万年初心者のための世界史ブックガイド

2011年2月2日

ルイ16世についてのメモ その3

Filed under: おしらせ・雑記, フランス — 万年初心者 @ 06:00

その2に続き、ベルナール・ヴァンサン『ルイ16世』(祥伝社)より。

パリ条約と同年1783年、カロンヌが財務総監就任。

このカロンヌについては、脚注で(後世で言う)「ケインズ主義的」景気刺激策の主張者というようなことが書いてある。

その通り、モンゴリフェール(普通日本語訳のカタカナ表記は「モンゴルフィエ」か)兄弟の気球実験への援助やシェルブールの港湾施設整備などのプロジェクトを推進。

だが、やはり財政危機は放置できず、租税負担平等化、穀物流通自由化、土地所有者が選挙権を持つ議会創設などの本格的改革に向かう。

87年高等法院に対抗する意図で、政府が三身分から選出した名士会議招集。

しかしここでも特権層がまたも団結して抵抗、カロンヌは罷免、後任のブリエンヌにも強硬に反対、前述の国王自身が高等法院に出席することで勅令登録を強要する親臨法廷の効力すら否定する有様。

国王はパリ高等法院を追放するが、世論の反対でその撤回を余儀なくされる。

この時も、民衆は特権層の王権に対する反抗に拍手喝采し、カロンヌ・ブリエンヌ・王妃を憎悪の的にしてその肖像画を燃やして騒ぎ立てたというのだから、本当に頭がどうかしてますよ。

隠された意図を秘めたデマゴーグに煽られるままに、自分たちの利害と全く相反する政策を王政に強要したわけである。

それでいて、この少し後に三部会の票決方法で特権層と袂を分かつと、今度はいかなる調停も受け入れず、ただひたすら暴力で社会を転覆することに熱狂することになる。

どんな時代の、どんな国でも、「世論」なんてそんなもんです。

1788年、革命勃発前年、ルイ14世によるナントの勅令廃止(フォンテーヌブロー勅令)を撤回、プロテスタントに法的身分と私生活上における信仰の自由を認める。

本書ではその他にも、ユダヤ人解放の検討、拷問廃止など、ルイ16世の開明政策の例が多数挙げられている。

高等法院の権限を司法に限定する方針が立てられるが、当然これにも反発。

また新税は三部会の専権事項だとの主張が行われ、翌年の三部会招集が決定。

ブリエンヌが辞職、ネッケルが復帰。

ここで身分ごとの審議と身分ごとの投票か、一人一票の投票かの論争が起り、結論を見ないまま第三身分代議員の倍増だけが決まる。

もうこの時点で、各地で暴動が起こり騒然とした世相のまま1789年を迎える。

この時期ルイ16世は以下のように述懐している。

臣民の血を流し、対抗し、内戦を引き起こすには残忍な心が必要である。・・・・・あらゆる思いが余の心を引き裂いた。事を首尾よく運ぶために私が必要としたのは、皇帝ネロの心とカリグラ帝の魂であった。

しかし当然、ルイ16世はネロとカリグラの道は採らず、わが身の破滅を堪え忍ぶ道を選ぶことになる。

今日も短いですけど、ちょうど大革命直前まで行きましたんで、これまで。

さすがに長すぎるんで、革命期の描写は少しまとめます。

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