万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年11月28日

塩野七生 『わが友マキアヴェッリ  フィレンツェ存亡  1』 (新潮文庫)

Filed under: イタリア — 万年初心者 @ 06:00

塩野氏のイタリア史関連の著作は、『海の都の物語』『ルネサンスの女たち』『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』『神の代理人』などを読んできたが、本書は手に取ったことが無かった。

以前中公文庫の分厚い一巻モノに気後れしていた。

それが新潮文庫に移って3分冊に。

だがはっきり言って中公に比べれば好きな版元ではないので、買う気は全く無かったのが、たまたま図書館で見かけたので借りてみた。

ちょうど本文の1、2、3部ごとに巻が分かれている。

この第1巻は第1部「マキアヴェッリは、なにを見たか」が収録されており、マキャヴェリの生誕から公職に就くまでの人生と、同時代のフィレンツェ史概説。

例によって超基本事項の確認。

当たり前過ぎるが、14・15世紀ルネサンスの中心がフィレンツェで、マキャヴェリもこの都市出身であることをチェック。

そして当時のイタリアの五大国、ミラノ公国・ヴェネツィア共和国・フィレンツェ共和国・ローマ教皇領・ナポリ王国の名前を、「公国」「王国」「共和国」の部分も含めて頭に叩き込む。

当然位置関係もチェック。

イタリア半島の長靴の後ろの付け根、イタリアとバルカンに挟まれたアドリア海の奥にあるのがヴェネツィア。

反対側、ティレニア海の付け根にジェノヴァがあるが、この時期はもう大国ではない。

ジェノヴァ北側に接するのがロンバルディア地方にあるミラノ。

そのさらに西にはサヴォイア公国。

首府はトリノで、のちにサルデーニャ王国としてイタリア統一の原動力となる国だが、王国名が「サルデーニャ」と言っても中心はあくまで本土のピエモンテ地方。

ミラノから南下して太ももあたりの内陸部にあるのがフィレンツェ。

そこから西に向かい、ティレニア海への出口になるのがピサ。

太ももを北東から南西へ横断した形でローマ教皇領が広がる。

そのうち、フィレンツェの東側はロマーニャ地方。

半島のひざ辺りから南はすべて広大なナポリ王国。

他の地名はその都度巻頭の地図で確認すればよいが、以上くらいは頭に入れておかないと読み進むのが面倒なので記憶。

各国の特徴としては、まずヴェネツィア共和国が対内的安定性、対外的独立性のどちらでもずば抜けており、イタリアで全くの例外であることを強烈に印象付ける。

他国のほとんどが実質君主制あるいは僭主制に移行したのに対し(教皇領を君主制というのは変ですが)、ヴェネツィアのみは伝統的に寡頭制的共和政体を維持。

あと少し面倒だが、ナポリとシチリアの支配者の系譜だけ軽く確認。

ノルマン人の征服でイスラム教徒から取り返された後、婚姻関係でドイツの皇帝家ホーエンシュタウフェン朝領土になるが、フリードリヒ2世死後、仏王ルイ9世の弟シャルル・ダンジューが征服。

フランス支配への反乱である「シチリアの晩鐘」事件で、アラゴンから王族が迎えられ、シチリアはスペイン系、ナポリはフランス系王国に。

そこから確かナポリもスペイン系の支配になったはず(この辺あやふやです)。

よってこの近世初頭の時期は南イタリアは親スペイン的な統治者による支配。

それに対して英仏百年戦争を終えたフランスが、ナポリの継承権を主張してイタリアに勢力を伸ばし、スペイン(少し後ではスペイン・オーストリアのハプスブルク帝国)と覇権争いを繰り広げるというのがイタリア政治の基本構図になる。

ニコロ・マキャヴェリは1469年生まれ、名門出身ではなく、大学も出ていない。

フィレンツェは1434年以降はコジモ・デ・メディチが実質君主として君臨。

任期一年の大統領に当たる「正義の旗手」という名の最高職をはじめとする共和国の政体は維持しながらも実質メディチ家の僭主制下。

コジモ自身は「正義の旗手」には三度就任したのみで、他の面で国政を動かす。

1464年コジモ死去、子のピエロが継いだ後、1469年孫のロレンツォが弱冠二十歳で当主となる。

この時期フィレンツェとメディチ家は全盛期を迎え、ロレンツォ・デ・メディチは「イル・マニフィコ」(偉大な人)とあだ名される。

イタリア内の小国保全と現状維持、勢力均衡に努め、西欧で台頭しつつあった領土大国のイタリア介入を阻止、イタリア・ルネサンスの繁栄をもたらす。

1478年パッツィ家の陰謀、教皇シクストゥス4世も絡んだ反メディチ・クーデタが失敗。

ヴェネツィア、ミラノ、フランス(ルイ11世)は親メディチの態度を採るが、ナポリは反メディチ陣営に加わり、教皇と組んでフィレンツェと開戦。

ロレンツォは自らナポリ王フェランテと直談判し和解、オスマン朝の脅威が高まりつつあったこともあり、講和に成功。

1483年仏王シャルル8世即位。

1484年には教皇インノケンティウス8世即位、フィレンツェ・ローマ間の関係が大きく改善。

1492年のロレンツォの死によってイタリアに暗雲が立ち込める。

この年はもちろんレコンキスタ完了とコロンブスのアメリカ到達の年、ちなみに新教皇にボルジア家のアレクサンデル6世が即位。

メディチ家はピエロが継ぐが父の才覚は全く無し。

1494年ナポリ王フェランテ死去を機に、シャルル8世率いるフランス軍がイタリア侵入、(広義の)イタリア戦争開始。

ミラノ公国の実力者ルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)、ジュリアーノ・デラ・ローヴェレ(次の教皇ユリウス2世)などがシャルルの軍を引き入れる役割を果す。

仏軍侵入への恐怖の中で同年フィレンツェのメディチ支配は崩壊、修道士サヴォナローラの支配確立。

仏軍はイタリアを縦断してナポリに入城するが、1495年反仏同盟樹立、これにはイル・モーロも加わり、結局シャルルはイタリアを撤退。

親仏政策を続けたフィレンツェは孤立化、ピサも独立して海への出口を失う。

1498年サヴォナローラの神政政治崩壊、サヴォナローラが火刑に処せられるところで本書はおしまい(この年ヴァスコ・ダ・ガマがカリカット到達、インド航路発見)。

2、3巻に続きます。

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