万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年3月6日

引用文(西部邁9)

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スティーヴン・ナッシュ(西部邁)『日本人と武士道』(角川春樹事務所)より。

ある日本の政治学者が、ある会議で、アメリカン・デモクラシーを称賛するその意図の下に、A・ド・トックヴィルの『アメリカにおける民主主義』を援用していた。私は、その場にいたほかのアメリカ人のようにはそれに頷いてはおれなかった。私の評価では、それはアメリカン・デモクラシーへの、というより民主主義そのものへの、懐疑の書なのである。

民主主義とは、しょせん、多数の人々が参加し、そして多数決で事を決める、という集団的決定の方式のことである。したがって、その方式が正当とみなされるためには、多数者の判断のほうが正当であるという根拠が示されなければならない。多数者の意志をふみにじると社会が混乱する、というのは納得できる根拠ではない。多数者の意志によって社会が混乱に叩き込まれるなら、多数者はたとえば独裁者に全権を委譲するということも起こりうるからである。実際、民主制のただなかから独裁制が登場してくるというのが歴史の教えるところでもある。

「百六十年前のアメリカにあって、多数者の判断に健全さを期待できるとしたら、そこに健全な宗教意識や司法意識があるからだ」とトックヴィルはいっている。しかしそうした健全さは、その後、失われてゆくばかりである。というより、すでにそのとき、トックヴィルは、アメリカ人が世論に合わせて行動しはじめていること、そしてその世論は新聞によって動かされていると見抜いていた。そうであればこそ、トックヴィルのみたところ、多数であることそれ自体が正当なのだとアメリカ人は考えつつあったのである。

それをよく示しているのが「多数決は知性に適用された平等理論である」という彼の民主主義批判である。なるほど、各人が平等の知性を有していると規定すれば、多数派の知性の量が少数派のそれを上回る、ということになる。なんと虚妄な理論であることか。人間の可謬性を認めてかかれば、一人だけが正しくて、他の一億人が間違っている、ということもありうるとしておかなければならない。そう考えるのが、正気の人間観および社会観というものである。アメリカ人は、フランス啓蒙思想の流れを受けて、理神論あるいは清教徒主義の影響を受けて、人間のいわゆる完成可能性を認めていたのだ。つまり、人々がそれぞれ神意を感受していたとするなら、知性に適用された平等理論も肯定できるということになるわけだ。

・・・・・・たしかに、どの国においてであれ、人民の資質について問うことなしに人民の政治参加を正当とするためには、人民には神意が授けられているとするか、あるいは人民は完成へ向けて進歩しつつあるとするしかないのである。人民の権利[ライト]は人民は正しい[ライト]という事実に根差している、という見方を社会の全域にまで押し広げたのはたしかにアメリカが最初ではある。しかし民主主義には、どの国におけるものであれ、民衆礼賛の強い傾向がある。だから、民衆の声は天の声、それが民主主義の応援歌となる。日本人の場合、その歌声が神学や哲学によって裏づけられるということは少なかったのではあろう。しかし、厳格な階級制が存在しなかったというその歴史的経緯のために、民衆頌歌の良き聴き手にはなったのだと思われる。

ただし、多数決によって神意が表現されるという仮構は、アメリカにあっては個人の良心に神意が宿るということだと受け止められる。それにたいして日本では、それは集団の道徳に天意が染み込んでいると解釈される。問題は、個人の良心にせよ集団の道徳にせよ、歴史という媒介項なしに直接に神や天から下されるものであるか、ということであろう。日本では、少なくとも半世紀前までは、その媒介項の大切さが認められていた。アメリカではどうであったろうか。いわゆる「建国の父祖たち」にあっては、共和派であり親仏派であったT・ジェファソンやJ・アダムズであれ、連邦派であり親英派であったA・ハミルトンであれ、西欧の歴史を受け継ごうとしていた。西欧自身は、その歴史を貴族階級の既得権益のために、投げ捨てんとしていた。そういう西欧に逆らうのがアメリカ建国の精神であった。

しかし、トックヴィルがみたのはいわゆるジャクソニアン・デモクラシーである。1830年代、政治家とジャーナリストが結託して、一方では民衆を煽動し他方では民衆に迎合するというアメリカン・デモクラシーの方向が確立された。そのあたりから、歴史的な価値や規範から無縁であろうと努めるのがアメリカニズムだということになった。そして、その「反歴史」主義が最高度の実力を発揮していた段階のアメリカに日本は戦争を仕掛け、というより戦争に誘い込まれ、大敗北を喫したのであった。

たとえばハミルトンにあっては、政治は少数の賢者によって指導されるべきだ、という見解が表明されていた。ジェファソンはそれに逆らいはしたが、それは独立自営農民が確実に賢者に近づくであろうと想定した上でのことである。A・ジャクソンまでくると、賢者と愚者を区別する必要すらが否定され、多数性そのものが国家の正統性と政府の正当性を構成する、とされた。

私の聞かされた日本の国造り物語になぞらえると、ジャクソンが「瓊瓊杵尊[ににぎのみこと]」として天孫降臨された国、それが戦後日本なのではないか。

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