万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年11月16日

ロバート・ニスベット 『保守主義  夢と現実』 (昭和堂)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

原著が1986年、翻訳が1990年に出た本。

著者はアメリカ人。

150ページほどとごく短い。

エドマンド・バークを中心とした保守主義の概説。

第1章は、フランス革命の衝撃とそれに対するバークの批判からはじまった保守主義の起源、および19世紀以後の展開。

第2章は、伝統・偏見・権力・自由と平等・財産・宗教などについての保守主義の教義を概観。

第3章は、保守主義が主に19世紀のものの考え方に与えた影響。

第4章でガラッと毛色が変わって、1950年代の保守主義復興、60年代から70年代の新左翼への反発、80年代の米レーガン政権内における保守的党派の分類など、アメリカ国内の政治勢力の話が来てお仕舞い。

レーガン支持派として挙げられているのは、権力志向の極右・福音主義の宗教右派・自由至上主義者(リバタリアン)・直接民主制志向のポピュリスト・「小さな政府」志向の伝統的保守主義者など。

他に、新左翼と伝統的保守主義双方に対抗するニューライト・宗教右派が「新しい(ニュー)保守主義」で、右傾化した元リベラリストが「新(ネオ)保守主義」みたいなことが訳者註などに書いてあるが、この辺ややわかりにくい。

この章で、アメリカ史においては第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争と民主党政権が戦争を始めて共和党政権が収拾する、といったことが書いてあり、確かに20世紀中はそうだったが、小ブッシュがすべてをぶち壊したのでそれも当てはまらなくなったなあと思った。

著者は、アーヴィング・クリストルやウィリアム・バックリーなどいわゆるネオコン人脈に連なる人物らしく、その点やや警戒心を持ってしまう。

ただし著者自身の考えは4章の一部を別にして強くは浮かび上がってこないので、まあいいでしょう。

著者が、社会主義・共産主義を批判して、自由民主主義と市場経済を擁護し絶対視するだけの自称「保守」ではないことは充分わかる。

バークに始まる歴代の保守主義者が中世封建制社会の長所を実にしばしば強調し、近代資本制社会そのものに強い批判の念を持っていたことを本書ははっきり記している。

しかし、やはり市場主義への批判は抑え気味ではないかと感じた。

バークやトクヴィルを経済的レッセ・フェール支持者として称賛している部分には強い違和感、というより嫌悪感すら感じた。

私有財産制の尊重を言うのはもっともではあるが、市場社会への批判が、巨大企業の独占や政府官僚への批判に留まるならば、結局新自由主義的言説に回収されてしまうのではと思った。

ただし、あまり知られていない人を含む豊富な引用文を交えながらの叙述はかなり効用が高い。

コンパクトな分量で訳文も読みやすいのも長所。

(ただし明らかな誤植が数ヶ所あったのは残念。)

末尾の訳者による保守主義の文献ノートも貴重。

翻訳のあるものは少ないが、名前を知るだけでも有益。

コーンハウザーの本でも名の出たヴィーレックやカークの翻訳を期待したいです。

 

「機械主義への信仰、物質的なものの全能性への信仰は、いつの時代でも弱さと盲目の不満の共通の避難所である。」[カーライル]

「いまやわれわれを煽りたて脅かしている階級間の、また様々な信条の間の闘いには、ただひとつの治療法しかない。それは忠誠と畏敬、人民の権利と社会的同情の制度として説明することのできるある制度[封建制]に本気で立ち返ることである。」[ディズレーリ]

「一見民主的な運動ほど、高度に組織され確信をもった小数者の意志が動きの鈍い未組織の大衆の意志を支配する有様を明確に説明する運動はない。」アーヴィング・バビット]

「貴族的な古い土地階級と新しい貨幣階級との間の――かならずしもつねに意識されてはいないが――ほんとうの戦争状態において、最も利用しやすいがゆえに最も大きな力は、後者の手中にあった。貨幣階級は、本性的にいかなる冒険にもすぐ応じるし、また貨幣所有者は、いかなる新しい事業にもとりかかる意志がある。・・・・・したがって、それは変化を望むすべての物が頼りとする種類の富である。」[バーク。革命派と新興ブルジョワ階級との結び付きを非難して。]

「邪悪なものは生起した。この邪悪なものは原理的かつ模範的になされている。そしてわれわれはそれが[終わる]時期について、われわれ自身の手よりもより高次の手の善意を待つほかない。・・・・・わたしが過去しばらくの間やり、これからもずっとやっていくであろうことは、積極的にも受動的にもこの大変動にいささかも手を貸さないようにすることだけである。」バーク]

保守主義者による自由主義批判の核心は、自由主義は要するに全体主義のための「おとりのヤギ」であるという点にある。近代人のなかではとりわけバークからドーソン、エリオット、カークに至る人々がそのように考えてきた。社会内の伝統的権威や役割から人々を解放するという不断の努力を通じて、自由主義は社会構造を弱体化し、「大衆型」人間の増加をうながし、そしてこれによって、出番を伺っていた全体主義者たちを招き入れたというわけだ。エリオットによれば、「人々の社会慣習を破壊することによって」、「彼らの自然な集団意識を個々の構成要素に解消することによって、・・・・・自由主義はそれ自身を否定するものへの道を準備することになる。」またクリストファー・ドーソンも、ムッソリーニの全盛期に、イタリア・ファシズムは基本的には近代自由主義が生みだしたものだと断定している。上記「自由主義」を「民主主義」「資本主義」に置き換えてもいいでしょう。]

保守主義者は、主として、確固たる正統性から離脱した人間はなんらかの混乱や平衡感覚の喪失に陥りやすいという十分に根拠のある確信に基づいて、宗教を支持した。バークが息子宛の手紙に書いているように、宗教は「人間の砦であり、これがなければ世界は不可解で、それゆえ敵対的となっていたであろう。」トクヴィルは、個人的には生粋のローマ教会信仰をもっていたにもかかわらず、臨終の信仰告白まではそれをひけらかさないように心に決めていたが、その彼の鮮かな説明によれば、政府と社会にとっての、また自由にとっての、宗教の価値は次の点にある。

政治における以上に宗教において権威の原理がもはや存在しないとき、たちまち人々は無拘束の独立状態に驚かされることになる。周囲のあらゆるものの絶え間ない動揺が人々に警告し、彼らを消耗させる。・・・・・わたしには、人が完全な宗教的独立と完全な政治的自由とを同時に保持しうるかどうか疑わしいように思われる。だから、わたしは、信仰が欠けているとき、人は服従しなければならない、また自由であるとき、人は信仰をもたなければならない、と考えたいのである。

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