万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年11月5日

引用文(佐伯啓思3)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

佐伯啓思『日本という「価値」』(NTT出版)より。

マルクスの資本主義分析は理論的に破綻しているし、ヒルファーディングやレーニンもあくまで時代の産物であった。マルクスの経済理論で今日の経済を分析できるというわけにはいかない。マルクス理論の要になる労働価値説はまったく支持できない。

にもかかわらず、マルクスの直感は完全に間違っていたわけでもない。マルクスの直感とは、資本主義は「純粋化」し、高度化すればするほど、利潤率の低下に直面し、挙句の果てには無政府的な(つまりは、グローバルな)過度の競争に陥って、きわめて不安定化する。こういうものであった。

ここで、資本主義が「純粋化」するというのは、労働や資本といった基本的な生産要素を徹底して商品化し、規制のかからない市場で自由に流動化してゆくことである。そして、このような「資本主義」の「純粋化」こそ、グローバリズムという名で、今日、世界的規模で生じていることだ。労働や資本がほぼ完全に「商品化」され、競争市場で自由に流動するようになる資本主義は、きわめて不安定なものだ、というのがマルクスの直感であった。マルクスの資本主義分析は理論的には大きな欠陥をもっているが、この直感まで間違っていたというわけにはいかない。

・・・・・・・

確かに、資本主義は社会主義に対して勝利したのである。社会主義が経済的パフォーマンスにおいて不満足なものでしかないということは、理論的には、すでにミーゼスやハイエク、それを引き継いだアメリカ経済学が明らかにしていたが、それが80年代を通じて実地に論証されたのであった。

しかし、それは、決して、資本主義が無条件に予定調和的である、などということを意味したわけではない。むしろ、90年代に警戒すべきは、社会主義崩壊以降、資本主義の暴走にいかに歯止めをかけるか、という点にあったはずだ。「資本主義の勝利」はよいとしても、「資本主義の奢り」を戒める何かが必要だったのである。

何が必要だったのか。私はそこに「保守主義」という思想の役割があった、といいたい。ただし、残念なことに、90年代には、いわゆる「保守主義者」も、この種の「奢り」から自由ではなかった。それどころか、問題を混乱させたのは、「新自由主義」と「保守主義」の関係である。「新自由主義」はしばしば「新保守主義」とも呼ばれ、80年代のレーガノミックスの登場以来、市場万能論の「新自由主義」は「新保守」と等値されることとなってしまったからである。

私自身、繰り返し書いてきたことだが、「新自由主義」と「保守主義」は異なっている。両者を区別しなければならない。市場原理主義にたち、金融グローバリズムをほぼ無条件に擁護する「新自由主義」と、市場経済を、ある特定の社会の歴史的経緯や社会的構造、文化と不可分のものとして理解する「保守主義」とは全く異なったものなのである。

「新自由主義者」はグローバルな市場経済を組み立てている「普遍的な原理」がある、と考える。市場を構成するのは合理的な諸個人であり、彼らはともかく自己利益を追求するものだ、と考える。個人の能力は個人の成果として彼に帰属すべきだと考える。そして、新自由主義者は、人間の合理性をもっぱら金銭的利益を追求するところに見出し、すべてを金銭的利益のタームに解消することをいとわない。

しかし、「保守主義者」はそうではない。あらゆる社会に妥当する唯一の普遍的な経済原理があるとは考えない。市場を構成するのは、個人というより、さまざまな利害を複合した企業組織であり、人々のつながりであり、生活の安定を求める家族だ、とみなす。人は必ずしも利潤を求めて生きているわけではないのである。また、個人の能力は、他者との協同の中で発現する社会的なものだから、すべての成果が彼個人に帰属するわけではない、と考える。ここでは、社会という共同体を安定化したり、維持したりすることが、時には個人の利益や成果よりも優先されるのである。安定した社会と人々を結びつける組織がなければ、自由な個人による経済活動さえも成り立たないからである。

「資本主義の暴走」をもたらしたのは、「新自由主義者」の奢りであった、といわなければならない。それに対する歯止めがかからなかったのである。その理由は、「保守主義」と「新自由主義」が混同された点にあった。「社会主義」という歯止めが外れてしまった90年代に、「資本主義の暴走」を食い止めるものがあるとすれば、それは「保守主義」以外にはなかったのではなかろうか。

ところが、その「保守主義」が、自らの本質を見失ってしまった。社会主義という「左翼」との対決を保守の本分であるとみなしていたからである。社会主義との対決が意味をもったのは、あくまで、社会主義が存在した時代、すなわち冷戦時代のことであった。ポスト冷戦時代においては、保守主義の役割は、「資本主義革命」が押し進める、各国の伝統や文化への攻撃、歴史性の無視、組織の解体、社会秩序の破壊・不安定化をいかに回避するかにこそ向けられるべきだったのである。

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