万年初心者のための世界史ブックガイド

2011年2月21日

湾岸産油国についてのメモ その1

Filed under: おしらせ・雑記, イスラム・中東 — 万年初心者 @ 06:00

松尾昌樹『湾岸産油国』(講談社選書メチエ)の記事続き。

第2章の具体的国家形成の叙述より。

まずオマーンから。

この地域ではウマイヤ朝崩壊期の749年以来、イバード派による国家が断続的に存続してきた。

18世紀半ばに現王朝ブー・サイード朝が成立。

この王朝でイマームに就任したのは初代のみ、以後は世俗有力者として統治。

18世紀末以降、イギリス東インド会社および英領インド政府と密接な関係を持つ。

現UAEの湾岸地域では諸勢力が海上交易権をめぐって抗争を繰り広げる。

イギリスはこれら勢力を「海賊」と規定し攻撃、19世紀前半に数度の「休戦条約」を強要したため現状固定化の効果を持つ。

結局19世紀後半に現UAEとバーレーンの首長勢力は実質イギリスの保護国となる。

このため湾岸への勢力拡大の道を閉ざされたオマーンのブー・サイード朝はザンジバルなどに進出し、東アフリカ海上帝国を建設することになる。

(そのことは以前三省堂の世界史教科書の記事でちょっと触れてますね。ただ時期が「19世紀初頭」と書いているが・・・・・・。よくわからん。)

以後オマーンでは継承争いと内乱が続き、衰退、20世紀初めにはここも実質英保護国に。

17世紀半ば、アラビア半島中央部ナジュド地方からアラブ人の一派ウトゥブ族が移動を開始し、カタール・バーレーンを経由してクウェートへ移住。

18世紀後半までにサバーハ家がクウェート支配を確立。

他のウトゥブ族の一部はカタールへ再移住。

1783年カタールのウトゥブ族のうちハリーファ家がペルシアから(年代から判断するとサファヴィー朝の後のアフシャール朝か?カージャール朝は1796年成立。)バーレーンを奪取。

しかし1780年代末からサウード・ワッハーブ王国の攻撃を受け、ハリーファ家はカタールを放棄し、征服したバーレーンへ避難。

カタールではサウード王国、オスマン帝国、復帰を目論むハリーファ家のせめぎ合いの中からサーニー家が台頭。

なお、上記サウード・ワッハーブ王国は1744年頃建国し、1818年エジプトのムハンマド・アリーによって一時滅亡、1823年再建されるが1889年再度滅亡、イブン・サウードが1902年リヤドを奪回して再々建国、1924年ヒジャーズ王国(「フサイン・マクマホン協定」のフサインが1916年建てた国)を滅ぼして、一語加えたヒジャーズ・ネジド王国を建設、それが1932年サウジアラビア王国に改称という流れでしたね。

18世紀末からサウード朝の脅威を受けたクウェートのサバーハ家は19世紀後半オスマン帝国を支配者として承認し自家の実質統治権を得るが、19世紀末には親オスマン政策から親英政策に転換、1899年英保護国化。

カタールのサーニー家もハリーファ家復帰を阻止するため当初はオスマン帝国に頼ったが、これも英国に乗り換え、1913年オスマンは領有権を放棄し英保護国に。

第二次世界大戦後、石油生産が本格化。

まず1961年クウェートが独立。

1968年イギリスがスエズ以東からの撤退を声明。

1967年第3次中東戦争でのイスラエルの圧倒的勝利によってアラブ民族主義の勢いに陰りが見えており、それが急進的民族主義勢力による体制転覆を恐れる湾岸君主国にとっては幸いした。

1971年にバーレーン、カタール、UAE、オマーンが独立。

第2章の歴史的経緯のおさらいをするだけでこれだけかかった。

長過ぎるので、以後の章はかなり端折ります。

本書副題にもある「レンティア国家仮説」とは、外生的で非稼得性の高い収入(レント収入)が国内経済に密接に関係しない形で直接政府に流入することで租税収入に依存しないレンティア国家が成立し、そこにおける国民はアメリカ独立運動の標語をもじって言えば「課税なくして代表なし」という状態に置かれ、それが湾岸諸国において経済発展が民主化に結びつかない状況を説明するというもの。

我々の一般的イメージからすると、こういう国家には当然あまりいい印象を持たないが、著者の視点はあくまで中立的。

次に「王朝君主制」。

これは通常の君主制とは区別された概念。

君主が単独で統治するのではなく、支配家系が君主と一体になり、内閣の要職、特に首相・内務相・防衛相など「主権の諸省」を占めて統治する形態のこと。

これは支配家系内部で交渉によるポストの配分を行うことにより内部紛争を抑止し、外部からの脅威には団結して対抗する分、強靭な体質を持っている。

中東に過去存在したが現在は崩壊したエジプト・イラク・リビア・イラン・アフガンの君主制と湾岸産油国の王朝君主制が対比して検討されている。

現在、中東の反政府運動の波に湾岸諸国も洗われているわけですが、果たしてどうなるか・・・・・・?

「国民統合」について言えば、君主と国民の間には、石油・天然ガスによるレント収入だけでなく、「国史」や文化がやり取りされ、それが既存の体制維持に貢献している。

著者は各国の公定の「国史」について、その恣意性を指摘しつつも、それが一方的強制や意志に反した服従であるとは断定できないと慎重な留保を付け加えている。

「エスノクラシー」、多数の外国人労働者が在留しているが、自国民とは極めて大きな賃金格差があり、両者間の交流もほとんど無く、同化も全くありえない状態。

当然予想されるように外国人労働者の権利が侵害される例がしばしば伝えられる。

各国政府は自国民をまず公的部門で雇用し、民間部門では高い待遇で雇用されるよう「自国民プレミアム」を適用している。

この章での著者の筆致は他の章と比べてもやや厳しく感じられる。

しかし外国人労働者の数が極めて多い分、その置かれた状況にも大きな差があり、外国人労働者の生活をあまりに悲惨一辺倒で描くことは誤解を招くかもしれないと、註で記している。

また少子高齢化が進む日本で人口を維持するため大規模な移民を受け入れた場合、湾岸産油国のように労働人口の半分が外国人で占められるような事態が起こり得るというデータを示して、その時日本人は外国人と対等の立場を受け入れるだろうか、それとも「自国民プレミアム」を要求しないであろうか、と問いかけている。

こういうふうに、批判的観点は維持しつつも、一方的な論難や糾弾になっていないところは、本書の大きな長所だと思います。

最後の一章が残ってますね。

引用したい少し長めの文章があるので、また次回に続きます。

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