万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年5月31日

八幡和郎 『愛と欲望のフランス王列伝』 (集英社新書)

Filed under: フランス — 万年初心者 @ 16:05

いかにも俗受けを狙ったタイトルで、雑学風の本。

普段なら自分のレベルは棚に上げて、絶対読まない。

しかしざっと眺めたところ、面白そうなので借りてみる。

著者のお名前は「やわた・かずお」とお読みするようです。

この方は日本史関係でかなりの数の、そこそこ面白い歴史読み物を書かれていて、フランス史は専門外ではないかと思ったが、略歴を見るとフランス国立行政学院(ENA)留学とあるから、そうでもないのか。

内容はタイトル通り、王統を順番に省略無く、ひたすらたどっていくもの(大革命以後も記述有り)。

そうした形式にこだわった理由を著者は以下のような文章で記しているが、これには全く同感。

・・・・学校の「世界史」では、中世などなじみのない時代を軽く飛ばしてしまうので、流れがぼやけてしまうし、民衆の生活が大事だという流行は、血湧き肉躍る武勲も恋愛も気高く感動的な精神の発露も隅に追いやって、歴史を無味乾燥な分かりにくいものにしてしまった。

本文に入ると、まずメロヴィング朝の歴史を記していくが、オーギュスタン・ティエリ『メロヴィング王朝史話』の記事で書いたように、この辺は高校世界史範囲外で難解複雑極まる部分なので、本書の叙述はこの上なく貴重。

だが内容を詰め込みすぎで、読むスピードは遅くなり、細部を正確に記憶するのは難しい。

クローヴィス1世死後、フランク王国は四子に分割、北仏東部のアウストラシア(ソワソンが中心)と西部ネウストリア(ランスが中心)、パリとオルレアンの四つ。

そのうちパリとオルレアンは早期に断絶、アウストラシアとネウストリアが抗争を続ける。

記述はネウストリア中心に進むが、著者はネウストリアを日本の南北朝時代の南朝に、アウストラシアを北朝に喩えている(カロリング家はアウストラシアの宮宰として台頭)。

クロタール、シギベルト、ダゴベルト、キルペリク、テウデリクの各○世など、王名が山ほど出てくるが、初めはともかく、特に最後の方の王位移動は複雑すぎて、正確な経緯を記憶するのはやはりほぼ不可能。

一応要点だけでもメモしようかと思ったが、あまりにも骨が折れる。

751年のカロリング朝成立までは適当に流さざるを得ない。

ちなみにこの751年近辺で、世界史でもう一つ極めて重要な王朝交替がありましたよね。

すぐ思いつくでしょうか?

ほら、ヨーロッパと隣接する地域で。

750年ウマイヤ朝滅亡とアッバース朝成立ですね。

翌751年はカロリング朝成立と共に、タラス河畔の戦いで唐朝が負けたこともチェック、この少し後755年には安史の乱で唐はさらに退潮。

つまりタラスで勝ったのはアッバース朝、カロリング朝を建てたのは小ピピン(ピピン3世)、ということはその父カール・マルテルがトゥール・ポワティエ間で破ったのはウマイヤ朝軍だ、という具合に次々と事項を関連付けて記憶していくことを、高校世界史同様に続けていきましょう。

以下、気になった部分だけ全く脈絡無くメモ。

時々挟まれているコラムが結構役立つ。

南仏の地名について、ボルドー周辺がギュイエンヌ、ボルドー南東がガスコーニュ、ボルドー北がアキテーヌだが、三者がしばしば混同して用いられるので、明快正確な区別は難しいと書いてあって、返って曖昧に感じていたことがスッキリした。

次に、近世における東部国境拡張について。

1559年カトー・カンブレジ条約でイタリア進出放棄の代償にロレーヌの要地メッス、ヴェルダン、トゥールを支配、1648年前三者とアルザス南部を正式併合、1659年ピレネー条約でルシヨン・アルトワ併合、1668年アーヘン条約でリール併合、1678年ナイメーヘン条約でフランシュ・コンテとカンブレ併合、1681年頃までにアルザス北部とストラスブール帰属、1697年ライスワイク条約でストラスブール正式併合。

なお、ロレーヌとコルシカを領有したことによってほぼ現領土と等しくなったことや、ほぼ同時期のイギリスも米国独立という大失策を犯していることから、普通大革命を準備した腐敗した時代と見なされがちなルイ15世の治世を著者は評価している。

ナポレオン時代も(第二帝政含め)高く評価。

しかし、

ナポレオン戦争は、最後に負けたということでは失敗ではあるが、軍事的なやり方がまずかっただけで、もし、ナポレオンが成功していたら、ドイツはより自由主義的な国になり、ロシアはタタール的な帝国ではなく西欧的な文明国として発展しただろうし、スペインも20世紀後半を待たずして西欧の一員になったはずだ。ポーランドは独立を維持でき、イタリアはもっと早く統一されただろう。

と言うのは、いくら何でも贔屓の引き倒しというものではないでしょうか?

英米で主流のナポレオン否定論に反発するというのはわかりますが、この部分は到底素直に頷けない記述であった。

この後では、第三共和政以後の王族についての叙述が面白かった。

当時、シャルル10世の次男ベリー公の子で、公が暗殺された後に生まれたシャンボール伯アンリがブルボン王家当主。

第三共和政初代大統領に就任したのは王党派のマクマオンだったので、王政復古が有力視されたが、シャンボール伯が国旗として白地に百合の花をあしらったアンリ4世旗にこだわり三色旗を拒否したため、実現せず、「アンリ5世」即位は幻に終わる。

内心王党派的心情で記されたピエール・ガクソット『フランス人の歴史』の該当箇所では、シャンボール伯は国民に与えられたのではない自立した王権を求めたのであろうが、当時においてはそれはやはり非現実的だったというような筆致で記していたと思う。

これによって王政復古の可能性は残念ながら(とあえて書かせて頂きます)永久に去った。

シャンボール伯には子が無く、ブルボン本家は断絶。

現存する王家はオルレアン家ルイ・フィリップの孫パリ伯フィリップの系統とスペイン現王室のブルボン家ということになる。

新書とは思えぬほど情報量が多い。

詳細で貴重な知識を得られるが、場合によっては消化不良を起こしそう。

著者の史的評価にも、かなり首を傾げる部分があった。

積極的にお勧めする気は起きません。

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