万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年6月21日

E・マホフスキー 『革命家皇帝ヨーゼフ2世  ハプスブルク帝国の啓蒙君主1741-1790』 (藤原書店)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 15:32

原著が1980年刊、本書は2011年刊。

200ページほどの通常の伝記でない逸話集。

啓蒙専制君主として名高いオーストリア・ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝。

母親はマリア・テレジア。

カール6世が領土不可分と女系継承を定めたプラグマティシュ・サ(ザ)ンクツィオン(国事勅[詔]書)を制定し、その娘マリア・テレジアが即位。

フランツ・シュテファンと結婚、以後王朝名はハプスブルク・ロートリンゲン家に。

1733~35年ポーランド継承戦争で、オーストリアは両シチリアをスペイン(この時期はすでにブルボン朝)に割譲する代わりにパルマ・トスカナを得る(フランスはロレーヌ併合)。

1740~48年オーストリア継承戦争、同時期(1744~48年)植民地ではジョージ王戦争(この「ジョージ」はハノーヴァー朝英国王ジョージ2世)、1748年アーヘン和約でオーストリアは北伊パルマをブルボン系統君主に割譲、フリードリヒ2世のプロイセンはシュレジエン領有。

1756~63年七年戦争(植民地ではフレンチ・インディアン戦争)でもプロイセンからシュレジエンを奪還できず。

1765年フランツ1世死去、ヨーゼフ2世が母マリア・テレジアと共同統治、1780年母の死によって単独統治開始、農奴解放令・宗教寛容令発布。

以後の啓蒙君主としての言動を、本書ではあれこれのエピソードで描写している。

その具体例はすっ飛ばして、以下気になったことを。

最初の方に、「マリア・テレジア時代のハプスブルク帝国」という地図がある。

そこでは「失った領土」がガリツィア(ポーランド分割による)・トスカナで、「獲得した領土」がシュレジエン・パルマという色分けになっているのですが、上に記した史実からして、ひょっとしてこれ表示が全く逆になっているんでは・・・・・?

何度確認してもそうなってる。

ヨーゼフ2世の最初の妻は確かにパルマ公女だが、それによって領土を取り戻したとは思えないし、それに他の部分の辻褄が合わない。

また、末尾の監修者倉田稔氏の解説の中に以下の文章がある。

ハプスブルク家は、「神聖ローマ帝国」の皇帝でありつづけた。それゆえ王の中の王であった。また皇帝位にある家であったから、ローマ法王とは兄弟の契りを結び、カトリックの盟主である。地理上の区分では、ヨーゼフ二世の時代には、帝国は、スペインと、東・中央ヨーロッパに分かれていた。

うん?

最後の一文、16世紀カール5世(カルロス1世)時代は確かにそうでしょうが、18世紀初頭のスペイン継承戦争の後なんだから、マリア・テレジア、ヨーゼフ2世の時代には、もうスペインはブルボン朝に変わっているでしょう?

スペイン系のハプスブルク家が断絶したから継承問題が生じたはずで、分家が他の小国を統治していたという意味で上の文章が記されているとも思えない。

二刷以降は直っているのかもしれないが、二つ共々、藤原書店のような良心的出版社とは思えぬ脱力モノのミスではある。

なお、スペイン継承戦争の結果をチェック。

1713年ユトレヒト条約で、スペインのブルボン家フェリペ5世による継承承認、ただし仏西合邦永久禁止、英国はジブラルタルをスペインから、ニューファンドランド・アカディア・ハドソン湾地方を仏から獲得。

1714年神聖ローマ帝国とのラシュタット条約。

結論を言えば、スペインとアメリカ・フィリピン等の海外植民地のブルボン家継承は認めるが、ヨーロッパにおける本国以外の領土はオーストリア・ハプスブルク家に引き渡すというもの。

具体的には南ネーデルラント・ナポリ・サルディニア島。

そのうち南ネーデルラントはウィーン会議でオランダが併合、七月革命後にベルギーとして独立。

シチリアは1714年時点ではサヴォイが領有、1720年サルディニアと交換の形でオーストリア領となるが、1735年上述の通りポーランド継承戦争の結果、ナポリと共にスペイン系ブルボン朝の領有となり、このブルボン朝の両シチリア王国がガリバルディによる征服まで存続することになる。

サルディニアを得たサヴォイは王号を名乗り、サルディニア(サルデーニャ)王国になり、ニースと共に王家発祥の地サヴォイをナポレオン3世に割譲して、北伊のオーストリアと南伊のブルボン家、中伊の教皇領と対決し、イタリア統一運動の中心となる。

ああ、これでややこしい領土移動の歴史が高校世界史の記述と繋がった。

以上の経緯は藤沢道郎『物語イタリアの歴史』(中公新書)などを参考にしました。

楽に読めるが、通常の伝記ではないので知識が断片的過ぎる。

良心的で臣民思いの君主の人となりは十分伝わってくるが・・・・・。

特には勧めません。

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2013年6月11日

プラトン 『プロタゴラス  あるソフィストとの対話』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 15:22

このレーベルは初めてか。

『ソクラテスの弁明 クリトン パイドン』『国家』に続けてこれを読んでみる。

表題となっているプロタゴラスは、「人間は万物の尺度」という価値相対主義的考えを唱えたソフィストとして、高校世界史でも出てくる人物。

アテネに滞在中の、60歳くらいのプロタゴラスを、当時36歳ほどと思われるソクラテスが友人と共に訪ね、ヒッピアスやプロディコスなど他のソフィストも同席する中、議論を行う。

(以下、議論の流れの概観。あまり上手くまとまっておらず、誤読や意味不明な所もあろうかと思います。)

まずプロタゴラスが、自分は専門教科ではなく、策を練る力、政治の技術を教えることができると主張。

それに対してソクラテスは、そうしたことは教えることができない、アテネでは非政治的な技術的問題は専門家だけが発言するが、国家政策は誰もが口にし議論する、また優れた人が息子に徳(アレテー)を伝授できないのも、その証拠だとする。

プロタゴラスは、そもそもエピメテウスが各種の生物に能力を分配した際に、人間だけが無防備な状態にされ、そこでプロメテウスが知恵を火と共に与えてくれた、さらにゼウスがヘルメスを通じて政治の技術として道義心と謙譲心を人間に与えて国が出来た、よって全ての人がアレテーを持っている、そうでなければそもそも国家自体が成り立たない、不正に対する罰とは本来のアレテーを取り戻すようにするためのもの、だが持って生まれた能力によってアレテーが劣っていることがある(これが偉人の不肖の息子)、こうしたアレテーの不均衡に対して、自分のような立派な教師がそれを伸ばすことができると主張。

ここでソクラテスが、徳は多性か一性か、と問う。

プロタゴラスは、アレテーは一つだが、正義・節度・敬虔などの部分に分かれ、それぞれに役割が違う、「勇気はあるが不正」、「正しいが知恵なし」などの例が見られるので、と答える。

対してソクラテスは、アレテーの一つの部分は他の部分と同一でないのなら、正義は不敬虔で、敬虔は不正なのかとたたみ掛け、また一つのものには一つの反対物しか無いという事にプロタゴラスの同意を得た後、無分別の反対は知恵だ、また同時に無分別の反対は節度だとも言い得る、すると「一つの反対物は一つしかない」という先程の原則からして、「知恵=節度」でありアレテーは完全に一性だとしなければ矛盾すると主張。

(途中で、シモニデスの詩の解釈について議論があるが省略。)

プロタゴラスが、徳=知恵・節度・勇気・正義・敬虔の五つのうち、勇気だけは他とは違う性質を持つ、不正・不敬虔で節度を欠き知恵も無いが勇気のある人間がいると述べる。

ソクラテスは、快いものが正、その反対が不正とする、世間で快楽に征服されて不正なことをしてしまうと言うが、結局それが不快をもたらすことを見通せないのがむしろその原因であり、計量の技術の欠如、すなわち知識の無いことからくる、よって知が最も重要、「自分に支配される」のが無知、「自分を支配する」ことが知恵だ、そして勇気とは「最終的に不快をもたらす」「真に恐ろしいもの」を知ることに他ならない、したがって勇気も他の徳と同じものだと結論するが、ところが勇気=知恵となるとアレテーは教えることが出来ないという自身の最初の主張と矛盾することになると認めて、対話を終えている。

訳者解説では本文の議論がわかりやすくおさらいされている。

ソクラテスの最後の議論については、大衆の快楽主義的考えを認めた上で、快・不快の大小を量的に比較でき、「快楽に征服される」という現象は実は計算違い(無知)のことであることを示し、勇気と知恵を同一のものとし、知の重要性を主張したものとされている。

この部分は本文を読んで「あれ?」と思ったのだが、やはりこの解説でも、主知主義はソクラテスの思想と合致するが、快楽主義にはソクラテスは強く反対する立場のはず、恐らくプロタゴラスとの対話に沿って便宜的に出てきた仮説のようだと記されている。

面白い。

それほど難しくないので、初心者でも十分内容をつかみながら通読できる。

哲学などほとんど読んだことが無いという私と同じような方でも、気後れする必要は全然無いです。

たまにはこういう本を読むのもいいんじゃないでしょうか。

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