万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年10月23日

引用文(村上泰亮1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

村上泰亮『産業社会の病理』(中公クラシックス)より。

・・・・・このような「仮説硬直化」の危険は、近代経済学についても発生するが、近代経済学の場合とくに注意する必要があると思われるのは、「理論呪術化」の危険である。例えば、マルクス経済学的な例をとると、窮乏化の現象が先進国においてみられないことは窮乏化の理論の失敗ではなく、植民地の存在を仮定しなかった予備的前提の誤りである、と説明される。また例えば、近代経済学的な例をとると、公害という現象によって市場機構による資源配分の失敗が起ったとき、それは市場機構による資源配分の効率性の理論の失敗ではなく、市場を(自然環境を含めた)すべての「財」について成立させなかったことの誤りだ、として説明されるのである。この理論自体は、科学的分析をめざす正当な努力であり、何ら非難されるべき点はないとみなされる。そして同様な他の反証が現れたときには、再び他の予備的前提が誤っていたという説明がなされる。かくてこのような過程を通じて、窮乏化の理論のみは、あるいは市場機構有効性の理論のみは、予備的前提を犠牲にしながら、不死身にも似た形で生きながらえ、むしろ論争を通じて演繹体系としていよいよ強化されて行く。怪物のような演繹体系が育てられていくのである。

一般的な論議世界の中では、このような演繹体系が強い影響力をもつようになる。科学的理論としてはむしろ失敗の歴史を担ったものであり、実はいよいよ現実とは遠ざかりつつある可能性をもつものでありながら、その強い生命力のゆえに怖れられ尊敬される存在となる。かくて演繹体系は完全に自立的な存在となり、われわらの議論を決定的に左右するようになる。社会主義圏における教科書化されたマルクス経済学はまさにその典型的な例であると思われるが、資本主義圏においても、市場機構有効性の演繹理論はそれに似た怪物的性格をもつにいたっている。かくて次のようなガルブレイスの発言が意味をもつようになる。

「慣習的に教えられているような形での経済学が、真理を明らかにするというより、むしろ既定の社会的な仕組みについて学生に安心感を与えるための信念の体系であるという一面を持っているのではないか。」

たしかに、全般的な論議世界においては、社会科学的分析が、自立する演繹体系という怪物の苗床として意味をもつかのようにみえるのである。

現代における科学的分析のもつこのような意味について、最も鋭い告発を試みるのはマルクーゼである。

「公的な論議の世界の要所要所に、分析的命題は、自己正当化を繰り返しつつ、魔術的=儀礼的(magic=ritual)公式のような機能を果すものとして現れる。受け取り手の心の中に繰り返し繰り返し叩き込まれながら、それらの公式は、みずからの規定する条件の圏の中に、人々の心を閉じ込めるという効果を作り出す。・・・・・

・・・・・分析的構造は、現代を支配する主要な名詞(村上注―自由、平等、民主主義、平和などをさす。競争市場などもそれに含まれるかもしれぬ)から、政策決定や世論の叙述におけるその名詞の既成の用語法をくつがえし、あるいは少なくともかき乱すような側面を、切り離してしまう。儀礼化された概念は、矛盾に対して免疫となる。」

(この後、経済学に対するマルクーゼの見解は一面的で必ずしも妥当ではないという意味の文章が続くが、現在では上記文章が非常に示唆的と思われるので省略。)

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