対して、自分のような立派な教師がそれを伸ばすことができると主張。

ここでソクラテスが、徳は多性か一性か、と問う。

プロタゴラスは、アレテーは一つだが、正義・節度・敬虔などの部分に分かれ、それぞれに役割が違う、「勇気はあるが不正」、「正しいが知恵なし」などの例が見られるので、と答える。

対してソクラテスは、アレテーの一つの部分は他の部分と同一でないのなら、正義は不敬虔で、敬虔は不正なのかとたたみ掛け、また一つのものには一つの反対物しか無いという事にプロタゴラスの同意を得た後、無分別の反対は知恵だ、また同時に無分別の反対は節度だとも言い得る、すると「一つの反対物は一つしかない」という先程の原則からして、「知恵=節度」でありアレテーは完全に一性だとしなければ矛盾すると主張。

(途中で、シモニデスの詩の解釈について議論があるが省略。)

プロタゴラスが、徳=知恵・節度・勇気・正義・敬虔の五つのうち、勇気だけは他とは違う性質を持つ、不正・不敬虔で節度を欠き知恵も無いが勇気のある人間がいると述べる。

ソクラテスは、快いものが正、その反対が不正とする、世間で快楽に征服されて不正なことをしてしまうと言うが、結局それが不快をもたらすことを見通せないのがむしろその原因であり、計量の技術の欠如、すなわち知識の無いことからくる、よって知が最も重要、「自分に支配される」のが無知、「自分を支配する」ことが知恵だ、そして勇気とは「最終的に不快をもたらす」「真に恐ろしいもの」を知ることに他ならない、したがって勇気も他の徳と同じものだと結論するが、ところが勇気=知恵となるとアレテーは教えることが出来ないという自身の最初の主張と矛盾することになると認めて、対話を終えている。

訳者解説では本文の議論がわかりやすくおさらいされている。

ソクラテスの最後の議論については、大衆の快楽主義的考えを認めた上で、快・不快の大小を量的に比較でき、「快楽に征服される」という現象は実は計算違い(無知)のことであることを示し、勇気と知恵を同一のものとし、知の重要性を主張したものとされている。

この部分は本文を読んで「あれ?」と思ったのだが、やはりこの解説でも、主知主義はソクラテスの思想と合致するが、快楽主義にはソクラテスは強く反対する立場のはず、恐らくプロタゴラスとの対話に沿って便宜的に出てきた仮説のようだと記されている。

面白い。

それほど難しくないので、初心者でも十分内容をつかみながら通読できる。

哲学などほとんど読んだことが無いという私と同じような方でも、気後れする必要は全然無いです。

たまにはこういう本を読むのもいいんじゃないでしょうか。

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