万年初心者のための世界史ブックガイド

2011年7月5日

福田和也 『昭和天皇  第四部 二・二六事件』 (文芸春秋)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

第一部第二部第三部の続き。

本書の叙述範囲は、1932年五・一五事件から36年二・二六事件まで。

(この二つの年号は当然暗記事項。)

以前も書いたように、読みながら、今どの年の話をしているのかを確実に把握すること。

短いエピソードを次々積み重ねていく叙述形式で、読みやすくはあるが、その分年代をはっきり明記してある部分は少なく、ボーっとしていると現在時点をしばしば見失いがちになる。

しかも表記形式が「昭和○年」という形なので、面倒でも○に25を足して西暦「19△△年」の下二桁に換算して確認して下さい。

以下、第三部の記事と同じく、一年刻みの年表風メモ。

五・一五と二・二六、あるいは満州事変と日中戦争に挟まれたこの4~6年ほどの期間は、日本にとって一応の小康状態だが内では矯激な世論に支持された軍部の台頭、外では満州を越える華北進出により中国との全面対決路線を再び歩み始め、破局への道筋が準備されていく年月でもある。

世界ではヒトラーの政権掌握という大激変が生じ、国際対立が深まる中、日本はナチス・ドイツとの不吉な結びつきを強めていく。

1932(昭和7)年、第一次上海事変、満州国建国、リットン調査団来訪、五・一五事件、斉藤実内閣成立、日満議定書、日本国家社会党および社会大衆党結成。

世界ではオタワ会議とスターリング(ポンド)・ブロック形成、ドイツ総選挙とナチ第一党、ポルトガルのサラザール政権、サウジアラビア王国成立、タイ立憲革命。

日本の内閣は、満州事変に遭遇した第2次若槻礼次郎民政党内閣が31年12月に倒れ、犬養毅政友会内閣が成立するが、これも32年五・一五事件で倒壊。

教科書にもあるように、ここで政党内閣は終わり、戦後まで復活せず。

以後も政党員は入閣するが、首班は軍人、華族(近衛文麿)、外交官(広田弘毅)、官僚(平沼騏一郎)などになるので、あくまで非政党内閣扱い。

五・一五から二・二六までの四年間、首相は穏健派の海軍大将二人、斉藤実と岡田啓介。

前者については下の名前の読み方に注意、でしたね(「みのる」じゃなくて「まこと」)。

任期はちょうど半分二年ずつ(月まで計算するのは面倒なので無視)、32~34年が斉藤内閣、34~36年が岡田内閣。

この時期だけでなく、戦前昭和期の歴史について、初心者は、まず首相の名前と任期年度を憶えることに全力を集中。

その他、外相・蔵相・陸相・海相・(陸軍)参謀総長・(海軍)軍令部長・内大臣(内務大臣=内相にあらず)・侍従長・侍従武官長・枢密院議長・(陸軍)軍務局長等々、多数の役職に就いた様々な人名が出てくると思うが、とりあえず目に慣らしておき、複数の本を読んでいく中で、追い追い憶えていくとよいでしょう。

(かなり詳しい本でも、5、6冊で主要人物を全部憶えることは不可能だし、望ましくもない気がします。やはりある程度数をこなすことも重要。)

なお、ここで政党内閣が終焉するので、犬養・若槻以後の政友・民政両二大政党の指導者の知名度が一気に下がりますが(高校日本史レベルでは皆無)、一応名を出しておくと、政友会が鈴木喜三郎・久原房之助・中島知久平、民政党が町田忠治など。

以下、この年の記述で少し気になった細部のメモ。

溥儀が関東軍の誘いに乗り満州に帰還した際、出迎えの旗人(清朝八旗に属する者)が溥儀を二十年間待ち続けていた、と側近に言われ、感激するシーンが出てくるが、ここで「そうか、満州事変が起こったこの時点でも辛亥革命から二十年ほどしか経ってないのか、たったそれだけの期間にも関わらず清朝滅亡から何から何まで激変してるなあ」と感じた。

満州国建国とともに溥儀が「執政」となるが、これは国家元首ではあるが君主ではない。

帝政実施は34年から。

本書で満州国は当初共和政を敷いたと書いてあるのを見て、一瞬「えっ?」と盲点を突かれた気になったが、考えてみればそうとしか言い様がないし、当然そうなるか。

あと、五・一五事件直後、山本権兵衛伯爵が先帝に拝謁したと書かれているが、この方まだ存命中だったのかと意外に思った(翌33年死去。同じく拝謁した東郷平八郎元帥は34年死去)。

明治海軍育ての親として、デモクラシーの進展が何とか正常な議会主義の枠内に収まっていた大正時代に二度組閣した軍人出身政治家として、海軍青年将校がこのような事件を起こし、山本にはさぞかし無念の思いがあったろうなあと推測。

しかしその後の亡国の様を見ずに死ねたのは幸せだった。

この辺の記述を読んで、何より強く印象付けられるのは、世論の矯激さと異常性。

五・一五事件実行犯への減刑嘆願殺到や、満州国承認運動への熱狂など。

そうした世論に煽られ、この年の満州国承認問題について、対中宥和派だったはずの内田康哉(下は「やすや」ではなく「こうさい」と読むようだ 追記:と思ったら「やすや」と振り仮名を振ってる本も見つけた)外相が国会で「焦土外交」を口にするまでになっている。

翌33年の熱河作戦については、荒木貞夫陸相が満州に隣接する熱河省併合を当然視したことに対し、高橋是清蔵相が猛反発、陸軍と画一化された世論の合作を激しく非難したが、全く効果が無く、反って自身が極右テロの標的になってしまう。

 

 

何度も同じ事を書きますが、戦前の歴史への反省は是非とも必要だと私も思います。

しかし、それを「民主主義と言論の自由が抑圧されたから破局を迎えたんだ」という形でまとめるのは、やはり根本的に間違っているんじゃないでしょうか。

軍の暴走は世論の支持が無ければ絶対にありえなかった。

近代化推進の悪しき副作用として、表向き「一君万民」思想と天皇絶対主義の衣をまといながらも実はテロリズムすら容認する急進的平等主義と、現実無視の夜郎自大的な膨張的ナショナリズムが生まれ、それが明治の権威主義体制下ではどうにか抑え得たものの、大正デモクラシーで解き放たれ、昭和において国家自体を破滅させた、とイメージした方が余程実情に即しているように思える。

平等主義理念の現われのうち、共産主義という極左的運動は鎮圧することができたが、右翼革新の旗を掲げる「もう一つの平等主義者」を取り締まることは出来ず、民衆の支持を受けた彼らは事実上野放しになる。

極右的ナショナリズムは、あくまで戦前の民衆の自発的選択であり、その罪を社会の権威主義的な上層部に擦り付けても仕方ないし、むしろ上層部は抑制的要因として働いたのにも拘わらず、下からの狂信的運動によって国家が押し流されたことが本質的問題ではないでしょうか。

中学・高校の歴史の授業で「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」という大日本帝国憲法の条文を習って、「あー、法律さえあれば政府が国民の自由と権利をいくらでも制限できたのか、そりゃ軍国主義も生まれるわ」と(私を含め)多くの方が思ったでしょうが、違うんですよ。

だって昭和前期に必要だったのは、まさに極右的ナショナリズムの虜になった国民の自由を制限し、その権利を抑圧することだったんですから。

維新以降、明治政府は征韓論を退け、不平等条約の履行を拒否せず列強との漸進的交渉路線を取り、甲申事変での対清強硬論を抑え、三国干渉を苦渋の末受諾し、国力の限界を悟ってポーツマス条約を結び、満州の利権独占を図らず軍政を廃止した。

責任ある少数の指導者の決断がよく機能していたのであり、上記の事例のうち、もし一度でも表面的な世論の多数派に従っていたら、その時点で日本は破滅していた。(最後のものについてはその悪影響が完全に現われるにはやや時間がかかったでしょうが。また、征韓論の背後にあった国民全体の志操を重視する西郷的思想が退けられた結果、物質主義的近代化路線に対する歯止めが失われ、それが大正・昭和の大衆民主主義と軍国主義を生み出したというような議論があり得ることはひとまず措く。)

明治国家は衆愚的世論を抑圧し、責任感と資質に富んだ少数者間の議論を経て、複雑な情勢を見抜き厳しい決断を下すということができたが、大正期における民主化によってそれが不可能となり、昭和に入って衆愚政治の歯止めが無くなって未曾有の悲劇をもたらしたというべき。

そもそも、軍の暴走がなぜ起こったのかと言えば、その最も決定的な理由は、軍人が多数派世論の影響を受けたことであるはず。

明治期、軍が、天皇の権威を背景にした藩閥政治家の指導に忠実に従っていた間は大過無かった。

それが、大正期における民主化と大衆社会化によって通俗的世論に浸蝕され、昭和期に入ると現実無視の野放図なナショナリズムと社会的経済的危機の原因を既成支配層の悪意や怠惰のみに帰す卑劣な他罰主義に感染し、国家革新と対外的膨張主義にのめり込む。

その際、彼ら軍人は、主観的にも客観的にも、明らかに支配層ではなく民衆の側に立っている。

上層部への服従ではなく、自らの主体的判断によって行動することを是とし、自分たちへの反対は、民衆の利益に反する重臣・政党・財閥など既成支配層のエゴイズムに過ぎないのだから、それをを排除するためには何をしても許されると考えている。

表向きの観念的国体論にかかわらず、彼らにとって天皇の権威は実際上は反対派を黙らせるためのお題目に過ぎず、封建時代ではないのだから天皇個人への忠誠心など持つ必要も無いとし、先帝が具体的に何を言おうがその指示に従う義務も感じない。

このような状況があって、軍内部の下剋上と不統制に歯止めがかからなくなり、対外的軍事行動と国内のテロリズムが頻発することとなった。

つまり、軍の暴走という現象自体、民主化の一つの帰結以外の何物でもないわけです。

「戦前の日本は天皇絶対主義の非民主的国家で、自由のかけらも無い暗黒時代だった、アジア・太平洋戦争は100パーセント侵略戦争だ」という左派的見解でも、「戦前でも民主主義と言論の自由は日本独自の発展を遂げて存在していた、大東亜戦争は正義の戦いだ」という(通俗)右派的見解でもなく、「戦前の日本は大きく民主化し、民衆の自由が拡大していた、だからこそ無謀な戦争に向かい破局を迎えたんだ、ただしそれは程度の差はあれ戦勝国も同罪だ」というのが、私が近代日本思想・哲学カテゴリにあるような本を読んでとりあえず得た、暫定的理解です。

(中国の過激で非理性的な排日運動、英仏の「ソーシャル・ダンピング」という対日偏見に基くブロック経済正当化、米国の国益に基づかない情緒的親中感情とその裏返しの陰湿な反日感情および勝敗が事実上決した後での無差別都市爆撃と原爆投下による日本人非戦闘員大量虐殺等々がまさに戦勝国の「偏狭な世論」が成さしめたもの。狂信的世論が共産革命という極左的形態で爆発・固定化し、国自体が完全に全体主義化していたソ連は言うに及ばず。)

要するに、戦前の日本を民主主義という立場から批判しても全く意味が無いんですよ。

現在と比べてもはるかに厳しい経済・社会状況に民衆が置かれていたのも事実だが、だからといって極右的急進主義の虜になったことが正当化されるはずもない。

単純・粗暴・愚劣・低俗な意見が大衆的メディアにより爆発的に増殖し、「真の民衆意志の体現者」と称するデマゴーグが言論の自由を最大限利用して大衆煽動により民衆世論の表面的多数派を作り上げ、社会の上層的地位にある人々を無責任に罵倒・攻撃し、そうした「国民の総意」に逆らう穏健な少数派を言論の暴力と物理的テロリズムによって社会的に抹殺する。

数の力で異論は捻じ伏せられ、恐怖心によって社会全体に沈黙の連鎖が広がり、煽動者によって操作される群衆心理が社会のあらゆる権威の上に立ち絶対的支配権を振るう。

右派的民族主義を旗印に掲げることをすべての免罪符にする狂信的民衆の自由を制限する手段もなく、社会の大衆化と平等化によって牙を抜かれた国家は為す術なく「世論」の軍門に下り、無思慮・愚劣な政策が誰にも止められないまま行なわれ続け、ついに国家の破滅に至る。

すると今度は、(建国の父たちの精神も忘れ民主主義を金科玉条視する)頭の単純な勝者に免罪されたのをいいことに、民衆世論は破局の責任を自分たちが行動を強制した社会の上層部に押し付け、今度は全く逆の左派的教条にのめり込んだわけです。

戦後、愚劣極まりない親共産主義的傾向と最低限の自衛力すら否定する空想的平和主義に囚われた民衆運動が何度も何度も下から国家を揺さぶり、危機的状況を招き続ける。

それが戦前のような完全な破局に繋がらなかったのは単なる僥倖に過ぎない。

「戦前の反省」を言うなら、何より上記のような構造を繰り返さないよう、自省すべきではないでしょうか。

その場合、世論の表面上のスローガンが右か左か、なんてことには囚われないようにしたい。

ここ十年近く、また、責任意識と自己抑制を一切欠いた低俗な似非ナショナリズムという、戦後とは逆の教条主義が大衆煽動に利用されているようなので。

以下のような言葉もあることですし。

同じ流儀の口実や同じ態様の害悪を二つの時代が持つことは滅多にありません。人間の邪悪さはもう少し発明の才に長けていて、人が流儀を論じ合っている間にもその流儀は過ぎ去ってしまいます。まさに同一の悪徳が新しい姿を装うのです。悪徳の精は生れ変り、外見の変化によってその生命の原動力を喪失するどころか、新しい器官を得て、新たに青年の行動の如き新鮮な活力を恢復するのです。人が死体を晒し者にし、墓を発いている間にも、それは大手を振って歩み、破壊を続けるのです。家が盗賊どもの棲家になっているというのに、人は幽霊やお化けを勝手に恐がっています。歴史の貝殻や外皮にだけ目を奪われながら、しかも自分は非寛容や高慢や残酷さと戦っているのだ、と思っている人間は皆このようなものです。彼らはその一方で、時代遅れな徒党の悪しき原理に対する憎悪という彩の下に、同じ唾棄すべき悪徳を別の―しかも恐らくはより一層悪い―徒党の中に是認し涵養していることになるのです。エドマンド・バーク『フランス革命の省察』より)

司馬遼太郎さんの近現代史観というと、一昔前、例の「自由主義史観」が出始めた頃は模範に採り上げられ、その運動が大きくなると逆に「自虐的」といって非難の対象になりました。

その是非は別にして、ただ今でも強く印象に残っているのが、確か『この国のかたち』で、ポーツマス条約に反対する日比谷焼打ち事件をもって、日本の帝国主義は誕生した、と書いてあったこと。

日露戦争時の政府や軍をめぐるあれこれの動きではなく、興奮状態に陥った群集の暴動に近代日本の悪しき起源を代表させる見方に鮮やかな印象を受けた。

今考えても、さすが何が一番本質的な問題なのかよくわかってらっしゃると感嘆する。

条件反射的な左翼批判を繰り返す一方、昨今の右派的ポピュリズムの醜悪さには完全に目をつぶる態度より、こういう認識の方がよほど「保守的」だと思います。

この方が「文芸春秋」や産経新聞(!)にエッセイを書かれていた頃は、今思うとまだ幸せな時代でしたねえ。

グダグダ書いてたら、最初の一年だけでこの有様。

少し前のベルナール・ヴァンサン『ルイ16世』(祥伝社)の記事みたいになりそうです。

書く方も疲れますが、読む方もうんざりでしょう。

まあ更新停止まで長くないし、あと少しだけお付き合い下さい。

(追記:続きは以下

戦前昭和期についてのメモ その2

戦前昭和期についてのメモ その3

戦前昭和期についてのメモ その4

戦前昭和期についてのメモ その5

戦前昭和期についてのメモ その6

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