万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年2月26日

桜井俊彰 『イングランド王国前史  アングロサクソン七王国物語』 (吉川弘文館)

Filed under: イギリス — 万年初心者 @ 11:59

「歴史文化ライブラリー」というシリーズの第308巻。

このレーベルでは以前『スカルノ』を読んだことがある。

本書は6世紀後半から10世紀にかけて存在したイングランドのアングロサクソン七王国(ヘプターキー)についての、極めて平易な概説。

著者は大学の研究者ではなく、個人的英国史研究家といった方らしい。

そのせいか、非常に平易で親しみやすい文体。

これ以上無いほど読みやすい歴史物語となっている。

この前の、『儒教と中国』に比べると、その差が際立つ。

あー、自分はやはりこういう本の方が向いてます。

まず、超初心者レベルの事項を確認。

いわゆる「イギリス」は、イングランド・スコットランド・ウェールズ・アイルランドの四つから成る。

後ろ三つがケルト系、イングランドはアングロサクソンでゲルマン系と大掴み。

地理的には大ブリテン島とアイルランド島があって、大ブリテン島の中南部がイングランド、北部がスコットランド、西部のやや狭くへばり付いている感じの地域がウェールズ。

民族区分では、まず最初に居たのがケルト人。

正確には文字通りの先住民族ではなく、ケルト人自身、他地域より移動してきたものだが、歴史記録を残したローマ人と接触したときに、ブリタニア・ガリア・ヒスパニアなど西欧地域に広く分布していたため、何となく「ヨーロッパの先住民」のようなイメージがある。

最も巨視的に見ると、ケルト→ローマ(ラテン)→ゲルマンという民族推移と三者の融合がヨーロッパで行なわれたが、この三者はすべてインド・ヨーロッパ語族。

他に欧州に侵入した民族として、フン・アヴァール・マジャール・フィンなどが非印欧系、イスラム化の流れに乗って攻め入ったアラブ人はもちろんセム系、加えてユダヤ人もセム系。

ブリテン(ブリタニア)に焦点を移すと、まずケルト系のブリトン人が在住。

ユリウス・カエサルの遠征後、1世紀にクラウディウス帝によって恒久的にローマ帝国の一部となり、ブリトン人がローマ化。

その北部のピクト人と、アイルランドのスコット族は頑強にローマに抵抗し、その支配下に入らず。

ピクト人は民族系統不明、ケルト系との説もあるが確証は無く、バスク人のように全く系統不明らしい。スコット族はケルト系。この両者が融合してスコットランド人が生まれる(森護『スコットランド王国史話』参照)。

5世紀にローマが衰退するとブリトン人がピクト人の侵入に対抗するためアングル・サクソン・ジュートなどのゲルマン系諸民族を呼び寄せる。

イングランドではブリトン→ローマ→アングロサクソン→デーン→ノルマン(朝)と、侵入者・征服者の層が積み重なっていく。

(デーン人というのはイングランドでのノルマン人の呼び名ですから、最後の矢印は変かもしれませんが、ノルマン・コンクェストという大きな区切りがあったということでこう書きました。ヴァイキングという呼び名もありますので、ノルマン=ヴァイキング=デーンと頭に入れておいて、この三者は基本的に同一の民族を指すんだと憶えておく。)

史料として、ベーダ『イングランド人民の教会史』と『アングロサクソン年代記』、アッサー『アルフレッド大王伝』(中公文庫に翻訳あり)の書名を軽くチェックした後、高校世界史で出てくる以下の人名を整理。

アーサー王=アングロサクソンと戦ったブリトン人の伝説的指導者。

エグバート=七王国を統一したウェセックス王(アングロサクソンの)。

アルフレッド大王=デーン人を撃退したウェセックス王(アングロサクソンの)。

クヌート(カヌート)=イングランド・デンマーク・ノルウェーを支配したデーン人の王。

ウィリアム1世=クヌート死後復活したアングロサクソン王国を征服したノルマンディー公。

アーサー王、アルフレッド大王、クヌートで、侵入側と防御側が一つずつずれていることを確認。

再度、ヨーロッパ史を巨視的に見ると、ゲルマン民族大移動で西ローマ滅亡→各地にゲルマン諸国家成立→内紛と東ローマの反撃、イスラム侵入などでその多くが滅亡→フランク王国による統一(800年カール戴冠)→大帝死後の分裂→ノルマン(北ゲルマン)とマジャールによる第二次民族大移動→ノルマンディー公国とそのイングランド征服、シチリア王国、ノヴゴロド国成立、封建制に基づく各地の中世王国形成、という具合になり、こういうストーリーを頭の中で再現できるようになれば基礎は身に付いたと言える。

(「第二次民族大移動」という言葉は最近の教科書ではあまり見ない気がしますね。なぜだろう。)

七王国の名前と位置は、ドイツ金印勅書の七選帝侯と違って、高校世界史では出てこない。

まず大陸に最も近い南東部に、国教会の中心地カンタベリーを擁するケント。

その西側で、北にロンドンのあるエセックス、南にサセックス。

さらに西に向かうとウェセックス(ウェスト・サクソンの意。するとサセックスは南サクソン、エセックスは東サクソンか)。

北に向かい、北海に面したイングランド東部で瘤のように突き出た地域がイーストアングリア。

その西、中央部にマーシア、さらに北上してピクト人に接する地域がノーサンブリア。

上記七王国のうち、ケントはジュート族、エセックス・サセックス・ウェセックスはサクソン族、イーストアングリア・マーシア・ノーサンブリアはアングル族の国。

本書では、エセックスとサセックスは史料・エピソード共に乏しいので、単独の章では扱われていない。

以後、残り五つの王国について叙述されており、かなり細かい経緯と王名が記されているが、さすがに面倒なので、ここでメモするのは止めておく。

覇王の順として、サセックスの始祖アエラ→ウェセックスのケアウリン→ケントのエゼルベルト→イーストアングリアのレドワルド→ノーサンブリアのエドウィン→同オスワルド→同オスウィ→ウェセックスのエグバートという名だけ書く。

エグバートは802年即位、一時王位を追われ、シャルルマーニュの下へ亡命、復位後イングランドを統一。

その孫のアルフレッドが871年即位、デーン人に王宮を追われるほどの苦境から逆転し大勝、デーン人と協定を結び、イングランド北部と東部への定住化とキリスト教への改宗を義務付ける。

899年の死までイングランド統一に努める。

イギリス史上、「大王」の称号を持つのはアルフレッド一人だと書いてあって、ああそう言えばそうかと思った。

なお、シェイクスピア『ヘンリー五世』の記事で、男系女系に拘らなければノルマン朝以後のイギリス王室もある意味「万世一系」だと書きましたが、本書によるとウィリアム1世の妻がアルフレッド大王の血筋なので、正確にはこのウェセックス王国から「万世一系」との事。

現王室の源流としてウェセックスを含むアングロサクソン王国があることから、王室ファミリーでもチャールズ、ヘンリよりもエドワードという名に、国民は特別な感情を持ってきたと書いてある(チャールズ[シャルル]、ヘンリ[アンリ]はフランス起源の名でエドワードはアングロサクソン名)。

ここで思い出したのが、「フィリップ」はフランスではありふれた名前であり、それで古代ギリシア史でアレクサンドロス大王の父「フィリッポス2世」を高校教科書で見たとき、何となく違和感を覚えたものですが、当然これは年代から見て逆で、そもそもフィリッポスがギリシアでありふれた名であり、それがビザンツ帝国とフランス王室との婚姻関係でフランスに持ち込まれ、当初「フィリップ」という名は極めて異国風に響いたと、佐藤賢一『カペー朝』に書いてあったこと。

非常に良い。

著者も言うように、一般読者向けの七王国の本は、これまでほぼ絶無なので、本書はこの上なく貴重。

ただし初版では細かなミスもあり。

9ページに「アントニス・ピウス帝」とあるが、これはもちろん「アントニス」です。

31ページにアーサー王のモデルとなった可能性のある人物として「アンブロシウス・アウレリヌス」という名が出ているが、その4行ほど後には「アウレリアヌス」 とあって、どっちが正しいんですかとがっくりくる。

校正の方にもう少し頑張って頂きたい事例です。

そういう瑕疵もあるが、基本的には良書。

できればクヌートやノルマン征服まで書いて欲しかったが紙数からいって無理か。

しかし、熟読玩味する価値のある書。

強く勧める。

広告

WordPress.com Blog.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。