万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年3月15日

古川隆久 『昭和天皇  「理性の君主」の孤独』 (中公新書)

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2011年刊。

同じ著者で、吉川弘文館の人物叢書に『大正天皇』が収録されているが、何となくディキンソン『大正天皇』(ミネルヴァ書房)を選んだので、パラパラ眺めるだけで済ませてしまった。

本書では、幼少期から青年期にかけての思想形成に多くのページを割く。

その一部として、高名な東洋史学者白鳥庫吉の歴史講義や箕作元八の名著『フランス革命史』講読が挙げられている。

余談ですが、この箕作元八の本、表記を現代風に直した上で、どこかから復刊してもらえませんかね。

私にとってカーライルやピエール・ガクソットの類似名本と並んで、長年読みたいと思っている「幻の名著」のひとつなんですよ。

成年後の時期では、先帝を、臣下の進言に従うだけの象徴的存在ではなく、あくまで為政者の一員であり、戦前日本における主要な政治的プレイヤーの一人として扱う。

この場合、やはり戦争責任の問題が記述の中心になるのは、ある意味やむを得ない。

政治運営の上で、在位中の天皇には、法的責任はともかく、政治的道義的責任は旧憲法下においてもあるとの解釈を側近も、そして先帝自身も持っていたと著者は指摘する。

また、その旧憲法が孕んでいた欠点が以下のように述べられている。

1885年に伊藤博文が内閣制度を発足させた際は、首相の権限は絶大だったが、次の黒田清隆内閣が黒田首相の不手際で迷走したことなどから、大日本帝国憲法では内閣に関する規定はなく、天皇は各大臣の輔弼(助言)に基づいて判断することになっており、1889年12月制定の内閣官制でも各大臣の独立性は強かった。しかし、天皇存続のためには天皇が権力闘争の渦中に入ることを防ぐべきであるという観点から再検討が行なわれ、内閣の実務規定として伊藤博文が中心となって1907年2月に制定された公式令では、再び首相の権限が事実上強化され、合議体としての内閣が国務の中心となることになった。・・・・・・ところが、陸軍と官界の大御所山県有朋は、陸軍の権力減少を嫌い、軍部大臣が首相や閣議に諮らずとも独自に法令を発することができる軍令という法令形式を同年9月に発足させてしまった。伊藤は一応その運用を慎重にするよう山県に約束させることはできたようだが、明文化まではできなかった。・・・・・・さらに翌年12月の参謀本部条例改正で、陸軍の作戦用兵の責任者である参謀総長の天皇直属という関係を明確化し、陸軍が一つにまとまるのは陸軍大臣のところではなく天皇のところとなった。海軍の方は、1933(昭和8)年の軍令部条例改正以前は、作戦用兵の責任者である軍令部長が天皇に直接上奏はできるものの海軍大臣のもとにあったので一応一体性はあった。

本ブログで何度も繰り返し触れていますが(こことかこことかここで)、こういうことは中学では無理でも、高校の日本史授業ではしっかりと教えて頂きたい。

明治憲法は集権的ではなく分権的構造となっており、首相権限の弱さという脆弱性を下からの国粋的大衆運動に突かれて崩壊したのであって、本来「民主的」とか「非民主的」といった問題ではないと思える。

先帝即位後の、具体的政治行動では、まず1929年6月の田中義一首相叱責事件について。

これは田中内閣下で重大な失策が続いており、世論も内閣に極めて批判的だったので問題は無く、かえって右翼を刺激し逆効果となったという定説を著者は排している。

ただし、続く浜口内閣でのロンドン条約問題では、軍縮を支持する先帝の意図は正しいにしても、浜口への一方的信任が反対派の無用の反発と浜口の根回し不足を招き、結果として軍令部の激越な反抗をもたらしたとされている。

さらなる決定的危機であった満州事変で、関東軍支援のための派兵決定を拒否することは、第二次若槻内閣の総辞職を招きかねず極めて困難だったと思われるが、軍の無断越境を行った林銑十郎朝鮮軍司令官については、即時罷免するという措置を取るべきだった、この行動はこれ以上の軍の下剋上を阻止するために、リスクを犯しても断固として遂行すべきだったと指摘している。

加えて、盧溝橋事件時、首相の近衛への深い信任があり、また満州事変時の首相・陸相への不拡大指示が陸軍の反発を招き逆効果の面もあったことから、先帝は近衛に明確な指示を出さなかった。

ところが、近衛は逆に強硬・拡大策を採用し、破局的結果をもたらすことになってしまう。

欧州大戦前後、日独伊三国同盟に当初強く反対したのち、これを承認。

これは、1940年フランス降伏という事態を受け、側近たちも協調融和外交路線を捨て、先帝の政治的基盤が完全に失われたこと、さらに親英感情を常に持っていた先帝にとってイギリス占領の危機という衝撃的状況下で気力を喪失したためだとしている。

話が飛んで、戦後1946年9月のいわゆる沖縄メッセージ。

主権を日本に残したまま、沖縄での米軍長期駐留を提案。

これについて、批判派は米軍統治の長期化につながったとし、擁護派は沖縄の米国領への編入や国連信託統治を防ぎ、後の沖縄返還の道が残ったとする。

本書では、当時日本の共産化を防ごうとするのならこれ自体は当然の発想だとし、ただしすでに外交大権も大臣罷免権も無い状況下では、先帝のこの行動は決定的意味を持つものではなく、政府の側面支援でしかないと、肯定的にも否定的にも過大評価していない。

恐らくその辺が穏当な評価かとも思うが、しかし、沖縄県民に多大のわだかまりが残ったのはやむを得ぬところか。

こうした先帝の個々の政治的行動について、「昭和天皇も為政者の一員として、具体的な政治関与を行っていたことは明白なのだから、その行動についてタブー視せず、冷静な議論と歴史的評価の対象にすべきだ」という意見には同意する。

ただし、本書には以下のような記述がある。

・・・・・・統帥権干犯問題の矛先は宮中のみならず昭和天皇にも向かいつつあった。牧野内大臣のもとには、「陸軍の若い連中のどの団体だか知らないけれども、秩父宮が汽車に乗つて何所かに行かれる時に、その汽車に陸軍の大佐が入つて来て、殿下を担ぎたいといふことをぢかに申し上げたといふ事実がある。殿下は無論御承知にならなかつた」という情報が入った(『原田日記』八月二十二日)。秩父宮を天皇に擁立する計画が軍部にも共感を得つつあったのである。さらに元老西園寺のもとにも、近衛文麿貴族院副議長から、「陸軍の一部の者が「今の陛下は凡庸で困る」と言つてゐるさうだが、その意味は、つまり陸軍の言ふことをおきゝにならないからだらう」という情報が入り、西園寺は秘書原田に、「事宮中に関して、頗る憂慮すべきものがある」と心配を語っていた(同九月四日)。

さて、満州事変は、中国蔑視を前提として日本の満蒙権益が侵されることに反感が強かったことから日本の世論の支持を得つつあり、昭和天皇や昭和天皇を支える側近たちへの軍部や右翼の批判が強まっていた。1931(昭和6)年10月6日、元老西園寺は原田に対し、陸軍青年将校の結社の状況や、西園寺のもとにくる投書や情報から、「陸軍の中に赤が入つてゐはしないか」として、近衛兵が皇居内を巡回中、「陛下の御部屋に遅くまで灯がついてゐる。これは陛下が政務御多端の折から非常に御勉強のことだと思つて畏れ入つてゐると、豈図らんや皇后様等をお相手に麻雀をやつておられた」とか、「参謀総長や陸軍大臣が御前に出た時に、また来たか、といふやうな嫌な顔をされた」とか、「今度のこの結社の行動には皇族方も御賛成」などの話が広まっていると語っている(『原田日記』)。これらの話は関東軍内でも広まっていた(同右、十一月二日)。文民的君主として登場した昭和天皇の権威は、軍事的緊張の高まりとともに著しく揺らいでしまったのである。

さらに、奈良武官長は、陸軍関係者から、「士官生徒中天皇非認論を認[したため]て配布せるものあり、士官生徒二名退校せられたること」を聞いている(『奈良日記』1931年12月30日)。現実の天皇の意向を無視あるいは否認する動きが水面下で高まりつつあった。

これが「現人神」、「神聖にして犯すべからず」の「統治権の総攬者」扱いの実態です。

戦前日本の欠陥の象徴とも言われる、非合理的な天皇崇拝や硬直した天皇絶対主義など、実際には完全に形骸化しており、天皇・皇族が民衆世論という最強・最悪の怪物の前では、為す術も無く貶められ、表面的に利用されるだけの存在に成り下がっているのを見る。

でも、これは戦後および現在の価値観からすれば悪いことじゃないですよね?

何で世襲君主の言うことを有り難がって聞かなきゃいけないんですか?

多数派民衆の世論をありとあらゆる価値判断の基準とすることが、民主的で、絶対的に正しいことですよね?

民衆が、政党政治は駄目だ、軍部による国政刷新が必要だと思うのなら、議会主義のルールなど破壊されればいいんですし、そのためのテロリズムも民意に沿っていたのだから完全に正当化されます。

世論が「満蒙は日本の生命線」と感じたならば、断固として対外拡張策を採るべきで、そこで既存条約尊重や国際協調や自国の国力の限界を説くような人間は売国奴で卑しい利己主義者なのだから抹殺されてしかるべきです。

国民感情が「暴支膺懲」で盛り上がったならば、後先は一切考えず最強硬策を採り、大陸に攻め込むべきなんです。

その後、「なぜか」泥沼に陥った事態を打破するためには、せっかく「ナチス・ドイツの勝利」という光明が見えたのだから、「バスに乗り遅れるな」のスローガンを支持する民意に従って三国同盟を結べばいいんです。

「ジリ貧を避けてドカ貧」の結果になっても、鬱屈とした国民感情が晴れるなら、日米開戦を決断すべきなんです。

それなのに、昭和天皇は、例えば三国同盟に「親英感情」なんて個人的事情から反対するなんて、とんでもない話です。

まるで専制君主じゃないですか。

こんな非民主的な暴挙はありません。

なお、結局、多数派民意の指し示すところを進んで日本は滅びましたが、別に気にすることはありません。

「民主主義のチャンピオン」で、力はあっても智慧の足りないアメリカ様が、寛大にも国民を完全に免罪してくれました。

戦後は戦後で、ありとあらゆる馬鹿げた左翼運動に思う存分のめり込めばいいし、「日本人が、権威主義的な『お上意識』に囚われ、近代的個人として自立できないのは天皇制があるせいだ」なんてしたり顔で言うのも自由です。

誰ひとり、国民自身の責任なんて追及しません。

自由と民主主義への礼賛を飽きることなく、何十年も続けていけば、そんな問題意識すら蒸発してしまいます。

そして左翼思想の完全な破綻が誰の目にも隠せなくなった、21世紀に入ってからは、またしても何の反省も無く逆の極端へ走り、粗野・低俗・卑怯・軽薄・愚劣な、

「パースペクティブもヒエラルキーもない愛国心、スペインの国土で産まれてくれたものはどんなものでもスペインのものとして受け入れ、最も愚かしい退廃現象とスペインにとって本質的なものとを混同してしまう愛国心」(『ドン・キホーテをめぐる考察』)[オルテガ]に類似した心性

西部邁『大衆への反逆』より)

にどっぷりと浸り、邪悪な組織的煽動者に操られるままに、排外主義的・人種主義的で形式的・偏執狂的なナショナリズム(を装ったエゴイズム)を好きなだけ謳歌し、何の思慮分別も無く、真剣味も無く、後先も考えず、自己懐疑の欠片も無く、常に感情的でいきり立ち、身の程知らずで自分の分も弁えず、脊髄反射的な多数派への同調以外に自身の意見を作り上げるための努力も一切せず、デマに等しいような生半可で偏った知識と情報を愚かにも絶対視し、阿呆同士が刺激し合って現実離れした極論の過激さを競い、度外れた誇張と曲解を常習犯的・確信犯的に用いて、言葉を真実に達する手段でなく暴力的宣伝煽動のための道具と内心ではみなしているくせに表向きは綺麗事を恥知らずにも述べ立て、都合が悪くなればかつての主張には平然と口をぬぐい、匿名性の陰に隠れて、素知らぬ顔で全く逆の主張を同じように攻撃的・感情的にわめき立てて恥じず、最低限の責任感も羞恥心も持たず、何一つ建設的提案をする能力も無く、徒党を組んで他人を口汚く攻撃する以外能が無いくせに、わかりもしないことをわかったつもりになって、空疎な決まり文句でしかない一知半解の似非知識を馬鹿の一つ覚えで振り回し、声の大きさと多さが即正しさの証明になると信じて疑わず、公的議論は公正な真実に至るための道筋ではなくただ社会的意志決定の根拠となる多数を力ずくで獲得するゲームでしかないという皮相・低劣な考えを抱き、誠実で賢明な少数者の意見を卑怯な揚げ足取りと悪口雑言による印象操作で圧殺する小細工にだけは長け、不完全極まる自分がたまたま持った考えや嗜好が数十世代にもわたる試行錯誤で得られた伝統や常識よりも尊重されるべきだと妄信し、自分が理解できないものには価値が無いと傲慢不遜に決め付け、そう思わせる自身のお粗末極まる知性と感性を疑うことは笑止千万にも一切せず、何についても冗談半分の嘲笑的態度で余裕ぶっているが、実は自分自身が最も卑小で嗤うべき存在に過ぎないくせに、自らは決して批判されない無責任極まる一方的批評家気取りの立場から、自力でものを考える力も無いので単純粗暴なレッテル貼りをしつつ、他者を非難・罵倒することで卑しく下劣な快感を得ること自体が自己目的化しており、そのための名目は実は何でもいいし自身も何の関心も無いことを厚顔無恥にも隠蔽しながら、自分は髪の毛一筋の犠牲を払う覚悟も無い卑怯・卑劣で性根の腐った臆病者のくせに、匿名の場になると数を頼んで無責任極まる好戦的主張をわめき立て、群集心理の虜となった痴呆同然の頭脳でますます過激さと愚かさの底辺へ議論が向かうことに歯止めが掛からないだけなのに、無制限な言論の自由を謳歌した有意義な討議によって賢明な意志決定が行われているなどと滑稽至極にも自惚れ、同様の集団的狂気の表れである相手方の非理性的反日姿勢の裏返しのような中国・韓国への単細胞的最強硬策と、「自由民主主義の宗主国」米国への盲目的崇拝および屈従と、私利私欲にまみれた弱肉強食の自由放任的市場主義「改革」と、既存政治家への(自身の品性下劣さを完全に棚に上げた)ありとあらゆる否定的暴言およびそれとセットになったデマゴーグ・ポピュリスト的政治家への衆愚的熱狂と、(天皇制に対する政治的批判ですらない)皇族個人への陰湿・卑劣で恥知らずな誹謗中傷に明け暮れ、少しでもそれに反対する人間は、「反日」「左翼」呼ばわりして、片っ端から物理的暴力あるいは誹謗中傷という言論上の暴力を用いて集団リンチにかけ、おぞましい嗜虐感情を満足させればいいんです。

(私も一部を除いて間違いなくこういう人間でしたし、今もそうした面は濃厚に残っているでしょう。そしてそれはただ表看板とスローガンを変えれば一昔前の左翼と全く同じ姿です。現在の自称「愛国者」と左翼は本質的には同じ現象であり、衆愚の集団による二つの醜い変異体に過ぎません。自己懐疑と平衡感覚、規範意識と伝統畏怖の精神を欠いた社会風潮は、たとえどんな大義名分を掲げていようと付和雷同する以外能の無い愚かな多数者の餌食になり、狂った衆愚運動に転落して行きます。)

それで再び国が滅んでも、(その時まだ「日本があれば」の話ですが)民衆は、また別の旗印を掲げて「真の民主主義」を実現するために戦い続けるだけです。

長い目で見れば、民衆の為すことは常に正しく、必ず進歩と調和をもたらすのです。

嫌味と皮肉が過ぎたかもしれませんので、筆致を元に戻します。

結論として、昭和天皇の政治的責任とは、狂った民衆の世論が創り出した危機に対応するに当たって、より適切な方法は無かったのか、という政治行動の巧拙に関わる問題であって、「無力で受動的で善良な民衆」という完全な虚構の上に立って、平板な民主主義を全く疑うこともなく、「天皇の戦争責任が云々・・・・」などと言うのは完全に倒錯してるんです。

福田和也『昭和天皇 第四部』および井上寿一『山県有朋と明治国家』参照。この二つの記事は異様に長いですが、私の近代日本史と近現代世界史についての考えをまとめてあります。)

東京裁判で天皇の戦争責任が(不当にも)免責された、あるいは、日本人は自らの手で戦争犯罪を裁くことを放棄した、という言い方がよくなされます。

確かに、そういう見方を全面否定することはできないでしょう。

しかし、本当に免責されたのは民衆じゃないのか、その方がはるかに深刻で醜悪な欺瞞なんじゃないのかと個人的には思えてならない。

(付け加えれば、上記の悪しき「世論の支配」は、過去現在を通じて、米国・中国等の戦勝国にも間違いなく当てはまることだと私は考えていますので、簡単に「自虐史観」のレッテルを貼ってもらいたくないです。)

本書では、そうした視点がかなり取り入れられているように感じた。

それは、「おわりに」で「旧憲法と国民に裏切られる」と題する節があることからも窺える。

しかし、末尾には以下の文章がある。

戦前の日本の公民教育の内容は、高等教育での一部の試みを除き、すでに定められた法令の順守を求めるにとどまり、自主的に政治について考え、政治に参加するという気風の養成をめざすものではなかった・・・・・。・・・・・そうなった原因をたどれば、自由民権運動の拡大を恐れるあまり、憲法制定や軍隊制度の確立にあたって天皇を絶対化した元勲たちの政治姿勢に行き着くことになる。

現在の平均的観念からすれば、こういう考えがまず穏当なところなんでしょうが、しかし私なら、明治の元勲が大衆の進出に備えて整備した防御手段が、換骨奪胎の上、逆に大衆に簒奪され、その結果国家が滅亡したと考えます。

「自主的に政治について考え、政治に参加するという気風」を、国民が自由に発揮した結果が、戦前の軍国主義と極右的ナショナリズム(および戦後の左翼運動)だったんじゃないでしょうか。

日本の軍国主義を生み出したのは、天皇でも華族でも官僚でも政党政治家でも財閥でも知識人でも、あえて言えば軍部ですらなく、下層民衆の世論です。

明治の指導者が、愚かで無責任でしばしば邪悪ですらある大衆の進出に備え、熟慮の上で築き上げた「非政治的な軍」という組織と「政治的権威の中心点としての天皇」という観念が、民主化の風潮によって無分別な対外拡張主義と卑劣な他罰主義に基づく国家革新を主張する過激な世論に侵食され、その思うがままになった結果が、戦前の軍国主義です。

「軍の自立性」が逆用され、これまで民衆への抑制装置であった軍が、むしろ民衆が社会的上層部を脅迫・支配する道具と化してしまった。

同じく、明治以来の抑制装置であった近代天皇制も、表面的形式的な天皇絶対主義を掲げることで政治的取締法規を無効化し、その流れで皇位・皇統を過度に抽象化・観念化し生身の皇族の存在を相対化した上で実在する個人としての天皇への忠誠は事実上拒否し、「君側の奸」を討ち「一君万民」の社会を実現するというレトリックを掲げる不遜な民衆によって簒奪され、これも下層民衆が自らの世論の支配を貫徹する一手段になってしまった。

(ここで個人的には、現在、「皇族の責務」とやらの綺麗事を掲げ、天皇・皇后両陛下に真摯なものではない白々しい賛辞を捧げつつ、皇太子ご夫妻におぞましい誹謗中傷の限りを尽くしている、自称「保守派」と我々国民の姿を想起します。プティフィス『ルイ16世 上』『同 下』も参照すると人は歴史から何一つ学ばず同じことを繰り返すんだなあとつくづく思います。勘のいい方はお気づきだったかもしれませんが、上記リンク先記事はそういうことも考えながら書きました。)

そして敗戦の悲劇を経た後では、民衆は自分達自身が道具として使ったに過ぎない軍と天皇制に悲劇の責任を押し付け、自らの罪には全く口を拭い、完全な被害者面で「戦後になった初めて得た自由と民主主義の素晴らしさ」を謳歌するという寸法です。

戦前昭和期の悲劇を避けるために必要だったことは、(以下の括弧内の補足説明を除くと過度に挑発的に聞こえるかもしれませんが)責任感と現実感覚に富んだ、世襲的身分を中核とした社会的上層部だけで国政を運営し、(明らかに過激で好戦的な傾向を示していた)多数派国民の世論を完全に無視し、(左翼方向だけでなく右翼方向においても)言論の自由を断固として踏みにじり、(「元老・重臣・政党・財閥打倒」を掲げ軍部に暴力的国政刷新を唆す)民衆の自発的政治運動を徹頭徹尾弾圧し、(天皇を名目的に絶対的地位に祭り上げる一方、それを口実にして既成統治層への攻撃を目論む極右的世論の影響を遮断するため)軍・官僚・議会が一般国民にではなく天皇という中枢権威とそれを支える階層制的身分の両者からなる社会的上層部に忠誠を尽くすよう努めることだったはずです。

明治期の藩閥政府はそうして条約改正・甲申事変・三国干渉・ポーツマス条約等の危機を乗り越えてきたのが、大正デモクラシーによって世論が国家の最強要素となり、それに押し流されて日本は有史以来の大敗北を喫したわけです。

衆愚の世論に最も忠実だったという意味で、戦前日本で最も「民主的」だった国家機関は間違いなく陸軍であり、一方昭和天皇はほとんどの場合(戦後左翼が言うのとは全く違う意味で)「非民主的」に行動しました。

(それゆえに私は、先帝には先の大戦に関して、道義的象徴的責任はともかく政治的実質的責任は無いと考えます。ただし前者の責任を取る意味で、例えばサンフランシスコ講和条約調印後、退位されるべきであったという意見は有り得ますし、そういう議論すら不遜だからするなと言うつもりはございません。)

近代日本史についての、以上のような意見は、ほとんどすべての方にとって全く受け入れられないものであり、本当にありえない程間違っており、途方も無く狂った見方に映るであろうことは重々承知しています。

また、私の言い方に誇張や行き過ぎがあることも間違い無いでしょう。

しかし少なくとも、「民主化」がすべての政治的社会的問題を解決するという考えはもうやめませんか、無制限の言論の自由を保障しさえすれば予定調和的により良き多数意見が形成され社会が進歩するという固定観念は捨てた方がいいんじゃないですか、有史以来人類を真に苦しめてきたのは「少数者の特権」ではなく「多数者の専横」なんじゃないんですか、と問いかけることは、たとえ何と言われようとも放棄できません。

「いやいや、社会の自由化・民主化はどの道避けられない必然なんだから、それを頭ごなしに全否定するのではなく、その意義もかなりの程度認めつつ、ただし、その副作用や弊害が致命的なものにならないよう善処すべきなんだ」という意見には、斜に構え、顔をしかめて、疑いに満ちた目つきで、鼻をつまみつつならば、同意しないでもないです。

しかし、その程度の懐疑心すら世間には全く存在しないじゃないですか、結局一度自由民主主義の価値を認めると、「不可避なこと」が「望ましいこと」に簡単にすり替わって、民衆が自由を得て政治的権力と社会的権威が民衆の多数意見に基づくものになるということが、無条件かつ絶対的な善であり正義だとする痴呆同然のイメージが社会を埋め尽くすことを避けることはできないんじゃないですかと言いたいです。

以前書いたように、大正デモクラシーと昭和の軍国主義の関係はまさに「原因と結果」であり、「戦前日本の非民主性」が「戦後民主主義」に取って代わられたのではなく、戦前・戦中・戦後に一貫して存在した「(実質的か擬似的かを問わず)多数派(を装う)民衆が作り出す衆愚的世論の支配」こそが日本と世界に破滅的危機をもたらした元凶であって、その際、下賤で醜い衆愚が掲げる表面的スローガンが右か左かだけにこだわることはほとんど意味が無い。

そして、これからの日本も、(そのための資質にも努力にも欠けるのに)「自主的に政治について考え、政治に参加する」権利を当然視する(言うまでも無く、私を含む)国民の世論によって間違いなく滅びるでしょう。

「少数者の不当な特権」を躍起になって偏執狂的に否定し続けた結果、気が付くと多数者たる民衆の専横と愚昧と狂信を防ぐ術が全く無くなっていたという、1789年以後(と言うより今のアメリカを見ると1776年以後)の世界史の趨勢に日本も完全に押し流されている。

正常な文明秩序存続のためには、社会を平板な単一の原子的個人の集まりではなく、意図して階層的・複合的なものに維持する必要がある、そのためには一般論として世襲君主と「特権階級」が必要だ、などと述べると、狂人扱いされて無視されるか、物理的暴力あるいは言論上の暴力によって遅かれ早かれ口を噤まされるのだから、近代というのも恐ろしい時代です。

物質的にはどれほど繁栄していようと、やはり近代は人類にとって衰退と没落の時代なんだと痛感する。

プラトンが、バークが、トクヴィルが、ブルクハルトが、ル・ボンが、タルドが、キルケゴールが、チェスタトンが、ホイジンガが、オルテガが、レーデラーが、ヤスパースが、マンが、ノイマンが、コーンハウザーが、クイントンが、ニスベットが、オークショットが、どれほど批判し、警告し、弾劾し、糾弾し、痛罵し、嫌悪し、軽蔑し、全身全霊をもって、命がけで訴えたにもかかわらず、狂った民衆世論に対して何の歯止めにもならなかったんですから、そりゃ止まるわけありません。

放縦と無秩序を極める衆愚政治と多数者の狂信に基づく独裁政治を反復する、フランス革命以来、全世界が引きずり込まれたこの蟻地獄の中で、日本が少しでも正気を保った国として存在するという希望は、もう5、6年前、完全に捨てました。

(このブログでは、事あるごとにフランス革命に対して批判的言辞を重ねており、その考えを変えるつもりは毛頭無いのですが、フランスという国に不当な偏見を持っているつもりはありません。今のフランスと日本とで、どちらが衆愚政治への抵抗力を持っているかと尋ねられて、日本だと答える自信は私にはほとんどありません。)

社会にいかなる身分の上下もあるべきではなく、過去の伝統・慣習から一切拘束を受けない自由で平等な個人だけが存在すべきである、その原子的個人の資質を何一つ問わず、市場とメディアにおける欲求と多数意見を集計した上で絶対的な価値判断の基準として機械的に適用すれば紆余曲折があっても結局は予定調和的な進歩が間違いなくもたらされる、ただし経済的な不平等と格差は競争を促し個人の私利私欲を満たす上で「効率的」だからどれほど極端でも構わないし、どれほど醜悪で低俗で残忍な事態を呈しても群衆が享受する自由に対する制限は一切許されるべきではない、そしてこれに少しでも反対するのは正常な社会運営を妨げる「左翼」だから草の根の世論の力で圧殺すべきだ、といった考えに何の疑いも差し挟まない固定観念がますます支配的になりつつある。

言論の自由と参政権の制限も、(伝統および慣習擁護の視点からの)市場経済への規制も、もはや全く不可能なわけですから、何をしても完全に手遅れです。

そこにおいて格別悪質な組織的世論煽動者は間違いなく存在していますが、私を含め、誰一人無実の国民はいないでしょう。

結局何の抵抗もできないのですから。

文句を言う資格があるのは、それこそ、「国民」の外にあり、行き着くところまで行った感のある大衆社会から取り残され、唯一残った「特権階級」である、皇室の方々くらいのもんです。

底無しの衆愚社会の現状を少しでも是正する道が全く見当たらないのなら、邪悪な存在と共に国民全体が滅びることが最後に残された希望なのかもしれません。

もちろん卑怯な衆愚の一員である私は、それが自分の寿命が切れた後に来ることを願うだけです。

この十年ほど、「世の中がここまで狂ったのか」「もうこれ以上酷くなり様がないだろう」と思うにもかかわらず、毎年毎年社会的狂気と集団的ヒステリーがますます深刻化する様を嫌と言うほど見せつけられ、心底厭世的気分にさせられつつ生きてきました。

自死を選ぶ勇気も無いのに言うのも何ですが、長生きはするもんじゃありません。

同じような思いでいる方も、いるにはいるんでしょうが、もう絶望を通り越して、口を開く気力も失っておられるんでしょうね。

かくて、何も考えず自己満悦に耽る鈍感な人間がわめく大声だけがまかり通る世の中になってしまいました。

それも、言論の自由と民主主義がもたらす必然であり、残念ながら止め様がありません。

高坂正堯氏が、確か西部邁氏の『経済倫理学序説』の帯での推薦文だったかと思うのですが、「同好の士として気軽に書かせてもらう・・・・・大衆社会において非大衆人として生きるには異常とも言える強さが必要とされるのではないか」という意味の文章を書かれていた記憶があります。

ほんのわずか、極少数だけ存在する、真に優れた、言葉の本当の意味での貴族と言うべき人が、大勢に抗して発言していらっしゃるんでしょうが、もちろん何の効果も無く、そういう方も次々鬼籍に入りつつあります。

そして私のように、99.99%くらいは偽悪醜を極める大衆的人間で、ごく稀に、ほんの一瞬だけ正気に戻るという程度の人間にとっては、日常では自分の食い扶持を稼ぐことだけに四苦八苦し、後はこういう場所で(自分がどれほどその資格に欠ける人間なのかを隠蔽し、そのことに強い羞恥心を感じつつ)「真に優れた少数者」の存在を世間に少しでもお伝えしようと小声でつぶやくくらいが本当に精一杯のところです。

またもや長々と、これ以上無いほど悲観的なことばかり書いてしまいました。

全て自分の本当の実感に基づくものではありますが、もし最後まで読まれた方がいらっしゃいましたら、間違い無く不愉快な思いをされたでしょう。

深くお詫びします。

以上は世間の片隅で暮らす無力な人間の嘆息の言葉であり、私が強く非難している態度や傾向は、誰より私自身にふんだんに当てはまることなんだとお考えになって、ご容赦下さい。

非常に良い。

先帝の伝記としてだけでもなく、史実の配分が程よい、簡易版昭和史通史としても使える。

初心者が基礎事項を確認しながら通読すれば、かなり力が付くと思います。

さて、更新再開から大して日にちも経ってはいませんが、あえなくネタ切れとなりました。

また当分の間、更新を停止します。

おそらく再開するとは思いますが、時期は未定です。

では、それまでお元気で、御機嫌よう。

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2013年3月8日

ハジュン・チャン 『世界経済を破綻させる23の嘘』 (徳間書店)

Filed under: 史論・評論 — 万年初心者 @ 21:34

どう考えても「世界史ブックガイド」を名乗るブログで紹介する本ではないが、いつもの事ですので気にしないで下さい。

個人的に「自由放任・市場非介入を貫くのが保守」という考えを、徹頭徹尾、最終的に、絶大な嫌悪と軽蔑を込めて、唾棄することが必要だと思ったので、手に取る。

著者は韓国出身の英ケンブリッジ大学准教授。

全く知らない名だが、ノーベル経済学賞学者のスティグリッツの推薦文があったので、それほど妙な本でもなかろうと判断。

著者はまず、「経済学の95%は複雑にされただけの常識であり、残りの5%にしても、その基本となる考えかたは平易な言葉で説明できる。」と述べ、表面上の難解な数理的説明で常識に反する結論を押し付けようとする主流派経済学者の主張を排している。

続いて、

「市場は自由でないといけない」

「株主の利益を第一に考えて企業経営せよ」

「市場がうまく動くのは人間が最悪(利己的)だからだ」

「インフレを抑えれば経済は安定し、成長する」

「インターネットは世界を根本的に変えた」

「世界は脱工業化時代に突入した」

「富者をさらに富ませれば他の者たちも潤う」

「経営者への高額報酬は必要であり正当でもある」

「すべて市場に任せるべきだ」

「経済を発展させるには小さな政府のほうがよい」

といった、誰もが一度は聞いたことのある主張を実にわかりやすく反駁している。

市場の境界はあいまいで客観的な方法で決められないとわかると、経済学は物理や化学のような科学ではなくて政治的営為であることに気づかざるをえない。・・・・・となると、新たな規制に反対するのは「ある人々からどれほど不当だと思われようと、現状を変えるべきではない」と言うのと同じことになる。そして、既存の規制を廃止すべきだと主張するのは「市場の範囲を拡大すべきだ」と言うのと同じことであり、それはとりもなおさず「金のある者にその領域でより大きな力を与えるべきだ」と言うのと同じことになる。市場というのは「金こそ力」の世界なのだから。だから「これこれの規制は、これこれの市場の『自由』を制限するので導入すべきでない」と言う自由市場主義のエコノミストたちは、「その規制法によってまもられる権利を認めない」という政治的意見を表明しているにすぎない。彼らは「自分たちの主張は政治的なものではなく、客観的な経済学的真実であり、反対者の主張こそがほんとうの政治的なものなのだ」という理屈をこねて、ごまかそうとするが、実は彼らの動機も対立する人々に負けず劣らず政治的なのである。

サイモンによれば、わたしたちは合理的になろうとするが、人間が合理的になる能力は大幅に制限されている。世界は複雑すぎて、わたしたちの知性では充分に理解できない、とサイモンは主張する。だから、わたしたちが良い決定をしようとするさいに直面する最大の問題は、情報の欠如ではなく、人間の情報処理能力の限界である。いまわたしたちが経験している大混乱を見ても、それは明らかである。華々しいインターネット時代が到来しても、人間の判断力が向上したということはないようだ。・・・・・自由市場主義者たちは、政府は行動を規制される者たちよりも市場のことを知らないという(筋が通っているように思える)理由で、政府の規制に反対してきた。・・・・・しかしサイモンの理論によれば、多くの規制が効果を発揮するのは、必ずしも政府が規制される者たちよりもよく知っているからではない。規制によって活動の複雑さが制限されるために、規制される者たちがより良い決定を下せるようになるからなのである。2008年の世界金融危機は、これが正しいことをはっきり証明した。・・・・・ルールをつくって選択の自由を意図的に制限して、対処すべき環境を単純化しなければ、人間の〈限定合理性〉では世界の複雑さに立ち向かうことはできない。わたしたちが規制を必要とするのは、政府のほうがつねに市場をよく知っているからではない。人間の知的能力の限界を謙虚に認識すれば、当然、規制が必要だとわかるのである。

この人間の知的不完全性・限定合理性という概念は、共産主義や国家社会主義を批判する文脈では、指令(計画)経済に対する市場経済の優位性を説く根拠になり得るが、それがいつの間にか、自由市場における人々の集団的選択は長期的には決して誤らないという異常な信仰となり、最も低劣で悪質な放縦と利己主義の正当化に使われてしまっている。

フリードマンは嘆く。「人びとは、強力な政府が自由にとってどんなに危険な存在かということを忘れてしまった。それどころか、“もしも政府の権力が『正しい』手にあれば”という条件つきではあったが、強い政府によってだけ達成できる良いことに心を奪われてしまうことになった」と。私も一緒に大衆の無知を嘆いたって構わない。しかし、そんなふうに大事なことを忘却し、危険な短絡を犯すのが大衆というものだとしたら、大衆の自発的に営む市場行動の成果をなぜ手放しで楽観できるのか。ケインズが大衆を騙かしたのだとしても、そう易々と騙されるのが大衆の社会ならば、市場の中心にもしケインズのような利口者が出てきたら、いったいどうするのか。

・・・・・「自由市場体制とより広い社会的・文化的諸目標の追求との間には、どんな矛盾も存在していない。また、自由市場体制と不幸な人への同情との間にも何の矛盾もない」などと極楽トンボでおられるためには、完全無欠な合理的人間を仮想しなければなるまい。再び問い質したい。そんな完全無欠な人々がなにゆえかくも巨大かつ危険な政府を容認したのかと。

・・・・・スミスは「公平で事情に通じた観察者の同感」が社会に安定性を与えるだろうと展望したのであるが、事態はスミスの思ったようにはうまく進まなかった。・・・・・自分たちこそ公平な観察者だとまかり出てくる社会主義的あるいはケインズ主義的な計画者たちの傲慢はすでに明瞭である。しかしだからといって、大衆をジュピターの地位に祭り上げるわけにはいかない。そんなふうにいうのは「利害関係がからんだ詭弁」というものであろう。「能力に応じて開かれている人生」を私も歓迎するが、いったい私のどんな能力がと、大衆人たる私は自問しないわけにはいかない。かりに自己懐疑の能力を失った人間を大衆人とよぶのなら、私は大衆人でありたくない。そしてフリードマンの言辞にはたしかに大衆社会のノーベル賞にふさわしく懐疑のかけらも見られないのである。

引用文(西部邁4)より)

「自分の仕事をそれ自体完結したものとみる技術者の見解を多かれ少なかれ幻想とみなすことが大切である」とハイエクはいう。「かれ(技術者)は自分には無意味と思える膨大な事柄に注意を払う必要性にたいし腹を立てる」と技術者を揶揄しもする。しかし真に冷酷な理論家ならば、そして真正の自由主義者ならば、自由の名において創造された事柄の負の側面にもっと注意を払う理論を、そしてそういう理論をつくるための認識の自由を、もつべきではないのか。自由がその反対物たる抑圧を産み落とすのは、可能どころか現実ではないか。英国の経験論が産み出した最も上質な政治思想は、いわゆる積極的自由にたいする懐疑としての保守主義だったのではないのか。自由の発揚がなにか善き事態を結果するであろうという進歩主義にたいする懐疑はとうぜん市場的自由にもむけられなければならない。その懐疑を避けようとすれば、民衆の自由を手放しで賛美するという大衆迎合に陥るほかない。しかもおそらく、舞台裏では、冷酷な理論家として、中央ヨーロッパ人にいかにもふさわしく、冷ややかな孤独の牢獄の中で大衆蔑視の思想を傲岸に鍛えながらである。このようなかれにおける憂鬱質の欠如を私はあまり好まない。

引用文(西部邁5)より)

新自由主義の思想は、政治の標語として利用されることばかり多くて、人々の習俗のうちにまだ根づいていないわけである。現に進行中の計画から自由への復古にあっては、人間の不完全性のために伝統の保守が必要とされること、そして伝統を維持するのが困難であることが少しも自覚されていない。たとえば、個人の全知全能を仮設するにひとしいような経済模型によって大きな政府の無効なることが証明されたりしている。また、市場における選択の自由を称揚する様々の言論は、市場志向の活動が過度に及ぶとき社会の慣習体系がつきくずされるかもしれぬという危険について、ひたすら楽観している。

顕著なのは進歩主義のイデオロギーである。個人や集団による自由の発動が、必ずや、個人の人格的発展と社会の調和的前進をもたらすであろうという思込みである。人間の不完全性を自覚すれば、つまり「無知の知」を知れば、社会全体を合理的に設計することが不可能だと分り、したがって社会主義やケインズ主義の間違いもわかる。しかし同時に、その人間の不完全性にかんする自覚は自由にかんする自己懐疑をも促すはずではないのか。とりわけ市場的自由によってもたらされる生活の変化をつうじて、慣習的な規則がどんどん形骸化し、ますます動揺するかもしれぬという懐疑がわいて当然ではないのか。この懐疑を封じるものこそ進歩主義の思想である。実は、新自由主義もその思想から自由だというわけではない。新自由主義が実際の経済活動に指針を与える際にレッセ・フェールに与しがちであるのは、それが自由への懐疑を失って進歩を信仰している点にあると思われる。またそれの主張する法と秩序がエスタブリッシュメントのための法制定を弁護するのに終わりがちなのも同じ理由による。つまり、政治の場面におけるレッセ・フェールを支持する結果、強者の論理がまかり通るのである。自由主義は、その新旧を問わず、自由の内包する自己破壊的な性質について、つまり自由の依って立つ基盤である慣習的な普通法が自由によって掘り崩されるという可能性について、無頓着である。

西部邁『経済倫理学序説』より)

さらに市場における経済活動に加えて、言論空間における政治活動についても、ありとあらゆるタブーや制約を徹底して排除し、言論の自由を完璧かつ無制限に保障しさえすれば、自動的により良き多数意見が形成され、予定調和的な進歩がもたらされる、と考えるのも狂った妄想以外の何ものでもないです。

もし、そんな19世紀の凡庸な進歩主義の想定が事実だったのなら、20世紀における全体主義と人類史上最悪の大量殺戮が生じたわけがない。

保守主義者による自由主義批判の核心は、自由主義は要するに全体主義のための「おとりのヤギ」であるという点にある。近代人のなかではとりわけバークからドーソン、エリオット、カークに至る人々がそのように考えてきた。社会内の伝統的権威や役割から人々を解放するという不断の努力を通じて、自由主義は社会構造を弱体化し、「大衆型」人間の増加をうながし、そしてこれによって、出番を伺っていた全体主義者たちを招き入れたというわけだ。エリオットによれば、「人々の社会慣習を破壊することによって」、「彼らの自然な集団意識を個々の構成要素に解消することによって、・・・・・自由主義はそれ自身を否定するものへの道を準備することになる。」またクリストファー・ドーソンも、ムッソリーニの全盛期に、イタリア・ファシズムは基本的には近代自由主義が生みだしたものだと断定している。

ニスベット『保守主義』より)

・・・・・群集は、起源においても、またそのほかの諸特性においても、きわめてさまざまだけれども、いくつかの点ではまったく似かよっている。すなわち、おどろくべき不寛容。グロテスクな高慢。病的な神経過敏。みずからの全能という錯覚から生れる狂的なほどの無責任ぶり。たがいに興奮させあった度はずれの動揺から生ずる、節度感の完全な喪失など。憎悪と賞讃とのあいだにも、嫌悪と熱中とのあいだにも、ばんざいという叫びとくたばれの叫びとのあいだにも、群集にとっては中間がない。ばんざいといえば、ばんざい千代に八千代にというわけだ。そこには神にも似た不死への願望と、なにかを神に祭りあげようとするきざしがある。しかもこの神格化を、永遠の呪いに変ずることも朝めしまえである。

・・・・・群集は最悪の指導者たちをむしろ選んで服従するというだけでなくて、最悪の指導者たちから発するいろいろの暗示のうちの、最悪の暗示をこそ選びかねない。なぜか?ちょうど、いちばん遠くまで音の響く鐘が、けっしていちばん甲高い鐘でもいちばん音色の澄んだ鐘でもなくて、要するにいちばん大きい鐘であるのに似て、いちばん伝染しやすい感情や思想は、いちばん強烈なやつだからである。さらに、いちばん強烈な思想とは、判断力よりは感覚に訴えるような、いちばん偏狭で、いちばん不正なやつだし、いちばん強烈な感情とはいちばん利己的なやつだからである。真実の抽象的概念よりも子供っぽい夢物語が、また推論よりは直喩が、先入主の放棄よりは一人物への盲信が、群集のあいだでずっとひろがりやすい理由はここにある。尊敬の念を捧げて楽しむよりは中傷する喜びに専念し、義務観念よりはおしゃべり好きの傾向が強く、歓呼よりは嘲笑のほうがずっとたやすくひろがり、勇気から飛びだすより恐慌におびえて暴発することが多いのも、みんな理由はここにある。

タルド『世論と群集』より)

あらゆるひとに自由に考え自由に行動することを許す民主的方法は、政治的にいえば、市民は理性的存在であって何事も知っており、明確な判断力をもち、本質的には慈悲深く寛容で共同の善を欲するのだという、十八世紀的信念のうえにたっていた。しかし、さらに悪いことには、利己的な目的の追求が個人的利害と公共の利益との完全な調和にみちびくという、仮説を信奉していたことである。民主主義は、市民というものが、自由主義制度を利用しさえすれば、だれでもそのうえに自由に書き込むことのできるいわば一枚の白紙であるということを悟らなかった。

レーデラー『大衆の国家』より)

群衆の強烈な感情は、特に、異なった分子から成る異質の群衆において、責任観念を欠いているために、さらに極端となる。罰をまぬかれるという確信、群衆が多人数になればなるほど強まるこの確信、また多数のために生ずる一時的ではあるが強大な力の観念、それらが、単独の個人の場合にはあり得ない感情や行為をも、集団には可能ならしめるのである。群衆のなかにいれば、愚か者も無学者もねたみ深い人間も、おのれの無能無力の感じを脱し、その感じにとってかわるのが、一時的ではあるが絶大な暴力の観念なのである。

群衆における誇張癖は、不幸にもしばしば悪質の感情にも及ぶことがある。この悪質の感情は、原始人の本能の遺物であって、単独の、責任観念を持つ個人ならば、罰を恐れるがゆえに、これを抑制せざるを得ないのである。こうして、群衆が最も悪質の過激行為に走りやすい理由も説明される。

ル・ボン『群衆心理』より)

教養があるなしにかかわらず、じつに多くの人のばあい、生に対する構えは、いぜんとして、あそびと人生とに対する少年の心そのままである。さきにわたしはたまたま、永遠の青年期と呼んでしかるべき、あのひろくみとめられる精神状況について語った。それを特徴づけるのは、適切なことと適切でないことをみわける感情の欠落、他人および他人の意見を尊重する配慮の欠如、個人の尊厳の無視、自分じしんのことに対する過大の関心である。判断力と批判意欲の衰弱がその基礎にある。このなかばみずからえらびとった昏迷の状態に、大衆はひじょうな居心地のよさを感じている。ひとたび倫理的確信のブレーキがゆるむや、いついかなる瞬間にも危険きわまりないものとなりうる状況がここにある。

このような精神状態は、ただたんに、自分じしんの判断を下す意欲に欠けるところがあり、集団組織の画一化作用が、できあいのワンセットの考えかたを押しつけ、つねに思考が皮相に流れてしまうところからもたらされたというにとどまるものではなく、じつに憂慮すべくも注目すべきことに、おどろくべき技術の発展それじたいが、じつはこのような精神状態をひきおこし、これにたっぷり餌を与えているところのものなのである。人間は、この驚異の世界にあって、文字どおり子供のようだ。お伽噺の世界のなかの子供のようだ。飛ぶ機械で旅することができる、いながらにして地球の反対側と話をすることができる、自動機械を使ってちょっとつまむことができる、ラジオを通じてひとつの大陸全部を自分のものにすることができる。ボタンを押せばそれでよい。生がかれのほうにやってくるのだ。このような生は、かれを成熟させるだろうか。まさに逆だ。世界はかれのおもちゃになってしまったのだ。おもちゃを手にしたかれが子供のようにふるまうからといって、それになんのふしぎがあろう。

いたるところに妄想と妄語がはびこる。かつてないまでに、人びとは、ことばの、合言葉の奴隷となって、たがいに殺しあう、相手を議論で屈服させるのである。世界は、憎しみと誤解を負わされている。愚かなものがどのくらいおおぜいいるか、過去にくらべて、どのくらい多いか、その比率を測ろうにも尺度はない。だが、愚かさは、以前にもまして旺盛に害毒を流し、高く君臨している。生半可な教養を身につけた、にぶい精神に対しては、伝統、形式、礼拝といったことへの敬意も、しだいに歯止めとしてはたらかなくなってきた。最悪の事態は、いたるところにみとめられる「真理ということについての無関心」であって、これは、政治的欺瞞の推賞ということのうちに、その極みにまで達している。

引用文(ホイジンガ1)より)

集団秩序の現存在においては、すべての人の教養が、平均的人間の要求に接近する。単なる悟性にとって無造作に、たちどころに判明するところまで持っていく合理化の働きが、知識のあらゆるあり方を零落させる過程を持ちだすとき、精神性は大衆のなかに広まることによって頽廃する。水平化する集団秩序と共に、教養のある人の層が消滅してしまう――その訓練にもとづいて彼らが精神的創造物の反響でありうることにもなろうという、考えることや感じることの訓練を、継続的な稽古の基礎の上で発達させてきたところの教養のある人の層が。大衆的人間は、ほとんど時間を持たず、全体にもとづく生活を生きるわけではなく、それを利益にしてくれる具体的な目的がなければもはや準備も努力もしようとはしない。彼は待って熟させることを欲しない。すべてが、即座に、現在的な満足でなければならない。そして、精神的なものは、そのときどきの瞬間的な楽しみになってしまっているのである。エッセイがすべてのことをあらわすのに好適な文学形式であり、書物の位置には新聞がとってかわり、生涯の伴侶になる作品にかわって不断に別のものになる際物的な読みものが登場するのは、このことに由来する。ひとは迅速に読む。ひとは短いものを欲し、しかもそれは、心に刻みこむ瞑想の対象になりうるものではなくて、ひとが知りたがってすぐにまた忘れても差し支えないようなものを迅速に取り次いでくれるものである。ひとは、内容と精神的に一致して本来の意味で読むことはもはやできないのである。

あの場合この場合と、しばしば場合が生まれてくるために、人々がもはや互いに理解し合うことができなくなるほどの、ひとが取る立場の無際限さは、もっぱら、誰もがせめて何かを意味したいと粒粒辛苦してつくった自分の意見を無責任にも語ろうとあえてすることの結果なのである。ひとは、いま思いついたばかりのものを「単に討議にかける」あつかましさを持っている。無数の印刷された合理性が、多くの領域で、遂には、かつて一度は生命ある思索であったものの今ではもはや本来の意味では理解されなくなっている残骸の、混沌たる乱雑な流れを、大衆的人間の頭脳のなかで陳列することになる。

・・・・・単なる現存在秩序が相対的で自由が超越的存在の前では無であるという真なる意識が、一切のものを否定することに変化させられてしまう。現存在によっては中和されえない<固有現存在>の不満のひそかな毒が、行動し労働することとしての生活の代わりに、否定的に罵ることとしての生活を産み出す。この毒におかされると、私は本来的には、いつでも一切がいま現にあるのとは別であってくれることばかり欲し、いつでもかかわりになることだけはしなくてもよいように脱走することばかり欲するのである。時代や情勢についての正当といえる批判が、それらのなかで人間が脅かされているがために、ひとつの楽しい懐疑的滅却になる――あたかも「否」を言うことが無能力者たちにとって、れっきとした生活であるかのように。世界を粉砕する――そのとき生ずるものは、これまた価値ある何ものかであろうが、どのみちそれも粉砕される羽目にならざるをえない――それがこの「否」の気楽な態度なのである。しかし、本能的な生命衝動のために、ひとは無としてでもとにかくその人自身でありつづけたいと欲する。ひとは、その根において所詮は嘘であるところの、仮借ない真実性を装う。時代意識において百年このかた考えられてきたすべてのものが、この否認的に思ったり言ったりすることの箔として役立つに相違ない。

彼[詭弁家]が優勢になり確固たる地位を獲得すると、いましがたまで卑屈であったその彼が、存在である一切のものに対して、俄然、攻撃的になる。憤怒の衣服をまとって、彼は人間の高貴さに彼の憎悪を向ける。なぜならば、彼の身に何が起ころうとも、彼はそれを無のなかに止揚するのだから。無の可能性の前に立つ代わりに、彼は無を信じているのである。彼に迫るものは、どんな存在に直面しても、それが無であることを彼流に確信することである。彼がすべてをわきまえていようとも、畏敬とか羞恥とか忠誠とかが彼に無縁なのは、このことに由来する。

決してまともな相手ではなく、彼は名乗って出ることはないし、すべてを忘れ、口ではいつも責任を言うくせに内的責任というものはまるで知らない。彼には無条件的なものの自主性が欠けており、しかも彼には非存在の無拘束性が残っていて、その点に、瞬間的で任意に取りかえる主張の強引さがある。

ヤスパース『現代の精神的状況』引用文(ヤスパース1)同(2)より)

出版の自由は毒物販売の許可のようなものとみるべきだ。毒物といっても精神と気分に対する毒物だ。というのは、知識も判断ももたない大衆の頭にどんなことが浮かぶか、わからないではないか。とりわけ目先に利益や儲けといったことをちらつかせる場合、なにを考えだすかわかったものではないからだ。いったんなにかをこの頭に吹きこんでしまえば、どんな非行・犯罪もできないことはないではないか。だからわたしは、出版の自由は危険のほうがその利点をうわまわることになりはしまいかと、非常におそれるものである。とりわけどんな苦情でも法的に訴える道が開かれているから、なおさらである。いずれにしても出版の自由は、いっさいの匿名を厳に禁止することを条件にすべきであろう。

引用文(ショーペンハウアー1)より)

きりが無いので止めますが、思想・哲学史論・評論引用文カテゴリを見て頂ければ、他にも多くの類似した文章が見つかると思います。

近代化で自由を得た大衆の集団的狂気に対する懐疑心を持っているかどうかが決定的に重要であって、右とか左とかの表面的事象をあれこれやかましく言い立てることは、もはや馬鹿馬鹿しく、全く無意味に思える。

同じ流儀の口実や同じ態様の害悪を二つの時代が持つことは滅多にありません。人間の邪悪さはもう少し発明の才に長けていて、人が流儀を論じ合っている間にもその流儀は過ぎ去ってしまいます。まさに同一の悪徳が新しい姿を装うのです。悪徳の精は生れ変り、外見の変化によってその生命の原動力を喪失するどころか、新しい器官を得て、新たに青年の行動の如き新鮮な活力を恢復するのです。人が死体を晒し者にし、墓を発いている間にも、それは大手を振って歩み、破壊を続けるのです。家が盗賊どもの棲家になっているというのに、人は幽霊やお化けを勝手に恐がっています。歴史の貝殻や外皮にだけ目を奪われながら、しかも自分は非寛容や高慢や残酷さと戦っているのだ、と思っている人間は皆このようなものです。彼らはその一方で、時代遅れな徒党の悪しき原理に対する憎悪という彩の下に、同じ唾棄すべき悪徳を別の―しかも恐らくはより一層悪い―徒党の中に是認し涵養していることになるのです。

引用文(バーク1)より)

近年異常繁殖している、いかなるルールもマナーもエチケットも無視し、ありとあらゆる罵詈雑言と誹謗中傷と揶揄嘲笑を平然と用い、「左翼」を集団で口汚く攻撃して自己陶酔している(ほんの数年前の私を含む)人々を見ると、上記の引用文を思い起こしますし、数十年前なら全く同じ人々が全く同じように「右翼」「反動」を集団リンチにかける快感に酔っていたんだろうなと思います。

無制限の言論の自由と単純多数決原理の民主主義と自由放任的市場経済を絶対視し墨守するのが「保守」で、それに反対する奴等は全員「左翼」だと片付ける人間とは、もう口もききたくないです。

読みやすく、有益な本。

機会があれば、是非手に取って下さい。

参考文献としては、ポラニー『大転換』(東洋経済新報社)荒井一博『自由だけではなぜいけないのか』(講談社選書メチエ)間宮陽介『ケインズとハイエク』(ちくま学芸文庫)およびトニー・ジャット『荒廃する世界のなかで』(みすず書房)等をどうぞ。

2013年3月6日

引用文(西部邁9)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 11:59

スティーヴン・ナッシュ(西部邁)『日本人と武士道』(角川春樹事務所)より。

ある日本の政治学者が、ある会議で、アメリカン・デモクラシーを称賛するその意図の下に、A・ド・トックヴィルの『アメリカにおける民主主義』を援用していた。私は、その場にいたほかのアメリカ人のようにはそれに頷いてはおれなかった。私の評価では、それはアメリカン・デモクラシーへの、というより民主主義そのものへの、懐疑の書なのである。

民主主義とは、しょせん、多数の人々が参加し、そして多数決で事を決める、という集団的決定の方式のことである。したがって、その方式が正当とみなされるためには、多数者の判断のほうが正当であるという根拠が示されなければならない。多数者の意志をふみにじると社会が混乱する、というのは納得できる根拠ではない。多数者の意志によって社会が混乱に叩き込まれるなら、多数者はたとえば独裁者に全権を委譲するということも起こりうるからである。実際、民主制のただなかから独裁制が登場してくるというのが歴史の教えるところでもある。

「百六十年前のアメリカにあって、多数者の判断に健全さを期待できるとしたら、そこに健全な宗教意識や司法意識があるからだ」とトックヴィルはいっている。しかしそうした健全さは、その後、失われてゆくばかりである。というより、すでにそのとき、トックヴィルは、アメリカ人が世論に合わせて行動しはじめていること、そしてその世論は新聞によって動かされていると見抜いていた。そうであればこそ、トックヴィルのみたところ、多数であることそれ自体が正当なのだとアメリカ人は考えつつあったのである。

それをよく示しているのが「多数決は知性に適用された平等理論である」という彼の民主主義批判である。なるほど、各人が平等の知性を有していると規定すれば、多数派の知性の量が少数派のそれを上回る、ということになる。なんと虚妄な理論であることか。人間の可謬性を認めてかかれば、一人だけが正しくて、他の一億人が間違っている、ということもありうるとしておかなければならない。そう考えるのが、正気の人間観および社会観というものである。アメリカ人は、フランス啓蒙思想の流れを受けて、理神論あるいは清教徒主義の影響を受けて、人間のいわゆる完成可能性を認めていたのだ。つまり、人々がそれぞれ神意を感受していたとするなら、知性に適用された平等理論も肯定できるということになるわけだ。

・・・・・・たしかに、どの国においてであれ、人民の資質について問うことなしに人民の政治参加を正当とするためには、人民には神意が授けられているとするか、あるいは人民は完成へ向けて進歩しつつあるとするしかないのである。人民の権利[ライト]は人民は正しい[ライト]という事実に根差している、という見方を社会の全域にまで押し広げたのはたしかにアメリカが最初ではある。しかし民主主義には、どの国におけるものであれ、民衆礼賛の強い傾向がある。だから、民衆の声は天の声、それが民主主義の応援歌となる。日本人の場合、その歌声が神学や哲学によって裏づけられるということは少なかったのではあろう。しかし、厳格な階級制が存在しなかったというその歴史的経緯のために、民衆頌歌の良き聴き手にはなったのだと思われる。

ただし、多数決によって神意が表現されるという仮構は、アメリカにあっては個人の良心に神意が宿るということだと受け止められる。それにたいして日本では、それは集団の道徳に天意が染み込んでいると解釈される。問題は、個人の良心にせよ集団の道徳にせよ、歴史という媒介項なしに直接に神や天から下されるものであるか、ということであろう。日本では、少なくとも半世紀前までは、その媒介項の大切さが認められていた。アメリカではどうであったろうか。いわゆる「建国の父祖たち」にあっては、共和派であり親仏派であったT・ジェファソンやJ・アダムズであれ、連邦派であり親英派であったA・ハミルトンであれ、西欧の歴史を受け継ごうとしていた。西欧自身は、その歴史を貴族階級の既得権益のために、投げ捨てんとしていた。そういう西欧に逆らうのがアメリカ建国の精神であった。

しかし、トックヴィルがみたのはいわゆるジャクソニアン・デモクラシーである。1830年代、政治家とジャーナリストが結託して、一方では民衆を煽動し他方では民衆に迎合するというアメリカン・デモクラシーの方向が確立された。そのあたりから、歴史的な価値や規範から無縁であろうと努めるのがアメリカニズムだということになった。そして、その「反歴史」主義が最高度の実力を発揮していた段階のアメリカに日本は戦争を仕掛け、というより戦争に誘い込まれ、大敗北を喫したのであった。

たとえばハミルトンにあっては、政治は少数の賢者によって指導されるべきだ、という見解が表明されていた。ジェファソンはそれに逆らいはしたが、それは独立自営農民が確実に賢者に近づくであろうと想定した上でのことである。A・ジャクソンまでくると、賢者と愚者を区別する必要すらが否定され、多数性そのものが国家の正統性と政府の正当性を構成する、とされた。

私の聞かされた日本の国造り物語になぞらえると、ジャクソンが「瓊瓊杵尊[ににぎのみこと]」として天孫降臨された国、それが戦後日本なのではないか。

2013年3月2日

廣部泉 『グルー  真の日本の友』 (ミネルヴァ日本評伝選)

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1932~41年にかけて駐日アメリカ大使を務めた人物。

一外交官としては不釣合いな程、その知名度は高く、各種史書にもしばしばその名が登場する。

1880年、ジョセフ・グルーは、ボストンの富裕な名門に生まれる。

ハーバード大学を経て外交官の道へ。

妻のアリスも、ベンジャミン・フランクリンやペリー提督に連なる名家の出身。

絵に描いたような、東海岸エリート。

基本的過ぎることだが、米国には外務省という名称の官庁は無く、国務省が対外関係を担当し、外相に当たるのは国務長官。

あと、かつては派遣先国家の重要度によって、大使と公使が使い分けられており、大使は主要国間にしか駐在していなかったことをチェック。

メキシコからロシアを経て、ベルリンで一等書記官として勤務、第一次世界大戦勃発までそのポスト。

ウィルソン政権内での対独方針の違いから、1915年国務長官がブライアンからランシングへ交代。

グルーは、デンマーク・スイス・トルコへと転属。

そしてトルコでは、1920年セーヴル条約から1923年ローザンヌ条約にかけての、高校教科書でも出てくる、ケマル政権との交渉を担当。

1921年ハーディング共和党政権、ヒューズ国務長官の下、ワシントン会議開催。

23年クーリッジ政権、24年グルーは国務次官就任。

第二次大戦中に次官になったのは以前から知っていたが、戦前にも就任していたことは本書で初めて知った。

名称通り、国務次官は国務省ナンバー2(現在では確か国務副長官という役職があるか)。

ただし、日本なら外務次官が外務官僚トップだが、米国の次官は長官との関係次第で重要案件に全く関われない場合があり、ヒューズとグルーの関係もそうだったので、グルーの主な任務は公務員制度改革となり、少し後では、当時分離していた外交職と領事職の統合問題に取り組むことになる。

1925年、ケロッグが国務長官に。

パリ不戦条約を推進したことからも想像されるように、理想家肌で、外政家としては未熟であり、伝統的外交術への民主主義的立場からの軽蔑を持っている人物で、グルーとも軋轢が生じる。

同じ25年の出来事として、米空軍の父と呼ばれた、ビリー・ミッチェルとの会合で、日米必戦論を主張するミッチェルに、グルーが強く反論している。

ミッチェルは、シベリア獲得のためには日本との戦争は避けられないと主張した、とにわかには信じられないことが書かれている。

日本だけではなく、米国にも、異常で愚かな好戦的世論は存在していたんだということは、我々はしっかりと心に銘記しておく必要があると改めて感じた。

1926年、北伐が進行する中国での争乱による既存条約侵犯に対して、グルーやマクマリーは米国の武力行使を支持し、長官のケロッグとまたも対立。

この立場は、英国や幣原外交下の日本よりも強硬だと評されている。

27年次官辞任、トルコ大使に。

1929年フーヴァー政権でスティムソンが国務長官就任、その前年28年にはスタンレー・ホーンベックが国務省極東部長になっている。

満州事変に際して、原則主義的対応を採ったスティムソンに対して、グルーは、(米国の国益に反する)戦争以外に日本を制止する手段が無い以上、現実に即した政策を採る以外にないと主張。

(ちなみに、グルーは一貫した共和党支持者。)

1932年6月、五・一五事件直後の日本に駐日アメリカ大使として赴任。

樺山愛輔伯爵(初代台湾総督樺山資紀の子)、牧野伸顕、斉藤実、松平恒雄、吉田茂らと交流。

本来外交というものは(実は外交に限らないが)、こういったしかるべき世襲的身分と社会的地位の有る人たちの間でのみ為されるべきなんですよねえ。

大衆の「民意」や「国民感情」なんてものが介在してくるから、真の長期的国益に基づく冷静な交渉で避けえたはずの戦争が避けられなくなり、一度始まった戦争を収拾することが極めて難しくなったんです。

日米戦争もその典型です。

1933年政権交代で、ルーズヴェルト民主党政権成立、国務長官はコーデル・ハル。

このルーズヴェルト時代、ほぼ全期間、大戦末の44年に至るまでハルが長官を務める。

「親日」とか「反日」という単純なレッテルを貼って、固定観念に満ちた硬直した見方で、ある国や人物や組織を罵倒することが、歴史を知ることだと錯覚する傾向には本当にウンザリするんですが、しかし、やはりこのハルと上記ホーンベックのコンビは、日本にとっては本当に嫌な組み合わせだなあと思わずにはおれない。

しかし、1937年頃までのルーズヴェルト政権の対日方針は、大恐慌への対応を最優先にしていたため、妥協的宥和的なものに止まっており、グルーと本国との立場の違いは比較的大きくなかった。

(なお、36年二・二六事件のまさに前夜、グルーは斉藤実・鈴木貫太郎夫妻を大使館に招いていた。)

それが、1937年日中戦争勃発によって、深刻な事態に陥る。

グルーは、ユージン・ドゥーマン参事官と共に、事態の沈静化に努力するが、同年ホーンベックは国務省顧問に就任し、極東政策に関して「院政」を継続、10月ルーズヴェルトのいわゆる「隔離演説」が行われ、グルーは落胆する。

大陸での軍事行動を拡大する一方の日本に対し、グルーも強い姿勢で当たる必要性は認めていたが、経済制裁には反対し、上述のマクマリーの支持を得る。

なお、39年末にグルーが記した日記で、

我々がいま入らんとしている十年間について何か政治的予言をするなら、その十年が終わる前に我々は英仏独日が共同してソヴィエトと戦っているのをみるだろうというものになるだろう。そのような予言が想像をたくましくしすぎだとは思わない。私の予言はしかしながら、ヒトラー氏はその中にはいないだろうと付け加えよう。

という記述が紹介されているが、驚くべき洞察力ではある。

この時期になると、グルーも対日強硬論に転換し、戦争も辞さない態度を示し、日本の対独接近とこれ以上の膨張を阻止すべきと主張。

一方、ホーンベックは逆に経済制裁のみで日本は為す術なく屈服するはずだと、日本の国力と破れかぶれの決意を過小評価。

これに対し、グルーは、日本が「国家的ハラキリ」を行う可能性を危惧した。

実際その通りとなり、1941年9月近衛・ルーズヴェルト首脳会議が流産し、12月日米開戦、グルーら大使館員は抑留される。

交換船で帰国する際、出国時に日野原重明医師が同行した、と書いてあるのを見て驚いた。

「よど号事件」と言い、歴史上の大事件に偶然何度も立ち会われているんですねえ。

帰国後、米国内での講演旅行を行う。

日本軍部の残虐さと狡猾さを強く批判しつつ、日本国民全体を人種的に攻撃することはせず、かつてのリベラル的指導層の存在を指摘し、これを擁護した。

44年1月ホーンベックが失脚(上記ドゥーマンは彼を「中国への愛と同情、日本への病的な嫌悪」の人と評している)。

同年ステティニアス国務長官就任、グルーは国務次官として復帰。

ステティニアスとの関係は良好で、天皇制存置を前提にした終戦に向けて活動する。

44年12月ステティニアス、スティムソン陸軍長官、フォレスタル海軍長官によって、戦争と戦後処理についての会議である、「三人委員会」が結成され、グルーがステティニアスの代理としてしばしば出席。

45年4月トルーマン政権成立、グルーは対日声明に天皇制維持を示唆することを目指す。

これにスティムソンも賛成。

かつては非妥協的な対日政策の主唱者だったが、ここでは「浜口、若槻、幣原」への信頼を語る。

フォレスタルも賛同し、すでに戦後のソ連との対決を見据えていた反共派を中心として、元大統領のフーヴァーも支持。

彼らは「ソフト・ピース派」とも呼ばれる。

ところが45年7月バーンズが国務長官となった頃から事態は暗転。

バーンズは外交には素人で、国内政治の観点から外交問題を見るような人物であり、戦時中のヒステリックな世論の影響を強く受ける。

バーンズとモーゲンソー財務長官(ドイツを農業国に転落させるモーゲンソー・プランを提出した人物でもある)、元長官ハル、ディーン・アチソン国務次官補(のちの国務長官[1949~53年])ら「ハード・ピース派」の反対で、ポツダム宣言に日本の政体について「現皇室の下での立憲君主制も排除しない」との文言は折り込まれず。

この辺の記述を読んでいると、「当時の日本の降伏に国体護持が必要なのはわかってるでしょう、もう勝敗は完全に決しているんだし、これ以上民間の非戦闘員を殺すこともないでしょう、最後の一年くらいはもう戦争じゃなくて虐殺ですよ、だいたい民主主義と軍国主義を単純に対置するのが根本的に間違ってるんですよ、日本の軍国主義は(そしてファシズムとナチズムも)前近代的・非民主的要素から生まれたものじゃなくて近代化の進展で自由を得た民衆の狂信的運動から生まれたものでしょう、そこをハード・ピース派はもちろんソフト・ピース派も誤魔化してる、それとも何があってもアメリカは民主主義の看板は降ろさないって訳ですか、ははあ、ご立派ですなあ、でも貴方がたの建国の父たちのうち、少なくとも半分程はデモクラシーがどれほど悪しき政治に直結する可能性があるかしっかりと認識していたんじゃないんですか、そういう懐疑を完全に捨て去ったのに自分たちが終始一貫同じ精神を保ち続けていると自己欺瞞に耽ってるんじゃないですかね、間歇的にやってくる好戦論と社会的ヒステリーを見ると、米国が枢軸国や共産国と異なった道を採れたのは単に国土と資源と富に恵まれた偶然からであって、民衆の愚劣さは他国と大して変わらないんじゃないですか、奴隷制度の合理的平和的撤廃の失敗と自己破滅的な南北戦争、好戦世論に易々と突き動かされた米墨戦争、米西戦争とハワイ併合、あくどい手口のパナマ独立に代表される中南米への恣意的介入、禁酒法にマッカーシズム、カウンター・カルチャーの跋扈と治安の崩壊、あらゆる人間が自己を被害者だと言い立てる人種対立、暴力が日常化している銃社会に黒を白と言いくるめる法律万能主義の訴訟社会、空疎な「アメリカン・ドリーム」のお題目と史上空前の格差社会、そして近年のイラク戦争、金融資本による事実上の世論支配と政策歪曲が、日本にとっての第二次世界大戦規模の破局を米国にもたらさなかったのは、単に上記の偶然から国力に余裕があったというだけで、米国の政治体制の正当性を保証するものとは到底思えませんがね、貴方がたが称揚して止まない自由と民主主義自体が独裁と抑圧を生む素なんだと少しは自省したらどうなんです、それに終戦後貴方がたが対峙する共産主義も民主主義が生んだものですよ、だって人間社会のあらゆる不平等を永久に消滅させると豪語して民衆を煽動し権力を握った運動なんですから、その際手続き的な自由主義や議会主義を踏みにじったとしても、それは多数派民衆の意志に従ってなされた行為ですし、あるいは百歩譲っても、そうした少数の狂信者の行動を前にして多数派民衆はろくな抵抗もできずたとえ消極的にせよ同意したわけですから、民主主義の名の下では決して根本的に非難できないはずですよね、言っときますが、我々はソ連との冷戦にはほとんど貢献できませんよ、貴方がたが『真の戦犯』たる民衆を免罪してくれたおかげで、狂気じみた左翼運動が巻き起こり、それに対処するので精一杯になりますからね、まあせいぜい極東での国際秩序と力の均衡の維持に努めて下さい、それを数十年担ってきた我々に無条件降伏を要求して占領下で憲法を制定し権力政治からの完全な棄権を強要したのは貴方がたですから、それを担うのは当然の義務と言うもんですよ、そしてそれに勝利したらしたで、『自由と民主主義の勝利』を高らかに歌い上げるわけですか、まあ実現すればするほど蟻地獄に落ちるような理想をいつまでも掲げていればいいですよ、でも出来ることならそれに日本を含む他国を巻き込まないでもらえませんかね」といった具合に延々と嫌味と皮肉を述べ立てたくなる。

グルーは終戦後辞任、以後は反共の闘士として活動、中華人民共和国の国連加盟に反対する。

これはやはり長期的に見れば現実離れしており、ヴェトナム戦争介入も共産中国への過剰な懸念による反応だったことを考えると、勇み足を言わざるを得ないか。

1965年死去。

吉田茂が東京で開かれた追悼式に参列、回顧録で「日本の真の友」と記し、これが本書の副題になっている。

グルーの著書『滞日十年』はちくま学芸文庫で読むことができます。

読みやすく結構面白い。

機会があればお手に取って下さい。

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