万年初心者のための世界史ブックガイド

2011年1月18日

2011年センター試験について

Filed under: おしらせ・雑記 — 万年初心者 @ 06:00

毎年恒例、先日行われた大学入試センター試験・世界史Bの問題を翌日の新聞で見て、解いてみた感想です。

しかし、当日は寒かったですねえ。

北日本在住で一応寒さには慣れてる私でもこたえました。

受験生の方は大変でしたね。

さて、今年の出来は・・・・・・。

やっぱり、一問間違えました。

それも一番最後の問題で。

畜生・・・・・・。

途中までは、「おっ、今年は満点か」と思っていたのが、最後の最後でこれですから。

悔しさ倍増。

第4問の問9、南インドの歴史を問う問題。

「a 14世紀、ヴィジャヤナガル王国が成立した。」と、「b 17世紀、マドラスがイギリス東インド会社の拠点となった。」という文章の正誤の組み合わせを答える。

正解はa、bどちらとも正しい。

ところが私はa、bどちらも誤りという選択肢を選んでしまった。

二重の間違いという恥晒し。

ヴィジャヤナガル王国は、滅亡はムガル盛期だけど、確かムガル朝に直接滅ぼされたわけじゃなかったんだよな(中公全集『ムガル帝国から英領インドへ』)、建国はいつだったっけ?、ムガル朝成立の16世紀に入ってからかな、などと考えていて、見事に間違う。

存続年代は1336年~1649年だから問題文の通り。

教科書には「3世紀にわたってヒンドゥー文化の伝統をまもり続けた」と書いてある。

16世紀成立と想定すると、ムガル帝国盛期の滅亡なら100年ちょっとしか続いていないことになってやや不自然だと判断すべきでした。

bの問題文も正しい。

浜渦哲雄『イギリス東インド会社』の記事で、ちゃんと「1640年マドラスに要塞建設」と書いてあるじゃないですか・・・・・・。

18世紀半ばでクライヴとデュプレクスの英仏抗争、1757年がプラッシーの戦い、よってその時点でカルカッタ・ボンベイ・マドラスの三大拠点が確立していたことは間違いない、しかし17世紀中ではどうか、英東インド会社設立が1600年だし、そこからすぐにインドに拠点を持てるかなあ、アウラングゼーブの死が18世紀初頭だし、その後にマドラスも獲得したと考えるのが自然か、などと類推して大間違い。

この時点では領土支配と植民地化の先触れというより、(明代の1557年にマカオ居住を許可されたポルトガルのように)単に通商拠点を持っただけということでしょうが、英のスーラト・カルカッタ・ボンベイ・マドラス、仏のシャンデルナゴル・ポンディシェリ獲得は、ジャハンギール、シャー・ジャハーン、アウラングゼーブなどムガル帝国盛期の皇帝たちの治世に行なわれていると、上記リンク先記事でメモしている。

完全に頭から抜け落ちてました。

これは、高校生にはちょっと難しいんじゃないですかね。

あと、もう一つ、間違えかけた問題がありまして、第2問の問8。

上記と同じく二つの文章の正誤判定組み合わせ。

「a 宋代に、衛所という地方小都市が発展した。」

「b 明代に、郷紳と呼ばれる地方有力者が成長した。」

正解はa=誤、b=正。

まずaは、宋代の地方小都市って、少なくとも衛所じゃないよな、「草なんとか」と「ちん」だったんじゃないかと考えて何とかクリア。

(「衛所制」は明の洪武帝が設立した兵農一致の兵制。)

正しくは「鎮」と「市」。

地方の小規模な交易所が「草市(そうし)」と呼ばれ、そこから鎮・市に発展したものも多かったということ。

教科書にもちゃんと載ってますが、苦手なんですよ、こういうの。

bの「郷紳」も割とよく聞いた憶えのある用語だが、「明代に」と限定されると迷う。

教科書には明清の社会についての項で、在郷の科挙合格者や官僚経験者の総称として名前が出ている。

私はかなりあやふやで、宋代の支配層で名の出るのは士大夫とか読書人だよなあ、じゃあ郷紳は明代でいいか、くらいの頼りない根拠で何とか正解を出す。

毎回思うことですが、ちょっと真剣にやってみると、自分の弱点が分かり、知識の補強ができます。

難関大の入試問題には到底手が出ませんが、センター試験をほぼ満点取れるくらいの知識はこれからも出来るだけ維持していきたいと思っています。

追記:

暇だったので、ついでに日本史Bの問題もやってみました。

たぶんポロポロ取りこぼすだろうなと思っていたら、意外なことに、こちらも一問間違えただけで済んだ。

第4問の問5、江戸時代の人材育成に関する正誤判定問題、「人材育成のために閑谷学校など郷学が設けられたが、庶民の入学は許されなかった。」という文章。

正解は「誤」。

私はよく考えず、庶民の教育機関というと私塾と寺子屋だろうと判断して間違えた。

ここは、藩学(藩校)と郷学(郷校)を区別して、後者には庶民の入学が許可されることもあったことを問う問題(ですよね? たぶん・・・・・。違ってたら御免なさい)。

他は特に引っ掛かった問題は無かった。

ここ2、3年、近代日本史についてはかなり読み込んできたので、近現代史の第5問と第6問は非常に易しく感じた。

前近代史も、突っ込んだ複雑な知識が要求される問いは少なく、簡単な消去法で対応できるものが多数を占める。

例えば上記の関連で言うと、個々の藩学として、秋田の明徳館やら米沢の興譲館やら萩の明倫館やら熊本の時習館やら薩摩の造士館やらを区別させる問題が出たら、完全にお手上げだったが、そこまでのレベルを要求する問いは、少なくとも今年の試験では無かった。

古代から明治初期辺りまでの日本史知識が穴だらけなのを自覚しているので、石川晶康『NEW石川日本史B講義の実況中継』(語学春秋社)のような受験参考書を再読しようかと考えてるくらいなのですが、それでもこれだけ得点できた。

私は「世界史より日本史の方が楽だ」という考え方が理解できないと度々書いてきましたが、難関大クラスでなく、センター試験レベルならば、上記の考えもある程度妥当なのかなという気がしてきました。

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