万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年12月6日

澤田典子 『アテネ民主政  命をかけた八人の政治家』 (講談社選書メチエ)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 06:00

紀元前508年クレイステネスの改革から前322年アレクサンドロス大王死後の反乱鎮圧まで、約180年間のアテネ民主政の歴史を人物中心に叙述したもの。

副題の「八人」は、ミルティアデス・テミストクレス・キモン・ペリクレス・クレオン・トラシュブロス・イフィクラテス・デモステネス。

以上のうち高校世界史で出てくるのはテミストクレス・ペリクレス・デモステネス、それに何とか名前の出るミルティアデスを加えて、やっと半分の4人か。

本書の基本的視座は、古代ギリシアにおいて「稀有な息の長さと安定度と徹底さを誇った」アテネ民主政を改めて評価するもの。

しかし具体的叙述を読んでいくと、こういう制度を果たして肯定的に評価すべきなのかなあと疑問に感じる。

むしろ人類史上最初の民主主義の実験であるアテネにおいて既に、民主政というものがありとあらゆる愚行と醜態と惨状を晒しており、だからこそプラトンがそれに対する嫌悪と軽蔑から政治哲学をはじめたと言われた方がしっくりくる。

著者はそんなことを百も承知で書かれているのであろうし、仮にも専門家に無知な素人の私が文句をつけるのは噴飯ものだというのは認めますが、正直どうも一部に違和感を感じるところがあったと言わざるを得ません。

とは言え、この本における具体的叙述の価値は極めて高い。

著者は本書を概説・通史ではないとしているが、初心者にとっては普通にそのように使うのが一番適切で効用が高い。

世界史全集の中の該当巻を除けば、古代ギリシア史は意外と適当な本が少ないのだが、本書はその稀な例外となっている。

特にペロポネソス戦争終結からマケドニアの覇権確立までのアテネ・ギリシア史は類書が全くといってよいほど無く、各種全集でも省略されている場合がほとんど。

その中で本書後半部の記述はこの上なく貴重なものとなっている。

巻頭にあるギリシア主要部地図や適時挿入される該当部地図も見やすくて適切。

本文に出てくる地名はほとんどフォローできている。

(そんなの当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが、その当たり前ができていない歴史書が本当に多いです。)

地理的なことを少し確認すると、バルカンから陸地が南へ狭まっていく途中にあるのがテーベ、さらに南下してアテネ、そこから西側にわずかな地峡で瘤みたいに繋がっているのがペロポネソス半島、そこの南側内陸部にあるのがスパルタ、地峡にあるのがコリント。

以上四つの最重要ポリスの位置だけまず確認。

島嶼名などでは、小アジア沿岸にある島々が北から順に、レムノス・レスボス・キオス・サモス・ロードス、ギリシアと小アジアの間にあるキクラデス諸島のナクソス・デロス、バルカンにあるケルソネソス、カルキディケ両半島など。

以上他の地名を本文を読みながら追い追い憶えていく。

その際「面倒くさい」という気持ちは敵だと覚悟を決めて、何度でも地図を見ることを意識してやった方が良い。

制度上の予備知識としてアテネの最高職であるアルコンまでが、前487年より抽選制となったため、例外的に選挙制で重任・再任可能な軍事職のストラテゴス(将軍職)が重みを増したという冒頭の記述のみ、要チェック。

まずペルシア戦争開始年の前500年をすべての基準として真っ先に憶える。

この年は憶えやす過ぎる年だが、そこから二度のギリシア本土へのペルシア軍来寇が10年ごとと記憶。

前490年がマラトンの戦い、前480年がサラミスの海戦。

サラミスの翌年前479年がプラタイアの戦い、と三大戦闘をこれで記憶。

登場人物のうち、教科書には載っていなくて用語集の説明で出てくるレベルのミルティアデスを、まずマラトンの勝利者として強烈に印象付ける。

アテネが開拓したケルソネソスの僭主、ダレイオス1世に従ってそのスキタイ遠征へも同行したが、ミレトス反乱への関与を疑われペルシアに追われる身となり、アテネへ帰国、マラトンで大勝利をもたらす。

ミルティアデスはペルシア撃退後、ギリシアの他地方への遠征を主張して失敗し失脚、その後台頭してアテネの政権を担ったのがその子キモン。

ミルティアデス・キモン親子の家系がキモン家。

改革者クレイステネスの姪がクサンティッポスと結婚、その両者から生れたのが有名なペリクレス、この家系はアルクメオン家。

サラミスの勝者テミストクレスは門閥には属さない。

この時期のアテネ政界に活躍した大貴族としてもう一つ、カリアス家があるが、テミストクレスのライバルであるアリステイデスはこの家の縁戚(このアリステイデスはプルタルコスを読むと好意と敬意を抱かずにはおれません)。

以上の政治家では、普通ミルティアデス・キモン・アリステイデスが貴族派、クサンティッポス、テミストクレス、ペリクレスが民主派とされている。

しかし著者によると、当時のアテネでは対ペルシア、対スパルタに関する対外政策についての対立は確かに存在したが、国内制度上の「貴族派」・「民主派」といったような明確な対立軸は無かったとして、上記の区分が後世の目から見た、恣意的なものである可能性が高いとしている。

しかし、初心者が人物の大体のイメージをつかむために、上記の色分けを知っておいてもいいと思います。

今日はとりあえずここまで。

ペロポネソス戦争以後は続きます。

(追記:続きは以下

アテネについてのメモ

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