万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年9月28日

引用文(内田樹6)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

内田樹『街場のアメリカ論』(文春文庫)より。

 

高校で世界史を教えている先生が、「今の高校生は世界史がぜんぜんわかっていない」と嘆いておられました。何しろ、明治、大正、昭和の順番を正しく答えられない高校生さえいるそうです。それじゃ、世界史がわからなくても当然です。でも、やっぱり基礎的なことは知らないとまずいです。

今、学校で歴史の授業というと「年号の丸暗記」だと言って生徒さんたちは反発しますね。「年号じゃなくて流れを教えろ」「物語を語れ」と要求する人がいる。でも、歴史を理解するためには、まず出来事と年号を覚えないと話しにならないと思うんです。

「流れ」と一口に言うけれど、歴史の「流れ」というのは、そこに実在するものではありません。「流れ」というのは史書の書き手がつくった「お話」です。この事件があったのでこの事件が起きましたというのは、その人が散乱している歴史的事実から読み出して一つながりにしてくれた「お話」です。

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だから、「個別的な歴史的事実なんか教えてもらいたくない。原因結果の流れだけ教えてほしい」と歴史の授業で要求するのは、あまり賢いとは言えません。だって、その人は要するに「よくわからないこと」について「私にはわかっている」と言い張っている人間の話を聞きたいと言っているわけですからね。でも、その人の「私にはわかっている」という断定をあなたはどうして信頼できるんです?声がでかいから?それともあなたには他の人に比べてその人の歴史観がより正しいと判定できるだけの歴史学的知識がもうあるということですか?でも、そこまでわかっている人は歴史の教科書なんかに用はないはずですよね。

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そして、自分の頭を使えと言ったあとにこう続けると矛盾しているように聞こえるかもしれませんけれど、自力で考えるためには歴史上のランドマークになる出来事とその年号を覚えることがまず必要です。

私はその点では「受験勉強有用論」です。

「何年にどこで何があった」という歴史の生データを暗記しておくと、同じ年にここでこんなことが起こっているということに気づきます。あれとこれをつなげて考えてみると、「あれ」と「これ」の間に実は「こんなこと」があったのかもしれない・・・・・という推理が可能になります。

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たしかに「流れ」は大事ですし、「物語」的に構成された歴史教科書は読みやすいというのもほんとうでしょう。でも、それは結局他人の作った「物語」を丸飲みすることにすぎません。

だから年号を暗記することを軽んじてはダメですよ、と申し上げているわけです。

過去から現在までがまっすぐに直線的な因果関係でつながっているというようなシンプルな物語に依存しないためには年号を覚えておくことがぎりぎりの防衛線なんです。歴史ってそんなシンプルなものではありません。至るところに分岐点があって、そこで歴史の進路は切り替わっているんです。私たちが今いるこの世界はこっちへ行くかあっちへ行くかの選択を繰り返して、たまたまここに至っているだけなんです。

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ですから、ある歴史的な出来事の意味を理解するためには、「なぜ、この出来事は起きたのか?」と問うだけでは足りません。「なぜ、この出来事は起きたのに、他の出来事は起きなかったのか?」という問いも同時に必要なのです。私たちの知性は「起きた出来事の因果関係」を発見するのと同じくらい、「起きてもよかったのに起きなかった出来事」をどれだけ多く思いつけるかによっても試されているのです。

この問いの立て方は推理小説の読み方に似ています。

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歴史を学ぶ楽しみもそれと同じです。出来事や人物が何を意味するのか、いかなる機能を果たしているのかについての決定を急がないこと。未決定に耐えるということ。それが歴史を読むという作業に快楽を備給しています。軽々な判断を慎み、決定をできる限り先延ばしにすること。

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あらかじめ与えられたシンプルなストーリーで「決め打ち」的にしか歴史を読めない人と、歴史を過去未来にまたがる「ひろがり」として大きくとらえ、一つ一つの出来事の意味をできるだけ未決の状態にキープしておいて、ミクロの揺れに身を任せて読む人の差は、知性の死活にかかわることだと私は思います。

高坂正堯『大国日本の世渡り学』(PHP文庫)参照。

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