万年初心者のための世界史ブックガイド

2011年6月30日

佐伯啓思 『人間は進歩してきたのか  「西欧近代」再考  現代文明論(上)』 (PHP新書)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

2003年刊。

著者の勤務する京都大学の全学共通科目「現代文明総論」という講義を基にした本。

上下二分冊だが、互いに独立した著作のようです。

京大とは言え大学一回生が特別な予備知識無しに受講できるレベルとのことなので、大して難しくない。

取り上げられている思想家もホッブズ、ルソー、マックス・ウェーバーなど誰でも知ってる人が多い。

以下、バラバラなメモ書き。

網羅性はあまり無いので、ご注意を。

近代を17世紀以降、政治面での市民革命、経済面での産業革命、文化面での科学革命の複合体として把握。

本書の基本的視座は以下の通り。

人間の自由の拡大、つまり規範的なもの、権威的なものからの解放は無条件に善であり、人間の移動性が増して空間的な活動領域が拡大することは望ましく、富を手にすることは無条件によいことだ――そういう価値観がここにはあります。ということは逆にいえば、規制や権威は悪であり、土地や共同体への執着は悪であり、いかなる不平等も許されるべきではなく、貧困はそれだけで悪だということになります。これが西欧の近代主義、啓蒙主義が生み出した進歩という考え方の核心です。

しかし、ほんとうにそうなのでしょうか。いっさいの規制や権威からの自由、共同体や土地から切り離された空間の無限の移動性(今日の情報ネットワークや世界を飛びまわる国際資本もそうです)、人間の自然的な差異を排したあらゆる意味での平等の達成、必要な生活をはるかに超えた過剰な生産や消費――こうしたことまでほんとうに無条件で是認すべきなのでしょうか。

近代的価値観の未達成ではなく、過剰こそが様々な弊害を生み出している。

ポスト・モダン思想も、自由や平等の追求を核心とする近代主義を根底から疑ってはおらず、都合の良い「近代」で都合の悪い「近代」を攻撃しているだけ。

次に、近代の成立時期の考察。

16世紀初頭を境に中世から近代に移行したのではなく、中世は14世紀に崩壊し近代合理主義の誕生は17世紀、その間300年は空白期であり、危機の時代であるという見方の提示。

ルネサンス人文主義とデカルト、ガリレイらの合理主義を区別する。

デカルト的思考は、共同体・人間関係・教育の中で育まれる、古典古代的な合理性ではなく、空白・危機の時代に対応して、社会の混乱と世界観崩壊の中、確信・信念を持ち得ない状況下での抽象的精神としての合理性。

宗教改革がローマ教皇と神聖ローマ皇帝の権威を否定、国王・領邦君主の自立を促し、聖書翻訳によって国家意識を生み出し、意図せざる結果として神中心の宗教的秩序から人中心の世俗的秩序への転換を進める役割を果す。

続いて、ホッブズ、ルソーの思想検討に入るが、ここでは結論部の以下の文章のみ引用。

まとめていえば、もともと、近代的な民主主義は古典的な共和主義の復活として出てきた。ところで古典的な共和主義は、市民的美徳をもって公共精神を宿し、共同体への愛着をもった市民を想定している。しかし、近代社会には、こうした市民を持ち込むことはすでにできなくなっている。そこで、その代用として、市民が一致して関心をもつ「公的なもの」を仮構せざるをえない。それが「国民の意思」です。現代的にいえば「世論」です。共和主義の支えを失った近代民主主義は、このようなフィクションを持ち込まざるをえない。そして、そのフィクションがあたかも実体であるかのように民主政治が営まれたときに、その民主主義は全体主義に転化してしまうのです。民主主義のなかには、あらかじめ何か全体主義的なものが含まれてしまっているといわねばなりません。

ルソーの「一般意思」概念が全体主義的独裁確立に利用されたというのは保守派のルソー批判の定番で、本書でもそうしたことは書いているが、同時にルソーの思想のうち、古典古代的共和主義再構成の面はアメリカ独立革命に、社会契約説と人民主権論の徹底という面はフランス革命に繋がっているとされ、前者に対しては一定の肯定的評価が与えられている。

古典古代的共和主義とは、国家の構成員の主体的政治参加を是とする立場。

しかしそれには共同体への防衛への献身、勇気・自己制御・節制・思慮・正義感など市民的美徳の涵養への義務が各個人に課されることが大前提。

この意味での「共和主義」は往々にして民主主義とは逆の内容を持つ。

『ザ・フェデラリスト』でハミルトンなどアメリカ建国の父たちが、自分たちが作ろうとしているのは民主政ではなく共和政だと繰り返し書いていたのを思い出した。

「デモクラシー」という言葉を偶像視するというか、呪文のように述べる今のアメリカ人とはえらい違いです。

ケナンのような「真のアメリカ人」とでも言うべき人はもう存在しなくなったんでしょうね。

・・・すべての政府システムを縦断し、他のすべてに勝る意義を持つ基本的な相違がある。それは「民主的」と「非民主的」な政府の違いと説明すれば最もわかりやすいだろうし、米国では特にそうだ。私個人としては、この関連で「民主的」という用語を使うのが嫌いだ。この用語は、そもそも米国の建国の父の多くが、建設中のシステムを説明するのに使おうとはしなかったろう。当時ですら「民主主義」という言葉は相当多くの意味になり、代表制政府の制度の強力な支持者ですら、軽蔑的に用いることがあった。さらに近年になると広く乱用されて、かってどんな意味があったにせよ、その大半が失われるに至った。(ジョージ・ケナン『二十世紀を生きて』(同文書院インターナショナル)

かつてアレグザンダー・ハミルトンは民衆を「巨大な野獣」と呼び、「人民の声は神の声だと言われ、この格言は広く引用し、また信ぜられているが、実際上の真理ではない。人民は乱暴で移り気なものである。正しい判断と決定を行うことはできない」と述べている。(アンドレ・モロワ『アメリカ史 上』(新潮文庫)。ただしモロワはハミルトンよりライバルのジェファソンを評価している。)

現在ではこんなこと正面切って主張されたら、奇異の念を抱くか強い反発を覚えるという方がほとんどでしょうが、アメリカ建国の父たちの、少なくとも半分がこのような考え方の持ち主であったからこそ、大規模な民衆運動がとりあえずは独裁や終わり無き内乱に転化しなかったのだとも思える。

そうでなければアメリカは、十数年後のフランスより先に、人類史上初の全体主義を生み出したという汚名を着たはずである。

ところがこうした精神は建国後、約半世紀しか続かず、1830年代のジャクソニアン・デモクラシーで決定的な堕落を遂げ、トクヴィルが指摘するような大衆民主主義国家に成り下がったとある人が評していたが、確かにそう思える。

われわれ民衆が無条件で主権者だとされるのは、君主や貴族という身分の存在よりも「生まれながらの不当な特権」だと言いたい。

少数者の特権と違って、それを抑制することや相応しい義務を課すことが不可能に近いだけ、一層タチが悪い。

個人的には言葉の真の意味での「共和国」には君主と貴族が不可欠だとすら言いたいくらいである。

言ってみれば、「真の共和政」は君主制と貴族制と民主制の三者が相互に抑制し合って均衡を保つ状態だとする見方もありうると思うのだが(引用文(中江兆民1))、実際には民主制のみが突出した国家が共和国と呼ばれ、なぜか「共和主義=民主主義」ということになってしまっている。

閑話休題。

以上が本書前半部の粗っぽい内容メモ。

(省略した論点もかなりあります。)

後半部は、カルヴァン主義と資本主義成立の関連を述べた、ウェーバーの有名な仮説や、フロイトの「自我」「エス」「超自我」の関係などについて。

プロテスタンティズムがローマ教会の階層性的権威を否定し神を内面化して自己制御・自己陶冶するキリスト教的個人主義を成立させ、それが近代的個人主義に繋がるが、信仰心の後退によって内面の支えがなくなり、利己主義を抑える術を失った個人主義が資本主義と近代市民社会を根底から堕落させていく、みたいなことが書いてある。

上記の内容メモは適当過ぎますが(最近根気が続かない)、本書自体はかなり面白いです。

実際に講義を聴いているような気分になれます。

下巻も機会があれば是非読みたい。

話し言葉でスラスラ読めるのも長所。

お勧めします。

2011年6月24日

P・F・ドラッカー 『「経済人」の終わり』 (ダイヤモンド社)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

1939年刊のピーター・ドラッカーの処女作。

これも以前から読もうと思ってはいたが、確か2、3回挫折しているはず。

この程度の長さと難易度の本を投げ出しているようではいけませんね。

今回はしっかり通読。

ファシズム全体主義分析の書。

文章はさして難しくないのだが、初心者はやや論旨がつかみにくい。

以下、誤読があるかもしれないが、とりあえず内容メモ。

キリスト教普及後のヨーロッパでは自由と平等がヨーロッパの二大基本概念となっていた。

まず初めはこの二つが精神的領域において追求された。

死後の彼岸ではあらゆる人間が平等であり、この世は死後の真の人生の準備期に過ぎないとする見方を全ての人間が受け入れていた。

この時期においては、人間は「宗教人」として理解されていたことになる。

それが、近世宗教改革以後、知性による聖書理解と個人による運命決定が押し進められ「知性人」に移行。

さらに自由と平等が社会的領域に求められるようになり、まず「政治人」が、そして「経済人」の概念が現れた。

「経済人」の概念とは人間にとって経済的地位、報酬、権利、利得を至上のものとする考え方。

それがブルジョア資本主義の背景を成していたが、20世紀に入り戦争と恐慌により、それへの確信が崩壊。

合理化・機械化・唯物化の進展が独自の力を持ち、人間には制御不能の存在になったことが示されたため。

さらに、ブルジョア資本主義と同様にマルクス社会主義も、ソ連の現状が知られるにつれ、もはや自由と平等を達成できないことが明白になった。

かつて「宗教人」の概念をもって人々を静かな諦観と従容と死後の救済を待つ態度に導いたキリスト教も、この情勢において大衆を導くことに失敗。

著者は通説とは異なり、19世紀を宗教的信仰復興の時代と捉えている。

実際、キリスト教的社会活動家によって労働条件を改善しブルジョア資本主義の弊害を是正する動きが多く見られた。

しかし20世紀においては、キリスト教は個人の貴重な避難所を提供することはできたが、社会全体を導くことはできず、反ってファシズムの本質を見誤り、それに親近感を持ち、ブルジョア資本主義・マルクス社会主義のみを否定しがちになる。

この「経済人」概念を中心とする旧秩序崩壊と新秩序不在の状況下、絶望した大衆が求めたのがファシズム全体主義。

本書ではファシズム特有の病的症状として、(1)積極的信条を持たず、他の信条への攻撃・排斥・否定を旨とする、(2)権力と組織の自己正当化・自己目的化、(3)仮の信条と公約の矛盾、不信にも関わらず、むしろそれゆえに絶望した大衆が支持を与えること、の三点を挙げている。

ファシズムは「英雄人」という人間規定を掲げるがその内容は空疎であり、もちろん真の社会の安定をもたらすことはできない。

著者はファシズムを支持する大衆を、夢幻と忘却を求める麻薬中毒患者に喩えている。

西側民主主義諸国は以上ファシズム台頭の真因を理解し、「経済人」を超えた理想を作り上げなければならない、といったことが書いてあるのか?

ざーっと読んで、あとはほとんど(特に後半部は)見返すことなく、おぼろげな記憶に頼って書いたので、変なことをメモしているかもしれません。

以上の記事はいつにも増して信用しないで下さい。

これも期待が大き過ぎて、読後感はあまり良くない。

同じドラッカー著なら、『傍観者の時代』の方がずっと面白かった。

特にはお勧めしません。

2011年6月18日

『世界史B 新訂版』 (実教出版)

Filed under: 教科書・年表・事典 — 万年初心者 @ 06:00

久しぶりに高校教科書の記事。

たまたま県庁所在地まで出かける用事があったので、ついでに教科書販売所に立ち寄り買いました。

奥付の執筆者を見ると、『フランス革命 歴史における劇薬』(岩波ジュニア新書)の著者である遅塚忠躬氏がまず目に付く。

あと松本宣郎氏は確かギボン『ローマ帝国衰亡史』(ちくま学芸文庫)の訳者あとがきで協力者として名前が挙げられていた人だったか?

全体的特徴を一言で言うと、詳しいです。

ものすごく。

太字(ゴチック体)になっている用語がやたら多い。

受験という観点からはいいでしょうが、やや消化不良気味になってしまうのではないかという懸念もある。

以下、例によってあれが太字だ、あれが太字じゃない、あれが載ってない、などということを適当に書き連ねます。

古代ギリシアのポリス、テーベがテーバイと表記されている。

エジプト中・新王国首都のテーベと区別するためか。

ただしアテネはアテナイとはなっていない。

シュリーマン、エヴァンズ、ヴェントリス、ローリンソンなど発掘者・解読者の名前も太字。

文化史では抒情詩のサッフォーだけでなく、アナクレオン、ピンダロスも太字。

ローマ史で、カエサルをユリウス・カエサルと氏族名を含めて太字。

451年カルケドン公会議で異端とされた単性説がエジプトのコプト派キリスト教徒の源流であると書いている。

背教者ユリアヌス帝が太字の教科書ははじめて見た。

インド史、マウリヤ朝首都パータリプトラ(現パトナ)は通常活字で、クシャーナ朝首都プルシャプラ(現ペシャーワル)が太字なのはなぜ?

東南アジア最初期の港市国家は「インド化した国家」で、林邑も「中国化」から「インド化」に方向転換し、国名もチャンパーにしたとの記述は面白く、注目に値する。

シャイレーンドラは国名ではなく王家の名であり、スマトラのシュリーヴィジャヤを支配したと書いてある。

それについて、7~8世紀にシュリーヴィジャヤからジャワに進出したという説と、8世紀にジャワからシュリーヴィジャヤに進出したという説を両方紹介している。

たとえ煩雑でも、こうしたことをしっかり述べてくれるのには好感。

北魏・唐の均田制と日本の班田制、および租庸調制の比較図が載っている。

史料集並みの詳しさだ。

同時期、門閥貴族による政界支配に関して、貴族の拒否権行使機関という門下省の役割を明記しているのは渋い。

近代以前のアフリカ、ラテンアメリカ、オセアニアが独立した章で扱われている。

アフリカをイスラム史、ラテンアメリカを大航海時代の章に押し込めるのは、やはりこれからは止めた方がいいでしょうね。

アッバース朝初代カリフ、アブー・アルアッバースは有るが、二代目のマンスールは無し。

ウマイヤ朝創始者のムアーウィヤは大抵の教科書に載っているのに、アッバース朝の両者があまり載っていないのは不思議。

後ウマイヤ朝がカール大帝治下のフランクと対決、フランクは778年イスラム教徒のサラゴサ侵攻を撃退したが9世紀初めバルセロナを奪われた、って細か過ぎますよ・・・・・。

そのイベリア半島にあり、ローマ・イェルサレムと並んで三大巡礼地とされたサンチャゴ・デ・コンポステラが載ってる。

サンチャゴ(サンティアゴ)というと「チリの首都?」としか思い浮かばない人が多いでしょうが、「聖ヤコブ」の意味で、もちろんこちらの方が先に付いたんでしょう。

第3回十字軍の独帝フリードリヒ1世が太字、1282年「シチリアの晩鐘」も。

実在論と唯名論の対立である普遍論争の説明が、わずか2、3行ながら極めてわかりやすい。

コロンブスが出港したパロスという地名を出し、到着したサンサルバドル島を太字にする意味はあるんでしょうか?

またマガリャンイスは慣用でマゼランだけでいいような気が・・・・・。

シーザー→カエサル、ジンギスカン→チンギス・ハンと違って、定着しないですよ、これは。

「近代世界システム」、「中核と周辺」という概念の説明があり、新大陸アメリカだけでなく、東欧も再版農奴制によって「周辺」となったが、ただしアジアは従来の貿易システムを19世紀まで維持したと書いてある。

こういうやや詳しい経済史の記述は良いと思います。

その16世紀以降の東南アジア交易圏にあった「南スラウェシのマカッサル」という国名が太字。

知らんなあ・・・・・。

ルターをかくまったザクセン選帝侯フリードリヒの名前を出すのはいいですが、太字にするのはどうかと・・・・・。

イグナティウス・ロヨラではなく、単にロヨラ。

イグナティウスはファーストネームだから他の人名と同じく省略しても可ということでしょうか?

主権国家の諸段階で、社団国家から国民国家への移行が書かれており、それはいいんですが、この変化が必ずしも肯定的なものでは無かったことを触れて頂けるともっと良かったと思うのですが、それは教科書に望みすぎか。

16世紀を大航海時代およびヨーロッパの膨張と特徴付け、それに対して17世紀は全般的危機の時代と定義。

初心者にとってはこうした大まかな傾向を提示してくれるのはわかりやすい。

フランス革命の意義という節で、社会的不平等を是正しようとする民主主義の理念が以後の世界に大きな影響をおよぼすことになったと認めつつも、社会各層の利害対立から反対派を暴力で排除しようとする恐怖政治が生まれ、それが20世紀のロシア革命でもくり返されたと書いているのは、いかにも遅塚氏らしい含蓄に富んだ叙述だと思いました。

1806年、プロイセンがナポレオンに大敗したイエナの戦いが太字。

これは前年のトラファルガーの海戦、アウステルリッツの戦いと同列に扱うということか。

英国の自由主義改革で、定番の史実の他、1833年ウィルバーフォースらの運動で英植民地での奴隷制が廃止されたことを記している。

1832年第1回選挙法改正でグレイ首相の名前を出すのなら、1846年穀物法廃止時のピール首相も載せて欲しかったところではある。

ドイツ帝国の「外見的立憲主義」に触れていますが、これはあまり断定的に書かないほうが宜しいのではないでしょうか?(ニッパーダイ『ドイツ史を考える』(山川出版社)参照)。

タイのラーマ5世(チュラロンコン大王)は通常活字ではなく太字でいいのでは?

壬午軍乱が太字じゃなく、甲申事変が太字なのは清水書院の教科書と逆ですね。

実質李朝最後の国王である高宗、この人昔は「李太王」なんて書かれてましたが、最近は全くこの表記を見なくなりましたね。

これは日韓併合後に日本が付けた名でしたっけ?

帝国主義時代の「公式帝国」と「非公式帝国」という区別を述べ、後者の例として英国の経済支配下にあったアルゼンチンを挙げている。

そんな用語、はじめて見ました。

1916年、第一次大戦中、アイルランドの対英イースター蜂起が有り。

こんな細かいのよく載せますね・・・・・。

スペイン人民戦線内閣首相のアサーニャが太字。

仏のブルムと違ってこれはやや?マークが付く。

第二次世界大戦の部分では、インド国民会議派の対英協力拒否の「インドを立ち去れ」運動と、アフリカでのケニア・アフリカ人同盟などの運動が載せられているのが目を引く。

戦後史、アフリカ独立の項、省略されがちな、北アフリカのリビア(1951年)、チュニジア・モロッコ・スーダン(56年)に触れている。

カストロだけでなくゲバラも太字。

ゲバラは載せるだけでいいんじゃ・・・・・。

ガーナのエンクルマはともかくギニアのセク・トゥーレが太字なのも同様。

ポルトガル体制変革に伴い、他のアフリカ諸国から大幅に遅れて独立した国として、よく挙げられるアンゴラ、モザンビークだけでなく、かなりマイナーなギニア・ビサウが太字で載せられている。

これも細かい。

それでいて80年独立のジンバブエ、90年ナミビアは普通活字なので、基準がやや不可解と感じる。

1989年就任の米大統領ブッシュの息子で、2001年就任大統領をブッシュJr.と表記。

この親子ねえ。

ファーストネームが同じ「ジョージ」なんですよ。

じゃあミドルネームで区別しようと思ったら、父親が「ハーバート・ウォーカー」で息子が「ウォーカー」ですって。

つまり、ジョージ・H・W・ブッシュとジョージ・W・ブッシュ。

ややこしいんだよ!!!

少し締まらない感じても本書のようにブッシュ・ジュニアと書いた方がいいか。

近現代史で君主以外の政治家が世襲した場合、(慣習的に姓名共に記述する中韓両国以外では)普通の名前に加えてファーストネームを憶える負担が加わるのが面倒ですね。

シリアを長年統治した大統領は「アサド」と憶えておけばよかったのが、今は父親がハフェズ・アサド、息子の現大統領がバッシャール・アサドと記憶しないといけない。

政権崩壊前、世襲が噂されていたエジプトのムバラク大統領ですが、息子が確か「ガマル」だったはずだが、肝心の父親のファーストネームって何だったか?(追記:外務省各国地域情勢で確認したらモハメッド・ホスニと書いてあった。)

エジプトで思い出したが、本書ではサダト大統領はなぜ太字でないのか理解に苦しむ。

エジプトを急進派諸国陣営から穏健派諸国陣営に移行させ、イスラエルと平和条約を結び、中東和平を大きく前進させた大政治家なのに。

ダライ・ラマ14世が太字。

これは、まあ最近よくニュースに出るから適切でしょう。

終わりです。

いつもの通り、全く脈絡無く、埒も無いことをあーだこーだと書きました。

とにかく詳しい。

歴史用語がぎっしり詰まっている。

個人的感覚では、山川の『詳説世界史』東京書籍教科書を上回る詳細さを感じた。

私はこういうタイプの教科書が好きだし、結構楽しめたが、苦手意識を持つ人が読むとアレルギーを起こすかも。

まあ、そういう感じの本です。

ただ、機会があれば手に取ってみるのも悪くないでしょう。

2011年6月14日

戦後昭和期についてのメモ その1

Filed under: おしらせ・雑記, 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

正村公宏『日本の近代と現代』(NTT出版)の記事続き。

戦後史の部分では、著者の本業からか、この手の概説にしてはやや詳しい経済史が記されている。

特に難しくないので、普通に読める。

著者は戦後日本の経済的成功を認めながら、その問題点を以下のように語る。

日常用語における「成長」(growth)は数量の増加だけを意味しない。ある人間について「成長した」という評価が語られるときは理解力・判断力・適応力・行動力・包容力などの総体が認識されている。「開発」あるいは「発展」(いずれも英語ではdevelopment)は個人についても社会についてもいっそう明確に総合的評価を含む言葉として使われている。しかし、ある国の経済活動の水準を示す指標として国内総生産または国民総生産の推計量が重視されるようになり、成長という言葉が狭く理解される傾向が強まった。組織のあり方や人的資源の蓄積が議論の背景に退き、社会の構造や生活の質の変化が議論されない傾向が強まった。

そして高度経済成長期が終わり、中成長時代に移行した70~80年代に、輸出産業の国際競争力強化と成長率維持を優先目標とする後発国型制度体系から脱却できず、社会保障制度整備・教育制度充実・環境保護・住宅建設などの施策とそのための公正な国民負担を問題提起できなかった政治の責任を厳しく指摘している。

こうした立場から、著者は80年代中曽根内閣による新保守主義的(新自由主義的)政策と行政改革路線に批判的態度を示している。

前回記事の最初に書いた同著者の『経済学の考え方』では、確かマルクス経済学に対する厳しい批判だけが印象に残っていただけで、著者がこういう立場の方だということは、不覚にも全く気付いていなかった。

また、近現代を通じる日本政治の問題点を以下のように指摘。

危機の時代に民主制を機能させるためには、国家および社会が直面している問題を読み解き、有効な制度と政策を構想し、改革の必要を説いて国民の多数を獲得しようと努力する政治主体の存在が不可欠である。しかし、現代においてはマス・デモクラシーのポピュリズム(populism)とマス・コミュニケーションのセンセーショナリズム(sensationalism)の相乗作用が民主制の機能不全を強めている。ポピュリズムは政治家が国民の目先の関心に迎合して票を集めようとする動きであり、センセーショナリズムは各種のマス・メディアが意図的に人々の関心をあおることによって新聞の発行部数やテレビの視聴率を引き上げようとする動きである。

ポピュリズムとセンセーショナリズムの破壊作用は、日本の近代の不完全な民主制のもとでも顕著であり、国民を破滅的戦争へと導く重要な要因になった。それは、現代においても、外交政策と経済政策と社会政策の選択をめぐる建設的議論の組織を致命的に阻害している。

加えて、経済体制をめぐる以下の意見、特に赤文字で引用した部分には衷心から同意したい。

1990年前後の世界史の諸事件を「社会主義に対する資本主義の勝利」と考えるのも軽率である。敗北が確定したのは社会主義のひとつの分流であるコミュニズムというイデオロギーである。民主制のもとでの漸進的改革を追求したヨーロッパの社会主義(民主的社会主義/社会民主主義)の勢力は重要な成果を記録した。現代の多くの先進国の政府は、自由民主主義と社会民主主義、政治的民主主義と経済的民主主義の組み合わせを、追求するようになっている。

両体制の対立のいちおうの終結によって確定したのは、古典的な資本主義(資本家が支配する体制)の優越ではなく、多かれ少なかれ社会民主主義の諸制度を組み込むことによってつくりかえられた混合型の社会経済体制の優越である。混合(mix)という言葉は曖昧に響くが、20世紀の深刻な歴史的経験は、混合型の経済体制こそが社会が直面するさまざまな問題を最小の犠牲と費用によって解決する道筋を用意する可能性をもつことを証明している。・・・・・・

特定の単一の原理にもとづいて社会のすべての問題を解決することができるという原理主義的思考(イデオロギーになりやすい思考)から脱却しなければならない。社会生活のすべての側面を市場にまかせる原理主義も、社会生活のすべての側面を国家の指令によって処理する原理主義も、社会を破滅させる。原理主義的思考を避け、個々の問題ごとに、原因究明と状況理解のための周到な努力を積み重ね、民主制のもとで議論を尽して合意形成をはかる必要がある。

やたら広い叙述範囲を一冊にまとめた概説の割には、はっきりした特色があって良い。

その史観については隔靴掻痒の感が否めない部分もあるが、重要な指摘も含まれていると思う。

これなら十分初心者に勧められます。

2011年6月9日

正村公宏 『日本の近代と現代  歴史をどう読むか』 (NTT出版)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

この方の著作では、かなり前『経済学の考え方』(講談社学術文庫)を通読済み。

本書は幕末・明治維新から現在までを330ページほどにまとめた日本近現代通史。

こういう本は細かな具体的史実を知ることは出来ず、史的解釈の面でも毒にも薬にもならない凡庸な教科書的通史になりがちであるが、本書は一応著者による独自の解釈が加えられた、メッセージ性を含んだ、特色あるものとなっている。

明治から終戦までの「近代」において、日本が近代化と国家の独立維持に成功しながら、領土と勢力圏の野放図な拡大を志向するようになり、遂に敗戦に終わったのはなぜか、また終戦から現在に至る「現代」において、驚異的な経済成長を遂げながら、まもなく経済の不均衡と社会の危機という様相を呈するようになったのはなぜか、という二つの問題を設定し、それを常に念頭において記述されている。

その考察においては、左右の極論を避けた冷静な議論がなされているとは思うが、しかしどうも民主制に対する根本的懐疑には欠けているのではないかと感じる部分も少なからずあった。

とは言え、読み進めていくと、所々示唆に富む文章に出会う。

以下、ポイントとなる文章の引用と感想。

近代の日本の政治においては、誰が最終的に国家の針路を決定しているのか、誰が最終的に責任を負っているのかが、不明確であった。拡張された選挙権も、広く普及するようになった新聞やラジオも、国家の暴走を抑止する方向に機能せず、かえって国民を戦争に動員する方向に機能した。選挙権の拡大は、マス・コミュニケーションのセンセーショナリズムを増幅させ、強硬な対外政策を唱える人間の言動を刺激した。

多くの新聞は、慎重で周到な外交路線の模索を「軟弱外交」と呼んで攻撃し、強硬な対外政策の選択に向けて国民を扇動した。議会の有力政党は、ほかの政党に対抗して政権を奪取するために有効であると判断される場合には、国家主義者や軍部と同調する道を選んだ。

民権の拡張は必ずしも統治の有効性を高めない。国民の多数が内外の課題について的確な理解をもたない場合、広い範囲の国民に選挙権を与えることは、近隣諸国に対する干渉や領土の拡大を目指す戦争に国民を動員するナショナリズムの影響力を強め、国際情勢の冷静な分析にもとづいて慎重な対外政策の必要を説く勢力を孤立させる可能性がある。

著者のこのような認識は非常に透徹したもので大いに頷けるものがあるが、それにも関わらず著者は民主制の進展は将来の大きな方向性としては間違っていないという考えのようで、それは全編に一貫している。

そこが私の考え方と大いに異なる点であった。

近代以降、民主化と平等化がほとんど不可避であり、押し止めることのできる可能性は間違いなく万に一つも無いだろうが、それが望ましいとは思わないし、それを諸手を挙げて歓迎して能天気に構えているとまた20世紀前半のような破局を招き寄せる気がしてならない(ただし著者には上記のような懐疑的視点も大いにあるが)。

しかしたとえ民主的価値観を前提にするとしても、例えば大臣の呼称は「臣」の字があるから好ましくないというような、単純左翼じみたことをおっしゃる必要は無いんじゃないでしょうかと言いたくなる。

1889年憲法には「内閣」という言葉も「総理大臣」という言葉も出てこない。「国務大臣はいつでも衆議院と貴族院議院に出席して発言することができる」「国務大臣は天皇を輔弼する」という規定はあるが、国務大臣を任命する手順についての規定はない。「天皇が文武官を任免する」という一般的規定にもとづいて処理されることが想定されている。・・・・・・11月29日の帝国議会の開会とともに憲法が施行され、12月24日に山県有朋内閣が発足し、新しい内閣官制が公布された。各大臣の単独輔弼が強調され、内閣を統括する首相の権限が弱められた。政府の責任の所在を不明確にするこの規定は、近代の日本の政府の機能不全のひとつの要因になった。

大日本帝国憲法の欠陥としては、統帥権の独立を別格にすれば、天皇主権や国民の権利制限よりも、上記の通り、首相の権限が明確に記されておらず、それが一般の法律において弱い形で規定されていたことこそが致命的だったと思える(伊藤博文についてのメモ その1参照)。

本書くらいの厚さの概説書で、以上のことをしっかり指摘しているのは珍しい。

また、統帥権について。

皇帝または国王が統帥権や外交権をもっている制度も特異なものではなかった。例外はイギリスであった。イギリスでも1860年代までは議院内閣制の政府が軍に対する統帥権をもっていなかった。1850年代のクリミア戦争を契機にこの制度の欠陥が指摘され、自由党のグラッドストン内閣が1872年に統帥権を陸軍大臣(国会議員のなかから首相が任命する文民)に帰属させた。この改革に対してヴィクトリア女王は激怒したといわれている。

こういう重要事実は君塚直隆『ヴィクトリア女王』(中公新書)などでも読んだ覚えが無い(忘れてるだけかも)。

議院内閣制と文民統制があたかも「自動的に」と言いたいくらい、順調に発展してきた印象のあるイギリスだが、やはり時には軋轢の生じる改革を一歩一歩積み重ねることによってそうした体制が生れたのであり、その上に現在に至る王室の安泰と社会の安定があるんだなと実感。

こうした事項を詳しく叙述した史書が欲しいものです。

やや細かい具体的記述では、政党史を少しメモ。

1881年板垣退助結成の自由党が84年にもう解党、86年大同団結運動、87年三大事件(地租軽減・言論集会の自由・対等条約締結)建白運動を経て、90年第1回総選挙後、愛国公党(板垣ら)、再興自由党(大井憲太郎・85年大阪事件で検挙された人物)、大同倶楽部(河野広中)、九州同志会が合同して立憲自由党結成、これが翌91年「立憲」がとれて自由党になる(だから「立憲自由党」は90~91年に存在しただけ)。

それ以前の自由党系政党史を述べると、1873年征韓論政変、74年愛国公党、74年立志社(土佐)、75年愛国社(大阪)、80年国会期成同盟、81年(明治十四年の政変と同年)自由党結成。

大隈重信らの改進党系は、明治十四年政変の翌年82年に立憲改進党(これは元から「立憲」が付く)、84年大隈脱党、91年復党(大隈は、この脱党期間、88~89年外相として入閣、条約改正交渉を行なっている)96年進歩党に改称、そしてこの進歩党と自由党が合併して98年憲政党結成、同年隈板内閣成立という流れになる。

次にいきなり、先の大戦にまで飛んで、以下の文章。

自由と民主主義の擁護と普及はアメリカ政府に関してさえ戦争目的のひとつの側面にすぎなかった。20世紀のアメリカ政府が諸強国による中国の実質的な分割支配につながる勢力圏拡大競争を牽制して「門戸開放・機会均等」を主張しつづけ、日本の中国侵略に厳しい態度を示した重要な動機のひとつは、アメリカ人の世界における活動舞台の維持と拡張という国益の追求であった。イギリスの場合は海外の植民地の維持が重要な意味をもっていた。

本書では、「遅れてきた帝国主義国」日本が、脱植民地の潮流が強まった20世紀前半に、その流れを理解できず露骨な帝国主義的拡張政策を採ったことを厳しく批判しているが、同時にこういう戦勝国側の問題点も忘れずに指摘している所は大変良いと思う。

この本でも結局複数記事を書くことになってしまいました。

更新停止まであとわずかのこの時期に、別に記事数稼ぎをしているつもりはないんですが、思ったよりメモしたい部分が多かったので。

戦後史の部分は続きます。

(追記:続きはこちら→戦後昭和期についてのメモ その1

2011年6月3日

ジャレド・ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄  一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎  下』 (草思社)

Filed under: アジア — 万年初心者 @ 06:00

上巻記事の続き。

この下巻は、第3部、文字と技術の発明と伝播、および集権的社会への発展の章より。

後者については、その発展を小規模血縁集団(バンド)→部族社会(トライブ)→首長社会(チーフダム)→国家(ステイト)の四段階に分類。

第4部に入り、個々の地域別の考察。

まずオーストラリアとニューギニア、中国文明圏があり、続いて太平洋地域とオーストロネシア人の拡散について。

ここで語族を中心にメモ。

オーストロネシア語族は、教科書では括弧してマレー・ポリネシア語族と書いてあり、マレー語・インドネシア語・タガログ(フィリピン)語・マオリ語・タヒチ語などが属するとされている。

しかし本書によると、オーストロネシア語族は四つのサブグループに分かれ、マレー・ポリネシア語族はその中の一つに過ぎない。

なぜ教科書が厳密に言えば不正確とも言い得るような書き方をしているのかというと、残り三つのオーストロネシア語は台湾先住民の中にしか残っていないから。

著者はオーストロネシア語族の祖先は元々中国南部におり、それが台湾に渡ってのち、さらに海を渡った一派が驚くほど広範囲に移住したと推定している。

マレー・ポリネシア語族は東南アジアで、ニューギニア高地人などを除く先住民を駆逐・同化し太平洋を東進しポリネシアの島々に広がると共に、一部は西に向かい、遥か遠くマダガスカル島まで達している。

ここでついでに、ユーラシア東部の語族の復習。

最大グループはもちろんシナ・チベット語族。

名前通りの中国語・チベット語に加えて、タイ語・ミャンマー語も含まれることをチェック。

続いて、さっき出たオーストロネシア語族。

上記の通り、東南アジア島嶼部と太平洋の島々に居住している。

次によく似た名前のオーストロアジア(南アジア)語族。

ここにはヴェトナム語・クメール(カンボジア)語、モン語が含まれる。

東南アジアの国々は、その宗教・旧宗主国・政治体制などを中学・高校の社会科授業で憶えさせられてすっかりお馴染みですが、語族は盲点ですね。

島嶼部はオーストロネシア、大陸部西部はシナ・チベット、大陸部東部インドシナ半島はオーストロアジア、ただしラオスはタイ語に近く、シナ・チベット語族ということになる(上東輝夫『ラオスの歴史』参照)。

三つの語族が混在していることに注意。

なお、宗教についてはマレーシア・インドネシアがイスラム、ミャンマー・タイ・カンボジアが上座部仏教、フィリピンがキリスト教なんかは比較的憶えやすいが、ヴェトナムは確か大乗仏教だったはず。

南伝仏教がカンボジアまでは広まったが、中国の影響の強いヴェトナムは大乗、とイメージしておくか。

話を戻すと、残りはアルタイ語族。

トルコ・モンゴル・ツングースと北方遊牧民族の言葉。

場合によっては韓国語・日本語も入るという説もあるが、これははっきりしない。

次に、過去1万3000年で最も劇的な人口入れ替えであった、コロンブス到達以後の、新旧両大陸世界の遭遇についてもう一度述べている。

次がアフリカ。

「アフリカはいかにして黒人の世界になったか」と題されている。

アフリカの人種分布を述べると、北部は白人(これはアラブ系など)、サハラ以南に黒人、中央アフリカにピグミー族、その南にまた黒人、最南部にコイサン族がいて、東に浮かぶマダガスカル島には黒人とインドネシアから来たマレー・ポリネシア系の混血が在住。

語族については、中央公論「世界の歴史24」『アフリカの民族と社会』でもメモしたが、もう一度復習。

教科書では一括してアフリカ諸語と書かれているだけだが、それを分類。

まずアフロ・アジア語族が北部に広く分布。

これは普通セム・ハム語族と呼ばれている。

シュメールに続いて登場するアッカドがまず属し、以後バビロニア(アムル人・カルデア人)、アッシリアなどが続き、今ではアラブ人とユダヤ人の言葉なので、セム語族=中東・西アジアというイメージがあるが、しかし本書によると正確にはアフロ・アジア語族がまず北アフリカで成立、セム・ハム語族はそこから生れた6つの分派のうちの一つでアフリカから西アジアに広がったとしている。

(ハム語族は古代エジプト語。)

セム・ハム以外のアフロ・アジア語は上記リンク先によればベルベル語群とアムハラ(エチオピア)語などか。

そのアフロ・アジア語の海の中にナイル・サハラ語族(マサイ語・サヌリ語など)が残されている。

西アフリカ以南の黒人世界にニジェール・コンゴ語族が分布。

その中で最も大きなサブカテゴリがバンツー(バントゥー)語。

このバンツー語を話す黒人農耕民がピグミー族とコイサン族を駆逐して広範囲に移住、アフリカの多くを黒人世界にした。

コイサン語族は最南部に逃れ、ピグミー族は独自言語を失いバンツー語を話すようになる。

なお、高校世界史でも触れられるスワヒリ語は、バンツー語がアラビア語の影響を受けて成立したもの。

アフリカ諸語→ニジェール・コンゴ語族→バンツー語→スワヒリ語という四段階のカテゴリがあることを大体でも頭に入れておく。

マダガスカルでは移住者由来のオーストロネシア語が使用されている。

最後にエピローグ。

ユーラシア大陸内部でヨーロッパが占めた優位の説明。

古くから食料生産が始まり、ヨーロッパに先行していた地域のうち、西アジアの肥沃三日月地帯は森林伐採・土壌浸食・灌漑農業による地表塩化など(産業革命前の)環境破壊により衰退、中国は政治的統一が強固過ぎて新技術の放棄が政治レベルの決断で容易になされたことが理由として挙げられている。

ユーラシアの各文明圏で地理的結びつきの強いのは中国→欧州→インドの順だが、結局中程度の結合を保ち、近隣諸国が切磋琢磨して社会の発展を導いたヨーロッパが優位を占めることになったと述べている。

そこそこ面白く、読むのに難儀することもないが、目から鱗が落ちたという感じでもない。

損をしたとは思わないが、読む手間に比べて得られた面白さはさほど大きくもない。

主要な論旨は上巻で言い尽くされているので、下巻がややたるい。

まあ普通じゃないですか。

上巻の記事で興味を持たれた方は図書館で借りて下さい。

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