万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年3月15日

古川隆久 『昭和天皇  「理性の君主」の孤独』 (中公新書)

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2011年刊。

同じ著者で、吉川弘文館の人物叢書に『大正天皇』が収録されているが、何となくディキンソン『大正天皇』(ミネルヴァ書房)を選んだので、パラパラ眺めるだけで済ませてしまった。

本書では、幼少期から青年期にかけての思想形成に多くのページを割く。

その一部として、高名な東洋史学者白鳥庫吉の歴史講義や箕作元八の名著『フランス革命史』講読が挙げられている。

余談ですが、この箕作元八の本、表記を現代風に直した上で、どこかから復刊してもらえませんかね。

私にとってカーライルやピエール・ガクソットの類似名本と並んで、長年読みたいと思っている「幻の名著」のひとつなんですよ。

成年後の時期では、先帝を、臣下の進言に従うだけの象徴的存在ではなく、あくまで為政者の一員であり、戦前日本における主要な政治的プレイヤーの一人として扱う。

この場合、やはり戦争責任の問題が記述の中心になるのは、ある意味やむを得ない。

政治運営の上で、在位中の天皇には、法的責任はともかく、政治的道義的責任は旧憲法下においてもあるとの解釈を側近も、そして先帝自身も持っていたと著者は指摘する。

また、その旧憲法が孕んでいた欠点が以下のように述べられている。

1885年に伊藤博文が内閣制度を発足させた際は、首相の権限は絶大だったが、次の黒田清隆内閣が黒田首相の不手際で迷走したことなどから、大日本帝国憲法では内閣に関する規定はなく、天皇は各大臣の輔弼(助言)に基づいて判断することになっており、1889年12月制定の内閣官制でも各大臣の独立性は強かった。しかし、天皇存続のためには天皇が権力闘争の渦中に入ることを防ぐべきであるという観点から再検討が行なわれ、内閣の実務規定として伊藤博文が中心となって1907年2月に制定された公式令では、再び首相の権限が事実上強化され、合議体としての内閣が国務の中心となることになった。・・・・・・ところが、陸軍と官界の大御所山県有朋は、陸軍の権力減少を嫌い、軍部大臣が首相や閣議に諮らずとも独自に法令を発することができる軍令という法令形式を同年9月に発足させてしまった。伊藤は一応その運用を慎重にするよう山県に約束させることはできたようだが、明文化まではできなかった。・・・・・・さらに翌年12月の参謀本部条例改正で、陸軍の作戦用兵の責任者である参謀総長の天皇直属という関係を明確化し、陸軍が一つにまとまるのは陸軍大臣のところではなく天皇のところとなった。海軍の方は、1933(昭和8)年の軍令部条例改正以前は、作戦用兵の責任者である軍令部長が天皇に直接上奏はできるものの海軍大臣のもとにあったので一応一体性はあった。

本ブログで何度も繰り返し触れていますが(こことかこことかここで)、こういうことは中学では無理でも、高校の日本史授業ではしっかりと教えて頂きたい。

明治憲法は集権的ではなく分権的構造となっており、首相権限の弱さという脆弱性を下からの国粋的大衆運動に突かれて崩壊したのであって、本来「民主的」とか「非民主的」といった問題ではないと思える。

先帝即位後の、具体的政治行動では、まず1929年6月の田中義一首相叱責事件について。

これは田中内閣下で重大な失策が続いており、世論も内閣に極めて批判的だったので問題は無く、かえって右翼を刺激し逆効果となったという定説を著者は排している。

ただし、続く浜口内閣でのロンドン条約問題では、軍縮を支持する先帝の意図は正しいにしても、浜口への一方的信任が反対派の無用の反発と浜口の根回し不足を招き、結果として軍令部の激越な反抗をもたらしたとされている。

さらなる決定的危機であった満州事変で、関東軍支援のための派兵決定を拒否することは、第二次若槻内閣の総辞職を招きかねず極めて困難だったと思われるが、軍の無断越境を行った林銑十郎朝鮮軍司令官については、即時罷免するという措置を取るべきだった、この行動はこれ以上の軍の下剋上を阻止するために、リスクを犯しても断固として遂行すべきだったと指摘している。

加えて、盧溝橋事件時、首相の近衛への深い信任があり、また満州事変時の首相・陸相への不拡大指示が陸軍の反発を招き逆効果の面もあったことから、先帝は近衛に明確な指示を出さなかった。

ところが、近衛は逆に強硬・拡大策を採用し、破局的結果をもたらすことになってしまう。

欧州大戦前後、日独伊三国同盟に当初強く反対したのち、これを承認。

これは、1940年フランス降伏という事態を受け、側近たちも協調融和外交路線を捨て、先帝の政治的基盤が完全に失われたこと、さらに親英感情を常に持っていた先帝にとってイギリス占領の危機という衝撃的状況下で気力を喪失したためだとしている。

話が飛んで、戦後1946年9月のいわゆる沖縄メッセージ。

主権を日本に残したまま、沖縄での米軍長期駐留を提案。

これについて、批判派は米軍統治の長期化につながったとし、擁護派は沖縄の米国領への編入や国連信託統治を防ぎ、後の沖縄返還の道が残ったとする。

本書では、当時日本の共産化を防ごうとするのならこれ自体は当然の発想だとし、ただしすでに外交大権も大臣罷免権も無い状況下では、先帝のこの行動は決定的意味を持つものではなく、政府の側面支援でしかないと、肯定的にも否定的にも過大評価していない。

恐らくその辺が穏当な評価かとも思うが、しかし、沖縄県民に多大のわだかまりが残ったのはやむを得ぬところか。

こうした先帝の個々の政治的行動について、「昭和天皇も為政者の一員として、具体的な政治関与を行っていたことは明白なのだから、その行動についてタブー視せず、冷静な議論と歴史的評価の対象にすべきだ」という意見には同意する。

ただし、本書には以下のような記述がある。

・・・・・・統帥権干犯問題の矛先は宮中のみならず昭和天皇にも向かいつつあった。牧野内大臣のもとには、「陸軍の若い連中のどの団体だか知らないけれども、秩父宮が汽車に乗つて何所かに行かれる時に、その汽車に陸軍の大佐が入つて来て、殿下を担ぎたいといふことをぢかに申し上げたといふ事実がある。殿下は無論御承知にならなかつた」という情報が入った(『原田日記』八月二十二日)。秩父宮を天皇に擁立する計画が軍部にも共感を得つつあったのである。さらに元老西園寺のもとにも、近衛文麿貴族院副議長から、「陸軍の一部の者が「今の陛下は凡庸で困る」と言つてゐるさうだが、その意味は、つまり陸軍の言ふことをおきゝにならないからだらう」という情報が入り、西園寺は秘書原田に、「事宮中に関して、頗る憂慮すべきものがある」と心配を語っていた(同九月四日)。

さて、満州事変は、中国蔑視を前提として日本の満蒙権益が侵されることに反感が強かったことから日本の世論の支持を得つつあり、昭和天皇や昭和天皇を支える側近たちへの軍部や右翼の批判が強まっていた。1931(昭和6)年10月6日、元老西園寺は原田に対し、陸軍青年将校の結社の状況や、西園寺のもとにくる投書や情報から、「陸軍の中に赤が入つてゐはしないか」として、近衛兵が皇居内を巡回中、「陛下の御部屋に遅くまで灯がついてゐる。これは陛下が政務御多端の折から非常に御勉強のことだと思つて畏れ入つてゐると、豈図らんや皇后様等をお相手に麻雀をやつておられた」とか、「参謀総長や陸軍大臣が御前に出た時に、また来たか、といふやうな嫌な顔をされた」とか、「今度のこの結社の行動には皇族方も御賛成」などの話が広まっていると語っている(『原田日記』)。これらの話は関東軍内でも広まっていた(同右、十一月二日)。文民的君主として登場した昭和天皇の権威は、軍事的緊張の高まりとともに著しく揺らいでしまったのである。

さらに、奈良武官長は、陸軍関係者から、「士官生徒中天皇非認論を認[したため]て配布せるものあり、士官生徒二名退校せられたること」を聞いている(『奈良日記』1931年12月30日)。現実の天皇の意向を無視あるいは否認する動きが水面下で高まりつつあった。

これが「現人神」、「神聖にして犯すべからず」の「統治権の総攬者」扱いの実態です。

戦前日本の欠陥の象徴とも言われる、非合理的な天皇崇拝や硬直した天皇絶対主義など、実際には完全に形骸化しており、天皇・皇族が民衆世論という最強・最悪の怪物の前では、為す術も無く貶められ、表面的に利用されるだけの存在に成り下がっているのを見る。

でも、これは戦後および現在の価値観からすれば悪いことじゃないですよね?

何で世襲君主の言うことを有り難がって聞かなきゃいけないんですか?

多数派民衆の世論をありとあらゆる価値判断の基準とすることが、民主的で、絶対的に正しいことですよね?

民衆が、政党政治は駄目だ、軍部による国政刷新が必要だと思うのなら、議会主義のルールなど破壊されればいいんですし、そのためのテロリズムも民意に沿っていたのだから完全に正当化されます。

世論が「満蒙は日本の生命線」と感じたならば、断固として対外拡張策を採るべきで、そこで既存条約尊重や国際協調や自国の国力の限界を説くような人間は売国奴で卑しい利己主義者なのだから抹殺されてしかるべきです。

国民感情が「暴支膺懲」で盛り上がったならば、後先は一切考えず最強硬策を採り、大陸に攻め込むべきなんです。

その後、「なぜか」泥沼に陥った事態を打破するためには、せっかく「ナチス・ドイツの勝利」という光明が見えたのだから、「バスに乗り遅れるな」のスローガンを支持する民意に従って三国同盟を結べばいいんです。

「ジリ貧を避けてドカ貧」の結果になっても、鬱屈とした国民感情が晴れるなら、日米開戦を決断すべきなんです。

それなのに、昭和天皇は、例えば三国同盟に「親英感情」なんて個人的事情から反対するなんて、とんでもない話です。

まるで専制君主じゃないですか。

こんな非民主的な暴挙はありません。

なお、結局、多数派民意の指し示すところを進んで日本は滅びましたが、別に気にすることはありません。

「民主主義のチャンピオン」で、力はあっても智慧の足りないアメリカ様が、寛大にも国民を完全に免罪してくれました。

戦後は戦後で、ありとあらゆる馬鹿げた左翼運動に思う存分のめり込めばいいし、「日本人が、権威主義的な『お上意識』に囚われ、近代的個人として自立できないのは天皇制があるせいだ」なんてしたり顔で言うのも自由です。

誰ひとり、国民自身の責任なんて追及しません。

自由と民主主義への礼賛を飽きることなく、何十年も続けていけば、そんな問題意識すら蒸発してしまいます。

そして左翼思想の完全な破綻が誰の目にも隠せなくなった、21世紀に入ってからは、またしても何の反省も無く逆の極端へ走り、粗野・低俗・卑怯・軽薄・愚劣な、

「パースペクティブもヒエラルキーもない愛国心、スペインの国土で産まれてくれたものはどんなものでもスペインのものとして受け入れ、最も愚かしい退廃現象とスペインにとって本質的なものとを混同してしまう愛国心」(『ドン・キホーテをめぐる考察』)[オルテガ]に類似した心性

西部邁『大衆への反逆』より)

にどっぷりと浸り、邪悪な組織的煽動者に操られるままに、排外主義的・人種主義的で形式的・偏執狂的なナショナリズム(を装ったエゴイズム)を好きなだけ謳歌し、何の思慮分別も無く、真剣味も無く、後先も考えず、自己懐疑の欠片も無く、常に感情的でいきり立ち、身の程知らずで自分の分も弁えず、脊髄反射的な多数派への同調以外に自身の意見を作り上げるための努力も一切せず、デマに等しいような生半可で偏った知識と情報を愚かにも絶対視し、阿呆同士が刺激し合って現実離れした極論の過激さを競い、度外れた誇張と曲解を常習犯的・確信犯的に用いて、言葉を真実に達する手段でなく暴力的宣伝煽動のための道具と内心ではみなしているくせに表向きは綺麗事を恥知らずにも述べ立て、都合が悪くなればかつての主張には平然と口をぬぐい、匿名性の陰に隠れて、素知らぬ顔で全く逆の主張を同じように攻撃的・感情的にわめき立てて恥じず、最低限の責任感も羞恥心も持たず、何一つ建設的提案をする能力も無く、徒党を組んで他人を口汚く攻撃する以外能が無いくせに、わかりもしないことをわかったつもりになって、空疎な決まり文句でしかない一知半解の似非知識を馬鹿の一つ覚えで振り回し、声の大きさと多さが即正しさの証明になると信じて疑わず、公的議論は公正な真実に至るための道筋ではなくただ社会的意志決定の根拠となる多数を力ずくで獲得するゲームでしかないという皮相・低劣な考えを抱き、誠実で賢明な少数者の意見を卑怯な揚げ足取りと悪口雑言による印象操作で圧殺する小細工にだけは長け、不完全極まる自分がたまたま持った考えや嗜好が数十世代にもわたる試行錯誤で得られた伝統や常識よりも尊重されるべきだと妄信し、自分が理解できないものには価値が無いと傲慢不遜に決め付け、そう思わせる自身のお粗末極まる知性と感性を疑うことは笑止千万にも一切せず、何についても冗談半分の嘲笑的態度で余裕ぶっているが、実は自分自身が最も卑小で嗤うべき存在に過ぎないくせに、自らは決して批判されない無責任極まる一方的批評家気取りの立場から、自力でものを考える力も無いので単純粗暴なレッテル貼りをしつつ、他者を非難・罵倒することで卑しく下劣な快感を得ること自体が自己目的化しており、そのための名目は実は何でもいいし自身も何の関心も無いことを厚顔無恥にも隠蔽しながら、自分は髪の毛一筋の犠牲を払う覚悟も無い卑怯・卑劣で性根の腐った臆病者のくせに、匿名の場になると数を頼んで無責任極まる好戦的主張をわめき立て、群集心理の虜となった痴呆同然の頭脳でますます過激さと愚かさの底辺へ議論が向かうことに歯止めが掛からないだけなのに、無制限な言論の自由を謳歌した有意義な討議によって賢明な意志決定が行われているなどと滑稽至極にも自惚れ、同様の集団的狂気の表れである相手方の非理性的反日姿勢の裏返しのような中国・韓国への単細胞的最強硬策と、「自由民主主義の宗主国」米国への盲目的崇拝および屈従と、私利私欲にまみれた弱肉強食の自由放任的市場主義「改革」と、既存政治家への(自身の品性下劣さを完全に棚に上げた)ありとあらゆる否定的暴言およびそれとセットになったデマゴーグ・ポピュリスト的政治家への衆愚的熱狂と、(天皇制に対する政治的批判ですらない)皇族個人への陰湿・卑劣で恥知らずな誹謗中傷に明け暮れ、少しでもそれに反対する人間は、「反日」「左翼」呼ばわりして、片っ端から物理的暴力あるいは誹謗中傷という言論上の暴力を用いて集団リンチにかけ、おぞましい嗜虐感情を満足させればいいんです。

(私も一部を除いて間違いなくこういう人間でしたし、今もそうした面は濃厚に残っているでしょう。そしてそれはただ表看板とスローガンを変えれば一昔前の左翼と全く同じ姿です。現在の自称「愛国者」と左翼は本質的には同じ現象であり、衆愚の集団による二つの醜い変異体に過ぎません。自己懐疑と平衡感覚、規範意識と伝統畏怖の精神を欠いた社会風潮は、たとえどんな大義名分を掲げていようと付和雷同する以外能の無い愚かな多数者の餌食になり、狂った衆愚運動に転落して行きます。)

それで再び国が滅んでも、(その時まだ「日本があれば」の話ですが)民衆は、また別の旗印を掲げて「真の民主主義」を実現するために戦い続けるだけです。

長い目で見れば、民衆の為すことは常に正しく、必ず進歩と調和をもたらすのです。

嫌味と皮肉が過ぎたかもしれませんので、筆致を元に戻します。

結論として、昭和天皇の政治的責任とは、狂った民衆の世論が創り出した危機に対応するに当たって、より適切な方法は無かったのか、という政治行動の巧拙に関わる問題であって、「無力で受動的で善良な民衆」という完全な虚構の上に立って、平板な民主主義を全く疑うこともなく、「天皇の戦争責任が云々・・・・」などと言うのは完全に倒錯してるんです。

福田和也『昭和天皇 第四部』および井上寿一『山県有朋と明治国家』参照。この二つの記事は異様に長いですが、私の近代日本史と近現代世界史についての考えをまとめてあります。)

東京裁判で天皇の戦争責任が(不当にも)免責された、あるいは、日本人は自らの手で戦争犯罪を裁くことを放棄した、という言い方がよくなされます。

確かに、そういう見方を全面否定することはできないでしょう。

しかし、本当に免責されたのは民衆じゃないのか、その方がはるかに深刻で醜悪な欺瞞なんじゃないのかと個人的には思えてならない。

(付け加えれば、上記の悪しき「世論の支配」は、過去現在を通じて、米国・中国等の戦勝国にも間違いなく当てはまることだと私は考えていますので、簡単に「自虐史観」のレッテルを貼ってもらいたくないです。)

本書では、そうした視点がかなり取り入れられているように感じた。

それは、「おわりに」で「旧憲法と国民に裏切られる」と題する節があることからも窺える。

しかし、末尾には以下の文章がある。

戦前の日本の公民教育の内容は、高等教育での一部の試みを除き、すでに定められた法令の順守を求めるにとどまり、自主的に政治について考え、政治に参加するという気風の養成をめざすものではなかった・・・・・。・・・・・そうなった原因をたどれば、自由民権運動の拡大を恐れるあまり、憲法制定や軍隊制度の確立にあたって天皇を絶対化した元勲たちの政治姿勢に行き着くことになる。

現在の平均的観念からすれば、こういう考えがまず穏当なところなんでしょうが、しかし私なら、明治の元勲が大衆の進出に備えて整備した防御手段が、換骨奪胎の上、逆に大衆に簒奪され、その結果国家が滅亡したと考えます。

「自主的に政治について考え、政治に参加するという気風」を、国民が自由に発揮した結果が、戦前の軍国主義と極右的ナショナリズム(および戦後の左翼運動)だったんじゃないでしょうか。

日本の軍国主義を生み出したのは、天皇でも華族でも官僚でも政党政治家でも財閥でも知識人でも、あえて言えば軍部ですらなく、下層民衆の世論です。

明治の指導者が、愚かで無責任でしばしば邪悪ですらある大衆の進出に備え、熟慮の上で築き上げた「非政治的な軍」という組織と「政治的権威の中心点としての天皇」という観念が、民主化の風潮によって無分別な対外拡張主義と卑劣な他罰主義に基づく国家革新を主張する過激な世論に侵食され、その思うがままになった結果が、戦前の軍国主義です。

「軍の自立性」が逆用され、これまで民衆への抑制装置であった軍が、むしろ民衆が社会的上層部を脅迫・支配する道具と化してしまった。

同じく、明治以来の抑制装置であった近代天皇制も、表面的形式的な天皇絶対主義を掲げることで政治的取締法規を無効化し、その流れで皇位・皇統を過度に抽象化・観念化し生身の皇族の存在を相対化した上で実在する個人としての天皇への忠誠は事実上拒否し、「君側の奸」を討ち「一君万民」の社会を実現するというレトリックを掲げる不遜な民衆によって簒奪され、これも下層民衆が自らの世論の支配を貫徹する一手段になってしまった。

(ここで個人的には、現在、「皇族の責務」とやらの綺麗事を掲げ、天皇・皇后両陛下に真摯なものではない白々しい賛辞を捧げつつ、皇太子ご夫妻におぞましい誹謗中傷の限りを尽くしている、自称「保守派」と我々国民の姿を想起します。プティフィス『ルイ16世 上』『同 下』も参照すると人は歴史から何一つ学ばず同じことを繰り返すんだなあとつくづく思います。勘のいい方はお気づきだったかもしれませんが、上記リンク先記事はそういうことも考えながら書きました。)

そして敗戦の悲劇を経た後では、民衆は自分達自身が道具として使ったに過ぎない軍と天皇制に悲劇の責任を押し付け、自らの罪には全く口を拭い、完全な被害者面で「戦後になった初めて得た自由と民主主義の素晴らしさ」を謳歌するという寸法です。

戦前昭和期の悲劇を避けるために必要だったことは、(以下の括弧内の補足説明を除くと過度に挑発的に聞こえるかもしれませんが)責任感と現実感覚に富んだ、世襲的身分を中核とした社会的上層部だけで国政を運営し、(明らかに過激で好戦的な傾向を示していた)多数派国民の世論を完全に無視し、(左翼方向だけでなく右翼方向においても)言論の自由を断固として踏みにじり、(「元老・重臣・政党・財閥打倒」を掲げ軍部に暴力的国政刷新を唆す)民衆の自発的政治運動を徹頭徹尾弾圧し、(天皇を名目的に絶対的地位に祭り上げる一方、それを口実にして既成統治層への攻撃を目論む極右的世論の影響を遮断するため)軍・官僚・議会が一般国民にではなく天皇という中枢権威とそれを支える階層制的身分の両者からなる社会的上層部に忠誠を尽くすよう努めることだったはずです。

明治期の藩閥政府はそうして条約改正・甲申事変・三国干渉・ポーツマス条約等の危機を乗り越えてきたのが、大正デモクラシーによって世論が国家の最強要素となり、それに押し流されて日本は有史以来の大敗北を喫したわけです。

衆愚の世論に最も忠実だったという意味で、戦前日本で最も「民主的」だった国家機関は間違いなく陸軍であり、一方昭和天皇はほとんどの場合(戦後左翼が言うのとは全く違う意味で)「非民主的」に行動しました。

(それゆえに私は、先帝には先の大戦に関して、道義的象徴的責任はともかく政治的実質的責任は無いと考えます。ただし前者の責任を取る意味で、例えばサンフランシスコ講和条約調印後、退位されるべきであったという意見は有り得ますし、そういう議論すら不遜だからするなと言うつもりはございません。)

近代日本史についての、以上のような意見は、ほとんどすべての方にとって全く受け入れられないものであり、本当にありえない程間違っており、途方も無く狂った見方に映るであろうことは重々承知しています。

また、私の言い方に誇張や行き過ぎがあることも間違い無いでしょう。

しかし少なくとも、「民主化」がすべての政治的社会的問題を解決するという考えはもうやめませんか、無制限の言論の自由を保障しさえすれば予定調和的により良き多数意見が形成され社会が進歩するという固定観念は捨てた方がいいんじゃないですか、有史以来人類を真に苦しめてきたのは「少数者の特権」ではなく「多数者の専横」なんじゃないんですか、と問いかけることは、たとえ何と言われようとも放棄できません。

「いやいや、社会の自由化・民主化はどの道避けられない必然なんだから、それを頭ごなしに全否定するのではなく、その意義もかなりの程度認めつつ、ただし、その副作用や弊害が致命的なものにならないよう善処すべきなんだ」という意見には、斜に構え、顔をしかめて、疑いに満ちた目つきで、鼻をつまみつつならば、同意しないでもないです。

しかし、その程度の懐疑心すら世間には全く存在しないじゃないですか、結局一度自由民主主義の価値を認めると、「不可避なこと」が「望ましいこと」に簡単にすり替わって、民衆が自由を得て政治的権力と社会的権威が民衆の多数意見に基づくものになるということが、無条件かつ絶対的な善であり正義だとする痴呆同然のイメージが社会を埋め尽くすことを避けることはできないんじゃないですかと言いたいです。

以前書いたように、大正デモクラシーと昭和の軍国主義の関係はまさに「原因と結果」であり、「戦前日本の非民主性」が「戦後民主主義」に取って代わられたのではなく、戦前・戦中・戦後に一貫して存在した「(実質的か擬似的かを問わず)多数派(を装う)民衆が作り出す衆愚的世論の支配」こそが日本と世界に破滅的危機をもたらした元凶であって、その際、下賤で醜い衆愚が掲げる表面的スローガンが右か左かだけにこだわることはほとんど意味が無い。

そして、これからの日本も、(そのための資質にも努力にも欠けるのに)「自主的に政治について考え、政治に参加する」権利を当然視する(言うまでも無く、私を含む)国民の世論によって間違いなく滅びるでしょう。

「少数者の不当な特権」を躍起になって偏執狂的に否定し続けた結果、気が付くと多数者たる民衆の専横と愚昧と狂信を防ぐ術が全く無くなっていたという、1789年以後(と言うより今のアメリカを見ると1776年以後)の世界史の趨勢に日本も完全に押し流されている。

正常な文明秩序存続のためには、社会を平板な単一の原子的個人の集まりではなく、意図して階層的・複合的なものに維持する必要がある、そのためには一般論として世襲君主と「特権階級」が必要だ、などと述べると、狂人扱いされて無視されるか、物理的暴力あるいは言論上の暴力によって遅かれ早かれ口を噤まされるのだから、近代というのも恐ろしい時代です。

物質的にはどれほど繁栄していようと、やはり近代は人類にとって衰退と没落の時代なんだと痛感する。

プラトンが、バークが、トクヴィルが、ブルクハルトが、ル・ボンが、タルドが、キルケゴールが、チェスタトンが、ホイジンガが、オルテガが、レーデラーが、ヤスパースが、マンが、ノイマンが、コーンハウザーが、クイントンが、ニスベットが、オークショットが、どれほど批判し、警告し、弾劾し、糾弾し、痛罵し、嫌悪し、軽蔑し、全身全霊をもって、命がけで訴えたにもかかわらず、狂った民衆世論に対して何の歯止めにもならなかったんですから、そりゃ止まるわけありません。

放縦と無秩序を極める衆愚政治と多数者の狂信に基づく独裁政治を反復する、フランス革命以来、全世界が引きずり込まれたこの蟻地獄の中で、日本が少しでも正気を保った国として存在するという希望は、もう5、6年前、完全に捨てました。

(このブログでは、事あるごとにフランス革命に対して批判的言辞を重ねており、その考えを変えるつもりは毛頭無いのですが、フランスという国に不当な偏見を持っているつもりはありません。今のフランスと日本とで、どちらが衆愚政治への抵抗力を持っているかと尋ねられて、日本だと答える自信は私にはほとんどありません。)

社会にいかなる身分の上下もあるべきではなく、過去の伝統・慣習から一切拘束を受けない自由で平等な個人だけが存在すべきである、その原子的個人の資質を何一つ問わず、市場とメディアにおける欲求と多数意見を集計した上で絶対的な価値判断の基準として機械的に適用すれば紆余曲折があっても結局は予定調和的な進歩が間違いなくもたらされる、ただし経済的な不平等と格差は競争を促し個人の私利私欲を満たす上で「効率的」だからどれほど極端でも構わないし、どれほど醜悪で低俗で残忍な事態を呈しても群衆が享受する自由に対する制限は一切許されるべきではない、そしてこれに少しでも反対するのは正常な社会運営を妨げる「左翼」だから草の根の世論の力で圧殺すべきだ、といった考えに何の疑いも差し挟まない固定観念がますます支配的になりつつある。

言論の自由と参政権の制限も、(伝統および慣習擁護の視点からの)市場経済への規制も、もはや全く不可能なわけですから、何をしても完全に手遅れです。

そこにおいて格別悪質な組織的世論煽動者は間違いなく存在していますが、私を含め、誰一人無実の国民はいないでしょう。

結局何の抵抗もできないのですから。

文句を言う資格があるのは、それこそ、「国民」の外にあり、行き着くところまで行った感のある大衆社会から取り残され、唯一残った「特権階級」である、皇室の方々くらいのもんです。

底無しの衆愚社会の現状を少しでも是正する道が全く見当たらないのなら、邪悪な存在と共に国民全体が滅びることが最後に残された希望なのかもしれません。

もちろん卑怯な衆愚の一員である私は、それが自分の寿命が切れた後に来ることを願うだけです。

この十年ほど、「世の中がここまで狂ったのか」「もうこれ以上酷くなり様がないだろう」と思うにもかかわらず、毎年毎年社会的狂気と集団的ヒステリーがますます深刻化する様を嫌と言うほど見せつけられ、心底厭世的気分にさせられつつ生きてきました。

自死を選ぶ勇気も無いのに言うのも何ですが、長生きはするもんじゃありません。

同じような思いでいる方も、いるにはいるんでしょうが、もう絶望を通り越して、口を開く気力も失っておられるんでしょうね。

かくて、何も考えず自己満悦に耽る鈍感な人間がわめく大声だけがまかり通る世の中になってしまいました。

それも、言論の自由と民主主義がもたらす必然であり、残念ながら止め様がありません。

高坂正堯氏が、確か西部邁氏の『経済倫理学序説』の帯での推薦文だったかと思うのですが、「同好の士として気軽に書かせてもらう・・・・・大衆社会において非大衆人として生きるには異常とも言える強さが必要とされるのではないか」という意味の文章を書かれていた記憶があります。

ほんのわずか、極少数だけ存在する、真に優れた、言葉の本当の意味での貴族と言うべき人が、大勢に抗して発言していらっしゃるんでしょうが、もちろん何の効果も無く、そういう方も次々鬼籍に入りつつあります。

そして私のように、99.99%くらいは偽悪醜を極める大衆的人間で、ごく稀に、ほんの一瞬だけ正気に戻るという程度の人間にとっては、日常では自分の食い扶持を稼ぐことだけに四苦八苦し、後はこういう場所で(自分がどれほどその資格に欠ける人間なのかを隠蔽し、そのことに強い羞恥心を感じつつ)「真に優れた少数者」の存在を世間に少しでもお伝えしようと小声でつぶやくくらいが本当に精一杯のところです。

またもや長々と、これ以上無いほど悲観的なことばかり書いてしまいました。

全て自分の本当の実感に基づくものではありますが、もし最後まで読まれた方がいらっしゃいましたら、間違い無く不愉快な思いをされたでしょう。

深くお詫びします。

以上は世間の片隅で暮らす無力な人間の嘆息の言葉であり、私が強く非難している態度や傾向は、誰より私自身にふんだんに当てはまることなんだとお考えになって、ご容赦下さい。

非常に良い。

先帝の伝記としてだけでもなく、史実の配分が程よい、簡易版昭和史通史としても使える。

初心者が基礎事項を確認しながら通読すれば、かなり力が付くと思います。

さて、更新再開から大して日にちも経ってはいませんが、あえなくネタ切れとなりました。

また当分の間、更新を停止します。

おそらく再開するとは思いますが、時期は未定です。

では、それまでお元気で、御機嫌よう。

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