万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年12月1日

塩野七生 『わが友マキアヴェッリ  フィレンツェ存亡  2』 (新潮文庫)

Filed under: イタリア — 万年初心者 @ 06:00

1巻の続き。

この巻は第2部「マキアヴェッリは、なにをしたか」収録で、マキャヴェリの官僚・政治家としての活動を記す。

マキャヴェリの公職時代は1498年サヴォナローラ破滅から1512年メディチ家復帰まで。

共和国第二書記局書記官に就任、他に大統領付秘書官などの役職にも就く。

この時期のフィレンツェ共和国は、サヴォナローラ時代の親仏政策とイタリア内の孤立化状態を清算できず。

1498年仏王シャルル8世死去、ルイ12世即位、婚姻関係からナポリだけでなくミラノの継承権も主張し、ミラノも反仏政策に転換。

1499年仏軍がミラノ入城。

フィレンツェは1500年ピサ奪回に失敗。

この頃教皇アレクサンデル6世の息子チェーザレ・ボルジアが仏の後援を得て教皇領内ながら半独立の領主の多かったロマーニャ地方を次々と征服、中央集権化を進める。

このチェーザレ・ボルジアは明晰かつ果断で冷酷無比な専制君主として、マキャヴェリの『君主論』でも中心的に扱われている。

しかし1503年に教皇が死去するとチェーザレも没落、短期間のピウス3世を挟んで、後継教皇にはボルジア家のライバル、ジュリアーノ・デラ・ローヴェレがユリウス2世として即位。

フィレンツェでは1502年終身大統領にピエロ・ソデリーニが選出・就任、国制改革を進める。

傭兵制度に強い批判を持つマキャヴェリが中心となって、周辺農村から徴兵した国民軍を創設、その力で1509年ピサ再領有に成功。

1508年ヴェネツィアの外交失敗から教皇・皇帝・スペイン・フランスすべてが参加した反ヴェネツィアのカンブレー同盟結成。

1509年アニャネッロの戦いでフランス軍がヴェネツィアに大勝、北イタリアを制圧。

1510年フランスの優位に不安を感じたユリウス2世が同盟から脱落、翌11年にはヴェネツィア・皇帝・スペインと共に反仏神聖同盟結成。

1512年ラヴェンナの戦いで再度仏軍が勝利するが総司令官が戦死、ルイ12世は軍をミラノに撤退させ勝機を逸す。

敗北したスペイン軍の残兵をメディチ家が利用し、フィレンツェに圧力をかける。

そうこうしているうちに、フィレンツェ内部で親メディチ・クーデタが発生、政権崩壊、ソデリーニは逃亡、同1512年メディチ家が復帰。

当時のメディチ家は、ロレンツォの子ピエロはすでに亡く、ピエロの弟ジョヴァンニ枢機卿の時代。

マキャヴェリも免職・追放され、直後に反メディチ・クーデタ未遂に関与した疑いを持たれて一時投獄される。

翌1513年ユリウス2世死去、ジョヴァンニが教皇に即位、これが史上有名なレオ10世。

塚本哲也『メッテルニヒ』(文芸春秋)で、「高校世界史レベルで何となくイメージの悪い人」を取り上げましたが、贖宥状を乱発してルターの宗教改革を誘発したとされるこのレオ10世を忘れてましたね。

この人も感じの悪さでは相当なもの。

ただし、塩野氏の『神の代理人』(中公文庫)ではルターの「狂信」に批判的な、ルネサンス文化の良き理解者といった感の描写でしたね。

メディチ家教皇誕生で沸くフィレンツェで、マキャヴェリも大赦で出獄。

この巻はここまで。

極めて読みやすいのは前巻と同じ。

しかし第1巻に載っていた地図が無いのは不便。

三分冊になったんだからやはり各巻に入れて欲しい。

当時のイタリアの、相当細かな政治情勢をスラスラ読ませて理解させる文章力はさすがに認めざるを得ない。

しかし何を差し置いても強く勧めるといった気分になれないのも事実。

とりあえず第3巻に進みます。

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