万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年12月8日

アテネについてのメモ

Filed under: おしらせ・雑記, ギリシア — 万年初心者 @ 06:00

澤田典子『アテネ民主政』(講談社選書メチエ)の記事続き。

前431~前404年というペロポネソス戦争の年代はとにかく無条件で暗記するしかない。

開戦当初、ペリクレスはアテネ城壁内と長城で繋がれたピラエウス港に全住民が籠城し持久する一方、優勢な海軍でスパルタ勢力圏を攻撃するという作戦を実行するが、前430年に疫病が発生、多数の死者を出した上、前429年にはペリクレスも倒れ死去。

以後のアテネ政局は最低最悪のデマゴーグである好戦派クレオンと穏健中正な和平派ニキアスが対峙する情勢となる。

本書ではトゥキュディデスの記すクレオンへの悪評は必ずしも公平ではない可能性があるとも書かれているが、個人的には何と言ってもこの人物への嫌悪と軽蔑は到底拭えない。

民主主義に必然的に巣食うダニとでも言うか、とにかく唾棄すべき人物という印象しかない。

無思慮で卑劣で、優れた人々を誹謗中傷するのを事とし、ただ民衆の低劣な欲求に媚び、威勢がいいことだけが取り柄のこの人物がたまたまペロポネソス半島南西部ピュロスでの攻防戦で、アテネの名将デモステネス(有名な弁論家・政治家と同名異人)と協力してかその功績を奪ってかはわからないが、たまたま勝利を収める。

馬鹿が調子に乗って、続けてトラキア方面アンフィポリスへ遠征するが、スパルタの名将ブラシダスと激突し、両者とも戦死。

トゥキュディデスを読んでいて、この部分では手を叩きたくなりましたよ。

クレオンがうまい具合に死んでくれたので、開戦からちょうど十年目の前421年ニキアス主導でアテネ・スパルタ間の和平条約が結ばれる(「ニキアスの和」)。

ここで冷静さを取り戻していればアテネも救われたかもしれないのですが、やがて若手の人気政治家アルキビアデスが再び過激な好戦論を主張し、それに煽られた民衆が戦争再開に向かう。

このアルキビアデスはソクラテスに愛された弟子ですが、実際の行動は滅茶苦茶で、本当にひどい弟子もあったもんです。

「人民政治の時代における荒淫、傲慢、圧制の権化」(クセノフォン『ソクラテスの思い出』一巻二章)という言葉が本書で紹介されているが、その通りとしか言い様がない。

前415~413年大軍をもってシチリア遠征が行われるが、主唱者のアルキビアデスは罪を得てあろうことか敵国スパルタに逃亡、指揮を執ったニキアスは不幸にして利あらず遠征軍もろとも現地で死亡。

もうこの辺からアテネはガタガタです。

以後スパルタも追われたアルキビアデスがアテネに復帰して一時戦況を盛り返したりもしましたが、結局前404年アテネは完敗、アルキビアデスは暗殺。

戦後スパルタの後押しで「三〇人僭主」と言われる寡頭政権が樹立されるが、これが恐怖政治を敷いた末、打倒され民主政が復活。

前399年ソクラテスが刑死してますが、これは「三〇人僭主」の主導者がソクラテスの弟子だったことで、その報復行為の可能性があるそうです。

別の本ではソクラテスはむしろ「三〇人僭主」の暴政を批判していたと書かれているのを読んだ記憶があるが、民主政再興後、逆恨みで裁判にかけられたらしい。

なお、また重箱の隅をつつくような話で恐縮ですが、『世界史年代ワンフレーズnew』で「前399年ソクラテス自殺」とあって、確かに逃亡できたのに自ら毒を仰いだのだから自殺でいいのかもしれませんが、国法に従って刑を受けたという意味ではやはり刑死とすべきではないかと・・・・・。

田中美知太郎氏が「自殺」と書いた研究者に驚いて注意を促したというような文章を以前読んだ記憶があるものですから・・・・・。

閑話休題。

寡頭政権打倒にあたって最も大きな役割を果したのはトラシュブロス。

「民主政の復興者」というと非常に良いイメージがあるし、私も以前トゥキュディデスの末尾にちょっとだけ名前が出てきた時そう思っていたが、本書ではやや気になる記述が。

アテネ敗北直前、前406年にアルギヌサイ海戦という戦いがあったが、そこでアテネ海軍は勝利したものの嵐により海に落ちた生存者の救助と戦死者の遺体回収ができなかった。

不可抗力にも関わらず、それに激昂した民衆が軍を指揮したストラテゴスたちを裁判にかけ無残に処刑。

処刑された中にはペリクレスの同名の息子小ペリクレスも含まれる。

アテネ民主政が衆愚政に転落していたことを表す最も有名な事例の一つとして知られ、ソクラテスも当時民衆を批判し諫めたが、このアルギヌサイ裁判の告発人の一人がトラシュブロスだったという。

実際の裁判中のトラシュブロスの役割は不明とも書かれているが、正直かなりイメージダウンではある。

ペロポネソス戦争末期にスパルタを支援したペルシアが、戦後はアテネ・テーベ・コリント・アルゴスの反スパルタ同盟を後押しし、前395年コリント戦争勃発。

紆余曲折の末、ペルシアが再び親スパルタ政策に戻り、前386年「大王の和約」で戦争終結、ギリシアにおけるスパルタの優位が継続。

この時期アテネではトラシュブロスの他、コノンらが活躍。

379年テーベがアテネと同盟、スパルタに反旗を翻す。

377年デロス同盟に続くという意味でそう呼ばれる「第2次アテネ海上同盟」樹立。

アテネ政界の主役はイフィクラテス、カリストラトス、カブリアス、ティモテオスら。

これらの人物をめぐる政治グループの離合集散が記されているが、さすがに面倒なので省略。

以後エパミノンダス、ペロピダスの優れた指導者二人を擁するテーベが台頭するのは教科書通り。

371年レウクトラの戦い、テーベがスパルタに圧勝、これをみてアテネは反テーベ陣営に鞍替え。

364年ペロピダス死去、362年マンティネイアの戦いでテーベがアテネ・スパルタ連合軍に勝利するが、エパミノンダスも戦死、テーベは没落に向かう。

前360年代はアテネ海上覇権復活の時代となるが、デロス同盟と同じく、357~355年の同盟市戦争で各ポリスの離反が相次ぎ、崩壊。

360年にマケドニアでフィリッポス2世即位、デモステネスが反マケドニア戦線を構築しようとするが、338年カイロネイアの戦いでギリシアはマケドニアの支配下に入り、古典期はヘレニズム期に移行する。

中身が極めて濃い。

前の記事で書いたように著者の視点にやや疑問を感じるときもあるが、具体的史実の記述はそれを補って余りある素晴らしさ。

借りてもいいが、できれば買って是非手元に置いておきたい。

説明がわかりやすく、記述が明解、曖昧さがほとんど無い、地図・系図が豊富かつ適切、と欠点が極めて少ない。

良質な啓蒙書として大いにお勧め致します。

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