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2011年3月6日

正義論についてのメモ

Filed under: おしらせ・雑記, 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)の記事続き。

第9章、道徳と責任について。

まず道徳的個人主義の考え方。

これは、習慣・伝統・受け継がれた地位でなく、一人ひとりの自由な選択がわれわれを拘束する唯一の道徳的責務であるとする立場。

カントの自律的意志、ロールズの無知のベールに覆われた仮説的同意の双方とも、この道徳的個人主義に基づき、独自の目的や愛着から独立し、自己の役割・アイデンティティを考慮しない個人を前提としている。

そこには愛国心・同胞愛・家族愛など、われわれが本能的に尊重すべきであると考える価値が入る余地は無い。

実際には、自己は社会的歴史的役割や立場から切り離せず、目的論的特性を帯びた物語の中で自分の役割を見出す存在だと、著者は主張する。

ここで著者は道徳的責任の三つのカテゴリーを提示。

1.自然的義務:普遍的 合意を必要としない

2.自発的責務:個別的 合意を必要とする

3.連帯の責務:個別的 合意を必要としない

1は殺人の禁止など、最も原初的な義務。

2は契約に基くもので、平等志向のリベラル派はしばしばこの段階に留まる傾向がある。

3は物語的説明から生れるもので、著者の大いに強調する部分。

第10章、「正義と共通善」、全体のまとめとして、以下の文章を引用。

この探求の旅を通じて、われわれは正義に対する三つの考え方を探ってきた。第一の考え方では、正義は功利性や福利を最大限にすること――最大多数の最大幸福――を意味する。第二の考え方では、正義は選択の自由の尊重を意味する――自由市場で人びとが行なう現実の選択(リバタリアンの見解)であれ、平等な原初状態において人びとが行なうはずの仮説的選択(リベラルな平等主義者の見解)であれ。第三の考え方では、正義には美徳を涵養することと共通善について判断することが含まれる。もうおわかりだと思うが、私が支持する見解は第三の考え方に属している。その理由を説明してみたい。

功利主義的な考え方には欠点が二つある。一つ目は、正義と権利を原理ではなく計算の対象としていることだ。二つ目は、人間のあらゆる善をたった一つの統一した価値基準に当てはめ、平らにならして、個々の質的な違いを考慮しないことだ。自由に基づく理論は一つ目の問題を解決するが、二つ目の問題は解決しない。そうした理論は権利を真剣に受け止め、正義は単なる計算以上のものだと強く主張する。自由に基づく諸理論は、どの権利が功利主義的考慮に勝るかという点では一致しないものの、ある特定の権利が基盤となり、尊重されるべきだという点では一致する。だが、尊重に値する権利を選び出すことはせず、人びとの嗜好をあるがままに受け入れる。われわれが社会生活に持ち込む嗜好や欲求について、疑問や異議を差し挟むよう求めることはない。自由に基づくそうした理論によれば、われわれの追求する目的の道徳的価値も、われわれが送る生活の意味や意義も、われわれが共有する共通の生の質や特性も、すべては正義の領域を越えたところにあるのだ。

私には、これは間違っていると思える。公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保証したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。

面白い。

明快な論旨の流れに引き込まれる思いがする。

本書の正義観も、結局個人主義に基礎を置いているという評も読んだことがあるし、いかにもアメリカ的だなあと興醒めする部分もないではないが、それでもリバタリアンの御託宣を聞かされるより、何十倍もマシである。

ただ、訳者による解説・あとがきの類が一切無いのは残念。

それが唯一の欠点か。

とは言え、読んで損はありません。

お勧めします。

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