万年初心者のための世界史ブックガイド

2011年1月2日

ナチについてのメモ その7

Filed under: おしらせ・雑記, ドイツ — 万年初心者 @ 06:00

明けましておめでとうございます。

今年一発目は、その6に続き、グイド・クノップ『ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月』より。

SA(突撃隊)の党上層部への批判が不穏な空気を醸し出す中、1934年6月、副首相パーペンが体制批判的な演説を行い、外相ノイラート、財務相シュヴェーリン・フォン・クロージクと共に辞表を提出。

演説は、顧問のエトガー・ユングが執筆したもの。

聴衆は目を見開いて、この反ナチの狼煙になったかもしれない演説に耳を傾けた。連立パートナーである保守派がヒトラーの党に苛立っていたことのすべてが、ここには述べられていた。「政治が宗教的領域に干渉するなら、その対象となった人々は、反自然的な無制限の権力支配に対して、宗教的理由から拒否せざるを得ない」・・・・・「ドイツ国民は暴力と不正に敏感である。偽りの美化によって欺こうとする無様な試みを嗤う。声高なプロパガンダであっても、それだけで長期的に信頼を維持することはできない」・・・・・かつてヒトラーの首相任命にあたって保守派は不名誉な役割を演じたが、副首相はその事実をなかったことにしたいかのようだった。当時、ゲーテの描く「魔法使いの弟子」のように、パーペンは暗黒の力を御することができると思い込んでいた。今、おそらく彼にはわかったのだろう。実はヒトラーこそが魔法使いの師匠であり、鉄の箒でもって舞台から敵を一掃するつもりであったのだ、と。

パーペンに対して当然ながら峻厳な評価を下している、ゴーロ・マン『近代ドイツ史』でも、この演説についてだけは誉めている。

即座にゲッベルスが報道管制を敷き、ヒトラーがいつもの通り、冷静さと余裕を装った、嘲笑と侮蔑に満ちた反論を吐いたが、事態は予想以上に流動的。

ヒンデンブルクと国軍もSAの暴状に不満を募らせていることが伝えられる。

ここで、大統領・保守派・軍部の連携が実現し、戒厳令布告、ナチ政権排除、権威主義的軍事政権樹立となっていれば、ドイツも世界も救われたはずなのだが、残念至極にもそうした展開にはならなかった。

ヒトラーはSA粛清の態度に決し、それを条件に大統領と軍を宥め、保守派勢力を孤立化させ排除するという手段にでる。

6月30日、レームらSA幹部を電撃的に逮捕、処刑。

同時にナチ体制への潜在的反対者をも抹殺する。

まず、上記エトガー・ユングが殺害、パーペンはあやうく死を免れる。

ナチ党の元反ヒトラー派グレゴール・シュトラッサー、かつてミュンヘン一揆を鎮圧したバイエルンの右翼政治家カール、前首相で軍の実力者だったシュライヒャー将軍も抹殺された。

宣伝組織は、ナチ体制の芳しからぬ事象の罪をすべてSAに被せ、SA粛清があたかもヒトラーが「穏健化」した証拠であるかのような錯覚をヒンデンブルクと軍、そして一般国民に植え付けることに成功する。

実際には、トカゲのしっぽ切りそのもので、自らの卑劣・野蛮・醜悪な意志を忠実に実行していた手先を、冷酷無残に切り捨てただけに過ぎないのに。

正規軍に取って代わる野望を抱いていたSAが排除されたことで、国家の唯一の実力組織の地位を維持したことに満足し、シュライヒャーの殺害すら受け入れた、国防相ブロムベルク、陸軍統帥部長官フリッチュ、ライヘナウらの軍主流派はあまりにも愚かだった。

国軍の独立性など現実には存在せず、SAに替わり、ヒトラーに絶対的忠誠を誓うSS(親衛隊・長官ヒムラー)が台頭、国家のナチ化は取り返しのつかない地点にまで進む。

34年8月大統領ヒンデンブルク死去、ヒトラーは「首相兼総統」として全権を握り、それが国民投票で承認される。

(高校時代、「総統」が大統領と首相の権限を併せた職名だと説明されていた気がしましたが、本書では大統領は故ヒンデンブルクの称号として残し、自らは首相兼総統と呼んでほしいというヒトラーの言明が載せられていますから、総統というのはナチ党党首の称号に過ぎないのか?)

この国民投票では、なお一割の反対票があったことが記録されているが、適切な代表制を通じて選ばれ、確固とした特権に守られた議員による議会での自由かつ穏当な議論が無い国家での人民投票など、独裁のカモフラージュと正当化に使われるだけである。

まだ自由な反対者が存在する余地があるかのような誤解を国内外で与える恐れがある分、より悪いとすら言える。

1938年にはノイラート、ブロムベルクがナチの陰謀であるスキャンダル工作によって解任され、この年から「平時のナチズム」は終わり、ヒトラーはかねてからの戦争政策を推し進めることとなる。

ようやく終わりました。

通読していくと、いやーな汗が出てきたり、恐ろしくなって思わずページを閉じ、沈思黙考してしまう箇所が、あまりに多い本でした。

まるで寄生虫的エイリアンが人間の体内に侵入し、外見上何も起っていないかのように見えるうちに、内臓を次々貪った末、ついには腹を食い破って出てくるかのような歴史である。

「昔は言論の自由が制限され民主化も不十分で、社会の中に君主制や貴族制の残滓である前近代的・非民主的な要素が多かったせいでファシズムが生まれたけれども、今は民衆が主権者となり民主主義が完全に定着したから、もうあんなことは起りえないですね、目出度し目出度し」という物語に安住することが、どれほど愚かで危険なことかを思い知らされる。

率直に言って、こうした事態は現在の民主主義国でも、いや民主主義国だからこそいつ繰り返されてもおかしくないと思います。

本書も実に読みやすく、面白い。

しかし本文の外に枠で囲って置かれている同時代人や登場人物の親族の証言が通読にあたって邪魔に感じる。

写真が多いせいもあり、本文は結構速く読み進められるのに、それでペースを乱される感がある。

それ以外は短所はほとんどありません。

関連書としては、まず何と言っても林健太郎『ワイマル共和国』

気付けば初版刊行後、半世紀近くにもなる本で、一部古い箇所も見受けられるんでしょうが、しかしこの本の初心者向け物語的史書としての完成度は本当にすごいです。

初めて読み終えた時の感動と充実感は今も決して忘れられません。

同じく、セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』も絶対のお勧め。

この二つは、このブログで取り上げた全ての本の中で、ベスト30はもちろん、ベスト10にも入ります。

それらを読んだ後、本書に取り組めば、得るものが多いと思います。

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