万年初心者のための世界史ブックガイド

2013年1月20日

塩野七生 『十字軍物語 2』 (新潮社)

Filed under: ヨーロッパ — 万年初心者 @ 04:30

1巻記事の続き。

まず宗教騎士団の話。

テンプル(聖堂)騎士団が聖ベルナール協賛の下に設立。

反イスラム色が極端ではあるが、一方では貸金業などでムスリムとの関係を維持していた面もあり、これが後に仏王フィリップ4世による弾圧の口実となる。

ヨハネ(病院)騎士団はアマルフィ商人によって設立されていたものが戦士集団となったもの。

十字軍以後はロードス島、次いでマルタ島に移転、長く命脈を保つ。

残るドイツ騎士団は、第3回十字軍での設立なので、本書には登場せず。

イスラム側ではゼンギ(ザンギー)がモスールを足掛かりに支配地域を拡大、アレッポも勢力下に入れる。

イェルサレム王国では、ボードワン2世の長女メリゼンダが、仏王ルイ6世の親族でもあるアンジュー伯フルクと結婚、フルクが4代目国王として即位。

このフルクはアンティオキアをビザンツ属領と認めるなどしたため、本書での評価は高くない。

しかし、有名な「クラク・ド・シュヴァリエ(騎士たちの城)」をはじめとする城塞建築には功があり、常に十字軍国家の弱点であった慢性的兵力不足をおぎなうことになる。

フルク死後、メリゼンダが女王として統治するうち、ゼンギによってエデッサが攻略される。

ゼンギは間もなく奴隷によって殺害されたが、第二回十字軍が上記聖ベルナールによって提唱される。

このベルナールはシトー派修道会出身で、アベラールを攻撃し破門したことでも有名。

1147~49年に仏王ルイ7世と独ホーエンシュタウフェン朝皇帝コンラート3世率いる軍勢が到着するが、ダマスカス攻略に失敗して撤退(石井美樹子『王妃エレアノール』参照)。

ゼンギの息子ヌラディンがダマスカスを支配しイラク北部からシリアを統一、強大化。

メリゼンダの子ボードワン3世、アモーリーが相次いで即位。

ヴェネツィア、ピサ、ジェノヴァの、イタリア海洋国家の力を用いて王国を維持(イタリア海洋国家四大国のうち、アマルフィは当時すでに衰退)。

アモーリーの子ボードワン4世はいわゆる「ライ病」に罹るという深刻な不幸を負いながら、責任感の強い有能な君主として活躍する。

この時期、末期ファーティマ朝の内紛でヌラディンに救援要請が送られる。

それに応え、ヌラディンは、クルド族出身のシルクとその甥サラディンを派遣(これがサラディンが歴史の表舞台に出る最初)。

内紛を収拾したシルクが1169年宰相に就任したが直後に事故死し、同年サラディンが宰相就任、これが普通アイユーブ朝の成立とされる。

この時点では、一応形式的にはファーティマ朝カリフが在位しており、サラディンはヌラディンの配下という建前になっていた。

しかし1174年エジプトに攻め込もうとしていたヌラディンは病死、1186年にはサラディンがシリア・北イラクを併合することによって、イスラム世界盟主の地位を固める。

(ちなみに本書でアイユーブ朝を「アユーブ朝」と表記してあるのには何とも言えない違和感有り。)

このサラディンに対して奮闘するボードワン4世の姿は感動的ですらある。

正面対決は避けつつ、この稀代の名君とある程度まで互角に渡り合う。

(同時期のヨーロッパでは独帝フリードリヒ1世が北伊の自治都市[コムーネ]と激突、英国では上記エレアノールが再婚したヘンリ2世の圧力に抗して、トマス・ベケットが殉教。)

1185年ボードワン4世死去、それを継いだ姉の子ボードワン5世も86年に早逝。

結局姉の再婚相手ギー・ド・ルジニャンが即位するが、この国王の評価は極めて低い。

ルノー・ド・シャティヨンという無思慮な強硬派に動かされ、メッカ巡礼者を襲撃し、サラディンに攻撃のまたとない口実を与える。

1187年、「ジハードの年」と宣したサラディンが、ハッティンの戦いで圧勝、ルジニャンを捕らえ、シャティヨンを殺す。

このハッティンの勝利は見事ではあるが、相手に不足しており、戦闘(バトル)であって会戦(バトル・フィールド)ではなかったと評されている。

続いてイェルサレムを包囲したサラディンに対して、シャティヨンの強硬策に反対していた現実派のバリアーノ・イベリンが奮戦し、開城と引き換えに「フランク人」(キリスト教徒)の奴隷化を阻止、サラディンも彼に対しては寛大さを見せる。

イェルサレム陥落後、キリスト教側が保持していたのはアンティオキア、トリポリ、ティロスのみとなる。

(のちに十字軍最後の拠点となるアッコンもこの時点ではイスラム側の支配下。)

この事態を受けて、第三回十字軍が発動されることとなる。

全3巻だが、2巻ラストでまだ、第三回・第四回という大きな山場が丸々残っている。

似たような感想をほぼ常に持っていた『ローマ人の物語』シリーズでも結局キチンと収まったのだから、あれこれ言う必要は無いのかもしれないが、やはりペースの遅さは気になる。

大変失礼ながら、塩野氏はあまりページ配分は上手くないのではないかと・・・・・・。

あと、私が読んだ初版の204ページに気になる記述が。

この時代ではシーア派とスンニ派では民族的にもちがいがあり、シーア派ではセルジューク・トルコ民族が主流にのし上り、スンニ派ではアラブ人がいまだに権力をにぎっていたのである。

これ、完全な誤記じゃないでしょうか?

トルコ民族はほぼスンナ派のはずですし、セルジューク朝がシーア派のブワイフ朝を倒して、10世紀イスラム世界でのシーア派優位(後藤明『ビジュアル版イスラーム歴史物語』等参照)を覆すわけですから。

繰り返し確認してもそう書いてあるし、確か33ページにはこれとは逆の意味の文章があったはず。

増刷時には直されているかもしれませんし、自分の知識の浅さを棚に上げて、プロの作家のケアレスミスを大袈裟に言い立てて悦に入るのも卑しい行為ですから、これ以上は言いませんが、ちょっと残念。

そういう瑕疵はありながらも、内容自体はかなり良い。

1巻と同じくお勧め。

ただ、都合により3巻を記事にするのは相当後になると思います。

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