万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年12月31日

ナチについてのメモ その6

Filed under: おしらせ・雑記, ドイツ — 万年初心者 @ 06:00

その5に続き、グイド・クノップ『ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月』(中央公論新社)より。

1933年1月の首相就任後、ヒトラーは当面最も警戒すべき軍部を軍備拡張の約束で懐柔、すでに自然回復の兆しをみせていた経済情勢もプロパガンダに利用。

2月国会議事堂放火事件。

本書ではこの事件自体はナチの陰謀ではなく、やはりアナーキスト的傾向を持つオランダ人共産党員リュッベの単独犯だとしている。

もちろんこれをナチが自らの独裁確立のため最大限に利用したことも事実であり、「国民と国家の防衛のために」と題した緊急令発布。

報道・言論・集会の自由は失効し、司法手続抜きの「保護拘禁」が容認される。

3月「ポツダムの日」、歴代プロイセン王墓前での国会開会式典と宗派別祭典が行われる。

大統領ヒンデンブルクに対するヒトラーのうやうやしいお辞儀に象徴される、ナチの口先だけの伝統擁護の姿勢にほとんど全国民が騙された。

実のところポツダムの大芝居は、まさに保守派による例のヒトラー飼い馴らし計画を実演したもののように見えた。ヒンデンブルクがヒトラーの「任用責任」を引き受けたのも、根底にはこの計画があったからだ。ヒトラーがプロイセンの伝統に表面的には膝を屈したことにより、彼は旧来の保守主義の網にかかったかに見えた。愛国主義的なドイツ・ブルジョワが安堵の息をつくのがはっきり聞こえた。お涙頂戴の芝居は「国民覚醒」に伴うありとあらゆる醜悪な現象を隠蔽してしまった。

ヒトラーは自己の本質的な邪悪さを隠し、保守派に自らを誤魔化し現状を追認する余地を与えて、陰で舌を出していたことだろう。

その直後、国会に全権委任法提出。

政府に立法権と憲法改正権を与え、法令の認証・告知の権限を大統領から首相に移し、外交権も政府にのみ属するとする、途方もない法案。

四年間の時限立法で、効力は「現行政府のみ」との条件がついているが、もちろん反対派への気休めと目くらましでしかない。

連立パートナーのパーペンとフーゲンベルクは弱々しい異議を発するが、大統領のヒンデンブルクはヒトラーを伝統的国家の守護者と誤認し、もはや放任する決意だった。

採決の鍵を握る中央党では、元首相ブリューニングが反対を唱えるが、党首カース司教は屈服。

クロル・オペラ劇場で開かれた国会では、周囲をナチSA(突撃隊)、SS(親衛隊)が包囲、議員たちにありとあらゆる罵声と脅迫を浴びせ、一部の社会民主党議員は道すがら逮捕される。

国会でヒトラーは、大統領と教会の不可侵を約束し、中産階級と農民の救済による民族共同体再建を唱えると同時に、不吉な暴力的脅しを述べる。

議場内にもSA・SSのならず者が溢れかえり、議員に誹謗中傷を浴びせ脅迫する。

議員の独立性も何もあったものではない。

たとえどんなに不満があっても、議員・裁判官・官僚などに対する集団的攻撃や脅迫は、党派に関わらず、絶対に許してはならないし、もしそれを許したなら本当に取り返しのつかない事態が起こるということを深く実感させられる記述であった。

野次と罵声の中、社会民主党党首オットー・ヴェルスが勇敢かつ崇高な反対演説を行うが、ヒトラーは嘲笑と揚げ足取りと脅迫的言辞に満ちた反駁で応じる。

全権委任法がついに可決。

何十世代にもわたる諸身分の努力と試行錯誤が生み出した財産である法治国家が、ゴミクズ以下の大衆とその代理人によって、一瞬で破滅させられた。

勝利を得たナチは早速反ユダヤ主義的行動を爆発させる。

当初その醜悪な行為に困惑した国民も、大々的なプロパガンダによる同調圧力で徐々に正気を失っていく。

物質的欲望以外の価値観を持たない人間が、初歩的な煽動にすらどれほど弱いかを思い知らされる。

古い世代の信仰やタブーを迷信として嘲笑っていた新しい世代が、伝統的宗教より遥かに醜悪で愚劣な狂信に対して呆れるほど弱い抵抗力しか持たないという例がここでも見られる。

5月労働組合を弾圧、社会民主党禁止、7月には中央党なども解散、ヒトラーは一党国家を宣言。

これまで首相就任からわずか半年である。

驚くほど迅速に独裁体制を固めたナチスだが、その内部から反抗者が出る。

レーム指揮下のSAはナチの社会主義的・平等主義的傾向を強く代表する組織であり、この政権獲得期における既存エリート・保守層・軍部との妥協に批判的。

SAを軍事組織に格上げすることを狙うレームは国防軍と対立、33年10月の国際連盟脱退を経て、34年に入ってからも徐々にナチ体制内の不協和音が高まっていく。

まだ終わらないんで、本日はここまで。

同じ本についての複数記事の途中で年が変わるのがやや気持ち悪いですが、やむを得ずそうします。

今年も2、3日に一度の更新ペースを守れました。

(ただし、引用文に頼り過ぎだというのは、重々自覚してます。)

これまでの総記事数が950です(追記:更新のおしらせ等を削除したので現時点では違います)。

もし来年このペースが続いても、記事数1000まで行ったら、一度更新を止めると思います。

それまでに断念する可能性も大いにありますが、宜しければたまに覗いて下さい。

それでは皆様、よいお年を。

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