万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年9月23日

坂野潤治 大野健一 『明治維新  1858-1881』 (講談社現代新書)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

明治維新を後進国近代化の稀に見る成功例として捉え、それを可能にした要因を俯瞰的に考察する本。

坂野氏は『自由と平等の昭和史』の共著者である政治史家、大野氏は開発経済学者。

著者たちによれば、明治日本の最大の成功要因は、その政治における「柔構造」にある。

幕末開港期に商業活動と政治改革構想を通じて軍事力および対外交渉力を獲得した少数の雄藩は、藩を行動単位として、明治維新の前後を通じて複数の国家目標(幕末期には「富国強兵」「公議輿論」の二つ、維新期には「富国」「強兵」「憲法」「議会」の四つ)を追求しつづけた。いずれの目標を標榜するグループも、単独では十分な政治力が得られなかったので、他のグループとの協力関係を築くことによって自己の政策を実現しようとした。グループ間の政策闘争においては、「国家目標」「合従連衡」「指導者」という三つのレベルの可変性・柔軟性が顕著であった。すなわち、目標の数や内容、指導者のめざすもの、グループ連合の組み方それぞれが、状況に応じて変わっていったのである。しかも、そのことが大きな混乱や消しがたい遺恨を生むことはほとんどなかった。当時の日本が具現していたこの政治的「柔構造」は、複数目標を同時に達成する能力、内外ショックへの適応力、政権の持続性のいずれにおいても、東アジアの開発独裁の単純な硬構造よりもはるかに強靭であったというのが我々の仮説である。・・・・・・

こういう視点から、1858年日米修好通商条約をはじめとする安政の五ヵ国条約締結から、1881年明治十四年の政変までの政治情勢を分析していく。

まず明治期の四つの政策目標とそれを標榜するグループの代表者として、「富国」派の大久保利通、「強兵」派の西郷隆盛、「憲法」派の木戸孝允、「議会」派の板垣退助が挙げられている。

ただし、以上は最終的な立ち位置であり、各人が常に単一目標を追求していたわけではないとされている。

幕末期から明治初年にかけては藩を単位にした封建議会と分権的重商主義の時代とされ、それが廃藩置県で突破される。

岩倉使節団に随行した大久保が「富国」派に、木戸が「公議輿論」から分離した「憲法」派になる。

その間留守政府では、維新と廃藩をもたらした「革命軍」を背景に、西郷隆盛ら「強兵」派が突出。

1873年征韓論争、74年台湾出兵、75年江華島事件と危機が続発するが、75年の大阪会議と「立憲政体樹立の詔」で木戸・板垣が一時政府に復帰し、政府外の「強兵」派に対する「富国」派・「憲法」派・「議会」派の連合が成立。

76年日朝修好条規締結を境に外交危機は沈静化し、77年西南戦争によって国内の「強兵」派も鎮圧、「富国」派が主導権を握る「殖産興業」政権が誕生する。

代表者は大久保、黒田清隆、大隈重信。

しかしこの政権は大久保の暗殺、官営企業の不振、財政赤字膨張、外貨危機が重なり、間もなく行き詰る。

1880年頃から、井上馨を指導者とした「憲法」派と山県有朋に率いられる「強兵」派が政府内で勢力を回復。

井上馨は政府の「憲法」派と「富国」派に、政府外の「議会」派を加えた「四分の三連合」を再び成立させようと目論むが、ここで「富国」派の代表者だったはずの大隈が複雑な動きを見せ、最急進的な議会開設論を唱えたため「議会」派の板垣との提携にも失敗、この動きは挫折、明治十四年の政変に至る。

1880年工場払下概則が制定、81年には松方正義大蔵卿による緊縮財政(松方財政・松方デフレ)がはじまり、国家主導の「殖産興業」路線は清算される。

以後は「富国」「強兵」「憲法」派連合の政府に対し、在野の「議会」派が対峙し、両者の対立と妥協のうちに政党政治が漸進的に実現していくという、我々がよく知る展開になると考えていいのか。

上記の勢力争いの中でも、幕末の藩間交流で培われた相互信頼・ナショナリズムと尊王思想の共有によって、政治闘争は一定の枠内でのみ行われていたと強調されている。

なお、ちょっと気になるのが上記政府内での「憲法」派復活の主導者が井上馨とされていて、伊藤博文の名は少ししか出てこないこと。

伊藤之雄『伊藤博文』(講談社)で、日本の立憲政治確立における伊藤の貢献を坂野氏が過小評価しているという意味の註が確かあったはず。

この辺、私ごときには判断しかねます。

以上、誤読もあるかもしれませんが、ここまでが第一部です。

第二部は改革諸藩の比較。

雄藩主導の封建議会で主導権を取ると認識されていたのは薩摩・土佐・佐賀(肥前)・福井(越前)の四つ。

長州は幕府とあからさまな内戦状態にあったので外れているが、維新後は福井が脱落、よく知られる薩長土肥となる。

なお佐賀は自藩の「富国強兵」策が成功し過ぎ、他藩との連携や横断的結合が不足したため、維新後の影響力が低く、同藩出身者の大隈重信・江藤新平・大木喬任・副島種臣なども単独行動が多かったとされている。

第三部は明治の変革を可能にした江戸時代日本の経済的社会的状況についての考察。

面白い。

短いのであっという間に読めるが、密度は異常に濃い。

もともとイギリスの学者との共同研究を前提にしたものらしく、その分一部表現に生硬さがあったり、くどさが感じられたりもするが、見方を変えればそれも反ってわかりやすいとも言える。

とは言え、本書の歴史解釈の鋭さを味わうには、教科書レベルの事実関係が大体でも頭に入ってないといけないでしょう。

他の普通の概説や伝記作品にも地道に取り組むことをお勧めします。

より保守的な立場から、本書のような「明治礼賛論」に距離を置く見方もあるでしょうが、やはり非常に優れた入門書と言えると思います。

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