万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年10月17日

杉浦昭典 『海賊キャプテン・ドレーク  イギリスを救った海の英雄』 (講談社学術文庫)

Filed under: イギリス — 万年初心者 @ 06:00

この人もそこそこの重要人物の割には手ごろな伝記が無いなあと思っていたところ、少し前にこれが出たので借りてみた。

あとがきと巻末の記述を見ると、1987年に中公新書で刊行されたものの文庫化とのこと。

不覚にも新書で出ていたことに全然気付いていなかった。

最初はマゼランを中心とした大航海時代の概略。

この人物についてはシュテファン・ツヴァイク『マゼラン アメリゴ』(みすず書房)という最高に面白い本がありますので、それを強くお勧めします。

地理的なことで、大航海時代初期にスペイン・ポルトガルの拠点となった大西洋の島嶼名をここで少しメモ。

まずアフリカ北西岸沖にマデイラ諸島。

そこから北西に進むとアゾレス諸島。

マデイラから南下してカナリア諸島。

さらに南に進み、アフリカ最西端沖にあるのがヴェルデ岬諸島。

以上のうちカナリア諸島のみスペイン領、他はみなポルトガル領となる。

本書の主人公フランシス・ドレークは1540~45年の間に生まれる(下層階級出身なので正確な生年すらはっきりしない)。

小作農民でプロテスタントの熱心な信徒の家。

そのためメアリ1世時代(1553~58年)には息を潜めるように暮らす。

1558年エリザベス1世即位。

この時期のイギリスの有名な航海者としてまずウィリアム・ホーキンズがいる。

ブラジル・ギニアへの密貿易で成功、プリマス市長となり、のちに同名の息子ウィリアムも同市長になっている。

もう一人の息子がジョン・ホーキンズで1562年より数度にわたって新大陸への奴隷貿易を行い、交易を拒否された場合は武力で攻撃・略奪・貿易強制を遂行した。

このホーキンズの下で、ドレークは航海者としての活動を始める。

1572~73年にドレークは中米パナマでシマローン(逃亡奴隷)と協力して大量の金銀を奪取することに成功。

ちょうどこの頃は、ユグノー戦争(1562年~)、オランダ独立戦争(1568年~)、サンバルテルミの虐殺(1572年)など新・旧教国間の対立が激化していた時期だが、エリザベス1世はスペインとの決定的対立を避け、ドレークもしばし姿を消す。

1577年再び海に出たドレークはスペイン領を荒らし回りながら1580年にかけて世界周航を達成。

帰国後、プリマス市長と下院議員に。

1585~86年には西インド諸島を攻撃、87年にはスペインのカディス襲撃。

そして運命の年1588年にメディナ・シドニャが指揮するスペイン無敵艦隊(アルマダ)が出撃。

迎え撃つのは英海軍長官チャールズ・ハワードが司令を務める下に、ホーキンズ、ドレーク、フロビッシャーの三提督。

アルマダは同年7月に英国沿岸に達するが懸念されたプリマスへの即時攻撃は行わず、オランダで戦うパルマが指揮する陸兵との合流を目指す。

艦隊はカレー沖に投錨するが、すぐ近くのパルマ軍はオランダ海軍に押さえられて合流できず、その間に英国海軍が焼き討ち船を突入させてアルマダは大損害を受ける。

続く追撃戦であるグラーベリーヌ海戦でもイギリスは大勝。

アルマダは英国諸島を北回りに迂回して逃げ帰る。

スペイン到着時には艦隊の船は半分、3万の人員は1万になっていたという。

主な戦いは、以上カレー沖海戦とグラーベリーヌ海戦の二つだが、高校時代から不思議に思うことに、この戦争の総称としては地名が付かない「無敵艦隊の敗北」か「アルマダ海戦(戦争)」と呼ぶしかないようです。

余勢を駆って翌1589年ドレークはリスボン(1580年以降だから当時のポルトガルはスペインに併合されている)を攻撃するが、これには失敗、ドレークはしばらく陸に上がる。

一方この時期にイギリスの私掠船活動は最高潮に達し、その収益は年間輸入額の10倍にもなったなんて「ホントですか?」と思うようなことが書かれている。

1595年ドレークとホーキンズは中米遠征に出発するが、ホーキンズは病死、思わしい戦果が得られないままドレークも病に倒れ現地で死去する。

割と良い。

量的にちょっと物足りない気がしないでもないが、楽に読めるのは長所。

ざっと読んで知識を仕入れるのに適した本でしょう。

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