万年初心者のための世界史ブックガイド

2011年2月5日

ルイ16世についてのメモ その5

Filed under: おしらせ・雑記, フランス — 万年初心者 @ 06:00

その4に続き、ベルナール・ヴァンサン『ルイ16世』(祥伝社)より。

ルイ16世は革命の動乱の中で翻弄され、結局不幸な最期を迎えることとなる。

本書では1789年10月の「ヴェルサイユ行進」について以下のように記されている。

この事件は、卑しいデマゴーグに煽られたパリの下劣な気狂い女どもが集団でヴェルサイユに押し寄せ、王妃マリー・アントワネットを殺害しようとし(未遂)、多数の衛兵を虐殺した上、国王一家をパリに強制的に連行したもの。

民衆の暴動が勝利を収めたのは、動き始めた歴史の歯車の力と勢いによるものだったのは間違いないだろうが、道徳の原理原則にあくまで忠実なルイ16世が手段を選ばない秩序の回復、すなわち民衆に発砲してでも王政を救うことを望まなかったからでもある。性格の弱さもしくは自身の名誉のために、臣民の血を流すことを拒否したのだ。この強硬手段拒否の代償をやがて自分の血で支払うことになろうとは、実に残酷な運命である。

こういう記述を読むと、「陛下、いくら何でも人が善すぎますよ・・・・・・」と言いたくなる。

狂った民衆にいくら譲歩しても、図に乗ってますます理不尽な要求を突き付けてくるだけ。

畜生以下の存在に成り下がった奴らに理解できる言葉は、剣と銃弾だけです。

この後起ったことを考えれば、思い切った強硬措置と正面突破の弾圧を試みていれば、ルイ16世と王室のみならず、フランス国民全体にとっても、現実より遥かにマシな展開になっていたのではないかと思えてならない。

しかしルイ16世はそうした手段に出るにはあまりに穏健で善良過ぎた。

89年7月のバスティーユ襲撃、10月のヴェルサイユ行進、92年の8月10日事件と、エスカレートする一方の民衆による暴力には、明らかに以下のような心理的メカニズムが働いている。

群衆の現わす感情は、よかれ悪しかれ、極めて単純でしかも極めて誇張的であるという、二重の性質を示す。この点についても、他の多くの点についてと同じく、群衆中の個人は原始人に似ている。微妙な差違を解し得ず、物事を大まかに見て、推移の過程を知らない。感情は、暗示と感染とによって非常に早く伝播し、それが一般の賛成を得ると、著しくその力を増大するのであるが、群衆における感情の誇張は、この事実によっていよいよ強められる。

群衆の感情が単純で、誇張的であることが、群衆に疑惑や不確実の念を抱かせないのである。それは、ただちに極端から極端へ走る。疑いも口に出されると、それがたちまち異論の余地ない明白な事実に化してしまうのである。反感や不服の念がきざしても、単独の個人の場合ならばさして強くはならないであろうが、群衆中の個人にあっては、それは、たちまちはげしい憎悪となるのである。

群衆の強烈な感情は、特に、異なった分子から成る異質の群衆において、責任観念を欠いているために、さらに極端となる。罰をまぬかれるという確信、群衆が多人数になればなるほど強まるこの確信、また多数のために生ずる一時的ではあるが強大な力の観念、それらが、単独の個人の場合にはあり得ない感情や行為をも、集団には可能ならしめるのである。群衆のなかにいれば、愚か者も無学者もねたみ深い人間も、おのれの無能無力の感じを脱し、その感じにとってかわるのが、一時的ではあるが絶大な暴力の観念なのである。

群衆における誇張癖は、不幸にもしばしば悪質の感情にも及ぶことがある。この悪質の感情は、原始人の本能の遺物であって、単独の、責任観念を持つ個人ならば、罰を恐れるがゆえに、これを抑制せざるを得ないのである。こうして、群衆が最も悪質の過激行為に走りやすい理由も説明される。

ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』

より一般的に言って、君主や貴族や宗教など民衆を罰するものが消滅し、民衆のやることならどんな醜悪で残忍なことでも正当化される、近代というろくでもない時代が始まり、その最初の犠牲者がルイ16世とマリー・アントワネットだったと思える。

あるいは次のような観点から見てもよい。

民主政において、多数者市民は少数者に対して最も残酷な抑圧を加えることができます。激しい分裂がその種の国家組織内に遍く拡がる時は、(実際縷々そうならざるを得ないのですが)、何時でもそうなのです。

そして、少数者に対するその抑圧は、たった一本の王笏の支配からおよそ懸念され得る殆ど如何なる抑圧よりも遥かに多くの人々に及び、しかも遥かに激烈に行使されるのです。こうした民衆による迫害の下では、個々の受難者は、他の如何なる場合よりも何層倍も悲惨な境遇に置かれます。一人の暴虐な君主の下では、彼らには傷の痛みを和らげてくれる人類の心安まる同情があります。苦しみの下にあっても、その高邁な堅忍不抜を鼓舞する人々の喝采があります。ところが多数者の下で悪に苦しむ人々は、あらゆる外からの慰めを剥奪されるのです。人間種属全体の陰謀に打ちひしがれ、彼らは人類から見捨てられた如くに見えるのです。

エドマンド・バーク『フランス革命の省察』

啓蒙思想と言論の自由が広まるにつれ、上記多数者による抑圧はまず王室に加えられた。

国王と王妃の苦しみを、冷酷かつ卑劣極まりない心性で「見世物」としか受け取らなかった民衆は、制御不能となった「多数の暴政」に飲み込まれ、自らが現世地獄の悲惨を味わうこととなる。

そして、現在一見正常に思える民主主義国家でも、その内情は以下のような次第である。

アメリカほど一般に、自主独立の精神と真の言論の自由(が支配すること)の少ない国を私は知らない。・・・・・・アメリカでは、多数が思想にきびしい枠をはめている。その範囲内では、文筆にたずさわるものは自由であるが、あえてそれからはずれようとすると災難である。火あぶりの刑の恐れはないが、あらゆる種類の不快と、日々の迫害の的となる。政界での活躍の途は封じられる。それを開きうる唯一の権威を傷つけたからである。名声にいたるまで、すべてのものが拒まれる。その意見を公表するまでは味方がいると信じていたのに、すべての前に自己を明らかにしたいまでは、もはや味方はいないかに見える。非難する人々の声は高く、見解を同じくする人々は、それを公表する勇気に欠け、沈黙して遠ざかるからである。彼は譲歩し、そしてついには日々の営みに身を屈し、あたかも真理を語ったのを悔いるかのように、沈黙にかえる。

鉄鎖と死刑執行人、これが往時の圧制の粗野な用具であった。(君主)専制に、もはや何も学ぶ必要がないかに見えていたのであるが、今日では文明によって専制までが完璧になった。君主は、暴力を、いわば物理的に(使用)した。(これに対し)今日の民主的共和政は、みずからが抑制したいと思う人間の意思が理知的になるのとひとしく、暴力を知能的にした。個人の絶対支配、すなわち、専制は、人の魂にまで立ち入るために、肉体にはげしい打撃を加えた。魂はその打撃を逃れて、肉体を超えて輝かしく高揚した。しかし、民主的共和政では、圧制の過程はこれと全く違う。肉体を措いて、直接、魂に向かう。主人は「私と同じに考えろ。でなければ殺されるよ」とはもういわない。「おまえが私と同じ考えでないのは自由だ。生命にも、財産にも、すべてに異状は生じない。しかし、私に楯ついたその日から、おまえは異邦人だ。市民としての特権が依然としてあるが、そんなものは無用になる。選挙において同胞の支持を求めても、誰もおまえを支持はすまい。自分を認めてくれるだけでよいといっても、同胞は口実をもうけて拒むだろう。おまえは社会には住むが、人としての権利を失うであろう。仲間に近づこうとしても、仲間は何かけがらわしいものかのようにおまえを避けるだろう。無実を信じる人々でさえ、おまえを見捨てるだろう。さもないと、今度は自分が忌避されるから。安心して行け。おまえの命はとらぬが、その日々は死よりも辛いことだろう」という。

絶対君主政は専制を不名誉にした。民主的共和政がそれを復権させ、少数の人々にはこれを重い負担とする一方、大多数の眼にはその忌むべき堕落の様相をおおいかくす。そんなことにならぬよう注意しよう。

トクヴィル『アメリカにおけるデモクラシー』

すべての人間が平等であるということが無条件的に真理とされ、それに対して疑いを持つことすらタブーとなるような状況では、その平等な人間の多数派が支持するものは絶対視されるに至る。

卑劣・矮小・醜悪な煽動者が印象操作と大衆迎合によって作り上げた「民意」が、自由で平等で合理的な市民全体の意志であると僭称し、絶対的支配権を要求する。

社会の下層に位置する、精神的な(つまり言葉の真の意味での)賎民を操るデマゴーグがほとんど無敵の存在となり、既存の支配層を押し退け、過去のどんな権威主義的政治も及ばないほどの独裁的権力を握る。

上記のようなことは、この時期のフランスだけでなく、どの時代のどの国にでも起こり得るし、結局長期的に見れば、自由主義と民主主義はどこまでも肥大化した挙句、自己崩壊しその反対物をもたらす滅びの道なんでしょう(ナチについてのメモ その5)。

そんなことは人類史上初の民主主義の実験であるアテネの惨状を見たプラトン『国家』)がすでに見抜いていたことですが、そうした知見は全く引き継がれず近代の200余年が過ぎ去ったわけです(引用文(西部邁6))。

フランス革命というのは、歴史的大事件である分、本当にいろいろな教訓を与えてくれるもんだとつくづく思います。

やっぱり終わりませんでしたね。

次こそは終わります。

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