万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年2月10日

藤原聖子 『教科書の中の宗教  この奇妙な実態』 (岩波新書)

Filed under: 教科書・年表・事典 — 万年初心者 @ 11:26

高校倫理教科書を考察した本。

まず「宗派教育」と「宗教的情操教育」そして「宗教知識教育」の区別から。

これは宗教色の濃い順に並んでおり、ある特定の宗教を信仰する立場からのものが「宗派教育」、宗教一般への理解と敬意を養うためのものが「宗教的情操教育」、純粋に中立的世俗的立場から外面的知識のみを教えるのが「宗教知識教育」。

日本では、戦前の国家神道への反省からくる厳密な政教分離の立場から、文部省が進める「宗教的情操教育」に反対し、「宗教知識教育」のみを行うべきだと主張する学者が多いが、そういう学者が執筆した左派的教科書の中にも、実は無意識のうちに、ある特定の宗教(特にキリスト教と仏教)を優位視する「宗派教育」的記述が紛れ込んでおり、それは国際的に見て、多文化主義的教育のイギリスだけでなく、宗派的なドイツ・トルコ・タイなどの教育と比べても、奇妙で好ましくないものだ、というのが本書の論旨。

まず、教科書の「先哲に学ぶ」という姿勢が、我々日本人に影響を与えた宗教を重視するという傾向を当然生み出し、それがイスラム教の軽視に直結することを指摘。

また、生徒に「正解を与える」というスタイルが、教義の中で一般的道徳を説くのに利用できる部分を切り取って紹介することに繋がり、宗教の全体像は不在で、かなり偏ったイメージが与えられてしまうとしている。

例えば、仏教では「不殺生戒」「慈悲」が教えられ、キリスト教は「愛」の宗教であると説かれる。

仏教では「縁起」、キリスト教では神との「契約」そして「裁き」という概念も同様に重要なはずなのだが、結果としてある特定のイメージがそれぞれの教えについて強調されることになってしまっている。

仏教の「一切衆生悉有仏性」という教義から自然保護の重要性が導き出されることも多いが、これもイメージ先行の気があるとされている。

仏教の宗派教育が行われているタイの教科書でもその手の記述はあるが、それはむしろ「中道」の概念から行き過ぎた経済開発主義を批判するという経路をとっているという。

さらに、西洋による非西洋世界への偏見であるオリエンタリズムを批判する記述のある教科書が、ヒンドゥー教のページでは定番の如くガンジス川の沐浴写真を載せるのは矛盾してはいないか、「キリスト教=祈り、仏教=哲理」という対比は単純過ぎないか、フェミニズムについてのコラムのある教科書がマリア像と瞑想する座禅者の写真を載せ、受動的な女性と自立的な男性というジェンダーバイアスに鈍感と思えるのは如何なものか、と畳み掛ける。

また、仏教では上述の「一切衆生悉有仏性」だけが強調されるが、「因果応報」「畜生道(六道輪廻)」という全く異なる印象を与える教義はどこへ行ったのか、と疑問を投げかける。

「一切衆生悉有仏性」を根拠に、「キリスト教は愛の宗教だがそれは人間中心主義であり、動植物などの自然にも配慮する仏教の方がより優れている」というイメージが密かに教科書に紛れ込んでいるとしている。

そして、実に面白いのが以下の文章。

教科書がキリスト教と仏教の間に優劣をつけていることなどは、まだ序の口である。より顕著な序列化は、ユダヤ教とキリスト教、ヒンドゥー教と仏教の説明において現れている。倫理教科書では、ユダヤ教とヒンドゥー教は、それぞれキリスト教と仏教の単なる準備段階という位置づけである。・・・・・・話の流れとして、それらは宗教として足りないところがあったり、社会に害をなしたりしていたので、イエスとブッダが救世主として登場し、新しい教えを説いたのだとなっているからである。イエスやブッダを偉大な先哲として描こうとすればするほど、相対的にユダヤ教とヒンドゥー教は貶められるというしくみである。・・・・・・これらを読んだ高校生は、ユダヤ教やヒンドゥー教はひどい宗教だなあと思うことだろう。

あまりに的を射ているんで、書き写しながらニヤニヤ笑ってしまいましたが、いや確かにこういうイメージありますよね。

ユダヤ教と聞くと、反射的に「選民思想」を思い浮かべ、一神教という厳しく崇高な信仰を「発明」したものの自民族のみの救いを追い求めたユダヤ教に対して、イエスはそれをベースに「万人への愛」という素晴らしい教えを説いた、一方「依怙地な」ユダヤ人は以後迫害される道を歩む、という単純なストーリーをついつい受け入れてしまう。

インド史で言うと、カースト(ヴァルナ)による差別の上に立った「悪い宗教」であるバラモン教が人々を苦しめていたが、その抑圧に抗してガウタマ・シッダールタが人間の平等を説く「良い宗教」である仏教を啓き信者を増やすが、「悪い宗教」を完全に駆逐することはできず、そのうちイスラム教が侵入してきて(これは信者間の平等を説くのだから一応は「良い宗教」だ)、これで「悪い宗教」が消滅すればよかったのに、ヒンドゥー教は「卑怯にも」仏教の一部を自己の教義体系に吸収して生き残り、逆に「良い宗教」である仏教の方がインドから消滅してしまった、そして残念至極にも現在に至るまでカースト差別が残り、今もインドはその負債に苦しんでいる、というのが中学・高校の倫理・世界史教育からほとんどの人が受ける通俗的イメージでしょう。

もちろんこうした面も確かにあるんでしょうし、だからこそアンベドカルによる仏教改宗運動も生まれたんでしょうが、しかし仮にも千数百年にわたって十数億(本書によれば現在は9億3500万人)の信者の生き方の基準となってきた外国の伝統宗教について、中等教育の段階でここまで一方的でネガティブなイメージを刷り込むのはちょっとどうなのかと正直思います。

このブログで中公新版世界史全集の山崎元一『古代インドの文明と社会』を絶賛した理由の一部は、こうしたヒンドゥー教への否定的イメージをかなりの程度相対化してくれるから。

「神道は形式的清浄さのみを重視する、内的倫理観の無い、ハリボテみたいな宗教だ」と、もし外国の教科書に書いてあったら、これも1%の根拠も無い、たとえ表面的にでもほんのわずかに当たっている部分も一切無いとは言い切れないものの、やはり私は不愉快で嫌な気分になりますよ。

本書によれば、そもそもユダヤ教において「律法主義」と「選民思想」のみを強調するのは不当であり、バラモン教についてはその名称自体が不適切だとして、最近では「ヴェーダの宗教」等の表記が採用されることが多いそうです。

(バラモンという人間を崇拝するような印象を与えること、またそこから差別的で一神教より格下の宗教だという隠された意味を持ちかねないからだとのこと。)

こうした「勝利主義」「置換主義」(役割を終えた宗教が退場し、より良い宗教が勝利するという見方)的説明への反省が必要だとし、「民族宗教」および「世界宗教」という図式も一面的過ぎると指摘。

「勝利主義」史観は仏教内部でも見られ、「慈悲」という教義を中心化し、それがブッダの教えの核心であったと後世から遡及させる立場から、「自己のみの救いを求める小乗(上座部)仏教」に対する、「万人の救済を目指す大乗仏教」の優位が導かれ、日本仏教内部でも浄土教→浄土宗→浄土真宗という序列が暗黙のうちに立てられることになってしまう。

ここから話はイスラム関係になり、教科書でのイスラム記述分量の少なさを述べ、それはよくある平凡な指摘だが、その内容について盲点となって普段我々が意識しないことをはっきり思い知らせてくれているのは、非常に有益で興味深い。

・・・・・・イスラムは、キリスト教や仏教ほど「思想」という面から語られていない。かわりに、礼拝や巡礼といった一般信者の宗教的行為は必ず入っている。逆に、キリスト教・仏教の説明では、一般信者の宗教生活についてはほとんど言及がない。これは、信仰を行為によって表すことを重視する、イスラムという宗教の特性による面もあるが、一見すると、イスラムだけ哲学的な要素がなく、体を動かしているだけのようにみえてしまうのである。・・・・・・キリスト教については愛、仏教については苦からの解放や慈悲という特徴が積極的に評価されているのに対し、イスラムについては、神にひたすら服従するという面や信者に数々の義務が課されているという面ばかりがやたらと強調されているのである。これでは、日本の高校生たちは、なぜわざわざこのような宗教の信者になる人たちがいるのか、さっぱりわからないのではないか。・・・・・・

あまりに面白くて、以上の文章にも、吹き出しそうになった。

さらにいえば、キリスト教については、イエスや使徒パウロに続き、アウグスティヌスやトマス・アクィナスといった神学者・哲学者が肖像画つきで紹介されるのだが、イスラムの節には、どの教科書でも、神学者・哲学者が出てこない。図版もカーバ神殿の巡礼風景などである。・・・・・・イスラムには偉大な思想家はおらず、信者は戒律を守るだけ、といわんばかりである。

倫理ではなく、世界史教科書では、もちろんイブン・シーナーなどの名が出てくるが、確かに馴染みはないし、その思想の極めて大雑把な概略も思い浮かばない。

こうした偏りを含む記述が生まれる原因と海外での宗教教育をめぐる論争と試行錯誤を記述し、宗教学習についての著者の提案を述べる。

その中では、英国の例と、著者が教科書用に書いたコラム(ボツになったものが多いが)が興味深い。

結論としては、倫理教科書の哲学史・思想史の中に各宗教の説明を入れ込むと世界史・日本史教科書と大差が無くなる、それより宗教と倫理の相克、諸宗教の現在の姿、世俗社会との対立などの問題点を扱うべきとしている。

非常に面白い。

著者が意図してのものかはわからないが、所々、何とも言えないユーモアがあって、思わず笑ってしまう。

これは読む価値が有る。

是非お勧めします。

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