万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年11月23日

引用文(ニスベット3)

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ロバート・ニスベット『保守主義』(昭和堂)より。

 

保守主義は、進歩、つまり自由主義的-急進主義的な進歩観をひっくり返してしまう。こうして、近代主義者が歴史の進歩的展開という自分たちの主張のなかに次々と取り込む要素――技術、民主主義、個人主義、ロマン主義、平等といった――を、たいていの保守主義者は少なくともいくつかの感情の入り混じった複雑な態度でもってながめることになる。この点について、保守主義者なら、おそらくこう言うであろう。なるほど、こうした要素はある程度まで、そしてその範囲内では、ありがたいものだとしても、実際には歴史を見てもわかるように、しばしば生活にとって有害な諸力、つまり礼儀と道徳を転覆させる要素であり、大衆や、人民に根ざす専制や、個人を存在感や帰属意識の生来の根から切り離す全般的な疎外といったものの前兆である、と。これはつとに1796年に、ボナルドがその権威の研究においてとっていた見解であった。中世的な伝統に対する四世紀に及ぶ浸蝕と反逆のはてに、フランス革命が勃発したが、この革命は「権威の弱さゆえに忍びこむ悪しき諸原理を社会という身体から自然が根絶やしにするための、恐ろしいが、ためになる危機」であった、というわけである。初期の保守主義者たちは、中世以降に生じたいっさいの出来事への不信を表明することによって、リズムの破綻を内に含む悲劇的な歴史の見方を提示する。ゆっくりとした漸次的上昇があるのでもなければ、その逆の下降があるのでもなく、むしろ歴史という次元そのものが周期的に危機に見舞われるという見方である。歴史とは複合的で突発的なものであり、ボナルドとド・メストルの直接的影響下にあったサン-シモンの言葉を借りるなら、「有機的」でしかも「危機をはらんだ」各時期の、ほとんど果てしなく続く過程である。事実、保守主義者たちは、無秩序とデカダンスという危機の時期を、そうでない時期よりもはるかにつよく強調する傾向をもっていた。W・H・マロックは、たいていの保守主義者を代弁する形で、『人生は生きるに値するか』のなかで、こう語った。「もしわれわれが、進歩の対極にあるものを肯定的に理解することができなければ、こうしたすべての『進歩』の結果は、この上なく静穏なアンニュイ、あるいはこの上なく魂を欠いた官能以外のなにものでもないであろう。」ドイツでは、ショーペンハウエルが、これまでにない倦怠の広がりを予見していたが、それはまさしく近代的進歩の遺産であり、麻薬か暴力への逃避によってしか中断されないような倦怠であった。

コールリッジもこう述べている。「商業は何千人もの人々を豊かにし、知識と科学の拡大の原因となってきたが、はたしてそれは幸福や道徳的進歩をほんの少しでもつけ加えてきたであろうか。それは、義務への理解をいっそう真実に近づけたり、人間の自然的感情の改善によってわれわれを再生させ維持することに貢献してきたであろうか。断じて、否である!」

ブルクハルトは、晩年のトクヴィルと同様に、この問題をさらにつきつめて考えた。

わたしは、未来になんの希望も抱いていない。ひょっとして部分的には我慢できるような数十年間、一種のローマ帝政期が、今後しばらくまだつづくかもしれない。わたしは早晩民主主義者とプロレタリアートが、ますますひどくなる専制に服従せざるをえなくなる、と考えている。

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