万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年12月28日

ナチについてのメモ その5

Filed under: おしらせ・雑記, ドイツ — 万年初心者 @ 06:00

グイド・クノップ『ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月』(中央公論新社)記事続き。

首相のシュライヒャー将軍は、ナチ党内の反ヒトラー派であるグレゴール・シュトラッサーと接触。

シュライヒャーは寝首をかくような陰謀でブリューニング内閣を倒し、権威主義体制樹立を目論み、当初ヒトラーを利用しようとナチに接近したのも事実だが、この段階では明確にヒトラーの政権獲得を阻止しようとしていた。

著者も、議会制を根底から破壊する勢力であるナチが政権の入口にまで迫っている以上、この時点での憲法停止と緊急事態令布告は現実的な選択肢の一つだと認めているようである。

しかし、寵臣のパーペンに動かされた大統領のヒンデンブルクはシュライヒャーの提案を拒否。

シュトラッサーを利用したナチ党分裂工作も完全に失敗。

一方、軍のもう一人の実力者ブロムベルクはナチへの宥和的態度を強める。

ナチは前年11月の総選挙敗北を帳消しにするため、小州の地方選挙運動や街頭での示威活動・暴力行為を活発化させ、それを当時の最新メディアであるラジオに乗せて発信、依然ナチズムが「未来の波」であるというイメージを作り上げ、世論に対して同調圧力をかけ続ける。

ついに1933年1月30日、ヒンデンブルクがヒトラーを首相に任命することとなる。

プロイセンの伝統的軍人であり、かつてはヒトラーをオーストリア生れの粗野な成り上がり者と嫌っていたヒンデンブルクがこの挙に出たのは、高齢で気力の衰えた大統領がパーペンや息子のオスカー、大統領官房長官マイスナーなどの側近たちに説得されたからだというのがこれまでの定説。

それに対して本書では、ヒンデンブルクは依然独自の判断力を維持し、ヒトラーに国家の刷新を期待するという積極的評価を自ら下したからだと主張されている。

ヒトラー内閣において、首相のヒトラーの他のナチ閣僚は、内相のフリック、無任所相のゲーリングの二人のみ。

副首相にパーペン、国防相はブロムベルク、外相はノイラート、財務相シュヴェーリン・フォン・クロージク、経済相フーゲンベルク、労働相ゼルテ(国家人民党と友好関係にある右翼団体「鉄兜団」創設者)と多くの閣僚が保守派に属する。

ちなみに上記鉄兜団の指導者にデュスターベルクという人物がいるが、こういう右翼的立場の人物も、祖父がユダヤ系だったという理由でナチによって個人攻撃と誹謗中傷の対象になっていたというのだから、ナチの下劣さも底無しである。

政権獲得直前の交渉では、デュスターベルクと相対したヒトラーは、自分がやらせておいて、誹謗中傷は本意ではなかったと、白々しい弁明をしている。

表面上、パーペンが主張したようにナチが保守派によってたがをはめられ、封じ込められたようにも見えたが、これは恐ろしいまでの誤算だった(フーゲンベルクのみはかなり初期の段階でこのヒトラーとの取り引きの危険性に気付いているかのような記述だが、すべては遅過ぎた)。

ここで問題は、無任所相ゲーリングが同時にプロイセン州内相にも任命されたこと。

パーペン内閣時代、全国の五分の三の面積を占めるプロイセンの地方自治が廃止され、中央政府の直轄になったのは前回記事で書いた通り。

つまり内相フリックの権限と合わせ、軍が中立的・傍観者的立場を採った場合、それに次ぐ実力機構の警察が完全にナチの影響下に入るということになってしまった。

以後、SA(突撃隊)などのナチ組織が警察の後ろ盾を得て、反対派にあらゆる暴行を加えることになる。

伝統的保守派が、卑怯・愚昧・粗暴・野卑・低俗・驕慢・無恥・貪欲・残忍・冷酷・下劣・狂信、その他一切の人間悪の塊である極右的大衆運動を、左翼勢力に対抗するための協力者として自陣に迎え入れたとき、ドイツの運命は決した。

ヒンデンブルクもパーペンもフーゲンベルクもブロムベルクも、そしてナチのプロパガンダに協力していたという廃帝ヴィルヘルム2世の子アウグスト・ヴィルヘルム公も、保守派に属するすべての人々が致命的な思い違いをしていた。

ナチの極右的民族主義が、共産党などの左翼勢力と共に、所詮大衆民主主義という全く同じ幹から派生した二つの醜い枝に過ぎないことに気付かなかった。

彼らの表面上のナショナリズムが自己懐疑と自己抑制、そのための規範意識を一切持たない、「動物的」排外主義でしかないことがわからなかった。

極右的民族主義者の中に、あらゆる伝統的価値に対する嘲笑、既存の指導層に対する獰猛な不服従、それとは完全に対照的な自党派の指導者に対するグロテスクなまでの盲従、物質的利益以外に対する全くの無関心、一切の責任観念の拒否、その裏返しとしての醜悪で卑劣な他罰主義、内的倫理観の完全な欠如があることが見えなかった。

伝統の替わりに群衆心理を国の基礎に据え、適切な代表制を通じて選ばれた、真の意味で優れた少数者による責任ある統治を、賤しい暴民とそれを背後から操るデマゴーグの支配に替えることが、国家にどれほど恐ろしい破局をもたらすかを悟らなかった。

なお、以下の文章には蒙を啓かれた思いがした。

「ヒンデンブルクは保守派の利益を代表する者ではありませんでした」と、伝記著者のヴォルフラム・ピュータは断言する。「彼は厳密な意味で自分をプロイセン保守派だと思っていませんでした。彼が究極的に目指したのは国民の統合でした。この計画に背く人たちが排除されても、彼はそれを仕方がないと考えました」。

社会の階層性という大前提を捨て、平等主義的ナショナリズムという保守派にとっての劇薬を、愚かにも飲み干してしまったのかと思う。

社会の平等化が進み、成員の原子化が進行すればするほど、大衆煽動によって社会のバランスが崩れ、一党派が独裁的権力を振るう危険性が高まる(レーデラー『大衆の国家』コーンハウザー『大衆社会の政治』)。

無制限の言論の自由が認められれば、単純・浅薄・皮相かつ最も粗野で邪悪で狂信的な意見が常に勝利を占める傾向となる(ル・ボン『群衆心理』ガブリエル・タルド『世論と群集』)。

そうした集団はそもそも過半数を得る必要も無い。

なぜなら原子化し孤立した個人しかいない大衆社会では、狂信的で邪悪な集団に一定数の支持者さえいれば、そうした集団には個人では誰も対抗できない。

民衆を超える権威が不在であれば、民衆の多数派、あるいは擬似多数派を止めるものは何も無く、多数の暴政への歯止めは原理的に存在しなくなる(トクヴィル『アメリカにおけるデモクラシー』)。

よって民衆の中で特に愚かで下劣な層を煽動で動かす能力をもったデマゴーグは、たとえそれがどれほど卑劣・軽佻・矮小・醜悪な人物であっても、いやそうだからこそ、異様なまでの力を持つことになる。

そして不幸にして最悪の場合、この時期のドイツのように、醜悪な大衆組織が社会の下層から雪ダルマ式に膨張して遂には国家を乗っ取ることも可能となる。

だから君主制や貴族制などの非民主的制度や、様々な既得権で結ばれた中間団体、超越的価値を志向することにより現世の多数派が強要する価値観を相対化してくれる伝統宗教を、意図的に保存することが極めて重要なのだが、もちろんそんな知恵を持った民衆は絶無に等しい。

民衆は、つねに最も単純な、最も稚拙な、最も原始的な種類の公正さしか、つまりまわりくどいことなどいわずに、すべての人に同じものをあたえてくれる公正さしか、公正な制度であるとはおもわない。しかも、その原始的な公正を絶対的な公正であると思いこんでいるために、貴族主義的な法律にたいしては、なんでもかでも情熱的に反対するのが道徳的であると考えるこの情熱たるや、いかなる法秩序も完全ではありえないという意識をもつ者にはとうてい考えることもできないほど猛烈なものであって、おかげで、結局は民衆が勝利をおさめることになる。(トーマス・マン『非政治的人間の考察』

個人の自由と独立性、平等性が極限まで尊重された結果、事態は反転し、以下のような逆説的仕儀に立ち至る。

民主主義の陥りがちな多数者の専制という事態も、その元を辿っていくと、自然権に表わされるような人間の絶対視に行き着く。個々人が社会的な意見形成の究極の主体だとされ、しかもその個人が自己完結した不動の存在だとみなされれば、意見の決着には数を恃むよりほかなくなる。より良き見解に至ろうとすれば、相手を説得しようとするだけでなく、秀れた意見には説得される用意ができていなくてはならない。説得に応じるということは、自分より秀れた人間がいることを率直に認めることである。ところが、自足した人間には、これが不可能である。その結果、議論や討論は力と力の闘争に変じてしまう。数が力となり、勢い、人々は数を恃まざるをえなくなる。多数決は無限に長い意見形成過程に暫定的に終止符を打つための次善の策にすぎないのに、次第にそれは自己目的と化す。多いことは善いことだと考えられるようになるこうして「本来、民主主義の理想はすべての恣意的な権力を防止することを意図したものであるのに、新しい恣意的権力を正当化するものになってしまう」(『自由の条件』)のである。(間宮陽介『ケインズとハイエク』

そして次のような言葉は誰の耳にも届かない。

フランスの悲しい運命を 偉い人たちはとくと考えてほしい

だが それをもっとよく考えねばならないのは下々の者たちだ

偉い人たちは滅んだ―しかし民衆を民衆の手から

守るのは誰だ? フランスでは民衆が民衆の上に専制を布いた

(『ヴェネツィアのエピグラム(格言詩)』)

坂井栄八郎『ゲーテとその時代』

あらゆる時代のあらゆる国で同じような事態が進行し、「民衆が民衆の上に専制を布」き続け、悲惨な事例が繰り返し繰り返し生れるが、何が問題なのか民衆はその片鱗も理解できず、再び似たような行為を繰り返す、というのが1789年以降の世界史の基本線となる。

これだけ書いて、やっとヒトラー政権成立時までですか。

まだ続きます。

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